第382話 かつて、世界の天敵と呼ばれていた少女③








――儂はな……裏切り者の堕ちた神なんじゃ。



 少女は青年を前に、自らが最も嫌う姿を曝け出しそう口にする。


 かつて、偉大なる”創世”の女神から生まれた世界の守護神。

 世界の祝福を受けた白い翼は少女を大空へと羽ばたかせ、少女の目に宿る黄金は長きに渡って世界に住まう善良なる命を見守ってきた。


 しかし、残念ながらそれは五万年以上も昔の話。


 変わりゆく世界の為に、自らが最も大切に想っていた女神の為に、少女は世界の厄災をその身に集める。


 祝福の翼は赤黒く染まり羽根を散らし、黄金の瞳には世界を裏切った戒めとも思える赤黒い十字架が刻まれた。


 愛する者の笑顔を願い……少女は世界の悪神となったのだ。


 少女は世界の悪神として愛する女神に敵対し、自らが悪だと証明し続けた。

 その心を固く封印し、愛する女神に戦いを挑み続けた。


 そうして少女は望み通りに愛する女神に敗北し、薄れゆく意識の中で世界の命が愛する女神の勝利に歓喜する声を聞いた。


 その結果に少女は満足し、本来であれば自身はこのまま消滅する定めを迎えると……そう思っていた。


 だが、現実は少女の予想とは違う展開を見せる。

 愛する女神の手で消滅する事を望んていた少女の願いは叶う事無く、愛する女神の手で未来永劫封印される運命を辿る事となったのだ。



――儂は封印されると聞いた時に悟ったのじゃ……”嗚呼、お主はそれ程までに儂を恨んでおるのじゃな”と。



 少女は青年の前でその胸の内をふと溢す。

 愛する女神の怒りを買い、自分は封印されてしまったのだと。


 こうして、少女は封印と言う運命を辿る事となり五万年もの歳月の間、一度も目覚める事は無く眠り続けていたのだ。




 封印される最後の最後で、愛する女神の幸せを願いながら……。











   ♦   ♦   ♦










 「――じゃが、運命とは時に悪戯好きなものじゃ。儂は愚かな獣人の女の手によってこうして世界へと解放された。裏切り者の儂には、もう何もやる事もないと言うのにのぅ……」


 自分の事を”裏切り者”と称して、フィストレアはその胸の内を俺に聞かせてくれた。過去の感傷に浸り、言葉による自傷を繰り返して……フィストレアは唯々ファンカレアに対する懺悔を口にし続けた。


「儂にとってはファンカレアの幸せが全てじゃった。儂はもう人の生を十分と言える程に全うした。後の命は全てファンカレアの為に使うと決めておった……じゃから、儂はもういつ消えても構わぬ」

「……なんで、俺に話してくれたんだ?」

「カカッ……さあ、何故じゃろう?」


 誤魔化すような笑みを見せたフィストレアは、ゆっくりとその両手を俺の顔へと伸ばして来た。

 俺は特に抵抗をすることなく、近づいて来るフィストレアの両手を受け入れる。優しい手つきで触れてきたその両手は……微かに震えていた。


「……お主は、こんなにも醜い儂を受け入れてくれるんじゃな」

「……俺はフィストレアの優しさを知ってるから。フィストレアが無闇に誰かを傷つける様なやつじゃないって分かってるから。それに、フィストレアは綺麗だよ。誰かの為に命をかけられるフィストレアは……誰がなんと言おうとも綺麗だ」


 今までの話を聞いていたのに、何故フィストレアは俺が拒絶すると思ったのだろうか。

 ファンカレアの為に悪へと染まり、命を散らすことも辞さない覚悟を持った彼女を、一体誰が醜いなんて言うのだろうか。


 そんな奴がいたなら、今度は俺がフィストレアの為に戦ってやる。


 そうして俺は、お返しと言わんばかりにフィストレアの顔へと両手を伸ばし、その両頬に優しく触れた。

 触れた直後、微かに震えたフィストレアの頬、しかしそれは最初の一瞬だけであり、やがて温かな温度が両手に伝わってきた。


「俺はフィストレアを拒絶しない。例え世界中が敵になろうとも、俺だけはフィストレアの味方であり続ける」

「……温かい……あたたかい、のぅ……ッ」


 俺の頬に触れていた両手がするりと下へズレていき、やがてその両手は地面へと落ちる。それと同じタイミングで、フィストレアの頬に触れていた俺の両手に暖かな水が零れてきた。泣き声こそ上げなかったが、フィストレアの瞳から静かに流れ落ちる涙は……まだ止まりそうにはない。


 そこに来て、俺はふと考えてしまう。

 封印される前の世界でたった一人で戦い続けたフィストレアは……一体いつ泣く事が出来たのだろうかと。


 そう考えると今目の前でフィストレアが流しているこの涙には、五万年以上も積み重ねてきた想いが詰まっている様に感じた。

 そして今なら……フィストレアの本音を聞けるのではないかとも思った。


「なあ、フィストレア。今までずっと我慢してたんじゃないか? 本当は、消えたくなんてないんじゃないか?」

「……」

「本当に……ファンカレアには何も言わないつもりなのか?」

「……今更、どんな顔をして話すというのだ? どんな言葉を掛ければ良いのだ? 儂はあやつの幸せを願っていた。望んでいた。それは間違いなく事実であり、その想いがあったからこそ儂はここまで悪に徹してこれたのじゃ……それなのに」


 そこで一度言葉を区切ると、フィストレアは俺の両手からするりとその顔を体ごと滑らせて俺の方へと傾ける。その場から動かなかった俺の胸元にフィストレアの顔がうずくめられて、その小さな両手はしっかりと俺の服を掴んでいて離れまいという意思表示をしているように見えた。


「すまぬ。少しだけこうさせてくれ……。そしてこのままの形で、儂の愚痴を聞いてくれ……」

「……分かった。俺で良かったら、いくらだって聞くよ」

「ッ……儂は、どうすれば良かったんじゃ……」


 震える声で、フィストレアは声を上げる。


「儂だって、本当は消えたくない!! 儂はあやつの笑顔が好きじゃ! 家族の様に大切に思っておる! ただ、まもりたかったんじゃぁ……」


 次第に声は大きくなっていき、掴まれた服が微かに軋むくらいに力が込められていく。


 それでも俺は、ただただフィストレアの嘆きを聞き続けた。


「すまぬぅ……すまなかった、ファンカレアぁ……儂はずっとお主が好きじゃ! 昔から、一度だって嫌いになったことなどない!」


 モノクロームの世界で、フィストレアの声が、想いがこだまする。


 涙を混じえたその叫びは、いつまでも俺の耳に残り続けていた。


 そして、そんなフィストレアの叫びを聞いていたのは――俺だけではなかったのだ。



「――フィストレア」

「ッ……!!」



 少しだけ固い印象を受ける声音で、フィストレアの名前が呼ばれた。

 その声を聞いたからか、フィストレアは大きくその体を跳ねさせる。

 そして微かに震えるその顔をゆっくりと上げて、俺の右肩の向こうへと視線を送るのだった。


「ファン、カレア……」


 俺の背後にいる人物を見て、フィストレアは目を見開いた状態でそう呟いた。

 俺はフィストレアの両脇に手を入れて抱き上げた後、ファンカレアの方へと体を向けてからゆっくりとフィストレアを地面へ下ろした。


 俺たちと向かい合うように立つファンカレア。その背後には黒椿の姿があり、黒椿は俺と目が合うと一度だけ右目だけを閉じてウインクをした。

 どうやら、黒椿が手を回してくれたらしい。一体どこから聞いていたんだろうか?


「……」

「……」


 向かい合うファンカレアとフィストレアは何も話すことなくその場にたち続けている。

 ファンカレアを見つめるフィストレアは何処か怯えた様な表情をしていて、対するファンカレアは……凛とした様子でフィストレアを見下ろしていた。


 一向に口を開かない両者だったが、それでもその場から逃げる事無く見つめ合っている。

 だけど、このままだといつまでも無言のまま居心地の悪い雰囲気だけが続いてしまう……そう思った俺は、フィストレアの背後に一歩近づきその背中を軽く押し出した。


「ッ!? な、何を!?」

「折角こうして話し合えるチャンスが出来たんだ。ちゃんと自分の想いを話した方が良いだろ?」

「う、うむ……のぅ、少しだけ、手を繋いでても良いか?」


 俺の言葉に納得はしつつもやっぱり不安は拭えなかったのだろう。フィストレアは俺の方へと振り返り、そっと左手を差し出して来た。

 差し出された左手は目に見えるくらいに震えていて、フィストレアの緊張をそのまま表している。

 そんな彼女の頼みを断る事なんて出来る筈がない。俺はフィストレアの左側へと移動して、その小さな左手を右手で強く掴んだ。


「わかった。ちゃんと隣で見届けるから、もう何も隠さずに本心を伝えよう」

「ッ……感謝する」


 掴んでフィストレアの左手が俺の右手をしっかりと握り返す。

 そうしてしばらくの間その左手に力を込めると「よし」と言う言葉と共に左手を離した。


「もう大丈夫じゃ……しっかりと、その目で見届けてくれ」


 もうフィストレアからは恐れは見られない。

 覚悟が決まったと言わんばかりにそう告げると、フィストレアはファンカレアの方へと向かった歩き出すのだった。


 フィストレアが歩き出したのと同じくらいのタイミングで、ファンカレアもまたフィストレアの方へと歩き出す。

 過去に死闘とも言える戦いを繰り広げた両者は――こうして、お互いの本心をぶつける為に向かい合うのだった。










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