第331話 それは、氷が熱で溶け出す様に。④
――あれから数分もしない内に受付の女性(戻って来た時にナルと言う名前だと教えて貰った)は戻って来た。
ただ、ナルさんの話では支配人が来るまでまだ時間が掛かるらしく、是非待っていて欲しいと懇願されて言われるがままに受付場の後ろ……受付場を背にして右側にあるソファやテーブルが置かれた通称リクライニングスペースに座らされて――現在、十分位はソファに腰掛け続けている。
サービスだと言われて出された紅茶やお茶菓子も食べ終わり、帰った後の夕食のことを考えておかわりは止めておいたので何もすることがない。
あと二分くらい経っても何も無かったら、アーシェと相談して帰ろうかな……。
そんな事を考えていると、二人分の足音が俺とアーシェの所へ、背にしていた受付場付近から近づいて来ているのに気が付く。
近づいて来た足音は俺達が腰掛けるソファの右側……俺が座っている隣へ来ると、その足を止めてナルさんとは違う凛とした女性の声が俺とアーシェへと話し掛けて来た。
「アーシエル様、そしてラン様。大変お待たせしました」
「えっと、あなたは?」
「あれ? 何処かで見た事のある様な……もしかして、ユミラスちゃんの眷属の一人かな?」
声の方へと顔を向けると、そこにはパンツタイプの黒いスーツを着こなした茶髪の女性が立って居た。女性の隣ではナルさんが表情を硬くしながらもなんとか笑顔を作って後方に控えている。
多分、この姿勢の正しい女性がナルさんが呼んで来ると言っていた上司の人なのだろう。
どうやらアーシェには見覚えがある様で、アーシェに話し掛けられた女性は優し気に微笑むと俺達に対して一礼してから再び話し始めた。
「アーシエル様の仰る通り、私はユミラス様が眷属の一人――アウラトと申します。現在はユミラス様から命じられて、このホテルの支配人としてプリズテータ大国にとって重要であるお客様の対応を任されている身です。以後お見知りおきを」
「アウラトちゃんだね! う~ん……ユミラスちゃんの眷属ならわたしが知っていてもおかしくないのにな~」
アーシェはそう言うと少しだけ膨れっ面になってしまう。
数年程前から度々プリズテータ大国へと遊びに来ていた様だし、ユミラスの傍に居る眷属の人達の名前を覚えられていなかったのが悔しいのだろう。
「ユミラス様の眷属は人型だけでも五百人は越えますから。アーシエル様の前に姿を現さない者も存在しますし仕方がない事だと具申します。それに、私に関してもアーシエル様が存じ上げないのも仕方がないかと。私はユミラス様の眷属となってから直ぐに王都の様々な場所へ赴いていましたから」
そんなアーシェの表情を見ていたアウラトさんは、少しだけ困ったように笑いながらもアーシェの発言に対して丁寧に返していた。
「むむむ……絶対に全員と会ってやる〜!!」
まだまだ自分が会っていない眷属の人達が居ると知るや否や、アーシェはアウラトさんの前で全員と会うことを誓い出す。
アウラトさんはただただ笑みを浮かべて「皆も喜ぶと思います」と返していた。
さて、盛り上がっているところではあるが、ここに居ても仕方が無いしそろそろ帰らないとな。
正直に言えば、支配人の立場である人がユミラスの眷属であったのは嬉しい誤算ではある。もしかしたら、アーシェが居ることで融通して貰えるかもしれないからだ。
ただ、それは部屋が余っていると言う前提条件がないと成立しない事であり、少なくとも今日泊まる事はできないと思う。
折角だし、先の予定の中で空いている日を聞いて予約だけでもしておこうかな?
今のアーシェはユミラスの眷属に会えたことで少しだけど元気を取り戻している様だし、先に予約を済ませておくことで二回目のお泊まりデートを確定させることが出来る。
少しでもアーシェが喜んでくれるなら、それくらいの事はして起きたいと思った。
勝手に決めたことで後でミラ達には何か言われそうだけど……今回は甘んじて受け入れる事にしよう。
「あの、アウラトさん」
「はい。どうされましたか?」
アーシェと談笑していた所に申し訳ないと思ったが、俺はこのホテルの予約状況を聞く為にアウラトさんへと話し掛けた。
「可能ならで良いんですけど、このホテルの予約状況を教えて貰えたりしませんか? 今日は空いている部屋がないと聞いたので、また後日アーシェと二人で泊まりに来たくて。先の予定の中で空いている日があったら予約をしておきたいんです」
「ラ、ランくん……」
「約束したからな。今度こそちゃんと予約をして、絶対に泊まろう?」
「〜〜うんっ!!」
ちゃんと約束を守ってくれると分かったからか、アーシェは少しだけその綺麗な空色の瞳を潤ませながらも満面の笑みを浮かべて俺の左腕に抱き着いてきた。
あの、アーシェ……アウラトさんとナルさんが見ている前で抱き着くのはやめようか?
見られてる……凄い見られてるから!!
ナルさんは何故が顔を赤くして両手を使って顔を覆うようにして居る。しかし、指の隙間からこっちを見ているのがバレバレなんだよな……。
アウラトさんに関しては隠すことなく堂々と俺達の様子を見てほほ笑みを浮かべていた。
いや、二人とも極端過ぎるだろ!? ちょっと気を使って視線を泳がすくらいはしてくれませんかね!?
とは言え、猫みたいにその柔らかそうな頬を左腕に擦り付けて居るアーシェを引き剥がすのはちょっとなぁ……。
……仕方が無い。
アーシェの事は可愛らしい子猫と思って話を続けることにしよう。
「ええっと……それで、予約状況についてなんですけど……」
「……」
「あの、アウラトさん?」
「…………はっ!? も、申し訳ございません。少々意識が飛びかけていました」
俺が声を掛けても反応が返って来なかったので、アウラトさんの名前を呼んでみると数秒遅れて謝罪の言葉が返って来た。
いや、それって大丈夫なのか?
「あの、体調が悪いとかですか? あれでしたらナルさんに話しておくのでアウラトさんは休んだ方が……」
「い、いえ、お気になさらず。ただ、少し尊……んんっ! 少し、考え事をしたいまして」
「そ、そうですか……」
おい、今ちょっと聞き捨てならない発言をしようとしてなかったかこの人!?
くっ……まだ知り合って間もないから突っ込んでいいものなのかどうか分からない……!!
そして今更ながらに気がついたけど、さっきまでアウラトさんが俺達の様子を見ていた視線に近しいものを……俺はここに来るまでの間に感じた事があった。
というか、アーシェとのデート中は直々感じていたのだ。
え、もしかしてそういう事?
今まで感じていた視線の正体って……ユミラスの眷属の人達のだったのか!?
ひぃ……だとしたら凄い恥ずかしいっ!!
そして怖い!!
この人達どんだけアーシェの事が好きなんだよ!!
この事はユミラスは知っているんだろうか……? 帰ったらちゃんと聞いてみよう。そしてもしも加担していた場合はアーシェに報告しよう。
物事には限度というものがある事を、しっかりと教えなくては……。
その為にも、まずはアウラトさんにホテルの予約状況を聞いて早々に帰る準備をしなくちゃな。
「えっと、それじゃあもう一回言いますね?」
「はい、なんなりと申しつけ下さい。それと、私に対してもこのナルに対しても敬語や敬称は不要ですので、是非アーシエル様とお揃……んんっ!! 同様に、砕けた形でお話していただければと思います」
「…………あ、はい」
は、話しづれぇ……!!
なんかアウラト――と言うか、ユミラスの眷属の人達の
さっきまでは凄く真面に見えていたアウラトだったが、今ではちょっとした狂気を感じる。
別に襲って来るとか、危害を加えて来るとかでは無いんだけど……アーシェが絡むと視線が怖いのだ。
そんなアウラトに戸惑いつつも、本人から許可を貰ったので使いづらい敬語を止めて普通に話す事にする。
「それじゃあ、遠慮なく話させてもらうよ。それで、さっき話した通り今日は泊れないみたいだから今後の空いている何処かの日に予約を入れて置きたいんだけど、出来るかな?」
「はい、もちろんです。当ホテルへのご予約は受け付けております。ただ……その前に少しご相談があるのですが、よろしいでしょうか?」
「相談?」
どうやら予約は問題なく出来るみたいだが、その前にアウラトから相談があるらしい。
一体何だろう?
「実は御二方さえよろしければ、先とは言わずに本日お泊まりになられないかと思いまして」
「え?」
「えっ!? 泊まれるの!?」
アウラトの発言に、抱き着いて甘えていたアーシェも驚きを隠せないでいた。
それもそうだろう。
予約を取ろうと思っていたのも、今日このホテルに泊まる事が出来ないと言われたからなのだから。
「いや、アウラトの申し出は有難いけど、今日は泊まれる部屋は無いってさっきナルが……」
「その件に関しましては私の方から謝罪いたします。実は、ナルが説明していたお部屋と言うのは、あくまで通常のお客様にご案内できるお部屋と貴族・王族をご案内するお部屋がと言う意味であり、重要な御客様をご案内するVIPルームに関しては別なのです。ナルは御二方の接客をしていた際に通常のお客様と判断しただけですので、どうかご容赦下さい」
「も、申し訳ございませんでした……!!」
アウラトが頭を下げると、それに続いてナルも泣きそうな顔をしながら謝罪の言葉を口にして頭を下げて来た。
「いやいや! 謝らなくて大丈夫だよ!! 元々顔を隠していたわたし達にも問題はあるし……ね、ランくん?」
「そうだな。アーシェの言う通り、俺達も自分達の身分を隠していたからナルを責めたりするつもりは無いよ」
「ありがとうございます」
「あ、ありがとうございます!」
俺達が問題ない事を伝えるとアウラトは少しだけ、ナルは盛大に安堵の溜息を吐いてから再び頭を下げた。
「でも、VIPルームなんてあったんだね~?」
「はい、最上級のお客様……主にユミラス様や”六色の魔女”の皆様、そしてそれに準ずる方々にのみ使用が許された特別なお部屋です。私用する際にはユミラス様の許可が必要ですので、滅多に使われる事のないお部屋でもありますね。今回はユミラス様にも確認をとって使用許可を頂いていますので、ご存分に当ホテルをご堪能下さい」
そうして深々と頭を下げるアウラトとそれに続くナルを見た後で視線を左へ移す。
「や、やったぁ~~!!」
そこには瞳をキラキラと輝かせて喜んでいるアーシェの姿があった。
今日は無理だと思っていたから、その分嬉しさも倍以上なのだろう。
「それでは、早速ではありますがVIPルームへとご案内いたします。転移装置を使用しますので、その使い方についてもお教えしますね」
「は~い!! ほら、ランくん!! 早く行こうよ~!!」
「わかったわかった」
先に歩くアウラトに続いてアーシェが俺を引っ張りながら歩き出そうとする。
そうして俺達はまだ受付の仕事があると言うナルに見送られながらも、転移装置があると言う場所へ向かう為にロビーを後にするのだった。
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【作者からのお願い】
ここまでお読みくださりありがとうございます!
作品のフォロー・★★★での評価など、まだの方は是非よろしくお願いします!
ご感想もお待ちしております!!
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