第9話 最初の敵は最後に拳を見せる


「ファイト!」


 ゴングが鳴らされ、とても新人にするテストとは思えない本格的なスパーリングが始まった。


 間近で対峙した汗衫は、先に見た二人とは明らかに違う威圧感を漂わせており、俺は一瞬、前に出るのをためらった。


「どこでも好きな場所を打っていいぜ」


 拳を見せて挑発する汗衫に、俺はジャブを繰り出す真似をしながら向かっていった。

 

 ――だめだ、まったく隙が無い。


 汗衫は動きが早い上に、ディフェンスとオフェンスのリズムに無駄がなかった。俺のジャブはことごとくガードに阻まれ、汗衫はほとんどガードを崩さぬまま、見えないパンチを右に左にと放ってくるのだ。お蔭で開始から一分と経たないうちに、気づくと俺は防戦一方になっていた。


「どうした新人、俺の動きが見えないか?逃げ回ってばかりいても、埒が明かないぜ」


 俺は汗衫の弾丸のようなストレートや、視界の外から来る不意打ちのようなフックに翻弄され、反撃に移るタイミングをなかなか掴めずにいた。


 ――この状態でどうやって十発も打ち込めって言うんだ。


 連打に耐え、チャンスを窺っていた俺の肘を汗衫のフックが掠め、俺は思わずガードを緩めた。次の瞬間、狙いすましたようにボディブローが決まり、俺はたまらず体を折った。


「油断するな!」


 露わになった俺の顎を、今度はアッパーが襲った。脳を揺さぶられ、ぼうっとした俺は汗衫がストレートの構えを見せた瞬間、終わりだ、と直感した。


「…………?」


 来るはずの一撃がいつまで待っても来ず、俺は恐る恐るガードを下げた。すると拳をひっこめた汗衫が薄笑いを浮かべて立っているのが見えた。


「――くそっ、馬鹿にしやがって」


 俺は再びファイティングポーズを取ると、汗衫に向かって闇雲に突進した。俺が予想外の展開に唖然としたのは、ほぼノーガードのボディにブローを叩きこんだ時だった。


「――痛っ!」


 鉄の塊を殴ったような痛みに、俺は思わず呻き声を上げた。こいつ、本当に生身か?


 早々に片をつけなければこっちがもたないと悟った俺は連打を浴びつつ、反撃のタイミングを待った。さすがに疲れてガードを緩めかけた瞬間、ストレートを放とうとしている汗衫の胸元にマーカーの線が見えた。


「――そこだ!」


 俺がストレートを避けずに拳を繰り出すと、驚いたことに俺の拳は汗衫の身体に気持ちよいほどの手ごたえでヒットした。汗衫がのけぞり、鳩尾のあたりに今度は円形のマークが見えると俺はそこを狙って次の一撃を繰りだした。


「――ぐふっ」


 初めて呻き声を漏らした汗衫に、俺は立て続けにストレートを見舞った。マーカー付近を狙った俺の打撃は合計四発を数え、後は顔面へのストレートでフィニッシュだと俺が腕を引いた、その時だった。胃のあたりに謎の衝撃を受け、俺は一切、敵の動きを捉えられないまま身体を二つに折った。


 ――いったい、何が起こった?


 えずきながら顔を上げた俺の目に映ったのは、真っ二つになって転がっている汗衫のグローブと、素手でファイティングポーズをとっている汗衫の姿だった。


「なぜ防具を……」


 俺が疑問を口にした次の瞬間、突っ込んできた汗衫の両手がヘッドギアの隙間に突き刺さり、俺のヘッドギアは分解して空中にはじけ飛んだ。


「――えっ?」


 俺が呆然としていると、汗衫が笑みを浮かべながら素手で自分の身体を指さしているのが見えた。


「……四発か。これぐらい喰らってやれば満足だろう。そろそろ終わりにするぜ、新人君」


 汗衫はそう言い放つと、防具を奪われて無防備になった俺の顔面にストレートを叩きこんだ。俺はのけぞったまま後方に吹っ飛び、そのままダウンした。


「実際のマシンファイトでためらったら、その瞬間にKOだ。覚えておくんだな。本物の機人は俺のようにはいかないぜ」


 笑い声と共に去ってゆく汗衫の気配を感じながら、俺は仰向けのまま意識を失った。


             〈第十回に続く〉

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