WB LIE Ⅱ-Ⅲ
事務所の外をざっと一回りして戻る。雨が降り出している事もあり、あまり念入りに散策は行えなかった。
「あれっ? 結構早めじゃない?」
「いやー、雨が降って来ているし、暗くてよく分からないものですから……もう一回行ってきた方がいいですか?」
「こちらは今、夜なんですか。時計も合わせなくてはなりませんね。今回はこれで結構です。明日また散策する事にしましょう」
「何か所長、寛太君に甘くないですかー?」
「まぁまぁ、初の実地業務なんですから勝手もよく分からないでしょうし」
所長が里佳子さんを優しく諭してくれていた。それから時計を設定し書類の片付けやらを行い、ふと疑問が頭に上がり里佳子さんに尋ねてみる。
「あの、僕らってこの場所にいる時ってどこに泊まるんですか?」
「あっ、やっぱ気になっちゃう? 実は事務所に簡易の仮眠室があって、そこで交代交代なんだよね。依頼者がいつ来るか分からないからさ」
「仮眠室なんてあるんですね。なかなかすごいですね」
「ちなみに変な事考えないでよー、私その気ないからね!」
「なっ!そ、そんな事!」
いきなり過ぎて変に動揺してしまった。逆に怪しく見えなかったか不安になる。しかし、本当に依頼者はいつ来るか分からないんだなと思い、警察や消防などに近い感覚なんだと感じた。
その後特にやる事も無くなってしまったので、もう一度散策に出てみようかと思い、所長に提案しようと声をかけようとしたその時だった。不意にWB LIEの扉が開かれた。
開かれたドアから姿を現したのは一人の女性だった。雨に降られたからであろう体は濡れていた。濡れた体が体温を奪っているのか顔は青ざめている。一目見て辛そうにしているのが分かる。
「こちらにどういった御用でしょうか?」
かしこまった言葉を里佳子さんが発する。
「ちょっと雨に降られて体が冷えてしまって、温かいものでもいただこうかと思いまして……。ここはカフェではないのですか?」
女性はカフェと間違えて入ってきてしまったようだ。以前里佳子さんが言っていたように間違えて入ってくる人は本当にいるようだ。
「すみません。こちらはカフェではないんですよ。良く間違われてしまうんですよ」
「そうですか……。外観がカフェに似ていたもので……。間違えてしまって申し訳ございません」
里佳子さんがカフェではない事を伝えると女性は謝罪をして事務所から出ていこうとしていた。そこで、不意に後ろから所長の声が聞こえてきた。
「あの、もしかしたら何かお困りですか? 失礼ですが、何かあったかの様なお顔をしておりますよ?」
「……、えぇ……。いや……、何でもありません」
「……そうですか? もしかしたら何か強い後悔でもしているのではないかと思ったのですが、思い違いですかね。これは失礼致しました」
所長はそれ以上深く追及するのをやめて女性に軽く頭を下げた。女性の方は何か煮え切らないような表情をして佇んでいる。
僕から見ても何かを抱えているように見えたので、所長がすぐに言葉を取り下げた事を意外に感じた。僕は少し食い下がってみようと女性に話しかけてみる。
「でも、やっぱり何か辛そうにしているように見えますよ? 本当に大丈夫ですか?」
「……、まぁそうですね……。少し気にかかる事がありまして……」
「だったらお話聞きますよ? コーヒーくらいお出しできますし。ねぇ、所長?」
「えぇ。何か後悔を抱えているようでしたらそちらのソファーへどうぞ……」
そう言って所長は自らはソファーの方へ歩を進める。女性はどうしようかと逡巡しているかのように立ち尽くす。自分自身でもここで自分の話をするべきかどうか判断がつかないのであろう。そこで里佳子さんがすかさずコーヒーを用意する為お湯を沸かし始めた。
「よろしかったら……。お湯ももう沸きますし、どうぞ」
ソファーの方へ手を伸ばし女性を促している。女性は里佳子さんの言葉にようやく意を決したようにしてソファーへ向かっていく。ソファーの対面には所長が腰掛ている。女性がソファーへ腰を掛け、間もなくすると里佳子さんがコーヒーをテーブルの上に用意する。そして女性は小刻みに震える両手でコーヒーカップを覆うように持ち、コーヒーを口に含んだ。
「どうです? 少しは温まりましたか? 雨に濡れると体が冷えて困りますよね」
「……そうですね」
「私この事務所――WB LIEの所長をさせていただいている梨田と申します」
所長はそういうと以前僕にも渡してくれたように名刺を女性に渡した。そう、名刺には『後悔しているウソはありませんか……』と記載されている。
この女性が依頼者であればその言葉に反応するはずだ。もしかして所長は依頼者であるかの確認の意味も込めて名刺に例の文言を入れているのではないだろうか。
「あっ、ありがとうございます。私は黒川……黒川美鈴と申します」
女性はそう言いながらバッグから自分の名刺を取り出し所長に渡していた。しかし、その名刺には『黒鈴みわか』と記載されていた。所長が名刺を眺めながら訝しげな表情をしていると、女性もそれに気付きはっとした表情になる。
「あっ。すみません……。それは仕事用の名刺でした。私、実はその名刺の名前で作家をしておりまして間違えてそちらの名刺を渡してしまったようです」
「なるほど。そういう事でしたか。では我々は黒川さんとお呼びすれば宜しいですか?」
「えぇ……そちらでお願いします。あの、ちなみに梨田さんのお名刺にある『後悔しているウソはありませんか……』というのはどういった意味でしょうか?」
「あぁ、それですか。それはですね――」
所長がその言葉の説明している横で僕は里佳子さんに耳打ちをした。
「里佳子さん、あの黒川さんって作家さんだって言っていたじゃないですか? 実は僕が今読んでいる文庫本の作者さんっぽいんですよね」
「えっ、結構有名な方なの?」
「結構有名ですよ。里佳子さん本読まなそうですもんね」
「君、馬鹿にしているでしょ? まぁあまり読まないけど……」
そうこうしていると所長が大まかな説明を終えたようで黒川さんが信じられないといった表情を浮かべていた。それを見ておそらく黒川さんが今回の反応を発信した依頼者であろうと予測がついた。
僕も以前所長の名刺を見た時には運命的な感覚を抱いた。自分の為にあるような言葉じゃないかと感じたものだった。黒川さんも今まさにそう思っているのではないだろうか。
「後悔のウソを無くす事が出来るというんですか? あまりにも信じがたい話なんですが……」
「黒川さん、貴方がそう言う気持ちは分かりますよ。ただこれは本当です。僕も一度このWB LIEにお世話になっているんですよ。僕の言葉も信じられないかと思いますが、もし黒川さんも後悔のウソがあるなら飛び込んだ方がいいと思いますよ」
「確かに後悔しているウソはありますよ……。だいぶ昔についたウソですけど、ずっと心に引っかかっていて……。それが今日あるニュースを聞いて、ついに自分自身を誤魔化す事が出来なくなりました……」
黒川さんは強く後悔するに至った原因を思い浮かべているのか再び顔を青ざめせていった。やはり、黒川さんの人生において大きなしこりとなっているのであろう。それは取り除かなくては決して良くならない。次第にしこりは大きくなり彼女自身の心を塞いでいってしまうだろうと思う。
僕は黒川さんの気持ちを後押ししたかった。本当に後悔のウソを持っているのであればこのチャンスを逃す手はない。信じられない気持ちも分かるが僕は経験している。後悔のウソを引き取ってもらった経験を……。
「貴方はこの話に乗らないと、また新しい後悔を作ると思いますよ。僕たちの話が信じられようが、られまいがチャレンジしてみるべきだと思います。一歩を踏み出さない事には何も変わりませんよ! あなたは自分のついたウソによって引き起こされた今の人生に納得しているんですか?」
必死に訴えた。自分のついたウソに納得出来ていないのであればそれは悪いウソだ。そんなウソに引きずられた人生なんかでいい訳がない。それを分かって欲しかった。その一心から言葉を吐き出した。黒川さんにも届いて欲しい……。
「……分かったわ。えぇ……、そうですね。こんな機会二度とありませんよね……。お願いします! 私のウソを引き取りに行かせて下さい!」
黒川さんの顔から青ざめた様子はなくなっていた。今あるのはそれとは対照的な、強い意志を持ったような表情に見える。
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