黒川 美鈴 Ⅴ
高校時代、綾ちゃんとの事が私の心に引っかかっている出来事だった。
私はその後ひっそりと高校生活を送り、大学に入学し小説をコンテストに送り始めた。そんな折、書く事に困った私は心に引っかかっていた綾ちゃんとの出来事をネタに脚色も入れながら作品にまとめた。その作品が脚光を浴び現在の私を作り上げている。
だから私は今の状況を手放しで喜ぶ事が出来ないでいた……。
サイン会を終え、外はすっかり暗くなっていた。私は家路につこうとタクシーを捕まえた。タクシーに乗り込むと運転手がラジオをつけて良いか尋ねてきたので私はどうぞといい窓の外へ目を向ける。
窓の外は街の光がキレイに輝いていた。それが走るタクシーの車窓を次々と流れていく、ボーッとその光の流れに目をやっていると綾ちゃんの事が頭に浮かんできた。サイン会があり少なからずチヤホヤされていたからだろうと私は思った。
――綾ちゃんはあれからどうしているのかな。
「お客さん。この道左でいいですか?」
運転手の問いかけでフッと現実に戻る。私は空返事をしながらまた窓の外へ目をやろうとした。その時ラジオの音声が不意に耳に入って来た。
『……本日十四時頃、××県××市の路上で女性が何者かに刃物で刺されたとの通報がありました。通報を受け付近を捜索した所、路上で刃物を持ちうずくまっている女性が発見されました。その女性に事情を確認すると、私がやったとの供述が取れ逮捕に至りました。』
私は何気なく耳を傾ける。
『容疑者は××市に住む女性で無職、竹永綾容疑者、二十八歳との事でした』
私は耳を疑った。頭からサァーっという音が聞こえるのではないかと思う程分かりやすく血の気が引いた。確かにラジオからは『竹永綾』という名前が聞こえた。同姓同名かと頭をよぎったが年齢も私と一緒だった。すぐにカバンに手を入れスマートフォンを取り出して検索をかける。記事はすぐに見つかった。その記事に載せられている容疑者の顔写真はしっかりと綾ちゃんの面影を残していた。
――間違いない。これは綾ちゃんだ……。
私は動揺により小刻みに震えだした。平然を装う事は出来ない。そう思い運転手にここで降ろして欲しいと告げ、不審がる運転手をよそに素早く会計を済ませ逃げるようにタクシーを飛び降りた。
頭がガンガンと何かで殴られている様な感覚に陥る。あの事件を起こしたのは綾ちゃんだった。綾ちゃんはあれ以来ずっと心に闇を抱えていたのだろうか? それとも今回の事件とあの高校時代の一件は全く無関係で、綾ちゃんは引っ越した後どこかの地で楽しく暮らしており何か別の理由で事件を起こしたのではないだろうか?
私は痛くなった頭をさすりながら考え込む。自分のウソがここまで影響を与えているはずがないと思いたい自分に対して肯定する根拠を見出す事が出来ない。
――影響を与えてないなんて事はあり得ない。私は綾ちゃんの心の推移は推測出来ているはずだった。そう……、私は綾ちゃんをモデルにした小説を書いたではないか。私が脚光を浴びる事になったあの小説を……。
おそらくあの小説に書いた様な心理の流れがあったのだろう。そう考えた方が自然だ……。私がついたウソは綾ちゃんの高校時代を台無しにしただけではなく、犯罪者にもしてしまったのだ。
今までも心の奥底に沈殿していた罪悪感が一気に掻き回され、私の心全体を濁らせていく。私は強い後悔の念を抱いた。
――私があんなウソさえつかなければ。綾ちゃんを独占したいなんて思わなければ……。
目は開いているものの、そこに映る景色が頭には伝達されずに暗闇を映し出す。その暗闇を振り払うかの様に頭を左右に振る。視界は徐々に景色を映し出したが、今度はその景色が滲んで歪む。私は涙を流していた。涙はどんどん溢れ頬を伝う。その流れを止めるかの様に空を見上げる。そこにはまたしても暗闇があった。私はしばらくその暗闇に目を向け再び強く思う。
――あんなウソつくんじゃなかった。
しばらくそうしていた……。いつしか上を向いている顔に何かがポツリポツリと当たってくるのに気付いた。雨が降り始めていた……。私はそれに気付くと涙を拭いて重い足取りで歩き出した。
ここはどこだろう……? 強さを増した雨の中をしばらく歩き、ある程度落ち着いてきた時にふと気付いた。私はラジオを聞いた後にタクシーを飛び降りたのだった。その為自分のいる場所がどこか分からない。私は見覚えがあるものがないかキョロキョロしながら歩いていた。その頃にはだいぶ落ち着いてきており、雨に濡れた体が体温を奪っている事を感じていた。体は震え出しそうになり私はどこかに入れる店はないかと見回す。すると暗がりの視線の先に一件のカフェらしき建物を見つけた。
近づいてみると落ち着いた茶色の木壁のカフェだった。雨が凄くなった為飛び込むようにシェードの下に潜り込む。古びたドアには『WB LIE』の看板がぶる下がっており、私はドアハンドルに手をかけゆっくりとドアを開けた。
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