第335話 それは、氷が熱で溶け出す様に。⑧







「――こ、この度はわたしが大変な粗相を致しまして……」


 あれから30分くらい経っているだろうか?

 俺はとっくにお風呂から上がり膝下くらいまである丈の長さの黒いズボンと黒い半袖Tシャツというラフな格好でリビングルームに置かれていたベッドの縁に腰掛けていた。


 そんな俺の目の前には水着姿のままで上にタオルケットを羽織る様にして巻いているアーシェの姿があり、リビングルームに来てそうそう気を失ってしまった事に対する謝罪を始めたのだ。


「いや、あれはしょうがないよ……別に俺は怒ってないから」

「うぅ……自分から誘っておいてのぼせちゃうなんて……本当にごめんね……」


 顔を上げたアーシェは今にも泣きそうな顔をしている。

 俺はそんなアーシェを見兼ねて立ち上がると、アーシェの目の前にしゃがみこみその瑠璃色の頭を優しく撫でた。


「別にアーシェが悪い訳じゃないだろ。アーシェがフラフラになるまで気づけなかった俺にも悪い所はあると思うし、お互い様って事にしないか? 俺もアーシェも怪我をした訳じゃないんだしさ」

「……良いのかなぁ」

「他ならぬ俺が言ってるんだから、アーシェさえ良ければそれで良いんだよ」


 不安そうにこちらを見つめるアーシェに微笑むと、アーシェも口元に小さく笑みを作り「えへへ」と声を漏らすとその目を細める。


 可愛らしいアーシェの反応に癒されつつも、頭部から下の格好に目をやればタオルケットは羽織っているが変わらず水着姿であり、流石にそろそろ着替えた方が良いのではと思い始める。


「アーシェ」

「ん? どうしたの?」

「その、そろそろ着替えた方が……いや、と言うかお風呂に入り直した方が良いと思うんだ」

「え……~~ッ!!」


 下向いたアーシェが自分が今どんな格好をしているのか確認した直後、その顔を真っ赤にして俺の傍から飛ぶように離れて行った。


「……お」

「お?」

「お風呂に入って来るー!!」


 はだけていたタオルケットを体に巻きなおしたアーシェは、そう叫ぶと廊下へと駆けて行き廊下の先から扉が閉まる音がリビングルームへと響いた。

 多分、大浴場の方に戻って行ったんだと思う。



 アーシェが居なくなった後で、一人になった俺は再びベッドの縁へと腰掛けてそのまま上体を後方へと倒した。


「ふぅ……」


 そうして俺は、プリズデータ大国へとやって来てからの毎日について考える。


 地球とは異なる世界であるフィエリティーゼで療養という名目ではあったものの、初めてちゃんと観光する事が出来た国。


 一年を通して寒くて雪も多くふりしきるこの国には、凛とした雰囲気を持つ女王が君臨していた。


「……まあ、話をしてみれば普通の女の子だったけど」


 きっと人付き合いが苦手なだけで、ちゃんと話をすれば分かり合うことの出来る存在だったんだと思う。

 少なくとも俺は"氷の女王"なんて肩書きでユミラスを見ることは無い。


 ちょっとドジで、空回りしている時もあるけど、何事にも一生懸命で家族を大事に出来るユミラスが……俺は凄く好きだなと思えた。


 ユミラスとはもう念話をし合える様になったし、プリズデータ大国の王城に何時でも来ていいとも言われている。そのお返しという訳では無いが、森にある我が家にも何時でもおいでと言ったら泣いて喜んでくれた。


 流石に大袈裟ではと思ったが、まあ本人が喜んでくれているのならそれでいいかなとも思う。


 ユミラス以外にもミザさんやアリーシャ、ダリルさんにエンラさん、サティラさん親子、ナルにアウラト等、色々な人達と出会い交流して……久々に多くの人と話したな。


 まあ、中には敵意に染まっていた相手なんかもいたけど。

 ミラ達の話によれば、ラグバルドと言う獣人の男はヴォルトレーテ大国の冒険者ギルドで自分を鍛え直す事にしたらしい。


 そう思い至った要因が俺の僅かに漏れでた魔力を感知してと聞いた時は流石に驚いたけど、ライナが責任をもって躾けると豪語していたから……多分大丈夫だと思う。


 気がかりなのはクォンと言う女の獣人の方だ。

 リィシアが"精霊の呪い"を付与した事でヴィリアティリア大国の王としてはもう機能しないとの事。

 現にユミラスが尾行させている眷属によれば、クォンはプリズデータ大国を出て直ぐにヴィリアティリア大国へと戻ることなく姿を眩ませたらしい。

 今後はヴィリアティリア大国へ偵察部隊を配置するのと、精霊の動向を見る事でクォンの行方を捜索する事に決めたらしい。


 ……と言う内容は、デートの最中にアーシェから聞いた話だ。


 アーシェの話ではクォンは終始怯えていたものの、"精霊の呪い"をリィシアによって付与されてからはリィシアの事を相当憎んでいるように見えたと言う。


『あれは多分危険だよ。どんな事をしてでも復讐しようとしている人の目だった……もしかしたら、わたし達の知らない秘策でも隠して持っているのかもしれないね』


 珍しくその声音を低くして真面目な口調で話すアーシェの言葉は俺の脳内に印象強く残っている。


 アーシェはユミラスを通して常に最新の情報を手に入れつつ、警戒を怠るつもりは無いと言っていた。

 その意見には俺も賛成である。


 もしもリィシアに身の危険が迫るのだとしたら……俺は自分が出来る全てを以てリィシアを守るつもりだ。


 その結果がどのような物になろうとも、俺は家族を……大切な人たちを守り抜く。


「――自分の行いにもう後悔はしない。俺の居場所を奪おうとするのなら……お前の全てを奪い尽くす」


 これは自分自身への誓いだ。


 もう恐れない、後悔しない、迷わない。


 大切な居場所を守る為ならば……俺は喜んで略奪者になろう。


「……まあ、もう一人でなんて考えないつもりではいるけどさ」


 俺の為に泣いてくれる人達が居るのを知ったから。

 何も言わずに一人で背負うことを叱ってくれる人達が居るのを知ったから。


 お互いの全てを共有している"お前"が居てくれるから。


 俺はもうひとりじゃないと、胸を張って背中を預けられる。


 それに、せっかく全てが丸く収まったのに最後の最後で怒られるなんて締りの悪い展開はごめんだからな。


 ――だから大丈夫だ、グラファルト。


 お前が俺を一人にさせない様に、俺もお前を一人になんてしてやらない。





「一人じゃない、大切な人たちと共に歩く未来……楽しみだなぁ」





 俺の傍にはみんなが居て、賑やかな生活が続いていく。


 そんな理想郷を思い浮かべながら、重くなっていく瞼を開き続けることが出来ず……俺はアーシェを待っている途中で眠りについた。





















「……あれ」


 目を開けると、周囲は暗くなっていた。


 えっと……ここはホテルで……確か、アーシェを待ちながら色々と考え事をしてて、それで……。


 ぼーっとする頭で今までの出来事について順序建てて考えて行き、ようやく自分が考え事の最中で眠ってしまっていた事に気がついた。


 あれ、でもなんでこんなに暗いんだ?

 確か俺が目を閉じだ時にはまだ照明の明かりが付いていた筈なんだけど……。


 そんな疑問が浮かんで気になった俺は体を起こす。

 すると、起き上がって右前方……廊下へと繋がる通路の右側のみが、暗いリビングルームの中で唯一オレンジ色の明かりで照らされている事に気がつく。


「……アーシェ?」


 ぼんやりとした視界でバーカウンターを見つめていると、カウンター席の一つに腰掛け何かを手に持つアーシェの姿が映った。


「あれ、もしかして起こしちゃった?」


 こっちに体を向けたアーシェがそう声を掛けて来る。

 距離があるのと照明が少ない為、その表情は読み取ることが出来ないが普段よりも声のトーンは抑え気味だ。


「いや、自然に目が覚めただけだよ。ごめんな、待っているつもりだったんだけど、いつ間にか寝てたみたいだ」

「ううん、今日は色々とあったから疲れてたんじゃないかな? あ、もしまだ起きてるなら、ランくんも一緒にどう?」

「ん? お酒を飲んでるのか?」

「うん。まあ、まだ一杯目だけどねぇ〜」


 アーシェが手に持っていた何かの正体は……お酒の入ったグラスだった。

 ワイン用だと思われる縦に長いグラスを持って、アーシェは声をひそめるようにしてくすくす笑う。


 まあ、このまま眠るのも勿体ないし、折角の誘いを断るのも勿体ない。

 お酒で酔うことは出来ないけど、アーシェと話すのは楽しそうだ。


「それじゃあ、俺も一緒に飲もうかな」

「やった! おいでおいで〜」


 俺が快諾すると、アーシェは嬉しそうに声を上げて俺に手招きをし始める。


 ……まだ一杯目なんだよな?


 もしかして、アーシェはあんまりお酒は強い方では無いのだろうか。


 手招きをするアーシェの元へ歩き出した俺は、近づくにつれて見えてくるアーシェの表情を見て酔っているんだなと確信した。


 オレンジ色の照明に照らされるアーシェは微かに顔を赤くしており、普段とは違い結んでいる髪を下ろしていて何処か色気の様なものを感じる。


 服装も寝る時の物なのか普段よりもラフな格好、上下セットの白と水色のストライプ模様で見た感じモコモコとしていそうな生地だ。

 上着にはチャックが付いていて今は開いている状態。中には黒いインナーを着ている様で、右肩の上着がずり落ちて黒いインナーの肩紐部分が見えている。

 下は太ももの半分くらいの丈しかなく、アーシェの細くて白い脚が普段よりも露出していて、普通に座っているだけでも変にドキドキしてしまっている自分がいた。


「それは部屋着?」

「うん! ランくんと一緒に生活するようになってからロゼ姉が作ってくれたやつ! お気に入りなんだ〜」


 嬉しそうに語るアーシェを見て、自然と笑みがこぼれる。


「そっか、良く似合ってるよ」

「えへへ、ありがと〜!」


 アーシェの事を褒めた後で左隣へと座ると、すかさずアーシェは用意していたのだろうグラスを俺の方へと渡してくれて、それを受け取るとおもむろにワインらしきお酒を俺の持つグラスへと注ぎ始めた。


「よし、それじゃあ乾杯しよう?」

「そうだな。それじゃあ……今日という日に、乾杯」

「うん! 今日という日に、乾杯!」


 薄暗いリビングルームに、グラスが鳴り合う音が響き渡る。


 こうして、俺とアーシェは二人でお酒を飲み始めるのだった。







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 【作者からのお願い】


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