皆川 里佳子 Ⅲ

「……。私行きます」


 私は覚悟を決めた。出来る事は何でもしたかった。そう言うと梨田さんは少しだけ苦い顔をしたが、それを私に気付かれまいとしたのかすぐに表情を元に戻した。


「よくぞ決心していただけました。私としても初めての事で何が起こるか予測できていません。危険が伴うかもしれません。こういった提案をした私が言うのもおかしな話ですが……、それでも貴女は過去へ行ってみますか?」


 梨田さんの中でも葛藤があるのだろう。自分の提案で私に何かが起きてしまったらと思う気持ちも存在していそうだ。私はもう一度考えてみる。もし過去に行く事が出来たとして、ここへまた戻ってこれるのだろうか? これがまず一番の問題だ。


 行ったきりで戻ってこれないというのは大いに考えられる。家を出て帰ってこない娘を、私の両親はどう思うだろう。菫がいなくなった私の様に悲しみに打ちひしがれてしまうかもしれない。


 そう思うと決心が揺らいだ。しかし、その揺らぎを打ち消すかのような気持ちが表れる。私が戻ってこれなくなるのは仮定の話だ。


 しかし、現実に菫は戻ってくる事が出来ない……、それも私のせいでだ。それならば、やはり私が何とかしなくてはならないのではないか? 例え両親を悲しませる事となっても、これだけは私がやらなければならない。そう気持ちが固まってきた。


「大丈夫です。私はもう決めましたから……」

「分かりました……」


 梨田さんもどことなく決心をしたように見えた。


「では念の為、親御さんにしばらく帰らないと伝えておいた方が良いでしょう。また、こんな事はあってはなりませんが貴女に何かあった場合には私が私の研究の事から全てを親御さんにお伝えしますので……」


 そう言われ、研究室を出て私は母に電話を掛けた。幸い今は夏休みなので、しばらく友人宅に泊まりたいとウソをついた。ここ数日の私の元気のなさを感じ取っていた母はそれを快諾してくれた。


 母にとっては何気ない電話での会話だっただろうが、私はもしかしたら母と話をするのはこれが最後かもしれないと思い、流れてきそうな涙をこらえていた。

 

 電話を終え研究室へ戻ると、梨田さんはパソコンに向かって何かを打ち込んでいた。私の存在に気付くと無理やり笑顔を作り大丈夫でしたかと聞いてきた。


「えぇ、大丈夫でした。もう過去へ向かう準備は出来ているんですか?」

「そうですね……。おそらくこれで大丈夫かと思います。本当にどうなるか私にも分かりませんので、どうやって貴女が過去へ行くのかも想像つきませんが……」

「そういえば、梨田さんに私って名前伝えましたっけ? 私の事ずっと貴女って言ってますよね?」

「実は伺っていません。私も気付いたんですが、なかなか言い出せませんで……」

「私、皆川里佳子っていいます!」

「皆川里佳子さん……、では皆川君と呼ぶ事にしましょう」

「ハハハ! 何で君付け何ですかー!?」

「……、おかしいですかね?」


 些細な事だったが久々に笑ったような気がした。菫がいなくなって以来、私が笑う事もなんだか菫に悪い気がしていた。これから過去に向かい、あのウソを無くす事が出来れば以前の様にまた、笑って生活を送る事が出来るだろうか? そうあって欲しいと願うばかりだ。


 いよいよ過去へ向かう時が来た。梨田さんが最終チェックに入っている。私はただそれを眺めながら待っている。じきに準備が完了したのか私の方を見てうなずいた。


「さぁ、準備は完了しました。あとはこのボタンを押すだけです。皆川君の方の準備は宜しいですか?」

「はい……。大丈夫です」


 そう返事をした瞬間信じられないくらい鼓動が早まる。まるで、100mを全力で走った後かのように心臓が脈打つ。息をするのも難しいような感覚に陥る。


――落ち着け、落ち着け!


 私は心の中で必死にその言葉を繰り返す。これまで歩んて来た人生がフラッシュバックする。まさに走馬灯のようだった。母に抱かれている小さな頃の私、小学校入学の時の私、菫に出会った頃の私、中学、高校と次々と記憶の断片が流れていく。


 まだ高校生なのでそれほど長く生きてきた訳ではないが、それなりに積み上げてきたものがある。それを思い起こしながら、菫の事をまた考えてしまう。


「それでは行きますよ!」


――菫の積み上げてきたものは私が崩してしまったんだ。ごめんね菫……。今からそれを取り戻しに行くからね。


 梨田さんの声が聞こえた次の瞬間、何も見えなくなる。感じるものは異様に明るい光。その光がすべてを覆いかぶせていく。その勢いはとても早く、まさに瞬く間といった感じだった。


 光に包まれて体が浮き上がってくる感覚になり、空を飛んでいるようにも感じられた。そのままフワフワしていると、スッと落ちていく。


 その終着点では突然光はなくなり暗闇となる。暗闇の中でじっとしていると徐々に体が自分の感覚を戻していった。


 私はゆっくりと目を開けてみる。目の前には私がいた。ギョッとして驚く。状況が飲み込めずあたふたしていると、目の前の私もそれと同様の動きをしている。


 そこは私の家の洗面所だった。目の前にいる私は鏡に映った私だったのである。私は研究所ではなく、家に戻っていた。過去に辿りついたという事だろうか。


 私は疑問を頭に抱えつつ洗面所を出てリビングに向かう。

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