黒川 美鈴 Ⅹ

 公園を後にした私たちは学校へと向かった。教室に着くと、私は綾ちゃんの後ろについて教室に入る。


 綾ちゃんはクラスメートに明るく挨拶をして回る。私もそれにならい、ぎこちない笑顔を作りながらも挨拶の言葉を発する。まだまだ慣れないので声は小さい。ただ確実に自ら声を発していた。


 クラスメートの反応は最初こそ驚きの表情を浮かべていたが、すぐに笑顔で挨拶を返してくれた。普通の人たちからしたらありふれた日常の景色なんだろうが、私には大きな一歩だった。周りの反応や自分自身の変化が嬉しかった。


 その嬉しさは自然な笑顔を作らせ、振り返り綾ちゃんに顔を向ける。綾ちゃんも笑顔で私の顔を見てくれていた。


 そして時間は10時18分を迎える。授業を受けている最中に視界が急に暗くなる。これは現在に戻る現象だと分かった。ウソを無くし、新たな一歩を踏み出した私。現在はどのようになっているのだろうか? 上手くいっているといいなと思う。しかし、上手くいっていなくても大丈夫だろうとも思う。私は自分の殻を破り始めているのだから、その事実さえあればどうとでもなるのだ。


 私を包む空気が軽くなる。一瞬感じる浮遊感。それが治まると視界に世界が映し出される。そこには天井に備え付けられたシーリングファンが見えてきた。WB LIEの事務所だ。私は現在に戻って来たのだ。


「おかえりなさい」


 視線を声の方向へと向ける。すると西島さんが笑顔で迎えてくれていた。


「ただいま……。私戻って来たんですね」

「えぇ、お疲れ様。大変だったね……疲れたでしょう?」


 今度は皆川さんが迎えてくれた。この2人を見ると何故だか戦友の様に感じ、少し気恥ずかしかった。それはあの夜の電話の影響だろう。私に一歩を踏み出させてくれたあの電話。感謝の気持ちでいっぱいだ。


「ありがとうございました。お2人のお陰で無事過去で納得できる様な一歩を踏み出す事が出来ました」

「いえいえ。僕は何も出来ませんでしたよ。里佳子さんのお話と黒川さんの頑張りの結果だと思いますよ」

「そうそう、寛太君はなーんにもしてないよね! オロオロしていただけだよね!」

「ちょっ、そ、それはいいすぎでしょー!」

「ふふふ」

「あっ! 黒川さんまでー」


 この2人の掛け合いは私を和ませてくれる。


「寛太君はさておき……、黒川さん。これは貴方の努力の賜っていうのは本当にそうだと思うわ。頑張ったね」

「皆川さん……」


 そこでスマートフォンが震えた。画面を見るとメッセージの受信を知らせていた。メッセージを開きそこにある送信者の名前に息をのんだ。


――綾ちゃんからだ。


 綾ちゃんは逮捕されていない、その事実が確認できたのである。過去で紆余曲折あった私の感情だったが、やはり綾ちゃんの無事が確認できるとホッとした。私が過去にいった事の意味は少なくとも一つは存在したのである。メッセージを確認すると、そこにはこう記されていた。


『何しているの? みんな待っているよ! 主役が遅刻じゃカッコつかないじゃん! 早く来て! 今まで美鈴と頑張って来た集大成だもん。今日はみんなで楽しもう!』


 何の事か分からなかったが、私は綾ちゃんと何かをやり遂げたであろう事は察しがついた。スマートフォンのカレンダー機能で今日の予定を確認する。そこには『祝賀パーティ』と記載されていて、集合場所も記されていた。


「綾ちゃんからメッセージが来ていて、今日は私たちの祝賀パーティがある様なんですけど……。何でしょうか?」

「それは私達には分からないわ。すぐに行って確認してみれば?」


 そう言われて私はひとまずのお礼を告げ、明日またここへ訪れると約束し集合場所に向かった。


――私と綾ちゃんの集大成? 私たちは何をしたんだろうか?


 頭に疑問を浮かべつつ、しかし気持ちは晴れやかであった。まだ、綾ちゃんと交流があるし、みんなという事は私もそれなりに社交性がついているんじゃないかと予測がついたからであった。


 集合場所の小さなレストランについた。外には貸し切りの看板が出ていた。恐る恐る扉を開くと、その光景に私は涙が溢れた。


『竹永・黒川両先生 連載スタート記念パーティ』


 まずはそう書かれた吊るしが見えた。そしてその下には大勢の人たち、その真ん中に綾ちゃんがいた。


「遅刻だぞー!」


 綾ちゃんの声が聞こえ、私は謝りながら近づいていく。そして隣へ着くと綾ちゃんは笑顔で横にある席に私を促した。


「えー、それでは主役のお二方が揃いましたので祝賀パーティを始めたいと思います」


 大勢の中の1人がマイクを握り話し始めた。


「この度は竹永・黒川両先生の連載スタート祝賀パーティにお越しいただきありがとうございます。お二人は中学生時代からの間柄という事で、そこから長い月日を重ねて本日に至りました」


 綾ちゃんが正面を向きながら手だけを私の方へ寄越して、手を握って来た。握る力は強く、私も強く握り返した。


「ついに! めでたく、作画・竹永先生、原作・黒川先生での連載マンガがスタートする運びになりました!」


――連載マンガ? 私と綾ちゃんの合作で!?


 私は驚きのあまり呆然としてしまった。絵が上手な綾ちゃん、曲がりなりにも小説家である私。あり得る事だとは思うが、想像の範疇にはなかった。ただ現在でも一緒に仕事がしていられる事やお互いの好きなものでの成功、これ程嬉しい事はない。驚きの後にはとてつもない幸福感が訪れた。


「それでは、まずは竹永先生から一言お願いします!」

「えー、この度はありがとうございます。この連載を勝ち取ったのはひとえに皆様のおかげです。美鈴をはじめ、多くの人たちの支えがあっての事かと思います。一つの転機は高校時代でした。あの時から人との交わりから多くの事を学び、それがこのマンガにも活かされています――」


 綾ちゃんのスピーチから始まり、楽しい祝賀パーティが幕を閉じた。綾ちゃんの次に促された私のスピーチは何を喋ったかは緊張のあまり覚えていない。ただただ感謝の気持ちを口にしていた事は何となく覚えている。そして、帰り掛けに綾ちゃんに呼び止められた。


「美鈴! いつもちゃんと言えないから今言うね。今までありがとうね。美鈴がいてくれて本当に良かったよ。これからもよろしくね!」

「もちろんだよ! 私も綾ちゃんがいてくれて、私の事を色々と考えてくれてありがとう。本当に良かった……」


 つい先程まで高校時代にいたので、より一層感謝の気持ちが沸いていた。


――過去に行って良かった。ウソをなくす事が出来て本当に良かった。


 翌日再びWB LIEを訪れた。

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