第367話 同郷のパティシエ④
ミナト宅にお邪魔した俺は、人の家の中でグラファルトを引き摺るのもどうかと思い解放した。
突然俺が掴んでいた手を放した事で玄関口で後頭部をぶつけたグラファルトは、不満げにしつつもこれ以上俺と揉めるのは得策ではないと判断したのか、大人しく俺の右隣へと移動してきた。
いや、大人しくと言うのは嘘だ。
右隣へと移動するや否や俺の右足を思いっきり踏みつけてきやがりました。
痛みを堪えながら右を見れば、そこには楽しげに笑うグラファルトの姿がある。
どうやら全く反省していない様だ。
(……俺は決めました。もう明日はみんなのご飯を作らないと)
(なっ!? ちょっと待て! そんな事になれば、我が常闇達から怒られるではないか!?)
(……これは決定事項です。明日は各自でご飯は済ませて貰います)
別にご飯を食べるなと言っている訳ではなく、自分で用意してもらうと言うだけなのだが……これは我が家にとっては一大事になってしまう事なのだ。
と言うのも、現在の我が家の食事は毎日俺が用意したもので賄っている。
俺がまだ転生して来た当初は買って来た物を食べる事も多かったけど、俺が料理を作る様になってからは毎日俺が作る事になっていたのだ。
朝昼晩と三食のみだったのだが、今ではおやつや夜食なんかも作ったり、俺が一日の中でキッチンに立たない日は無いと言っても過言ではない。ちなみに、今日の朝もキッチンに立って朝食を作りました。
だからだろうか? 我が家の誰かに「じゃないと、今日のご飯抜きにするぞ」と言うと、すんなりと言う事に従ってくれるようになったのは。
特に食べる事が大好きなグラファルト、ロゼ、アーシェの三人には効果抜群で、三人は俺のご飯が食べれなくなることを非常に恐れていた。最近ではちょくちょく遊びに来るレヴィラにも効果があるみたいだけど……。
勿論この四人だけではなく、他のみんなにとっても俺の料理が食べられないのは辛い事らしい。
だからこそ、俺は敢えてグラファルトだけではなくみんなのご飯を作らないと宣言したのだ。まあ、ミラ達にとってはとばっちりもいい所だとは思うけど、ちゃんと理由は話すからせいぜいグラファルトを叱ってやって欲しい。
(た、頼む!! こうなったら我は一日飯抜きでも良い! だが、常闇達にはお前が作ってやってくれ! それに、飯を作ってやらねば、あやつらはお前に文句を言ってくると思うぞ!?)
(安心しろ、もしもミラ達から何か言われたとしても、グラファルトのせいだって丁寧に説明しておくから)
(やめろ!! あやつらに怒られるのなんて御免だ!!)
その後もミナトに迷惑をかけないように念話にてグラファルトと言い合い続けていた。
何度もグラファルトは抗議してきたが俺が全く聞き入れないでいると、ミナトに案内された居間へとたどり着いた頃には燃え尽きた灰のように真っ白になっていた。
「あ、あの……何かあったんですか?」
グラファルトの変化に気づいたミナトが耳打ちをするように俺に尋ねてくる。
そんなミナトに対して俺は「そっとしておいてやってくれ」と苦笑を浮かべて答えた。
まあ、本当にご飯を作らないつもりはないんだけど、反省させるという意味も込めてもうちょっとだけこのままでいようかな。
そう決めた俺は、ミナトに促されたソファへとグラファルトを連れて腰掛けた。
「さて、それでは改めて自己紹介を。僕は柏木湊。こっちの世界ではミナト・カシワギと名乗っていて、製菓店を中心に運搬業、生産業、投資業など、様々な事業をしています。年は今年で26歳です」
俺とグラファルトの正面に置かれたソファに座り、ミナトは自己紹介を始めた。
「製菓店……もしかしてとは思ってたけど、"パティシエラ・ミナト"って」
「はい、僕のお店ですね。地球に居た頃から家族揃ってパティシエで、僕も自然とその道に……まあ、家族は僕が異世界でパティシエをしているなんて思いもしていないでしょうけど」
「……」
笑ってそう話すミナトに、俺はなんて答えていいのか分からず沈黙する事しか出来なかった。
この世界と地球の時間軸はいまでこそ近くなったが、以前まではそうでは無かった。ミラに聞いた話によれば、以前までは地球で1年過ごすと、フィエリティーゼでは5年もの歳月が経過していたらしい。
ミナトがいつ頃こっちの世界に来たのかは分からないけど、あんなに大きな店を持っているって事は1、2年って事はないだろう。
5年であれば25年、10年であれば50年、それ以上なら……きっと地球は、ミナトが暮らしていた頃とかけ離れた世界となっている。
そう考えたら、ミナトに何と声を掛ければいいのか分からなかった。
「ランさん」
そうして俺が黙っていると、不意にミナトから名前を呼ばれる。
名前を呼ばれた事でミナトの方へと顔を向けると、そこには優しく微笑むミナトの姿があった。
「ランさん、地球に関しての話なら僕は聞かない事にしているので心配しないでください」
「え?」
「……これは我が家での決まりの様なものです。さっきミケと連れて行ったミホは、僕の二年後にフィエリティーゼへと転生してきました。ですが、ミホの話を聞いた所地球では二年以上の歳月が流れている事が分かったんです。その事実を知ってから、僕やミホは地球についての細かな話はしないし、もしも他所で転生者と遭遇しても深く聞かない事にしたんです。それに中には地球での最期をトラウマとして抱えている人も居ますから。無理に話を聞こうとも思わなかったんですよ」
「そ、そうだったのか……」
「ええ、ですから、ランさんの過去についても詮索するつもりはありませんのでご心配なく」
どうやらミナトは既に時間軸のズレについて気づいていたらしい。直ぐ側に同じ転生者であるミホさんが居たからこそ気づいたのだろう。
どうしてこのタイミングでミナトがそんな話をしてきたのかと思ったんだが、どうやらミナトは何も言わない俺の姿を見て、過去にトラウマを抱えている転生者だと誤解している様だった。
そんなミナトの気遣いに、俺は「ありがとう」とだけ答えておいた。
いや、正直地球での最期にトラウマなんて全く無いんだけど、まだこっちの事情を説明していない段階で”実は時間軸のずれについては女神様から聞いているんだ”、なんて言える訳がないので、ミナトが誤解してくれて助かったとも言える。
そうしてお互いに苦笑を浮かべた後、俺の自己紹介に移ろうかと思ったんだが……そのタイミングで居間の扉が開かれた。
開かれた扉の先にはまず二人の姿が映る。
「お待たせして申し訳ございません」
「ま、待たせた……にゃ……」
客人である俺達に対して笑みを浮かべ丁寧にお辞儀をするミホさん。その左には疲れ果てた表情を浮かべるミケが居た。
何をされたのかは分からないけど、フィオラにお説教された後のレヴィラみたいだ……。
「ああ、二人ともやっと来たね」
「これでも急いで来たのよ? いつもよりは短かったでしょ?」
「にゃあ……その分早口で捲し立てられたにゃ……」
「あ、あはは……それよりも――早く出てきたら? この人は大丈夫だと思うよ?」
二人の奥さんの言葉にミナトは困ったような笑みを浮かべると、続けて二人の後方へと声を掛け始めた。
ミナトの言葉が少しだけ引っかかった俺が首を傾げると、ミナトはそんな俺の様子に気が付いた様で直ぐに説明をしてくれた。
「すみません。実はもう一人の妻はその……この国で身分の高い人でして。いつもお客様が来ると”わたくしが居ると委縮してしまうので”って言って奥に引っ込んでしまうんです。僕としては堂々と紹介したいんですけどね」
「身分の高い人?」
「ええ、それもかなり。あの、それでも大丈夫ですか?」
大丈夫かどうかは俺が決める事ではないと思うんだけど……逆に大丈夫かな?
「えっと、俺はこの世界にはあまり詳しい訳じゃないから、礼儀作法とかもなってない一般人だぞ? それでも無礼とかにならないって言うなら大丈夫だけど……」
「あれ、もしかしてその人って……」
俺の話を聞いていたミホさんがそんな声を漏らす。
あー……そう言えばちゃんと転生者だって名乗ったのはミナトにだけだったか。
そう思った俺は改める意味も込めて立ち上がりミホさんやミケの方を向いて挨拶をする事にした。
「えっと、もうミナトには話しているけど、俺もミナトやミホさんと同じ転生者だ。名前は制空藍で、地球では日本に暮らしいた。今日はえっと……たまたま知り合いの誕生日会に招かれてこの国に来たけど、普段は――「あ、あの!!」――はい?」
俺が自己紹介をしている途中で、ミホさんとミケの向こう……つまりミナトの三人目の奥さんと思われる人物から声を掛けられた。
「お、お話の途中で口を挟む無礼をお許しください。そして、重ねて無礼とは思いますが、もう一度お名前をお聞かせくださいませんか……?」
お、おお……流石ミナトが”身分の高い人”と言うだけあって、物凄く丁寧な言葉遣いだ。思わずこっちまで畏まってしまいそう。
うーん、とりあえずは敬語を使っておけば大丈夫かな?
「え、えっと……制空、藍です……」
「ッ……やっぱり、わたくしの聞き間違いでは無かったのですね!」
俺がもう一度自分の名前を口にすると、姿の見えなかった声の主がミホさんとミケの間から顔を出す。
そうして俺の前に現れたのは微かに桃色が入った白に近い色の長い髪を持つ美人だった。白を基調としたドレスを纏い、青空の様な瞳を潤ませて俺を見つめている。
あれ、なんか言葉遣いといい見た目といい、誰かに似てるような……。
俺がそう思っていると、ミナトの三人目の奥さん――確か”メル”って呼ばれてた人が、何を思ったのか俺に対して深々と頭を下げて来た。
「ちょっ!? 何してるの!?」
「メ、メル!? 何でいきなり頭を下げてるんだ!?」
俺が慌てふためくのと同時に、ミナトもまた急に頭を下げ始めた奥さんに対して声を上げる。
そりゃそうだよな。自分の奥さんが初めて会った人物に対して頭を下げ始めたんだ。それにこの国では奥さんであるこの女性は身分も高いみたいだし……。
俺、もしかしてどこかであってたりするのかな?
いやいや、でも頭を下げられる様な事をした記憶は全くないぞ!?
でも、なんだろう……やっぱり何処かで……。
「――例え貴方様が望まぬとしても、貴方様がしてくださったことを、我がエルヴィス家は決して忘れる事はありません」
「エ、エルヴィス家って……あっ!!」
その家名を聞いて、俺はさっきから気になっていた事が解き方の分かった数式の様にすんなりと理解出来た。
そうか……そう言う事だったのか……。
「もうお気づきであるかとは思いますが、ちゃんと自己紹介をさせてください。わたくしの名前はメルロ。そして私の父はこの国の王であるディルク・レヴィ・ラ・エルヴィスであり、貴方様にお救い頂いたシーラネル・レヴィ・ラ・エルヴィスはわたくしの妹です」
優雅にドレスのスカートをつまみお辞儀をするメルロさん……いや、メルロ様って言った方が良いのか。
彼女の正体はこの国の王族であり、シーラネルのお姉さんでもあった。
誰かに似ているとは思っていたけど、そっか……プリズデータ大国で見たシーラネルに雰囲気がそっくりだったんだな。
ディルク王から”君の正体について、私の家族には話している。当然、フィオラ様から許可を頂いてな”と最初の頃に貰った手紙に書いてあった気がするし、その手紙が事実であれば、シーラネルのお姉さんであるメルロ様が俺の名前を知っているのも頷ける。
そうして俺が心の中で状況の整理をしていると、メルロ様はお辞儀を解いて感極まった様にその瞳に涙を溢れさせた。
「ずっと、ずっとお礼を申し上げたいと思っておりました。本日のお誕生日会に参加させて頂こうかとも考えましたが、知らぬ者が多く居ると貴方様がお楽しみになれないと判断をして見送らせて頂いていたのです。ですが、こうして感謝をお伝えできる機会が得られた事、心より嬉しく思います」
「は、はぁ……あの、そんなに畏まらなくても良いんですよ? 逆に、俺の方がメルロ様に畏まらないといけないだろうし……」
「いいえ!! 妹の命の恩人に対してその様な無礼は出来ません!! それと、わたくしに敬称も敬語も不要です!!」
「う、うん。わかった……」
う、うーん……こういう話し方とか聞いていると、やっぱり姉妹なんだなぁって実感するな。と言っても、あんまりシーラネルと話しているのを聞いた事はないんだけど、そんな数少ない記憶でも似ていると思えるって事にメルロシーラネルとの血の繋がりを感じる。
結局、その後もしばらくの間メルロ様……改めメルロにシーラネルを救った事に関して感謝の言葉を賜ったんだけど、なんだか聞いていてむず痒くなってしまった。
周囲のミナトやミホさん、ミケも何のことかさっぱり分からない様子で頭の上にはてなを浮かべているし……よし、どこまで説明して良いのか分からないから、とりあえずはミラに相談だな。
報連相、大事!
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【作者からのお願い】
ここまでお読みくださりありがとうございます!
作品のフォロー・★★★での評価など、まだの方は是非よろしくお願いします!
ご感想もお待ちしております!!
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