皆川 里佳子 Ⅸ

 朝登校の為に家を出る。いつも迎えに来る菫が今日に限っていなかった。昨日の菫の覇気のない声が耳をかすめる。


 嫌な予感がして電話を掛けるもつながらない。胸騒ぎが収まらなく、私は菫の家に向かう事にした。インターフォンで呼び出すと菫のお母さんが話をしてくれた。


 どうやら菫は朝早く家を出たらしい。私と朝早めに学校へ行こうという話になっているとの事だった。私はそれを聞いて更に鼓動が早まる。


 今日こそあの横断歩道に向かっているはずだ。母親にウソをついてまで早く出ている事に何かしらの意味はあるのだろうと思った。


 菫の家を後にし、勢いよく駆け出した。道路には通学途中の学生たちがいて、その間を縫う様にして走る。徐々に脇腹も痛くなり、呼吸も満足に出来ない状態だったが構わず走った。


 次第に目的の横断歩道が見えてきた。そこには、やはりと言うべきか、フラフラと歩く菫の姿があった。


 私は精一杯の声を振り絞り菫の名前を叫ぶ。


「菫っ!!」


 しかし、菫の耳には届かない。いや、届いているけれど反応をしていないだけなのか判断がつかない。


 横断歩道の信号は赤く、車が次々と通過している。


 叫びながら気力を振り絞り、走り続ける。


「菫っ!! お願い、気付いて!」


 菫がフラフラと横断歩道へ立ち入ろうとしたその時、ようやく追いつく事ができ、菫の腕を掴む。そして、力一杯その腕を引き寄せる。


 腕を引かれた菫は、その勢いに投げ出される様に後ろへ飛ばされて転んでしまった。


 私も腕を力一杯引き寄せた反動で転んでしまう。私たちは二人して横断歩道の前で横たわってしまった。


 私はすぐに起き上がり、菫を抱き寄せた。呆然としていた菫は私が抱き寄せると体をビクつかせて呟いた。


「里佳子……、どうしてここに?」


 更に強く抱き寄せながら私は叫んでいた。


「バカっ! 何やってるのよ!」


 私の叫び声に今の状況を把握したのか菫の体が震え出した。


「里佳子……、ごめん。私……。何でこんな所に……」

「もうっ! 心配させないでよ! 菫がいなくなったら私悲しいよ!」

「里佳子……」


 私たちはその場で二人して泣き崩れた。周りの目も憚らずに声を出して泣き続けた。


 「菫、ごめんね。私が言った事で傷つけちゃったんだよね。私自分がどう言ったらいいのか分からなくて……、色んな感情が湧き上がって来ちゃって、自分がよく分からなくてイライラしちゃって……」

「うん……」

「でも私分かったの! その時思った事をそのまま伝えればいいんだって。複雑にしていたのは自分自身だったんだって」


 私たちは少しずつ落ち着きを取り戻していた。涙もおさまり、菫も真剣な眼差しで私を見据えている。


「だから今思っている事を率直に伝えるね! 菫が生きていて本当に良かった! 私は嬉しいわ!」

「里佳子……、そう言ってくれて私も嬉しい……。心配かけてごめんね……」


 私たちは照れ臭さもあってか次第に笑顔になる。そして、手を繋いで歩き始める。


 お互い言葉を発する事なく手を繋いだまま歩き続ける。沈黙が続いていたがそれは居心地が悪いものではなかった。繋いでいた手のぬくもりがそう感じさせていたのだろう。


 公園に辿り着き、ベンチに腰を下ろす。学校は既に始まっている時間だった。


「菫、改めて言うね。私は菫が私に依存している様に感じているの。それはお互いにとって良くない事だと思ってる。」

「依存……」

「菫は何でもかんでも私じゃない? それは菫にとっては世界や考え方を狭めてしまう。私だって菫だけに目を向けていたら狭まってしまうわ」

「でも……私は里佳子と一緒にいるのが……」

「それは私も同じ……。でもお互いもっと色んな人や物を好きになった方が、もっと楽しく過ごせると思わない?」

「もっと他にも目を向けるって事?」

「そう! 私たちは親友なんだから、お互いが常にお互いを見ていなくても大丈夫! 心はいつでも繋がってるわ!」

「心は繋がっている……うん」


 菫の表情が少しだけ明るくなった気がした。


「でも私なんかみんな相手にしてくれるかな……?」

「大丈夫! 菫は結構かわいい所あるからすぐにみんなと仲良くなれるよ!」

「えー、かわいい所あるかなぁ?」


 おどけた表情をした菫を見て、もう大丈夫だと思った。何より私のイライラも出てこない。私たちはきっとこれからうまくやっていける。そんな気持ちになっていた。


「もうこんな時間だし、今日は学校サボっちゃおうか?」

「えー、里佳子悪い子だねー」

「まぁ、たまにはいいじゃん? あのカフェにでも行く?」

「……。いや、ちょっと今まで行った事ない場所に行ってみようか?」


 そう言って私たちはベンチから立ち上がる。


 その時、立ちくらみの様な感覚に襲われる。走りすぎたので貧血にでもなったのかと思った。


 次第に視界は暗くなり、ふわりとした浮遊感が体を包み込む。気持ちが良くなりそのまま眠ってしまいそうだった。


 再び目を開けた時には研究室に戻っていた。横には心配そうに私を見ている梨田さんの姿が見える。


 私は現在に戻って来たのだ。菫との件がきっかけになったのかは分からない。でもそうであれば良いと思った。それは私と菫の成長を意味する物だから。

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