第336話 それは、氷が熱で溶け出す様に。⑨







 アーシェとお酒を酌み交わしながら飲み進めて行く。


 VIPルームだからなのか、それともこのホテルの部屋全てがそうなのかは分からないけど、置いてあるワインは口当たりも良くて程よい酸味が鼻を抜ける。とても良いワインなんだと思う。


 だからこそ、俺達はペース配分も考えずに「美味しい」と口にしながらお酒を水の様に飲み続けてしまった訳で……。


「えへ、えへへっ」

「……」


 俺の右隣で完全に出来上がった状態のアーシェが俺の右腕に抱き着いていた。


「らんくん!」

「……どうしたの?」

「むぅ……えへへっ、呼んだだけ〜」


 ……もうこれが五回目ですよ?


 そして何より驚きなのが、アーシェはまだ三杯目の途中だと言うこと。


 多分これは俺が周囲の人間に毒されていたのが原因でもあると思うんだけど、こんなにお酒に弱いとは思ってもいなかった。

 ミラとかは一回の晩酌で普通に二、三本はワインを空けるからみんなそうなのかなって思っていたのだ。


 お酒自体は好きみたいだけど、今後は気をつけた方がいいかもしれないな。

 少なくとも他所様が居る前では飲ませないようにしよう。他のみんなにも注意しておかないと。


 本当であれば状態回復の魔法を使って治してあげたい所だが……今俺は魔法を使うことを禁止されてるからなぁ。


「あの、アーシェ?」

「んぇ?」

「……そろそろ状態回復の魔法を使った方がいいんじゃないか?」

「んー……わかった!」


 元気よく返事をしたアーシェはニコニコと笑みを浮かべながら右手に持っていたグラスをテーブルに置くと……何故か空いた右手を俺の方へと翳して状態回復の魔法を発動させた。


 いや、違う……そうじゃない……。

 俺は全くもって酔ってないんだ……。


「アーシェ、俺は全く酔ってないからやるなら自分に……あちゃー、手遅れだったか……」

「……すぅ……すぅ」


 状態回復の魔法を使って満足したのか、アーシェは俺の右腕に抱き着いた状態で眠ってしまった。


 無理矢理起こすことも出来るのだが、幸せそうな寝顔を見てしまっては起こすのは可哀想に思えてしまう。


「……しょうがないか」


 俺は右腕を動かしてアーシェの両腕による拘束を緩めると、アーシェの左脇辺りに右腕を入れて背中へと回し、左腕を脚の下へと回して抱き上げる。


「……やっぱり軽いな」

「んへへ……んー!!」

「うおっ!?」


 抱き上げてベッドへと移動させようとしたら、寝惚けたアーシェが嬉しそうな声を漏らしてその両腕を俺の首元へと回し顔を近づけてくる。


 くっ……抱き着いて来た時から思ってたけど、なんでアーシェってこんなにいい匂いがするんだ!?


 同じお風呂に入ってるんだから、シャンプーとかも一緒のはずだよな?

 となると、やっぱり香水とか?


「むふふっ……らんくん……」

「〜〜ッ!?」


 ちょっ、やめて!?

 頬擦りとかしないで!?


 回した両腕に力を込めたアーシェが顔を俺の頬へと近づけてスリスリと擦り合わせてくる。

 その度にアーシェから香る匂いと耳元の近くで感じる吐息の所為で、俺の理性は砕けてしまいそうになっていた。


 だが耐えろ……耐えるんだ俺……!!

 幾ら気心の知れた仲だからと言って、酔っぱらっている女性に手を出すなんて犯罪行為だぞ!!


 自分にそう一喝しながらも、未だにスリスリと頬擦りをしてくるアーシェにドギマギしつつ何とかベッドが置かれている場所まで辿り着く事が出来た。


 よ、良かった……途中に首元の匂いをスンスンされた時は思わず落としそうになった……。

 首は何処かの魔竜王さんの所為でトラウマになりそうだから、過剰に反応してしまうんだよな。


「ほら、アーシェ。ベッドに着いたから」

「んん……」


 ベッドに着いたのでゆっくりとアーシェを下ろすと、アーシェは大人しくベッドへ横になってくれた。

 よし、とりあえずこれで任務完了だな。


 後はバーカウンターの飲み残しと食器類を片付けてから俺も寝るか。


 そう決めた俺は、亜空間から厚手の毛布を取り出してアーシェに掛けようとする。

 リビングルームに置かれているベッドには長い枕は置いてあるけど、掛け布団の様な物が一切なかった。

 寝室から掛け布団を持ってきても良いんだけど、リビングルームはそこまで寒いわけではないし亜空間から取り出した方が早いと思ったので、寝室まで取りに行くつもりはない。


 そうして取り出した毛布をアーシェの脚から掛けて行ったのだが――突如、俺の左手首がアーシェの右手によって掴まれる。


「……は?」

「むふ」


 そうして視線を上へと向ければ、はだけた上着の中から素肌を覗かせたアーシェがニヤリとした笑みを浮かべていて……俺はそのままアーシェに寄ってベッドへと引きずり込まれる。


「うおっ!?」

「むふふ……引っかかったね〜ランく〜ん!」


 引きずり込まれたベッドで仰向けになった俺の上にアーシェは馬乗りになるとしてやったりと言わんばかりに両手を腰へと当てて胸を反らせた。


 ちょ、アーシェさん!?

 インナーの右側の肩紐が肩から外れてるから!!


 今にも見えてしまいそうな胸部から視線を外す為に、俺は慌てて首を右へと向けた。


 というか下着は着けてないのか!?

 てっきりそんなのグラファルトくらいなのかと思ってた……女の子はこれが普通なのか?


「むむむ……ランく〜ん?」

「……」

「もう! どうしてこっちを見ないの〜?」


 アーシェが必死になって右へ向けた顔を正面に戻そうとしているが、俺も必死になって顔の位置を右で固定したまま抗っていた。


 しかし、よく考えて欲しい。

 俺は首のみでしか抵抗出来ないのに、アーシェは両手を使えるのだ。今のところは抵抗出来てはいるものの、こんなのがいつまでも続く訳が無い。


 ええい、この酔っぱらいめ!

 こっちの気も知らないで無邪気にも程があるぞ!?


 だが、だからと言って酔っ払っているのをいい事にアーシェの胸部がポロリするのを見届けるのは流石に不味い。

 何が不味いって、もしも翌日になってアーシェがその時のことを覚えていた場合、ミラ達へと報告する可能性があるのが不味いのだ。


 そんな事になれば、俺は一生今回の件でミラ達から蔑んだ目で見られてしまうかもしれない……そんなのは御免だ!


 俺はこの絶望的な状況から脱する為の打開策を考え続ける。

 そして、一筋の光とも言えるとある作戦を思いついた俺は、それを実行するべく行動に移るのだった。


「……せーのっ」

「うわわっ……きゃっ」


 掛け声を言った直後、俺は上半身を起き上がらせて、それと同時に仰け反ったアーシェを左腕で抱き寄せた。


 よし、このままアーシェの肩紐を戻せば……出来た!!


 左腕でアーシェの体ををがっちり固定して、右手をゆっくりと動かしてアーシェの右腕に触れると、それを這わせる様にして肩紐を手探りで探す。

 そして右手に細い物が引っかかる感触を覚えた所でその細い物をアーシェの肩まで引っ張り上げると、インナーが僅かに上にズレた様な気がした。


 恐る恐る視線をアーシェの右肩へ移してみると、そこにはしっかりと右肩に掛けられたインナーの肩紐が見える。


 よし、偉いぞ俺! よくぞやり遂げた!!


 こうして、アーシェが恥ずかしい思いをする未来を消し去り、同時に俺の立場が地に落ちる事態も免れた。


 さて、後は抱きしめてしまっているアーシェから離れればそれで万事解決……あれ?


 左腕を離して後ろに下がろうと思ったのだが、何故か下がれない。

 アーシェから離れるどころか、寧ろさらに密着していることに気がついた。


「ア、アーシェ?」

「……」


 アーシェは何も言わずに腕の位置を変えて俺の脇の下あたりに両腕を差し込むと、その腕を背中へと回して更に強く抱き締めて来た。


 強く抱きしめられた事で、アーシェの柔らかい胸部の感触が……それに髪の毛や素肌から香る匂いも強くなっていて、クラクラしてくる。

 理性が壊れない様になんとか離れようと抵抗してみるが、それでもアーシェは放そうとはせずに俺の左肩の方へ顔を置いていた。


 突然の事に俺が困惑していると、左肩に置かれたアーシェの顔が耳元へと近づいてきて、小さな吐息が耳のすぐ側で聞こえてくる。

 そしてその後に続くように……アーシェの短い言葉が俺の耳へと囁かれた。


「――ランくん……好きだよ」


 その声音は微かに震えている様に思えた。

 今までの陽気な声音では無い。

 必死に堪えてきた感情を溢れさせたかの様なその声音に、俺の心臓の鼓動は早まり激しく鳴り響く。


「好き……大好き。出会う前にミラ姉から見せてもらった映像でランくんを知ったその日から……ずっと好きだったんだよ?」

「アーシェ……」

「最初は一目惚れ。次にグラちゃんを助ける瞬間を見て。その次は直接話をして。そうやってランくんに触れれば触れるほどに好きが溢れて……わたしは、初めて恋をしているって思えたの」


 思いの丈をぶつけるアーシェは背中に回した手で俺のシャツを強く握りしめる。


 アーシェの好意に気づいたのは何時だっただろうか?

 俺が思っていたよりもずっと前から、アーシェは俺に好意を寄せていてくれたんだな。


「本当はね、想いを告げるつもりはなかったんだ。ランくんの傍にはファンカレアちゃんが居て、黒椿ちゃんが居て、グラちゃんが居て、そしてミラ姉が居たから」


 そう言うとアーシェは握っていたシャツを放して、そしてゆっくりと俺からも体を離した。


 そうしてアーシェの顔を見ることが出来るようになった事で、俺は自分がしていた勘違いに気づく。

 目の前に居るアーシェは……酔っ払ってなんかいなかったんだ。


「どうして、酔っ払ったフリなんか……」

「ランくんが寝てた時にね、思いついたんだ……。これなら、振られちゃったとしても酔ってたのを言い訳にして無かった事に出来るんじゃないのかなって……怖かったの」


 自分の体を抱きしめながら、アーシェは震えた声で話し続ける。


「今日という日が楽しみだった。ランくんとのデートが楽しかった。でも、もし告白して断られたら……あの時、ラフィルナの花畑でそうだった様にまた断られちゃったら……そんな事を考え始めるわたしがどんどん強くなっていって、土壇場で怖気づいちゃったんだ」


 悲しげに笑うアーシェはそう言うと、抱き締める様にしていた腕を解いて深く息を吸った。


「でもね、やっぱりちゃんと伝えたかった……断られるかもしれないけど、ちゃんと伝えたかった」

「……」


 そこで一度言葉を止めると、アーシェはおもむろに俯き肩を震わせ始める。

 そして、何かを覚悟したかのようにフッと息を吐くとその顔をゆっくりと上げた。


「わたしは……アーシエルはね、ランくんが大好きだよ」


 その瞳に涙を溜めて、それでもアーシェは必死に笑顔を作ってそう告げた。


 嗚呼、俺はなんて最低な奴なんだろうか?


 こんなに健気で一途に想ってくれている女の子にトラウマを植え付けるような事をして、余計な恐怖を与えて……本当に制空藍は最低な奴だな。


 だから、這い上がれ……制空藍。


 もう二度と彼女を傷つけない為に、最低だった過去の自分を殴り飛ばせ。


「――俺は、制空藍はここに誓います」

「ッ……」


 亜空間から前にロゼに貰っていたファンカレアの石像を取り出して二人の間に置いた。

 何でも放り込んでいた亜空間だったが、変に整理整頓していなくて良かったと思う。


 そして、溢れ出る涙を拭い続けているアーシェの両手をゆっくりと握り、俺は言葉を紡ぐ。

 それはアーシェだけにでは無い……この世界の創造神であるファンカレアに、そして世界へ向けた永遠の誓いだ。


「目の前にいる健気で、一生懸命で、俺の事を好きだと言ってくれた女の子を――アーシエル・レ・プリズデータを生涯愛し続けると、ここに誓います」

「ぁ、ぅ……」

「ごめんな、アーシェ。不安にさせて……怖がらせてしまう原因を作ってしまって、本当にごめん」


 握った両手にポツポツと涙が零れ落ちる。俺の言葉を聞いていたアーシェが、堪えることの出来ない涙を溢れさせているからだ。


「俺はアーシェが好きだ、大好きだ。そして……アーシェの事を愛しています。君を困らせて、苦しませてしまった俺だけど……これからはどうか妻として、一緒に生きてくれませんか?」

「さいてい、なんかじゃない……ッ。わたしも……あーし、える、れ、ぷりず、でーたも、せ、せいくう、らんを、あいして、ます……」


 何度もしゃくりあげながら、アーシェはゆっくりとそう返してくれた。


 そうして互いの愛を誓い合ったことで、夜遅くにも関わらず、俺達の居るリビングルームに祝福の鐘の音が響き渡った。


 これで俺とアーシェは世界からその愛を認められた事になり、俺達の名は互いに夫婦としてステータス画面へと刻まれる。


 俺は涙でぐしゃぐしゃになっているアーシェを引き寄せて抱きしめて、その頭を左手で撫でた。


「これで俺達は夫婦だ。これからは妻として、お互いに愛し合っていこうな」

「……う"んっ」

「愛してるぞ、アーシェ」

「わだじも……らんぐんをあいじでるぅ……!!」


 暗い雲の隙間から、俺達の居るリビングルームを照らすように月明かりが降り注ぐ。


 こうして俺達は夫婦となり、夫婦として迎えた初めての夜は……泣きながら叫ぶアーシェを泣き疲れて眠ってしまうまで宥め続けて終わりを迎えるのだった。


 さて、明日は色々と報告することがあるし……大変な一日になりそうだな……。


 そんな事を考えた後、隣で目を赤く腫らして眠っているアーシェの頭を軽く撫でてから、俺も明日に備えて眠りに着く。



――今日、俺は五人目の妻としてアーシェを迎え入れた。







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 【作者からの一言】


 これにて”それは、氷が熱で溶け出す様に。”はおしまいとなります。

 長かったプリズテータ大国編もクライマックス!

 この先もどうぞお楽しみに!


 【作者からのお願い】


 ここまでお読みくださりありがとうございます!

 作品のフォロー・★★★での評価など、まだの方は是非よろしくお願いします!

 ご感想もお待ちしております!!


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