第337話 プリズテータ大国 五日目①
――闇の月21日の朝。
昨日の夜、晴れて夫婦となった俺とアーシェは現在……キッチンにて朝食を作っている。
いや、今の言い方は正確に言えば正しくない。
正確には……。
「……あの、アーシェ?」
「んへへ~……ん? どうしたの、ランくん? あっ、もう夫婦なんだから”ランくん”じゃなくて”あなた”の方が良いかな!? それとも……”ダーリン”、とか……きゃ~!!」
「いや、料理しづらいから離れて欲しいんだけど……」
――俺が料理をしている最中、アーシェは俺の背中に抱き着いてこんな感じにデレデレとしているだけである。
朝からずっとこんな感じで、俺から離れようとしないのだ。
おかげで俺は着替えることが出来ず、当然のようにアーシェも寝間着姿のままである。
一応これでもまだマシな方だよ?
朝なんて、目が覚めたら左隣に密着されてて、目が会った瞬間キスをされた。
その後も何度も『おはよう』と言ってはキスをしてきて、今まで我慢していた物を解放したかのように甘えてくるようになったのだ。
アーシェはあれだな、深い関係にちゃんとなるまでは我慢出来るけど、一歩深くへ踏み込んだら全力で愛を表現するタイプだな。
それが果たして二人きりの時以外でもそうなのかは分からないけど、ミラやグラファルトの様に体を重ねた訳でも無いのに感じるこの気恥しさはなんだろうか……下手をすると今までで一番恥ずかしいかもしれない。
「えへへ〜っ、ランくんだーいすきっ!!」
…………まあ、可愛いから良いか。
結局その後もアーシェが俺から離れようとはせず、後ろから抱きつかれたまま朝食を作り終えた。
「それじゃあ奥さん、作り終えた朝食を運ぶのを手伝ってくれますか?」
アーシェを真似をして俺も呼び方を変えてみた。改めて"奥さん"なんて呼ぶのはちょっとだけ気恥しいが、それでも何だか新婚って感じがして悪い気分じゃない。
アーシェもこんな気持ちだったのだろうか?
そんな事を考えながらも後ろに抱きついているアーシェへと視線を向ければ……そこには、何故か頬を膨らませるアーシェの姿がありました。
いや、なんで!?
「あー! 駄目だよ!!」
「な、何が……?」
「良いですか、ランくん。夫婦の間で相手の事を名前以外で呼べるのは妻の特権であって、夫と言うのは常に妻を名前で呼ばなくてはならないのです!」
あれぇ、なんかちょっとめんどくさいぞぉ?
喜ばれると思っていた発言によって、アーシェの謎のこだわりが露見した瞬間だった。
もしかしたら、アーシェには理想の夫婦像みたいなものが既に脳内で出来上がっているのかもしれない。
うーん、これは迂闊な行動はせずになるべく通常どおりに振舞っていた方が良さそうだな。
そう判断した俺は再びアーシェに朝食を運ぶのを手伝って欲しいと伝えた。もちろん名前を呼んで。
すると今度はすんなりと言うことを聞いてくれて、俺に抱き着くのをやめると直ぐに木製のトレーに目玉焼きやサラダ、焼いたパン等を盛り付けたお皿達を乗せて移動し、キッチン傍に置かれた細長いダイニングテーブルへと運んでくれた。
それを二往復程すると、二人分の朝食は綺麗にダイニングテーブルへと配膳されていて、俺が洗い物を終えたタイミングでアーシェが傍へとやって来た。
「ランくん、ランくん! 運び終わったよ!!」
「…………」
目の前で何かを期待するように瞳をキラキラと輝かせたアーシェが上目遣いで見つめてくる。
どこだ!? この難問に対する選択肢は一体どこに表示されていると言うんだ!?
「……ランくん?」
ひっ……。
危うくそんな声が漏れ出てしまいそうになるほど冷えきった声。
よく見れば、目の前で俺を見つめて来ていたアーシェの瞳からキラキラと輝く光が消え去り、そこにはハイライトの無い空色の瞳で首を傾げるアーシェが居た。
ま、まずい、制限時間付きだなんて聞いてないぞ!?
ここはもう一か八かに掛けて、普段通りに接するしかない……!!
そう決心した俺は、恐る恐るアーシェの頭へと左手を置いて優しく撫でた。
「ありがとう、アーシェ。凄く助かったよ」
「…………」
ごくり。
自分でも分かるくらいに唾を飲み込む音が静寂の中で良く響く。
ど、どうだ……? もしかして、俺は失態を犯してしまっ――
「――えへへ〜!! 愛するランくんの頼みなら何でも聞くよ〜!」
「ッ……そ、そうか!! いやぁ、アーシェが居ると心強いなぁ!!」
――よし!! 耐えた! 耐えたぞ俺!!
甘い言葉を囁くとか、抱き締めてからキスをするとか、さながら乙女ゲーの様な選択肢もあったけど、やっぱり無難が一番だよな!
こうして俺は、無事アーシェから投げられた難問を突破することに成功した。
そうして嵐が去った後で朝食を食べる為にダイニングテーブルの席へと移動するのだが、自然な動作でアーシェは俺の右隣の席へと座り、わざわざ椅子の距離を詰めて抱き着いてきた。
「アーシェ?」
「折角だから一緒に食べようよ! 食べさせ合いっこしよ!」
ニコニコと楽しそうに言うアーシェだったが、今日のメニューを改めて見た俺は食べさせ合いっこには向いていないんじゃないかと思う。
今日の朝食メニューを説明して行くと、サラダ、コーンポタージュ、目玉焼きが二つにベーコンが三枚、そして焼いた食パンが二枚、最後にデザートとしてリンゴを四切れだ。
目玉焼きは半熟だし、ベーコンもパンに乗せる事も考えてカットしていないから一口で食べるには大きすぎる。
リンゴも地球サイズのやつなら良かったんだけど、こっちでリィシアが育てたリンゴは一回りくらい大きいからなぁ。
「……流石に今日のメニューで食べさせ合いっこは無理だと思うぞ?」
「えぇ〜!?」
「こ、今度一口サイズに出来る物を作るから」
露骨に肩を落としてしょんぼりするアーシェを宥めようと思ったのだが、アーシェは何かを閃いたのかその顔を上げるとおもむろにリンゴを半分ほど齧り咀嚼し始めた。
……ま、まさか。
ふと脳裏に過った予感は的中し、口をモグモグと動かしたアーシェはそのまま頬を微かに赤らめながら俺の元へと近付いてくる。
「ん〜っ」
「いや、アーシェ流石にそれは……」
「ッ……んー……?」
アーシェを止めようと思ったのだが、俺が拒否しようとすると、アーシェはどこか寂しそうな顔をして首を傾げてくる。
……その顔はずるいと思います。
ちょっと恥ずかしいけど、今は誰も見てないし……覚悟を決めよう。
「えっと、本当にしていいんだな?」
「ッ!! ん〜!!」
俺がそう聞くと、アーシェはその顔を喜色へと変えてコクコクと頷き始めた。
そうしてアーシェから確認を取った後で……俺はアーシェの顔に自分の顔を近づけて行き、そして口付けを交わした。
やばい、思っていたよりも艶めかしぞこれ!?
アーシェの口の中から甘い香りと共にリンゴの果汁が流れ込んでくる。そして、それと同時に熱を持った小さなアーシェの舌が俺の舌へ触れた。
それからリンゴがアーシェの口から俺の口の中へと移される中、俺達は舌を絡め合い静かなリビングルームには少しだけ熱を持った呼吸音が響いていた。
「「……ぷはぁ……はぁ……はぁ」」
口付けを交わして一分くらいで俺達は合わせていた唇を離した。
お互いに夢中になっていた所為か、俺もアーシェも呼吸が荒くなっている。
やばい、正直リンゴの味なんて堪能している暇はなかった。
俺が早くなっている鼓動を鎮めていると、隣に座るアーシェは口元まで両手を持っていって幸せそうにはにかみ始める。
「えへへ……幸せぇ」
熱を持ったせいか少しだけ汗をかいている様子のアーシェは、その瞳を細めてそう呟くと小さく体を左右へ揺らして喜びを噛み締めていた。
まあ、俺もちょっと暑くて汗をかいてしまっているんだけど。
それにしても、アーシェとの一時は本当な心臓に悪い。俺が女性経験のない初心な男だったら、恥ずかしさのあまり気を失っていてもおかしくないぞ……。
まあ、これでアーシェも満足しただろうし、後はゆっくり食事を――
「――よし! それじゃあどんどん行こう!!」
「……え?」
ゆっくり食事をしようと、そう思っていた矢先。暑いのか上着を脱ぎ亜空間へしまったアーシェが、肩紐タイプの黒いインナー姿で残りの半分であるリンゴを口へ放り込んだ。
あれ……もしかしてこれ全部を!?
いやいやいや、例えリンゴだけだとしても後どれくらい量があると思って……あの、アーシェさん? 口をモグモグと動かしながら近づいてくるのは……いや、ちょっ……あああああぁぁぁ……!!
果たして、俺の心臓はこの口移しが終わるまで持つのだろうか……。
藍とアーシエルが絶賛お楽しみ?中であるリビングルームへと続く廊下から、二人の人物が顔だけを出して藍とアーシエルの様子を見ていた。
「――おい、この転移装置は使用時に魔力が漏れ出るのでは無かったのか?」
「その筈ですが……どうやらお気づきになられていないようですね」
藍とアーシエルを見ていた内の一人、魔竜王――グラファルト・ヴァヴィラ・ドラグニルは若干引いた様子で二人の様子を見ていた。
もう一人であるこのホテルの支配人――アウラトは、グラファルトからの質問に答えつつもその視線をリビングルームに居る二人から外すことなく目に焼き付けるようにして眺めている。
「はぁ……二人の世界に入り込んでいて我らが来ていることに気づけなかったか。我らが見ているとも知らずに」
「グラファルト様は確か言伝を伝える為にいらしたんですよね? 私からあのお二人にお声掛けした方がよろしいですか?」
「うーん……」
そう、グラファルトが朝早くにホテルへと訪れていたのは、別邸で待っているミラスティアからの伝言を伝える為でもあった。
まあ、それ以外にもたった半日とは言え離れ離れになっていた藍に会いたいと言う理由もあって、グラファルトは念話を使わないでわざわざホテルまで足を運んで来ていた。
ちなみにホテルまで伝えに行く役目を誰がするかについてはくじ引きで決めらた。行きたいと言っていたロゼやリィシアが結果が決まった後でその肩を落としたのは言うまでもない。
……その二人以外にも、内心ではガッカリしていた者が殆どではあったが。
長くなってしまったが、そう言った経緯があってホテルへとやってきたグラファルトはユミラスに頼んで話を通して貰っていた為、ホテルのロビーで待機していたアウラトに合流し、藍とアーシエルが宿泊しているVIPルームまで連れて来て貰った訳だ。
本来であればそのままリビングルームへと足を踏み入れ、声を掛ける予定だったのだが……タイミングが悪く藍とアーシエルが絶賛口移し中の現場に遭遇してしまう。
その光景を見たグラファルトは親友とも言えるアーシエルの豹変っぷりに度肝を抜かれ、アウラトは興奮した所為か垂れそうになる鼻血を右手で鼻を押さえる事で堰き止めた。
そうして二人は藍とアーシエルが落ち着くまで見守っているつもりだったのだが……。
「まあ、このままだといつまでもこうしていなくてはならないからな」
「私はそれでも構いませんが……いえ、何でもありません」
「う、うむ。それに、さっきから常闇達から代わる代わるに念話が入って来ていてな。少し可哀想ではあるが……常闇達に現状を伝えて置くとしよう」
「……大丈夫でしょうか?」
「ま、我らが来たことに気づかなかったあ奴らが悪い。それに、もしかしたら常闇達が来たタイミングで気づくかもしれないからな」
アウラトにそう告げるとグラファルトとは目を瞑り意識を念話へと集中させた。
そうしてグラファルトが目を瞑り始めてから数分もし無いうちに、溜め息を吐いたグラファルトがその瞳を開く。
「……支配人、すまぬが我のとき同様にロビーで待機していてくれ。どうやら全員で来るようだ」
「ッ……!? か、かしこまりました」
グラファルトの話を聞いたアウラトは、最後にもう一度藍とアーシエルの姿を見た後で、転移装置がある方へと向かって早足で歩き始めた。
そうしてアウラトが居なくなったリビングルームへの入口付近で、グラファルトも再び藍とアーシエルへ顔を向ける。
その顔には哀れみに似た表情が作られており、楽しそうにしている二人を眺めていたグラファルトはぼそりと一言呟いた。
「すまぬな、アーシェ。精々今のうちに楽しんでいてくれ」
その声がアーシエルに届くことは無い。
――藍とアーシエルがグラファルトの存在に気づくのはそれからしばらく経っての事……それも、合流したミラスティア達と一緒に居る所を目撃する形で知ることになるのだった。
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【作者からの一言】
五日目と最終日は短めにする予定です。
その分、展開が早いと思いますのでご了承ください。
【作者からのお願い】
ここまでお読みくださりありがとうございます!
作品のフォロー・★★★での評価など、まだの方は是非よろしくお願いします!
ご感想もお待ちしております!!
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