皆川 里佳子 Ⅷ
私の視界に例の横断歩道が目に入ってきた。そこには誰の姿も無かった。まだ誰もいなかった事に少し安心した。もし、既に菫が事故に遭ってしまっていたら取り返しのつかない事になる。
それから私は夜になるまでその場で菫が現れるのを待っていた。しかし、あてが外れたのか菫が姿を現す事はなかった。そして、もう何度目かになる菫のスマートフォンへの電話を行った。すると、長いコール音の後に電話がつながった。
「菫! 今どこにいるの!」
「里佳子……。家にいるよ。沢山電話くれていたみたいね……出れなくてごめん。体調が悪くて家で寝てたの」
菫の覇気のない声が聞こえた。電話に気付かなったと言うがおそらくウソだろう。私は菫がいなくなってすぐに電話をかけている。あの後家に帰っていたとしても私が最初に電話をかけていた時はまだ家にはついておらず、電話には気付いていたはずだ。
ただそこを追及しても意味がない事だと思ったので触れる事はしなかった。やはりそれなりに私の言葉で傷を負っていたのだろう。
「そうなの。家にいるのね……。安心したわ。急に学校からいなくなったから……」
「ごめんね。ちょっとまだ体調が戻り切っていないからもう寝るね」
「そう……。お大事にね」
そういって電話を切る。今日菫は何かを起こす事がなく済んだけれど、不安定な精神状態である事は間違いないだろう。これからずっとこんな事を繰り返していかなければならないのだろうか? 菫がこの先もずっと何事もなく過ごしていくには、私への依存を許容して過ごしていくしか方法はないのか? 本当に菫はそんな人生でいいのだろうか?
帰り道、歩きながらそのような事ばかり考えていた。家に着くと、日中からの一件で心身ともに疲れ果てており、すぐにベッドに身を預ける。
するとスマートフォンが着信を告げる。菫からかと息を飲んだが、画面に表示された名前は梨田さんのものだった。
「こんばんは。毎日毎日電話をかけてしまってすまないね。何か状況の変化はありましたか?」
「いえ、こちらは特にありません。昨日言っていた現在に戻るきっかけというのも難航しています」
「気長にやっていくしかないんですかね? でもこちらもあまり長くなるようなら親御さんに一度お話しなくてはなりませんね」
「そうですね……。梨田さんは何か用があって電話をくれたんじゃないんですか?」
「えっ、いやまぁ……。こちらの皆川君の表情がずっと晴れないものでね……大丈夫かなと思いまして」
私を気遣って電話をしてくれたのかとありがたい気持ちになる。煮詰まっている今、気持ちの整理も含め梨田さんに話を聞いてもらおうと――私の心境を喋ってみようと思った。
菫を想って行動しているつもりが、どこかイライラしてしまう事が多く、そのイライラの原因は他ならぬ菫の考え方にある。本当は菫の事は二の次で自分自身の感情の為に菫の事を想っていると思い込ませようとしているのではないかと思い始めている事。
とりとめのない話を梨田さんはずっと相槌を入れながら聞いてくれた。一通り話し終え、間があいた時に梨田さんが優しく口を開いた。
「皆川君、辛かったでしょう。良く話してくれましたね……」
「すみません。長々と……」
「この話を聞いた上で私が感じた事を喋らせてもらっても良いですか?」
私は声に出さずうなずく。その間が了承の合図と感じ取ったのか梨田さんは再び喋り出す。
「まず、そんなに白黒はっきり自分の感情を決めなくても良いんじゃないですかね? その時その時感じている事が皆川君の本当の気持ちだと思いますよ。それを無理やり良い、悪いの型にはめようと思うからうまくいかないのではないですかね?」
「本当の気持ち?」
「例えば、ご友人の方がこのままじゃダメだ、成長して欲しいと思う気持ちや、依存されて自分ばかり構ってあげなくてはならない事にイライラしてしまう気持ち、またこれらの気持ちに挟まれて悩んでしまう気持ち。これは全部その時皆川君が感じている本当の気持ちに他ならない訳ですよね?」
「えぇ、まあそうですけど……」
「であれば、その気落ちを無理に分類する必要はないという事です。その時その時感じている気持ちを素直にぶつける事、これが一番相手には伝わると思います。体裁を気にせずに、率直に頭に浮かんだ気持ち――それは自分の一番本当の、ウソ偽りのない言葉だからです」
フッと気持ちが軽くなった気がした。今までこの気持ちはいい感情、これは悪い感情と自分の中でラベリングして話す言葉を決めていた気がする。
そうする事でどんどん自分の本心から遠くなり、余所行きの言葉になっていく。それによって物事がうまくいかないので余計にモヤモヤする。本当の気持ちで勝負していなかったので当たり前の事だった。
梨田さんにお礼を言って電話を切る。そして決意する。明日菫に本心をちゃんと伝えよう。私のウソ偽りのない本当の気持ちを……。
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