第18話 娘たちは獣の拳に全てを賭ける
「よし、これで最後だな。……思ったより荷物が少ないようだけど、こんなんで生活できるのか?俺の記憶ではもっと家具みたいなものがあった気がするがな」
「華怜さんが、寝具や電気製品はうちにもともとある物を使っていいって言ってくれたの。それで前のアパートにあった物は半分以上、始末したわ。……はいこれ、兄さんの荷物」
哉はすっきりした表情でいきさつを語ると、俺に小ぶりの段ボールを寄越した。すると華怜が現れ、「確かに身一つでいらっしゃいとは言ったけど、本当に少ないのね」と感心したように言った。
「私、いつでも動けるようにできるだけ身軽にしてるんです。いつ、住む場所が変わるかわからないから……」
「兄貴がらみのトラブルを想定して、か?……哉、俺がデビュー戦で勝てばもうそんな思いはしなくて済む。兄妹して何かに怯える生活はもうごめんだ」
俺が諭すように強めの口調で言うと、華怜が非難するような目をこちらに向けてきた。
「何もかも自分のせいだって決めつけるの、かえって妹さんを縛ることなると思わない?北原君」
「実際、そうなんだ。俺がいなければ哉は今頃、もっとのびのび暮らせてるはずだからな」
「そうかしら。どこに行こうと肉親の絆は切れないわ。むしろ気を遣わせまいとすればするほど、相手はその何倍も心配するものよ」
華怜の説教に俺が黙ると、哉がとりなすように割って入った。
「いいんです、華怜さん。私たち兄妹はずっとトラブルを避けながら生きてきたし、そういう暮らしに慣れてます。今さら自由にしていいと言われてもきっと、何も変わりません」
「聞いた?北原君。いい妹さんじゃない。あなたこそ過去に囚われすぎだと思うわ。あなたが今、すべきことは対戦に向けてトレーニングを怠らないことよ。そうじゃない?」
「ああ、わかってるさ。だが、俺がマシンファイトである程度成功したら、やはり哉は俺と距離をおいた方がいい。これから俺が稼ぐ金は、憎しみもない機人の身体を破壊して得た金だ。いつまでもそんな汚れた金で暮らさせるわけにはいかない」
俺が自嘲気味に言うと、またしても華怜が「聞きずてならないわね」と口を挟んだ。
「もちろん、妹さんだって自立すべきだとは思うわ。でもマシンファイトの賞金が汚れたお金だとは私は思わない。ファイトの賞金は、堂々と戦って得た勝利の証よ。そんな風に言うのは対戦相手に失礼だし、何より自分が所属するジムを愚弄する発言だと思うわ」
「……悪かった、そんなつもりで言ったわけじゃないんだ」
「まだ公式戦に出たことがないあなたがファイトに偏見を持つのは、わからなくもないわ。でもこれだけは覚えておいて。マシンファイトは命を賭けるに値する、素晴らしい仕事よ」
華怜の強い口調と真剣な眼差しに気圧された俺は、「もちろん、俺だってそう思いたいさ」と言い訳じみた返しを口にした。
「だが、俺にはこの汚れた手が果たして勝利の栄光を掴むのにふさわしいかどうか、わからないんだ」
「あなたの拳はきっと、対戦を重ねるごとに輝くはずよ、北原君。ニコだってそう確信したからあなたをジムにスカウトしたのよ」
「輝く拳……か」
「そうだわ、あなたの手に合わせた公式グローブとヘッドギアが届いたの。物置から取ってくるわ」
華怜が突然、思いだしたように言うと、「あ、私も手伝います」と哉が間髪を入れず言った。
「じゃあ行きましょうか、哉さん。……北原君はジムに戻ってて」
敷地の反対側に二人が消え、俺はジムの裏手に一人ぽつんと取り残された。
「……まあ、華怜さんも哉のことを気に入ったみたいだし、まずは一安心ってとこか」
俺が踵を返し、ジムの方へ戻ろうとした、その時だった。ふいに離れたところから華怜の声が聞こえてきた。
「いったい、どこから入ってきたんです?ここは『アイアンブロージム』の敷地内ですよ」
華怜の口調に穏やかならぬ空気を感じ取った俺は、敷地の反対側へと駆けた。建物の角を曲がったところで俺が目にしたのは、コンクリート倉庫の前で薄笑いを浮かべている痩せた男と、侵入者を見とがめるように立っている華怜たちの姿だった。
「おっとこれは失礼。ジムの周りをうろついてたら、いつの間にか敷地内に迷いこんじまった」
「あなた……確かお披露目試合のエントリー表で見た顔ね。敵になるかもしれないジムをスパイしに来たんでしょ。おあいにく様、うちの隠し玉には弱点なんてないわ。あきらめて自分のお家に帰るのね」
「おっと、こいつは手厳しい。確かに俺のお目当ては『アイアンブロージム』一押しの新人ファイターだが、スパイなんて姑息な真似はしない。俺の情報収集力を持ってすれば、弱点を知るなんて造作もないことだ」
「どういうこと?」
「ものの一分も戦えばわかるってことさ。……そら、そこの角から顔を出している兄さん、あいつがあんたたちの言う『隠し玉』じゃないのかい?」
男はそう言うと、建物の陰に身を潜めていた俺をおもむろに指さしてみせた。
〈第十九話に続く〉
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