黒川 美鈴 Ⅱ
夏休みが終わり九月が始まる。九月になったからといって急に季節が夏から秋に変わるわけではないがどこかに季節の変化を意識してしまう。まだまだ夏の尾を引き強い日差しを照らしている日も多く、夏服のブラウスを汗で濡らしていた。
そんな残暑が続く学校では文化祭の話題が出始めていた。生徒達はやれうちのクラスはホットドック屋をやるだとか、うちのクラスはお化け屋敷をやるなど口々にし楽しそうにしていた。
私と綾ちゃんはガヤガヤする教室の片隅で机を向かい合わせお昼のお弁当を食べていた。みんながグループを作りはしゃぎながら各々の昼食を口にする中、私達はひっそりと会話をしていた。
「何かそろそろ文化祭らしいね。綾ちゃんは文化祭楽しみ?」
「文化祭かぁ、まぁあんまり興味は無いかな。コミックス販売店とかやるクラスがあれば見てみたいけどね。美鈴は?」
「私もあんまり……。もし綾ちゃんが楽しみにしていたら私があまり乗り気じゃないから悪いなって思ったの。でも良かった……」
「まぁ、私らには無縁なイベントじゃないかなー」
綾ちゃんはその話題に興味がないようで何か別の事でも考えているのか、無造作にお弁当の卵焼きを箸で摘んで口に放り込む。――あぁ良かった。綾ちゃんも興味が無いみたいで……。私達はやっぱり同じ感覚なんだなと私は嬉しかった。
昼食を食べ終わり机にはノートが広げられ、いつものように二人で漫画のキャラクターを書いたり、そのキャラクターを使った短いお話を作ったりして過ごしていた。これは私達が中学時代からよく行っている遊びで、こういったノートは何冊も出来上がっていった。
特に二人以外に混ざるという事もなく昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。教室に横たわっていたざわめきは姿を消し、みんなは一様に席へついて五時限目の開始を待った。
五時限目は社会の授業だった。社会の先生は私達のクラス担任で五十代後半くらいの男性だった。口をあまり開かずボソボソと喋るのが特徴だった。学生時代というのは身体的な特徴で先生の渾名をつけがちで、その社会の先生は頭の毛が薄くなり、頭頂部は光を放ちそうな程光沢を携えていた。それに唇が厚く俗に言うたらこ唇で、下唇がやや出っ張っていた。その口でボソボソ喋るものだから『アンコウ』という渾名を付けられていた。チョウチンアンコウからきているものだった。
昼食後の五時限目でただでさえ目蓋が重くなってくるのに、アンコウのボソボソしている喋り方が眠気に拍車をかけてくる。うつらうつらしていると後ろの席の綾ちゃんが私の背中を突いてきた。そこで私はハッとなり微睡から引き戻される。
綾ちゃんは私の体の横へ手を伸ばし白い一枚の紙を渡してきた。私はそれを先生や周囲に気付かれない様に素早く受け取り、机に教科書を立てながらその紙を開く。
そこには先生の顔をしたチョウチンアンコウが困り顔をしている絵が書かれていた。私はその絵の横に吹き出しをつけ『頭の光が眩しくて眠れないよ……』と台詞を書いた。私はニッとしながら頷いた。――うん、いい出来だな。
その紙を後ろの綾ちゃんに返すと、後ろで控えめに笑う気配を感じて嬉しくなる。これは私達がよくやっている遊びで、授業中の退屈さを紛らわせる為だった。
綾ちゃんが何かの絵を描いて――主にその時の授業の先生が多かった――私がそれに面白おかしい台詞を付けるといったもので私達には定番の遊びだった。
綾ちゃんは続いて第二弾となる紙を私に渡す為に私の背中を突いてきた。私は先程と同様に紙を受け取ろうとしたが、周囲に気遣いながらの為か今回は受け取り損ねてしまった。――あっ、いけない!
私は焦りながらも紙がひらひらと空を舞い落ちていく先を見つめていた。紙は私の焦りとは無関係に流れていき、斜め前の男子の椅子の脇に落ちてしまった。男子は気付いていないのでその紙を取りに行く事も考えけれども注目されてしまう事を怖れた私はそうする事も出来ずにいた。
どうしようと困り果てていると男子が紙の存在に気付き、ひょいとその紙を拾い上げてしまった。私は更に焦った。――あぁ、綾ちゃんの絵を見られてしまう。綾ちゃんは怒るだろうか?
困りながらも黒板に目を向けた時視界の端に男子の震える肩が目に入った。――あれっ?
男子をよく見直してみるとやはり肩が震えていた。手元には私が落とした紙があり、やがて私は男子が笑いを堪えているのだろうと分かった。絵を見られてしまった気恥ずかしさと、綾ちゃんの絵はやはり面白いんだと誇らしい気持ちが入り混じった複雑な気持ちになった。
そうこうしていると授業の終わりを告げるチャイムがなった。授業の締めの言葉をアンコウが告げて教室を後にするとすぐさま後ろを振り返り綾ちゃんへ謝ろうとした。
「綾ちゃんごめん……。あの紙うまく受け取れなくて落としちゃったんだ。多分男子に見られちゃったと思う……」
「別に大丈夫だよ、そんなに動揺しなくても平気だよ」
綾ちゃんは怒っていなかった。私は胸を撫で下ろしごめんねともう一度言った。
「ねー、さっきこの紙落とした?」
背後から不意にそう声をかけられ私はビクッとしてしまう。
「……あっ、そうなの。ごめん。落としたのは私なの……」
「そっか! これって黒川が描いたの?」
「あっ、いや、それは綾ちゃん……竹永さんが書いたんだ……」
私はしどろもどろになりながら答えた。普段男子はおろかクラスメートともあまり会話をしないので緊張していた。
「竹永が描いたのかー、これってアンコウでしょう? 似てるよねーかなり絵が上手いね! 俺笑い堪えるのに大変だったぜ!」
「あ、ありがとう……」
綾ちゃんは男子のその言葉を聞いて照れ臭そうに、控えめに答えていた。
すると絵を持った男子がみんなに呼びかける様にして周りのクラスメート達に絵を見せて回った。
「へー上手いね!」
「これめちゃくちゃ似てるし面白いね!」
「アンコウの感じすごい出てるじゃん!」
「誰が描いたの? へー竹永って絵上手いんだね!」
クラスメートは口々にその絵を褒め出した。綾ちゃんはそれらの言葉を聞いて居心地が悪くなったのか教室を出ようと私に言ってきた。私はそれに倣い二人で教室を出た。綾ちゃんの顔は困惑の中にどこか嬉しそうな含みを帯びていた。
「ごめんね、綾ちゃん……。私が紙を落としたばかりにこんなに大事になっちゃって……」
「気にしないで、美鈴。いきなり大勢が集まってきたからびっくりしちゃった……。でもみんなが私の絵、上手いって言ってくれたからちょっと嬉しいな」
綾ちゃんはやはり絵が褒められて嬉しかったようだった。その時私は若干の違和感を感じてしまった。
――みんなに注目されるなんて嫌じゃないのかな?私だったら結構嫌だな……。
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