第334話 それは、氷が熱で溶け出す様に。⑦








――どうしてこうなった。


「……ふぅ」

「…………」

「え、えへへ……やっぱり少しだけ恥ずかしいね」


 湯気が立ちこめる大浴場。

 とても心が安らぐ様な自然の香りのする木で出来た大きな浴槽に、俺は今首から上以外の全ての体を沈めている。


 心が安らぐ様な自然の香りなんて言いはしたが、それはあくまで一人で入った場合の感想だ。

 その証拠に現在、俺の心臓は通常時よりも幾ばくか早く動いている。


 その主たる原因となっているのは……俺の左隣でお湯が熱かったのか、はずかしがっているのか、又はその両方なのかは分からないが顔だけではなくその身体まで赤くしている"氷結の魔女"――アーシエル・レ・プリズデータである。


 どうして俺とアーシェが一緒にお風呂に入る事になっているのか……それは、夕食後の出来事だった。









――時刻は夜の21時半を過ぎた頃まで遡る。


 夕食を食べ終えて食器も洗い終わった後、俺はアーシェにお風呂に入る事を伝えた。

 ただ、お風呂は見た感じだと大浴場が一つと通常のお風呂が一つだけ。いや、貸切の時点で普通ならおかしな状況ではあると思うんだけど、それぞれ一つずつしか無いのは事実だ。


「アーシェは大浴場に入る?」

「う、うん! ランくんは?」

「俺も折角だし大浴場の方に入ろうと思ってたんだ」


 普通のお風呂には何時でも入れる。

 更に言ってしまえば、大浴場に関してもハイグレードな物が我が家には有るんだけど……ここにしかない大浴場の雰囲気を体験しておきたかったのだ。


 多分、アーシェも俺と同じ考えかな?


 なんかソワソワと落ち着きのないように感じるけど……どうしたんだろう。


「えっと、アーシェが先に入る?」

「…………」

「アーシェ?」


 どちらが先に入るかを決めようと思い、先を譲ろうとアーシェに声を掛けるが返事が返って来ない。

 いや、良く耳を澄ましてみると何かを言っている様な……。


「――だ、大丈夫……アーシェ出来る子、頑張れる子……そ、そうだよ、それに――もあるから、絶対に――事は……」


 所々聞き取れない部分はあるが、その内容はまるで自分を鼓舞しているように聞こえる。


 ただハッキリしているのは、とてもとても嫌な予感がするという強い胸騒ぎに襲われているということ。


 俺は直感とも言えるその感情に身を任せて、返事が返ってこなかった事を逆手に取り先に大浴場に入ろうと行動に移す。


「そ、それじゃあ俺は先に大浴場へ入らせてもらうよ」

「あ、あのね、ランくん。ちょっと話があって――「その話はお風呂に入った後で聞くから」――うぅ……それじゃあ駄目なの!!」

「うおっ!?」


 アーシェの制止の声を軽く流して大浴場のある廊下へ向かおうと、ソファーから立ち上がりアーシェが座ったままであるソファーを背にして歩き始めた直後、背後から強い一撃をもらって足元がふらついてしまう。


 何とかして顔面を直撃するのだけは避けようと体をひっくり返して頭を上げ、倒れた体は背中から思いっきり地面へと叩きつけられた。


 あ、良かった。思ってたよりも痛くない。これがレベルが表示されないくらい強くなった肉他の強度なのか……。

 普段はグラファルトとかライナとかと戦ってばかりでイマイチ自分がどれくらい強くなっているのか分からなかったからなぁ。

 こういう時でないと、自分のステータスのありがたみが感じられない。


 ありがとう【漆黒の略奪者】……。


「――だ、大丈夫?」


 ……俺のスキルであり相棒でもある【漆黒の略奪者】に感謝していると、天井を見上げていた俺の視線に心配そうに俺を見下ろすアーシェの顔が映る。


 いや、あなたが飛びついて来た結果が今の俺なんですが……。


「……心配するくらいなら不意打ちで飛びついたりしないでくれ」

「うっ……だって、ランくんが逃げるから……」


 俺がジト目でアーシェを見ていると、気まずそうにしながらも少しだけ頬を膨らませてアーシェはそう返して来た。

 嫌な予感はするけど、これ以上逃げるのは無理か……。


「わかった、もう逃げたりしないから」

「あ、やっぱり逃げてたんだね!」

「しまった……誘導尋問だったのか……」


 そうして逃げた事を認めてしまった事で更にアーシェが不満そうな顔を浮かべるのだった。


 俺はアーシェに何度も謝り許してもらおうと思っていたのだが、そんな俺に対してアーシェは「わたしのお願いを聞いてくれたら許してあげる」と口にする。


 あー……嫌な予感がする。

 逃げ道を塞ぎにかかっている感じが尚更に。


 俺の直感が危険信号を発してはいるが、ここで逃げればアーシェとの仲に溝を生みかねない。

 それでも何か策は無いかと考え続けたのだが、結局打開策を見出す事は出来ず……俺はアーシェのお願いを聞く事となった。


「それで……お願いって言うのは?」

「え、えっとね……」








「――わ、わたしと一緒に……お風呂に入りませんか!?」

「………………はい?」













――そんなやり取りがあって、現在俺はアーシェと一緒にお風呂に入っている。


 大人の男女が一緒にお風呂……一般的に見れば何かが起こってもおかしくはない状況ではある。

 だが、俺は緊張はしているがまだお風呂を楽しむ余裕はあった。


 何故ならば、俺とアーシェは水着を着ているからだ。


 一緒にお風呂入ろうと誘われた時は"アーシェって、普段の初心な性格とは裏腹に大胆なんだなぁ"って思ったが、話を聞いてみればロゼに作って貰ったと言う水着を着用して一緒に入りたいという内容だった。


 どうやら、まだ全てを見られるのは恥ずかしいからと言う理由らしい。

 その言葉を聞いた時には本当に安堵したよ……良かった。やっぱりアーシェは俺の知ってる通りの初々しい女の子だった。


 そういうことならと俺はアーシェのお願いを快諾して、先に大浴場に入って待っていたのだ。

 ちなみに俺の分の水着は膝下くらいまであるロングトランクス。シンプルな黒です。


 一方のアーシェはビキニタイプの水着で、上下共に青色がメインの色合いをしており、上は可愛らしいフリルが付いた肩紐の水着、下は少しだけ透けている空色のスカートとの様な物が付いた水着になっていた。


 自分から一緒に入ろうと言ってきたのに、アーシェはもじもじと恥ずかしそうにお腹の辺りを隠し、『ご飯を食べたばかりだからあまり見ないでね』と顔を赤くして言ってきたのを覚えている。


 だが、言われると逆にそこへ目がいってしまい俺はアーシェの無防備なクビレのできているお腹をガン見してしまった。


 ……ざっとキロ単位でローストビーフを食べてたよね?

 あの細いウエストの何処にローストビーフが入っているのだろうか?


 俺は目の前にある人体の構造と機能の謎に夢中になっていたのだが、見過ぎた事でアーシェに怒られてしまう。



 そんなやり取りがあって、お互いに体をシャワーで濡らしてから湯船に浸かっているのだが……。


「アーシェ、大丈夫か?」

「ら、らいひょうぶ(だいじょうぶ)……」


 いや、呂律も回ってない人が大丈夫なわけが無いと思う。


「よし、とりあえず浴槽から上がろう。冷水で体を冷やして休もう」

「うぅ……そうひゅる〜」


 どうやらアーシェは緊張と思っていたよりも熱いお湯にやられてのぼせ気味になっている様だ。

 俺が体を冷やす事を提案すると、もう我慢出来ないくらいに暑かったのか、アーシェはすんなりと頷いて立ち上がり、フラフラとした足取りで気で出来ている浴槽の縁へと手を掛ける。


 ちょっと心配になったので俺も立ち上がってアーシェの後を追ったのだが、案の定フラフラの状態だったアーシェは左足を浴槽の縁へ載せた直後にその足を滑らせて後ろへと倒れそうになっていた。


「危ない!!」


 フラフラの状態のアーシェが熱い浴槽の中へ倒れたりしたら危険だと判断した俺はアーシェを後ろから支えるようにして抱き留めた……つもりでいた。


「……ふぇ?」


 しかし、バランスの崩れた体勢かつ水に濡れているということもあって上手く狙った場所に手を置くことが出来なかった俺は……アーシェが素っ頓狂な声を上げてしまうくらいのやらかしをしてしまう。


「あ、いや、これは事故で……」

「…………〜〜ッ!?!?」


 そう……ゆっくりとしか動かせない右腕はしっかりとアーシェの右の腰辺りに添えられているのだが、咄嗟に動いていた左手は俺の狙っていた左肩を大きく外し――アーシェの右胸へと触れていたのだ。


 しかも、運の悪い事に肩紐だった事で鎖骨の辺りにゆとりが出来ていたアーシェのビキニタイプの水着の隙間を掻い潜り、直接アーシェの肌に触れてしまっている状態だった。


 その大きくはないが確かに感じる女の子特有の膨らみに、俺は内心動揺しまくりだった。

 だが、そんな俺よりもアーシェの方が動揺していたようで。


「ラ、ララ、ランくん!?」

「ご、ごめんアーシェ、すぐに退けるから!!」

「あっ……いま、動かし……〜〜ッ」


 ちょっ、艶めかし声を出さないでくれませんかね!?

 意識しないように左手をアーシェの胸から離そうとするが、アーシェの声を聞いて左手の感触を強く感じてしまう。


 あぁ、サイズ的にはグラファルトと近いけど、感触は違うんだなぁ……て、そうじゃないだろ俺……!!


 自分に喝を入れつつ再び意識を明後日の方向へと飛ばしながら、何とかアーシェの胸から手を離すことが出来た。


 つ、疲れた……でも、俺よりもまずはアーシェだな。


「本当にごめんな、大丈夫か?」

「…………」


 背中越しにアーシェに話しかけてみるが、呼吸が乱れているのか肩を上下させるだけで返事が返ってこない。


 もしかして、のぼせて意識が朦朧としているのか!?


「おい、アーシェ!? 大丈夫――「ラン、くん……」――ッ!?」


 心配して背中を向けていたアーシェをこちらに振り向かせると、顔を赤らめて蕩けた様な顔をしているアーシェが俺の名前を呼びながらぎゅうっと抱き着いて来た。


「ちょっ、アーシェ!?」

「わたし……わたしね?」


 耳元で囁くように話すアーシェの声に思わず身悶えしてしまいそうになる。それほどに今のアーシェの声には色気の様なものを強く感じられて、俺の正面に伝わるその高い体温と柔らかな感触も混じり合い……俺の理性を奪い去ろうとしてくる。


 これはつまり、そういうことなのだろうか?

 アーシェがそのつもりであるのならば、俺も男としてそれを拒絶する様なことはしたくない。


 ええい、男を見せろ……制空藍!


「ア、アーシェ……」

「…………」

「……アーシェ?」


 俺は覚悟を決めて抱き着くアーシェの両肩へ手を置き右腕に力を込めながらゆっくりと引き離す。

 しかし、アーシェは相変わらず肩を上下させるのみで頭を下に向けたまま何も話そうとはしなかった。


 そんなアーシェの様子に困惑していると、ゆっくりと頭を上げたアーシェが俺に一言……。


「………………もう、むりぃ」



 そう言い残して、がくっと全身の力を抜いて目を回してしまうのだった。


「……あー、なるほど……そういうオチね」


 わ、分かってた……分かってたよ……アーシェがそんな積極的に誘ってくる様な性格じゃないことくらいさ!!


 そう自分に言い聞かせながら勝手な覚悟を決めてアーシェと深い関係になろうとした愚かな自分を恥じる。

 あー……穴があったら入りたい……。


 そうして、目を回して意識を失ってしまったアーシェを抱えた俺は大浴場の外へと出て脱衣場まで戻って来ると、中央に置かれた木製のベンチにアーシェを寝かせて、念の為に薄手のタオルケットを亜空間から引っ張り出しアーシェの腹部へと掛けてあげる。


「……暫くは目を覚まさないだろうし、俺は大浴場を満喫させてもらうかな」


 横になっているアーシェの頭を軽く撫でたあと、俺は精神統一も兼ねて大浴場へと戻り一人湯船へ浸かってお風呂を堪能させてもらった。


 ……なんだか精神的にどっと疲れたな。









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 【作者からの一言】


 以上、お風呂回でした!

 次回かそのまた次回でアーシェとの一日は終わりにする予定です。グラファルトやミラの時はなし崩しだったので、こういうのもありかなと思って書きました。今後も本作をよろしくお願いいたします!


 【作者からのお願い】


 ここまでお読みくださりありがとうございます!

 作品のフォロー・★★★での評価など、まだの方は是非よろしくお願いします!

 ご感想もお待ちしております!!


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