黒川 美鈴 Ⅳ

 忘れもしないそれは私が高校一年生の誕生日の十一月十二日の事であった。


 綾ちゃんとの微妙な関係性はずっと続いてた。私が意識しすぎていてどんどん悪化していったと言っても差し支えなかった。その日朝の登校中にたまたま綾ちゃんと一緒になった。多少のぎこちなさもありながら会話をしながら歩いていく。


「綾ちゃん今日は何か予定ある?」

「んー? 予定? なんかあったかな……特に何もないけど美鈴は何かあるの?」

「え、あぁ……別に。ちょっと聞いてみただけだよ」


 今日は私の誕生日だった。中学時代からお互いの誕生日は必ず二人でお祝いをしていた。お祝いといっても大層なものではなく、カフェに行ってケーキを食べてお祝いの言葉を言い合う……それくらいのささやかなものであったが、私にとってはかけがえのないイベントだった。綾ちゃんも去年の誕生日まではそう言ってくれていた。


 しかし、綾ちゃんは今日が何の日か思い出す事が出来なかった。最近は多くの時間を共有する事が出来ていなかったので私達の会話には誕生日の話題は上がらなかった。もう忘れてしまっているのだろうと思ってはいたが、わずかな期待を込めて鎌をかけてみたのであった。案の定綾ちゃんは覚えていなかった……。


「綾ちゃん今日一緒に帰りたいんだけど……平気かな?」

「今日? いいよー。なになに? やっぱり今日何かあるんじゃないの?」

「いやぁ、たまには一緒に帰りたいなって思ってね」


 私は一緒に帰る約束を取り付けた。私はその時決心したのであった。


――綾ちゃんの心を取り戻そう。


 いつものように退屈な授業が続いていた。私は放課後の事を考えると心のざわめきを感じた。放課後私はウソをつく……それはかつての綾ちゃんを――私と仲良しだった頃の綾ちゃんを取り戻す為につくウソである。


 心にざわめきはあったものの特に罪悪感は無かった。私と綾ちゃんの関係性を元に戻すには絶対に必要なものであるとさえ思っていた。


 放課後になり綾ちゃんと一緒に教室を出て校門を後にする。歩きながら私は緊張していた。これからつくウソはうまくいくだろうか?綾ちゃんの心を動かす事が出来るだろうか?そうして下校路にある公園へ綾ちゃんを誘った。


「ちょっと公園で話しでもしていかない? 最近じっくりあまり話す事も減って来たからね」

「公園かぁ懐かしいね! 昔はよく来たよねー」


 そういって二人でベンチに座った。私は用意していたウソを口にする準備をした。


「綾ちゃん最近どう? クラスのみんなと楽しくやってそうだけど面白い?」

「最近かぁ、楽しいよ! クラスのみんなはいい子ばかりだし。こないだまでうまくなじめなかったけど……きっかけがあれば簡単な事で、自分で変に意識していただけだったのかなぁ?」

「楽しいのかぁ……それは良かったね!」


 私は努めて明るく感じられるようにそう言った。


「本当は美鈴も一緒に交じってくれれば私ももっと楽しいんだけどね……。美鈴はそういうの苦手そうだから無理強いするのも悪いなって思って……」

「ははは、確かに私そういうの苦手だから……。」


 ――ウソだ……。綾ちゃんは気を遣って言っているだけだ。本当は私の事なんてどうでもいいに決まっている。


 私は口をギュッと結び、次に発する言葉に力を込めるようにした。そして口を開く。


「綾ちゃん、あのね……。私、綾ちゃんが楽しそうにしているのを見ているのが辛いの」

「えっ、どうして……?」

「実はね……私聞いちゃったんだ……本当にたまたまなんだけど。私が教室で本を読んでいて綾ちゃんがトイレに行っている間のみんなの話をね……」

「みんなの話? えっ……それってどんな?」

「詳しい内容までは聞こえなかったんだけど……何かムカつくって……」

「ムカつく? 私が?」


 綾ちゃんの顔はみるみる青ざめていく。その反応を見て私は更に言葉を続けた。


「そうなの……チヤホヤされちゃってとか、調子に乗ってるとか、ちょっと前までは誰も相手してなかったのにとか……」


 私は言葉が止まらなかった。既に悪口を言われているウソという体裁を忘れて、自分の思いを次々に口にしていた……。


「もうやめて!」


 ハッとした。綾ちゃんが涙を流しながら耳を押さえていた。私は喋っている内に我を忘れてしまっていた。綾ちゃんがこんなに取り乱している事にも気付かずに……。


「もうやめて……、お願い……。もう分かったから……」


 綾ちゃんはそう言うと崩れる様にうずくまり、そして震えていた。自分の不満をウソという言葉に乗せて吐き出してしまった……。綾ちゃんがここまでダメージを受けるとは思っていなかった。しかし、不思議と罪悪感は無かった。綾ちゃんには私がついているし、今までの平穏で楽しい日々に戻るだけだ。綾ちゃんも今はショックを受けているがいずれ前の様に戻るだろう。そう思い込んでいた。


「綾ちゃん、大丈夫……? ごめんね。本当は私もこんな事言いたくなかったんだよ」

「…………」

「だけど私は綾ちゃんがとても大切なの……。大切な綾ちゃんが傷ついていくのをみるのが辛いの……。大丈夫、綾ちゃんには私がついているよ……」

「……美鈴……」

「また前みたいに二人で楽しく過ごしていこうよ!」

「……美鈴……ありがとう……」


 私はうずくまる綾ちゃんの背中を優しくさすりながら言葉をかけた。綾ちゃんは震わせていた体を徐々に落ち着かせていた。


――これで綾ちゃんは私の元に戻ってくる。


 私はホッと胸を撫で下ろし安堵に包まれた。そして、その後も綾ちゃんの背中を優しくさすり続けた。


 翌日から綾ちゃんはクラスメート達を意識的に避ける様にしていった。理由を知らないクラスメート達は初めは不審がり綾ちゃんに理由を聞いていたがうまくはぐらかされていた。そう言った態度が続いていくとクラスメート達の方も綾ちゃんに近寄らなくなってきた。それは腫れ物に触らない様にしていくかの様だった。そして、いつしか私達は私が望んだ様に以前の様な関係に戻っていった。


 いや、戻っていくはずだった……。しかし、実際は私が期待していた様にはならず、それよりもひどい現実が待っていたのだった……。


 ウソをついて以来綾ちゃんと以前の様に共に過ごす時間は増えていった。その事に私は喜びを覚えたが、その過ごしている時間の内容は明らかに違っていた。綾ちゃんはあれだけ好きだった絵を描かなくなっていったし、上の空な事が多くなり会話も弾む事は少なくなった。


「綾ちゃん何か絵を描いてよ! そしたら私がまた面白い言葉をつけるよ!」

「あぁそうだね……、でも今はちょっといいかな……」


 こういったやりとりを何度か重ねていく内に徐々に綾ちゃんは学校を休みがちになっていった。学校を休む日が五日、一週間と増えていき、この頃には私はウソをついた事への罪悪感が芽生え始めていた。

――私がウソをついたから綾ちゃんはこんな事になってしまったんだ。


 やがて綾ちゃんは全く学校へ来なくなってしまった。そうして、年も明けたある日担任のアンコウから綾ちゃんが引っ越した事がクラスに伝えられた。


――私のせいだ……。私はただ綾ちゃんと一緒にいたかっただけなのに……。どうしてこんな事になってしまったんだろう……。

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