第311話 閑話 状態――”???”







 暗い闇の中。

 閉じていた瞳を開けてもそれは変わることなく、耳元では騒がしい声が休む事無く五月蠅いくらいに騒いでいる。


『言われちゃったねェ?』

『家族のように想っていた相手になァ?』

『無様だネェ』


『アハハハハハハハ!!』


 これは幻聴だ。

 消える事のない罪悪感と、殺したと言う事実。それに耐えきれない俺の弱い心が生み出した幻聴であり、本来であれば聞こえる筈のない声。


『我々を殺した残虐なる王よ!! その罪は一生消える事無く貴方様を襲い続ける!! これほど喜ばしい事は無い!!』


 殺した転生者達。

 呪われた魂となった彼ら声は愉快そうに笑いながらもその言葉によって俺を攻撃し続ける。


 嗚呼、これは悪夢の続きなんだ。

 呪われた魂達の残滓……いや、残滓では無いか。彼らは間違いなく、あの魂の回廊にて喰らい尽くしたのだから。


 ならばこれは俺の心の問題。

 未だ罪悪感などと言う生温い感情に押しつぶされ続けている俺への罰なのだ。




――人殺しの癖に。




 あれが……リィシアの本心なのかもしれないな。

 リィシアだけじゃない。

 他の魔女のみんなも、グラファルトも、黒椿も、ファンカレアも、ウルギアも、カミールも、トワも、レヴィラやユミラス、シーラネルだって……俺のしてきた事を知っている人達はみんな、そう思っているのかもしれない。




――同じ地球から来た多くの転生者を殺した癖に……私が人を殺すのは邪魔するんだね。




 リィシア……怒ってたな。


 それはそうだ。

 何も知らなかったとは言え、リィシアの敵討ちを邪魔してしまったんだから。


 ……本当に何も知らなかったんだな、俺は。

 知っているつもりで、深く理解しようとはしていなかった。

 リィシアだけではない、俺の傍に居てくれる者の殆どが数千や数万と言った年月を生きて来た正しく超人と呼ばれる者達だろう。少なくとも、地球にはそんなに長生きな人が居たなんて聞いたことが無い。


 見た目は人と同じではあるが、その内に秘めている力は人から外れていると思う。

 強大な力を手にするみんなはそれぞれが守りたい大切なモノの為に長い年月を戦い続けて来たんだ。


 俺と何ら変わらない見た目、穏やかな性格。

 みんなの優しさに甘えていた結果……俺は知らず知らず内に忘れてしまっていたんだ。

 この世界の不条理を、甘えなど通用しない過酷な場所であることを。


 果たして俺は……そんな世界で生きて行けるのだろうか?




『――人殺しの罪人よ!! 我々と共に堕ちるのだ!!』

『――深淵の闇へと!! さあ、共に行こうぞ……死への一歩を踏み出せ!!』




 本当にこの悪夢には嫌気がさす。

 何度も自分に言い聞かせ来た。


 あれは仕方が無かった。

 ああするしかなかった。

 そもそも世界を滅ぼそうとしたお前達が悪い。


 呪われた魂達を葬り去ってから毎日見る悪夢に、悪夢に怯える自分に、そう言い聞かせ続けて来た。


 でも、何度も言い聞かせても染みついた記憶はトラウマの様に心を蝕み続ける。


 この悪夢に終わりは来るのだろうか?

 俺の心が真に休まる日は来るのだろうか?


 俺は……間違っていたのだろうか……。









「――戯け。間違っている訳がなかろう」




 …………誰だ?


 悪夢の中で聞いてきた声とは違う。

 あの複数人の老若男女が入り交じった様な不快で不気味な声ではない。

 その言葉の端々に堂々たる覇気を纏い、ハッキリと俺の言葉を否定する声。


『邪魔者……?』

『誰だ、お前は……!!』


『我々の邪魔をするなァァァ!!』


「ふむ……そなたのトラウマは随分と深くまで根付いて居るようだな。だが、今は余とそなたの時間だ……"去ね"」


 突如として聞こえ出した声がそう言うとあれほど騒がしかった不気味な声が一斉に聞こえなくなり、暗闇の世界に静寂が訪れる。


 俺が突如として訪れた静寂に戸惑っていると、堂々たる強い覇気を纏った声は同情する様に話しかけてきた。


「こんなものか、それにしても憐れだな。戦いを知らぬ世界から突如として送られ、その心が成熟しきる前に多勢の生殺与奪を握る立場になろうとは……余がその立場に立たされたらと考えるだけでもゾッとする」


 そう話す声音は……何処と無く俺に似ていた。

 でも、似ているだけで正確には違う。

 俺の声よりも少し高い……いや、幼いのか。

 その口調や雰囲気は違うけれど、まるで子供の頃の自分に話しかけられているような感覚に陥り思わず笑がこぼれる。


「うむ、笑う事は良い事だ。身近に居る者達が笑顔で居ると……余も不思議と心が穏やかになっていた。そなたも同じではないか?」


 そうだ。

 俺は家族の笑顔を見るのが好きだ。

 それは地球でもフィエリティーゼでも変わらない。


「ならば何故、憂う? 何故、そなたは選んだ道を間違っていたなどと考える?」


 それは……人が死ぬのを見るのが、辛いから。


 俺は人の死に慣れていない。

 地球では、最後のあの瞬間まで往生した人の死にしか触れてこなかった。

 死んだという事実を知っただけで悲しくなるのに、自分の手で殺めるなんて……考えられなかった。


「甘いな。そなたの考えは甘すぎる。世界が変われば常識も変わるのだ」


 それはリィシアとの一件で痛いほど身に染みたよ……。


「ならば変わるのだ。周囲を変えるのではなくそなたが変われ」


 変わろうと思っても、俺はこの罪悪感を捨て去る事は出来ないと思う。俺が転生者達を殺した事実も消えない……もう、変われない。


「戯けが!」


 より強い覇気が込められた声で一喝されると同時に、俺は頭に激痛を感じた。


 …………痛み?


「痛みがあって当然だ。余がそなたの頭を殴ったのだからな」


 いや、そうじゃなくて……俺は痛みを感じない筈で……。


「ここはそなたの意識のみをすくい取り、魂から隔絶させた余の空間だ。ここではそなたは余に招かれた立場であり、全ての決定権は余にある。余が痛みを感じろと願えばそなたは痛みを感じるようになるのだ。まあ、限られた条件下で制限も多い故に出来ない事の方が多いがな」


 ……お前は本当に何者なんだ?


「余か……余は、亡霊だ」


 亡霊?


「そうだ。既に死を迎えた魂の亡霊だ。そなたが生まれた時……いや、その遥か昔からそなたとの縁を結んでいただけの存在だ」


 ……さ、さっぱり分からん。


「まあ、今はそれで良い。さて、そんな事よりもそなたの事だ。そなたは何も理解していない様だな」


 理解していない?

 それはリィシアの事か? それとも世界の常識についてか?

 だったらお前の言う通りだよ。


 俺は何も理解していなかった。

 だからこそリィシアに怒られたんだからな。


「違う、そうでは無い。そなたが理解していないのは――そなた自身についてだ」


 俺自身について?


「そうだ。そなたはそなた自身を恐れているのだ。罪悪感やトラウマなどで隠そうとするくらいに……自身の奥底に眠る本性を恐れている」


 い、いや、一体何を言って……。


「もう逃げるのはやめろ。そなたはとっくに理解している筈だ。成熟しきれなかったが故に生み出してしまった二面性は……もう必要ないだろう」


 その声を聞く度に、この場から逃げ出したいと思う自分が居る。

 逃げようとして、抗って、耳を塞ごうとした。


 【漆黒の略奪者】!! 【改変】!!


 何度も救われてきたスキルの名前を叫ぶが、全く反応を示すことなく無慈悲にも俺の声は届かない。




 ――状態"???"が発動中です。スキルの使用は出来ません――




 返ってきたのはそんな無機質な声のみだった。


 そうして必死に抵抗を続けるさなか、何かが体の奥から溢れ出てくる様な感じがする。

 不思議とそれは嫌な感じがしなくて……溢れて来れば来るほどに精神が安らぐように感じるが逆にそれが怖くも思えた。


「大丈夫だ、恐れることは無い。そなたは元に戻るだけなのだから」


 元に、戻る……?


「――思い出せ。そなたが妹君を救った時の光景を」


 雫を救った時……あの時は、確か紛争に巻き込まれて……。


「そうだ。前日までは綺麗であった街並みは崩壊し、人々は倒れ痛みに苦しんでいた。そなたはその時、どのように行動したのだ?」


 ッ……そうだ、俺はあの時……雫を探すことを選んだんだ。




――瓦礫に埋もれた誰かが、俺へと差し伸ばした手を無視して。




 妹が心配だった。

 家族を守る事で手一杯だった。

 家族を守る為ならば、全てを捨てる覚悟があったんだ。


 雫を探す為に動き回り、その度に助けを求める人達を目にして……俺は見捨てる事を選択した。


「力が無かった。全てを守る事は不可能であった。それは理解しているのだろう?」


 でも、あの時の選択が正しかったのかは……思い出した今となってはもう分からないな。

 強大な力を持った今でさえ、全てを守れていないのだから。


「……そなたは知ってしまった。全てを救える者など存在しないのだと。そうしてそなたに怯えが生まれたのだ。穢れた魂によって味わった苦痛がよっぽど応えたのだろう。そなたは自らが手を掛けた者達に罪悪感を覚え、生命の死に関して臆病になったのだ」


 ……何となくだけど、そんな気はしてたんだ。


 リィシアがクォンって人を殺そうとした瞬間、咄嗟に体が動いていた。

 どうして邪魔をするのかと聞かれた時、どうしてだろうなんて言ったのもそれが原因だ。

 グラファルトが駆け付けて、誰も死人が出なかった時は心から安堵していた。


 その時に、俺は自分が人の死に恐怖していることを知ったんだ。


「そなたは無理にでも作ろうとしたのだ。全てを救える結末を。だが、それは本当に救えていると言えるのか? そなたが家族のように思っていると言うあの小さな娘の心は……とても救われている様には見えないがな」


 痛いところを突いてくるな……。


「当然だ。余はそなたを責めているのだからな」


 …………。


「……目を覚ませ。そなたは何がしたいのだ」


 俺の、したいこと……。


 それはみんなが笑顔で……いや、全てを守れる……あれ、俺は……。


「迷うな!! そなたは家族を守りたいのだろう!?」


 ッ……。


「そなたにとっての家族とは誰だ!? そなたが戦う理由は何だ!? さっさと思い出せ!!」


 俺にとっての家族は――。




――藍くん!


 初めて一目惚れをした。

 その優しさと慈悲深い心に惹かれた。

 そして、君の笑顔を守りたいと思った。


――藍。


 始めは唯の好奇心だった。

 揶揄うように触れ合ううちに、徐々に君に惹かれていた。

 君の心の闇を知って、いつしか君を幸せにしたいと思っていた。


――藍!


 初恋の相手だった。

 再会した事も嬉しかったけど、ずっと俺の傍に居てくれていたと言うその事実が何よりも嬉しかった。

 そんな君と、ずっと一緒に居たいと思えた。


――藍。


 最初は唯々むかついた。

 家族から託された願いを忘れてしまった君に苛立ちを覚えていた。

 だけど、俺達が互いを理解し合う関係になるまでに時間は掛からなかった。

 きっと似ていたからだと思う。

 似た者同士、共に支え合える関係でありたいと思い――そして俺達は共命者になった。




 四人は妻となった。

 最初に思い浮かんだのは妻である四人の顔。

 そしてその次にフィオラ、ロゼ、アーシェ、ライナ、リィシア、ウルギア、カミール、レヴィラにユミラス……話をして、仲良くなって、大切に想える存在……。


 フィエリティーゼに転生してから、こんなにも多くの人と出会ってたんだな……。


「全てを守るのは不可能だ。ならばせめて大切な者達だけでも守れるようにすればいい!! 恐れるのは”大切な者達の死”だけにしろ!!」


 全てを守る事は不可能か……。

 もし全てを守る為に行動して、その結果大切な人達が傷つく事になったりしたら……俺はきっと耐えられない。


「ならば、そなたはどうするのだ?」


 俺は……もう、逃げたりしない。


 大切な人達を守る為に、自分が選んだ道を悔やんだりしない。


「そうだ。それでこそ余の……余の、認めた男だ」


 色々と教えてくれてありがとう。

 でも、結局お前が誰なのかについては話してくれないのか?


「……無理だな。話したところでこの空間で余の言葉は忘れてしまうだろう。そう言う風に作られているのだ。余に関する記憶だけが抜け落ち、目が覚めた時にはそなたは暗闇の中で自問自答を繰り返していたと言う認識になる様になっている」


 んー?

 よくわからないけど、それなら別に教えてくれてもいいんじゃないか?

 どうせ忘れるんだから、話したところで何も変わらないんだろう?


「どうせ忘れるであろう話をする必要はないだろう。ただ、余はそなたに思い出して欲しかっただけだ。家族の大切さを、共に笑い合える日々がどれほどに美しい宝であるのかを、そして……大切な者を守る為に、全てを背負う覚悟が必要だと言う事を」


 今までの覇気の込められた声ではない。

 それは何処か懐かしむ様に、そして寂しそうに感じる声音だ。


「もう、忘れるな。大切な者達を守れるくらいに強くなれ。余は、それが出来なかった……」


 涙を堪える様な声に、思わず俺は息を呑む。

 そしてそれ以上の会話が生まれる事無く……俺は突然に襲ってきた眩暈に抗えず、倒れる様にして意識を失った。


 意識を失う直前に、最後に聞こえた声。

 その声を聞いた俺は、倒れる様な感覚に陥る中……何故だか悲しくて涙が止まらなかった。




「――なあ、ウルスラギア。余は、そなたの幸せを……」




 ――落星の女神……ウルスラギア。

 彼女と声の主は、一体どんな関係だったんだろうか。


 目が覚めても覚えていたら、ウルギアに聞いてみよう。






















 目が覚めた藍は、この時の記憶を覚えてはいなかった。

 ただ、寝かされて居たベッドから上体を起こした藍の瞳には涙が溢れており、藍はその涙の理由を思い出せないが……その胸を苦しめる悲しみだけはしっかりと感じられていたのだった。


 目が覚めた藍が涙を流し出したことで、藍を看病していたアーシエルがその姿を見て驚いてしまったのは……言うまでもない。










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 【作者からのお願い】


 ここまでお読みくださりありがとうございます!

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