北野 祐二 Ⅰ
俺はニュースを見て驚愕した。
そのニュースで捕まった容疑者に見覚えがあったからだ。俺があの時ウソをつかなければ無くならなくて済んだ命が無くなった。その事実は俺に激しい後悔の念をもたらしていた。
あの時の自分を恨んだ、保身の為にウソをついた自分に激しい嫌悪感を抱いた。
その容疑者は俺が見て見ぬ振りをしたあの男だったのだ。
約20年前、俺は大学で物理学を学ぶ大学生だった。地元から出てきて一人暮らしをしていた。裕福な家庭ではなかったので自分の事は自分でなんとかしなくてはならず、コンビニでのアルバイトをして諸々のお金を工面していた。
バイトにはそれなりの日数入っていて、大学と家とバイト先のコンビニだけを行き来する生活を送っていた。
主に夜間のシフトに入っていた為、よく来る常連たちも多く、ちらほら顔を覚えている客もいた。通っている大学の教授もその一人だった。
夜間に奥さんと思われる女性と来店する事が多かった。俺の方は教授であると認識していたが向こうはおそらく認識していなかったと思う。講義ではいつも後ろの方の席に座り、バイトの疲れもあり寝てしまう事もよくあり特に目立った印象はなかったと思う。だから、俺からはコンビニで喋りかける事もなく、向こうも気付いている素振りは見せなかった。
あの日の事は鮮明に覚えている。常連客の輩っぽい男が店の外で騒いでいた。男の手には数十分前にこのコンビニで買った酒の缶が握られていて、それを買いに来た際にはすでにだいぶ酔っ払っているのは傍目から見ても分かった。
この男は以前も、店内で他の客と絡んでいたのを見かけた事があるので、また騒いでいると嫌な気分になった。
その男が揉めているのは女性だった。歳は四十歳前後で知り合いといった雰囲気ではなく、男が因縁でもつけたのだろうと思った。
あんな輩に関わるのは嫌だったが店員としてはなんとかしなくてはならず、嫌々だが外に出ようと自動ドアに向かっていく。
その時女性が男に掴まれていた腕を振り払おうと腕を強く動かした時、偶然手にかけていたバッグが男の顔に激しくぶつかった。男はその衝撃で呆然としており、その隙に女性は逃げ出した。しばらくして我に戻ったのか怒りの形相で走り出した。
それを見て流石にまずいと思い後を追った。前を走る男のかなり前を女性が走っていた。女性は曲がり角で何かにぶつかり、すぐさま起き上がり角を折れた。
しかし、近付いていくと曲がり角には女性がうずくまったままだった。アレッと思った所で男が女性に追いついた。
次の瞬間ギョッとした。
男は大きく腕を振り上げていた。その手にはいつの間にやらナイフが握られていた。
俺は無意識に走るのをやめ、電信柱の影に隠れてしまった。混乱と恐怖から気が動転してしまったのだろう。
そして鈍い音と、低く呻くような声がした。その後は金属が地面に落ちる音、駆け出す足音と聞こえてきた。
混乱と恐怖から足はすくんでいたが、なんとか動かして電信柱の影から抜け出す。
そこでは女性がうずくまったままの姿勢でいた。しかし、足元にはアスファルトを鈍く光らせている液体が円を描いていた。
女性に近付き様子を確認すると、その女性は先ほど男と口論していた人物とは違った。それはよく見る常連の――教授の奥さんであった。
訳が分からなかった。なぜ急にここで教授の奥さんが現れるのか。しかし、よく思い起こせば、女性は曲がり角で何かにぶつかっていた。
それが逆側から来た教授の奥さんだったのではないだろうか。そして、女性はすぐに立ち上がり角を曲がって逃げていったが、奥さんの方はその場に残ってしまった。
そこへ怒りと酔いで自分を完全に見失っている男が半狂乱状態で、女性と勘違いして襲いかかってしまった。
つまりは奥さんは男の間違いで刺されてしまったと考えられるのだ。
そう考えに至ると、現実の状況に意識が戻り俺は急いで110番通報をした。間もなく警察が到着して現場捜査が始まった。俺も第一発見者という事もあり警察署に呼ばれ事件発生状況の説明をさせられた。
俺はそこでウソをついた。それは犯人の目撃証言についてだった。俺が警察に説明したのは、事件を目撃したのは奥さんが刺された後からというように説明した。つまり犯人は目撃していないという事になる。俺自身に対する嫌疑は現場に落ちていたナイフに俺の指紋が付着していなかった事もあり一応晴れていた。
俺は保身の為にウソをついたのだ。犯人の男はあのコンビニをよく利用しているし、犯行前には酔っているとはいえ俺から酒を買っている。この状況下で目撃証言をしてしまうとかなりの高確率で報復行動にさらされてしまうのではないかと考えた。
そう考えると恐怖から本当の事などとても言えないと思った。だから犯人は目撃していないとウソをついた。教授には申し訳ない気持ちもあったが、自分の身の安全には変える事は出来ないと割り切った。
もともと人通りの少ない地区であった事や、夜間であった事もあり捜査は難航していった。その後も犯人は見つからずに時間は経過していった。
俺はしばらくしてコンビニは辞め、教授の授業も出なくなった。自分の中ではこの事件との関りを無くすように努めた。
それからも事件は解決される事はなく、俺もやがて大学を卒業しこの地から出て行った。
心の中にはいつも引っかかりとして存在していたが、あえて蓋をするように今まで生きてきた。そこへきての、あの男が事件を起こしたニュースが飛び込んできたのであった。
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