第330話 それは、氷が熱で溶け出す様に。③






「――お客様、大変申し訳ありませんが当宿泊施設……”ホテル~氷の癒し~”は完全予約制となっております。ですので、当日の宿泊予約は受け付けておりません」

「そ、そんなぁ……」


 宿泊施設のロビーにて、フロント担当である黒い事務服を着た年の若そうな女性が俺達に頭を下げながら完全予約制であると告げてきた。


 どうやら、俺の予想がまんまと的中してしまったらしい。

 受付の女性の言葉を受けたアーシェはそれはもう大きくその両肩を落として沈んでしまっている。


「ど、どうしても駄目なの……?」


 だが、それでも諦めきれないのかアーシェは縋るような声で受付の女性へと話し掛けた。


「……大変申し訳ございません」

「……うぅ、ランぐん……ッ」


 最後の希望を打ち砕かれたアーシェはよろよろと後ろに控えていた俺の方へと振り返ると、そのまま俺へ抱き着いてきた。


「だ、大丈夫?」

「だいじょばないぃ……どうしよぅ……」

「うーん……」


 抱き着いてきたアーシェは俺を見上げるようにして俺の目を見つめてくる。空色の瞳には涙が溢れており、今にも大泣きしそうだった。


 折角泊まれると思った場所に泊まれないのは悲しいか……ここは何とかしてあげたいけど、俺に出来ることなんて限られてるからな……。


「あの、お客様……大丈夫ですか?」

「ああ、連れがすみません。このホテルに泊まれるのを凄く楽しみにしていたみたいで……あの、無理を承知でお願いしたいのですが、当日キャンセルになっている部屋への宿泊とかは出来ませんか? 多少割高になってしまっても大丈夫ですので……」

「ッ!?!?」


 ちゃんと丁寧語で話せているかは微妙ではあるが、俺の言いたい事は伝わっただろう。

 現に俺に抱き着いていたアーシェが"それだ!"と言わんばかりに、くわっとフードを被ったまま受付の女性へ顔を向けていた。

 フードを被っているせいで顔は口元しか見えていないが多分キラキラと瞳を輝かせて期待していると思う。


 しかし、そんなアーシェの様子とは裏腹に受付の女性の表情は更に曇り出すのだった。


「そこまで当ホテルへの宿泊をご希望して頂いて大変嬉しい限りなのですが……生憎と本日のキャンセルは一件も入っておらず、お部屋の方も満席となっておりまして……」

「ひ、一部屋も無いの……? この際どんな場所でも良いよ!?」


 二度目の絶望を受け入れられないアーシェが満室と言われても尚、諦めることが出来ずに受付の女性へと早口で話し続ける。


「曰く付きでも何でもいいよ! 何ならわたしが追っ払ってあげる!!」

「……申し訳ございません。当ホテルにはそう言ったお部屋は――」

「だ、だったら本館以外の敷地には!? このホテル? は広いんだし、きっと……」

「……申し訳ございません。本館以外の敷地には大浴場やレクリエーションルームしかございませんので、共有スペースにお客様をお泊めする訳には――」

「うぅ……じゃ、じゃあそれなら――「アーシェ!」――ッ……」


 ヒートアップしてきたアーシェの右肩を掴み、アーシェの体を受付のテーブルから離す。

 俺に名前をよばれた事でアーシェも落ち着きを取り戻したが、それと同時にアーシェのフードで隠れた上半分の顔あたりから透明な液体が顎先へと伝い……ポタリと地面に零れ落ちた。


「ら、らんぐん……だって……だってぇ……」

「……アーシェの気持ちは痛いほどわかるよ」


 ……本当に分かるよ。

 どれくらい楽しみにしていたのか、どれくらい俺に提案するのに勇気が必要だったか、どれくらい今日のデートを大切にしていたのか。

 その気持ちは今日一日を通して、胸焼けするくらいにアーシェから伝わって来ていた。


 だからこそ、こんな結果になってしまって残念だとは思う。


「残念だったな。一緒に泊まるの楽しみにしてたもんな」


 涙を零すアーシェの顔を無理やり自分の胸元へと押し付けて、そのまま左手でアーシェの頭を撫でる。

 すると、アーシェは何も言わずに顔を縦に動かしてから、ぎゅっと俺の背中へと手を回すのだった。


「でも、アーシェだって自分が無茶を言っている事は分かってるだろう? あれ以上受付のの人に言っても部屋が増える訳じゃない。迷惑を掛け続けている事は理解してるよな?」


 なるべく優しくアーシェに話し掛けると、アーシェは俺の言っていることを理解してくれた様で小さく首を縦に振った。


 元々が人に優しい性格をしているアーシェだ。自分が迷惑をかけてしまっていた事くらい冷静になれれば直ぐに理解出来る。


 そして、その後の事についても……ちゃんと理解出来る筈だ。


「それじゃあ、今日の所は受付の人に謝罪をして帰ろう? これ以上ここに居ても、迷惑になるだけだから」

「…………うん」


 まだ鼻声ではあるが、アーシェは頷きながらにちゃんとそう返事をしてくれた。

 俺の背中へ回していた両腕を放して一歩下がると、アーシェは両手で自分の瞳を軽く擦り小さく鼻をすする。


「大丈夫。帰ったらミラ達に相談して、また別の日にお泊まりデートを出来るようにするから。そしたら、今度こそしっかり予約をしてここに泊まろう」

「……本当?」


 そんなアーシェの頭をまた軽く撫でながら、俺は未来の話についてアーシェに語る。

 撫でていた手をどけると、顔を上げて俺を見つめるアーシェ。俺が優しく微笑みながら頷くと、アーシェは小さく笑みを浮かべた。


 まだ完全には立ち直れていない様だけど、今はこれでいいだろう。とりあえず受付の女性に謝罪をしてここから出るのが先決だ。


 もちろん、だからといってアーシェをこのままの状態で放置はしないぞ?

 別邸に戻ってからも、しばらくはアーシェのそばに居るようにして、いつもの元気なアーシェに戻れるまでフォローし続けるつもりだ。


 さて、受付の女性を置き去りにしてしまっているし、これ以上は本当に迷惑になるから早速お暇しようかな。


「あの……あの!」

「は、はい!!」


 アーシェを左隣に立たせた後、受付の女性へ声を掛けたのだが一回目はスルーされてしまった。

 なので、二回目は一回目よりも大きな声で呼んだのだが……何故か震えた声で返事が返ってきた。


 あ、あれ? 怒鳴っているって勘違いされたか?


 なんか、顔も青いような気がするし……とりあえず怒ってないって伝えとこうかな。


「えっと、急に大きな声を出してすみません。聞こえていなかったみたいなので……」

「だ、大丈夫です。お気になさらず……あの、一つだけお伺いしたいのですが」

「はい、なんでしょうか?」


 質問があると言うので待っていると、俺の方を向いていた受付の女性の顔がゆっくりとアーシェの方へとズレていく。あ、俺にじゃなくアーシェにあったのかな?


「あ、あの……私の聞き間違いではないとしましたら、こ、こちらの女性の事を"アーシェ"と……?」

「あぁ、確かに呼びましたね」

「そ、それはこちらの女性の本名でしょうか? もし違うのであれば、宜しければお名前の方をお教え願えますでしょうか?」


 あぁ、そうか。

 俺がアーシェって言っちゃったから、この人はアーシェの正体に気づいたのか。

 うーん……室内だし、もうアーシェが王都にいること自体はバレてるから別にいいとは思うけど、一応アーシェにも確認しないとな。


「アーシェ、こう言ってるけど教えてもいいか?」

「……うん。折角ユミラスちゃんに紹介して貰ったのに迷惑を掛けちゃったから、フードも外してちゃんと謝ろうと思う」


 そう口にしたアーシェは、ゆっくりと両手でフードを掴むと頭から外してその顔をさらけ出した。


 アーシェの姿を確認した瞬間、受付の女性はやや青かった顔を真っ青にしてぶわっと汗をかき始める。


「――アーシエル・レ・プリズデータだよ。今日は予約が必要だったなんて知らずに迷惑を掛けてちゃって……本当にごめんなさい」


 真っ青な受付の女性に対してアーシェが深深とその頭を下げる。

 すると、受付の女性は俺とアーシェから見て右側にあった受付場の出入口からわざわざ出てくると、慌てた様子でアーシェの前に駆け寄った。


「か、顔をお上げください!! あ、あの、少々お待ちいただけますでしょうか!?」

「えっ? で、でも、迷惑になるといけないからもう帰ろうかと……」

「迷惑だなんてとんでもない!! ただいま上司に話をして参りますので、どうかお待ちいただけませんか!? お願い致します……!!」


 アーシェが帰る旨を伝えると、その瞳に涙を浮かべた受付の女性はその場に跪き頭を垂れ始めてしまう。

 受付の女性のその変わりように俺達が困惑していると、黙って見ていた俺達の様子を確認して了承したと判断したのか、受付の女性は脱兎のごとくロビーから姿を消して何処かへ行ってしまった。

 多分、話に出ていた上司を探しに行ったんだと思う。


 このまま帰ろうかとも考えたのだが、あの受付の女性の必死な形相を見た後だとそれもはばかられる。


「ど、どうしよっか……?」

「…………待つしかないんじゃない?」


 結局、俺達は消えた受付の女性が戻ってくるのを待つことを選んだ。


 というか、あの人普通に仕事を放り出しているけど良いのか?


 俺とアーシェの前には誰も居ない受付場があり、内心他のお客さんが来てしまうのではないかとヒヤヒヤしていた。


 まあ、来られても何も出来ないからそうなったら黙って帰るけど。
















 藍とアーシエルが一階のロビーで待たされている頃。

 最上階であるVIPルームの一室……リクライニングルームの点検をしていた一人の女性が、その仕事を終えて廊下へと姿を現す。


「……おや?」

「し、支配人!!」


 女性がリクライニングルームへと続く扉を閉めたタイミングで、最上階の廊下に"転移魔法"による魔力の小さな乱れが発生する。

 その僅かな魔力の乱れに気づいた女性が軽く首を傾げると、廊下の奥からライムグリーンの髪が特徴の女性が走ってくるのだった。


 VIPルームである最上階へと続く転移装置を使うのでは無く、わざわざ"転移魔法"を使ってやって来た女性の行動に最上階の点検をしていた支配人と呼ばれる女性は怪訝な表情を浮かべて、大量の汗をかき呼吸を乱れさせる女性に話し掛ける。


「貴女は確か受付担当の――そう、ナルでしたね? まだ受付終業時間では無いようですが……どうされましたか?」

「た、大変です支配人!! い、いま、下に、下にぃ……!!」

「落ち着きなさい。まずは呼吸を整えるのが先です。話は呼吸が落ち着いてからにしなさい」


 支配人である女性の言葉に藍とアーシエルの受付を担当していた女性――ナルは、自身の乱れた呼吸を落ち着かせて、ゆっくりと事の顛末について支配人である女性へと話し始めた。


 そうして、支配人である女性は現在一階に王都で噂になっていたアーシエルとアーシエルの想い人である藍が来ている事を知ると、すぐさま行動へと移り始める。


「それは大変ですね。分かりました、後のことは支配人である私に任せなさい。ですが、私も確認するべきことやお食事に関してなど準備がありますので、ナルは直ぐに一階へと戻り御二方をロビーに設置されている窓際のリクライニングスペースへとお連れして最上級のおもてなしを」

「か、かしこまりました!!」

「ああ、そうだ。今度はしっかりと転移装置を使って移動しなさい」

「あ……申し訳ございません」


 目の前で魔力を練り始めたナルに対して、支配人である女性はナルの後方にある転移装置へと顔を向けながらそう話す。

 支配人の一言で我に返ったナルは微かに頬を赤らめながらも、自身の失態に気づき謝罪すると慌てた様子で転移装置へと向かい走り出した。


 そんなナルの様子を見守っていた支配人だったが、ナルが無事に転移装置に乗ったのを確認すると後ろへと振り返り直ぐに念話を開始する。


(――ユミラス様、アウラトです。大至急ご確認したい案件が出来ました)


 ホテル〜氷の癒し〜の支配人――アウラトは自身が忠誠を誓う主であるユミラスへと念話をしてある内容についての許可を要請する。


 そうして、ユミラスからの許可が下りたのを確認すると、次はホテル〜氷の癒し〜の料理長へと念話を行い、今日のメニューについての相談を始めるのだった。








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 【作者からのお願い】


 ここまでお読みくださりありがとうございます!

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