皆川 里佳子 Ⅵ

 昼食の休み時間、菫は例によって私の元へお弁当を持って近寄ってくる。その姿を目にして私は再びため息をつく。


「里佳子! お弁当食べよー」

「ごめん菫。私今日お弁当持ってきてないのよ。ちょっとダイエット中でね……」

「ダイエット? 何で? 里佳子ダイエットなんて全然必要なさそうじゃん」

「年頃の女子には色々とあるのよね」

「私も年頃の女子だけど……」

「とにかく、私ちょっと行くとこあるから。それじゃね」


 私は適当な事を言ってその場を後にしようとした。菫の脇を通り過ぎてすぐの所で菫が私を呼び止めた。


「あ、ちょっと……。ねぇ、里佳子なんかイライラしていない?」


 図星だった。私はイライラしていた。その大半は現在に戻る方法がない事に由来するものだが、残りの何%かには確実に菫の私への依存性があった。死を防いでもこれは解決出来ない問題だった。そもそも、あのウソを付いた時に言ったあの言葉にもこの気持ちが入っていたのではないかと感じる。


――私は純粋に菫を成長させたかっただけではないのかも……


 その思いの事は、無意識的に気付かないようにしていた。気付いてしまうと私が菫を死に追いやった言葉に単なる過失以外の何かが入り込んでしまうような気がして怖かった。私が菫を死に追いやった事は事実で自認するところではあったが、どこかに気持ちの逃げ道を残していたかった。


「ねぇ、里佳子……。何かあった? 私何かしてしまったかな?」


 菫の表情を見てハッとする。また過剰に反応してしまう。菫の悲しんでいる顔を見るとどうしても以前に経験した死へと意識が向いてしまう。


――ダメだ! また同じ事を繰り返してしまう。


「あ、いや……。全然そんな事ないよ! ダイエット中でお腹が減ってるからそう見るのかな? そうだ! 菫のお弁当少し分けてくれない?」

「お腹が減っているのね! 分かった! 私のお弁当半分こしよ! 里佳子とご飯が食べられて嬉しいな!」


 菫はにこやかな表情に戻っていた。私は自分の気持ちの所在が分からなくなっている。菫を救いたい、成長させたいと思う感情、菫を疎ましく感じてしまっている感情、菫に対して必要以上に気を遣ってしまう感情。それらが入り乱れ混乱してしまう。


――どれが本当の私で、どれがウソの私なの……。


 正直菫との接し方が分からなくなってきた。それでも私がちゃんと接してあげなくてはまた、変な方向へと思考が向いてしまう。どうすれば良いのか途方に暮れる。


 その日の放課後菫に誘われ帰り道にカフェに立ち寄る事になった。誘われた瞬間はまたか、といった感情は芽生えたがすぐに思い直した。


――もう直接菫にどう考えて私と一緒にいたがるのかを聞いてみよう。


 そう考え、その誘いに乗る事にした。そのカフェは学校の近くではなく、あまり私たちの高校の生徒が立ち寄らない場所で、菫は学校の生徒に会わないこの場所をお気に入りとしていた。


 カフェの中はコーヒーの香りが広がり安心感を与えてくれる。店内はテーブル席とカウンター席があり、私たちはテーブル席についた。他にお客は一組程と少なく落ち着いた雰囲気を醸し出していた。


「このカフェ久しぶりだね。何か食べる?」

「いや、私はコーヒーだけでいいわ。菫は何か食べれば?」

「えー、一人じゃ食べずらいよー。里佳子も何か食べなよー」

「分かったわ、じゃ菫と同じものでいいわ」


 そのやり取りに少しめんどくささを感じ、適当に言った。しばらくするとコーヒーとケーキが運ばれてきて私たちはそれを食べながら話をしていた。ケーキを食べ終わり、話がひと段落をした所で私は切り出した。


「ねぇ菫。いつも疑問に思っていた事聞いてもいい?」

「疑問に思っていた事? 何それ?」

「菫って私とよく一緒にいたがるじゃない? それって何でなのかなって」

「何でって……、それは里佳子といると楽しいからだよ!」


 得意のかわいげのある笑顔で答える。


「でも、私以外も人といる事ってほぼないじゃない? もしかしたら私以外の人と一緒にいても楽しいかもしれないじゃない?」

「そんな事ないよ。里佳子以外の人といたって楽しい訳ないよ」

「どうしてそう思うの?」


 私は若干イライラしてきたのを感じていた。この根拠のない決めつけは私は好きではない。


「どうしても、こうしてもないよ。そんな事は分かり切っている。だから理由なんてないんだよ」

「支離滅裂ね……。何の根拠にもなっていないわ」


 少し菫の表情が曇る。それを見て話しの切り込み方を変えた。


「じゃ、もう一つ質問。菫は今まで私以外の子と仲良くしようと思った事はある?」

「はぁ……なんでそんな事ばかり聞くの? そんな事は一度もないよ。そんな必要な無かったから……。私には里佳子がいればそれでいいの! 里佳子だけがいてくれれば私はそれで満足なのよ! これでいい?」


 菫もイラつきの感情を表に出してきた。私はそのセリフを聞いてある思いに思い至った。


――ここだ! この考え方が私をイラつかせている。そしてこの考え方があるから菫は私に依存してしまう。


 菫は現在持ち得ているモノで満足して、自分の世界を広めようと思わないのだ。現状の狭い世界で満足し、その世界でのみ生きていこうとしている。いわゆる心の停滞だ。この心の停滞が私への依存も引き起こしている。


 人は良くも悪くも多くの経験をしてその中で成長していく生き物だと私は考えている。菫の言動にイラついてしまうのはこの心の停滞が、その言動に見え隠れしているからだと思った。


「菫! その考え方だよ! その考え方が菫を――」


 イラつきが私の声を大きくさせ、勢いに任せて菫の考えを否定しようとした。その時の菫の表情にまたもや私は二の足を踏んでしまう。もはやトラウマといっても差し支えないかもしれない。菫の悲しそうな表情を見ると体が硬直してしまう。この時も途中まで吐きかけたその言葉を飲み込んだ。


「っ! ご、ごめんね。菫……。いきなり大きな声を出してしまって……。私どうしたんだろう。ごめんね……」

「里佳子……、大丈夫? 確かに最近少しおかしいよ。何か悩んでいる事があるんだったら本当に私に話してね。里佳子の不安は私が無くしてあげたいし……」

「ありがとう……」


――悩んでいるのは貴女の事よ!


 そう言えない自分に嫌気がさしながらも、その日は当たり障りのない会話で終始しカフェを出て別れた。

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