第10話 大家の娘は獣の未来を予言する
初スパーリングであっさりとのされた俺が目を覚ましたのは、ロッカールームの長椅子の上だった。
「……ここは?」
「あら新人さん、やっとお目ざめ?」
タオルを畳みながら俺を興味深に見つめていたのは、髪を後ろで結んだ若い女性だった。
「君は?」
「私は
「トレーナーの……そうか、場末のしけたジムがと思いきや、意外に大所帯なんだな」
「言ってくれるじゃない。……それにしてもあなた、契約もしないうちからいきなり汗衫と手合わせなんて、無謀にもほどがあるわ」
華怜と名乗った女性は呆れたように眉を寄せると、さもおかしそうにけらけらと笑った。
「はい、これが契約書。名前だけ書いてくれればいいわ。対戦が組まれてなくてもお給料は出るけど、お小遣い程度だと思った方がいいわね。その代わり、衣食住の心配はいらないわ。それから食事の管理も私の担当。文句は一切、言わせないわよ」
「食い物にこだわりはないよ。俺も妹も貧乏暮らしが長かったんでね。食えればいいっていう感じさ」
「そう言えば妹さんも一緒らしいわね。早くご挨拶したいわ」
華怜は俺がサインした契約書をざっとあらためると、興味津々と言った口調で言った。
「地味な娘だよ。笑顔だけはとびきりなんだが、俺のせいで笑うことを忘れた哀れな娘さ」
「どういうこと?……あ、ごめん。ここではファイターの身上は詮索しないことになってるんだった」
「構わないさ。少しばかりおいたをして、四年ほど塀の内側で暮らしてたのさ」
俺が過去を暴露すると、華怜は一瞬表情をこわばらせた。
「ふうん、わけありなのね。……でもここでは前歴は問われない。一人前のファイターになって、カードを組まれるようになればとやかく言われることもなくなるはずよ」
「そう願いたいところだが、さっきのスパーリングの出来映えじゃあ、道は険しそうだ」
「そうかしら。汗衫が言ってたわ。あいつは遠からず俺を超えるだろうって」
「汗衫が……」
「将来、必ずタイトルを獲るはずだから、悪い動きの癖は今のうちに直しておいた方がいいとも言ってたわ」
俺は後頭部を軽くどやされたような衝撃を覚えた。にやけた野郎かと思いきや、あの短時間のスパーリングで俺の動きをリサーチしていたのか。
「オーナーのニコもこうも言ってたわ「あいつならおれが生きているうちにチャンピオンになれる」って」
「生きているうちに?どういう意味だい」
「さあ。あの人に関しては私たちも知らないことがたくさんあるのよ。……でも私の意見も二人と同じよ。あなたは何かやりそうな目をしてる。こう見えても私の勘が外れたことはないの」
「買い被りだ。少々、人より早く手が出るだけで、中身は町のごろつきと何ら変わりない」
俺が自嘲気味に漏らすと、華怜は「今のままだったらそうかもね」と言った。
「でもあなたは変わる。今はまだ優しい目をしてるけど、そのうち本物の獣に変わるわ。マシンファイトには鋼鉄の心が不可欠よ。何の憎しみもない対戦相手に、ためらうことなくとどめをさせる人間だけが勝者の椅子に座れるの。わかる?いったんリングに上がったら拳で語り合うだけ。勝っても負けても一切、余計な感情は残さないの。たとえ……」
「たとえ?」
「成り行きで対戦相手を殺めてしまったとしても」
〈第十一回に続く〉
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