第二章 機械たちとの出会い 編

第11話 刑事は野生の獣を手なづける


 その人物を見かけたのは、まるで旅から帰ってきたような気分でアパートのある通りへ足を向けた時だった。


「君、ひょっとして北原君じゃないか?」


 振り返った俺の前に立っていたのは、見覚えのある中年男性だった。――と言っても、最後に顔を見たのは五年以上も前のことだが。


「岩本さん……」


「覚えていてくれて嬉しいよ。こうして街を歩いているということは、無事に刑期を終えたということかな」


「模範囚だったので刑期が短縮されて釈放になったんです。……何かの捜査でここへんに?」


 俺は如才ない笑みを浮かべている目の前の男性に、硬い口調で尋ねた。この人物は岩本剛士いわもとたけしと言って叔父の事件を担当した刑事の一人だ。当時はまだ新人だったが、あれから十五年も経って先輩刑事が退職してもまだ、俺たちに付きまとっている剣呑な人物だった。


「なんとなく、この辺りが懐かしくなってね。そしたら見覚えのある顔に出くわしたってわけさ」


 俺は警戒を強めた。この男が俺の出所のニュースを知らないはずがない。偶然会ったというのも出まかせで、ここに来れば俺が現れると踏んで待ち伏せしていたのに違いない。


「せっかく久しぶりに会ったんだ、どこか近くの店にでも入って話さないか?」


「せっかくですが、これから荷造りをしなくちゃならないんです。それと、久々に娑婆の空気を楽しんでたところに刑事さんと同席ってのも、なんだか落ち着きません」


「なに、時間は取らせないよ。店に入るのが息苦しいなら、その辺の公園でハンバーガーでも食べよう。勿論俺のおごりだ」


 岩本は俺の皮肉などまるで意に介さず、自分のペースで話を進めた。


「今さら話すことなんてありませんよ」


「そう邪険にしなくてもいいだろう。身構えてばかりじゃ味方は増えないぜ」


「お説教をするためにわざわざ俺を待ち伏せてたんですか」


 俺がうんざりした表情を見せると、岩本は「やれやれ」と大げさに肩を竦めてみせた。


「なあ、大人だって色々な面がある。やたらと牙を剥くのは却って損だぞ」


「どういう意味です?」


「手あたり次第吠えかかるのは、自分は弱い犬ですと宣伝しているような物だってことだ。いいかい、自分をさらけ出すことを恐れちゃいけない。その上で利用できる人間は最大限、利用したらいい」


「刑事さんをですか」


「もちろんだ。警戒すべき相手だと思われていることは承知しているが、だからといって協力しあえない間柄でもない。……北原君、真実を知りたいのなら、俺に協力しろ」


「真実……?」


 俺は岩本の唐突な申し出に面喰った。この男は俺が機人殺しの真犯人だとわかっていて共闘しようと持ちかけているのだろうか。だとしたら、やはり危険すぎる。


「何を協力するのかわかりませんが、俺にメリットはあるんですか」


「じゃあ一つ、俺の手の内を明かそう。俺は十五年前の機人アスリート殺しの真犯人は、別にいると思っている。だが俺が知りたいのはそいつの名前じゃない。事件の裏に何があったかだ。知りたくはないか?事件の真相を」


「今さら知りたくもないですね。俺たちに取ってあの事件は呪縛でしかない。やっと葬り去った過去を今さら掘り返して、何の意味があるんですか」


「……いいかい、あの事件は君たちが思っているほど単純な物じゃない。現に俺もこの十五年の間に、君たち兄妹も知らない新しい事実をいくつか掴んでいる」


「俺たちの知らないことを教えてくれるって言うんですか」


「教えられる情報があれば、俺が知っている範囲で教えよう。ただし、君も俺に隠しごとをしてはいけない。


 岩本の目が、嘘は許さないと云わんばかりに鋭くなった。刑事である自分を欺こうとしてもすぐわかるぞと釘を刺しているのだろう。


「返事は少し待ってもらえませんか。娑婆から離れてた四年の間に、すっかり用心深くなっちまいましてね」


「いいだろう。普通の若者より四年、社会に出るのが遅れてたと思って気長に待つさ」


 岩本は砕けた口調になると眉を下げ、柔和な表情を見せた。


「気軽に言いますね。刑務所に閉じ込められた人間の気持ちがわかるっていうんですか」


「多少はね。……実は俺も半年ほど入っていたのさ。十代の時にね」


 俺は呆気にとられた。岩本の思わぬ告白は、予想不能の一撃のように俺の気持ちを揺さぶった。


「おっと、何か食べながらと思ったが……すっかり話しこんじまったな。続きはまたにしよう」


 岩本はおどけた笑みを口元に浮かべると、片手を上げながらくるりと身を翻した。


 ――やれやれ、やっと過去から逃げられたかと思いきや、十五年前からずっと尾行を続けてた奴がいたか。


 俺はひょこひょこと通りの向こうに去ってゆく刑事の姿を見ながら、重い溜息をついた。


             〈第十二回に続く〉

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