第277話 療養の旅





 一悶着はあったが、楽しく賑やかに過ごせた夕食後。

 地下の訓練場に来るようにと言われた俺は、風呂上がりの為濡れたままの髪を雑に片手で拭い首元にタオルを掛けたまま転移装置へと向かう。


 地下に転移すると、そこには呼び出した本人であるミラの他にもアーシェやグラファルトと言った面々が居た。

 三人は丸いテーブルを囲んで居て、俺が来たことに気づいたミラが四つある椅子の内の一つへと促してくる。


 席に着いて早々、正面に座るミラから紅茶を貰い、俺は訓練場へと呼ばれた理由について説明された。



 ………………


「――以上が、私達が昼に話していた内容の全てよ」


 ミラの説明を最後まで聞き終えた後、俺は手元に置いてあるカップに口をつける。


「……そっか」


 全ての話を聞いた後で出た言葉は、たった一言だった。

 

 俺の体に関する以上、その概要をミラに説明されはしたが……いまいち実感がわかないと言うのが本心だ。

 でも、実際に俺と訓練をしていたグラファルトが言うのだから間違いないのだろう。


「自分では気づかなかったのか?」


 俺から見て右側に座っているグラファルトが首を傾げながらそう聞いて来る。

 うーん……。


「てっきり、フィオラが結界に細工をしてくれてたのかなって思ってた。俺は病み上がりみたいなものだったから、どれだけ怪我をしても痛みを感じないようにしてくれたんだと……」

「栄光の奴に聞いたが、普段のものと同じだと思うぞ?」

「そうね……念の為に後で確認はするけれど、昼頃に籃の話をした時は驚いていたし、結界の説明をしてくれた時にも痛みを軽減する効果については話していなかったわ」


 という事は、やっぱり俺の体がおかしいのか……。


 試しに左手で右腕に触れてみる。

 ……うん、右腕に何かが触れる感覚はあるな。


 次は左手で自分の左頬を軽く抓る。

 ……頬が引っ張られる感覚はあるけど、痛みを感じることは無い。


 じゃあ、もっと強く――抓る前に三人に止められた。


「ランくん!! ほっぺ赤くなってる!!」

「いい加減にしなさい!」

「やめんか、阿呆!」


 どうやら自分で思っているよりも強く抓っていたらしい。

 慌てた様子でアーシェが抓っていた左頬に”回復魔法”を掛け始めた。


「はぁ……今の一連のやり取りで確信したわ。本当に痛みを感じていないのね?」

「……そうみたい」


 呆れた様に話すミラに、俺は苦笑する事しか出来ない。

 自分の顔を見た訳じゃないから正確には分からないけど、アーシェの慌てようからして抓る力が過分に加えられていたと推測できる。


「「「……」」」


 苦笑する俺を見て、三人は何とも言えない表情をする。

 他人事のように聞こえたかもしれないけど、こればっかりは許して欲しい。

 だって、自分では自覚する事が出来ないし、それがどれくらい危険な事なのかは何となく理解できるけど……実害が出た訳でも無い。


 右腕の件もあるし、俺としては自覚症状のない体の異常が一つ増えたと言われた、それだけの事なんだよなぁ……。


 その事を伝えると、三人の表情は更に曇る。

 うん……言わない方が良かったかもしれない。


「藍、この際だからはっきり言うわ。あなたはもう少し、自分の事を大切にしなさい」

「自分を大切に……?」

「あなたが大切に想っているモノの中に、片隅にでも良いから自分を含めるのよ。今までのやり方を続けていくようであれば……私はこの身を懸けてでも、あなたの行動を止めるわ」


 そう語り掛けるミラの瞳には迷いが無い。

 その紫黒の瞳で真っ直ぐに俺を見つめている。

 しばらくの間そうして見つめられ続けたが、次第にその表情を和らげたミラは一呼吸置いてから話を再開した。


「……あなたが家族を大切にしている事も知っているわ。この家で共に暮らす私たちの事を家族の様に想っていてくれているのも知ってる。でもね、それはあなただけじゃなくて、私達も同じなのよ?」

「……」

「あなたも気づいているのでしょう? グラファルトやファンカレア、黒椿や私だけじゃなくて……他のみんなもあなたの事を少なからず想っている事に」


 ……うん。

 気づいてたよ。

 だからこそ、俺は……。


「――ランくん」

「……アーシェ?」


 握りこぶしを作った左手に、アーシェの右手が触れる。

 下から支える様に触れるアーシェの右手、その上から今度はアーシェの左手が乗せられて俺の左手はアーシェの両手に包み込まれた。


「もうね、ランくんは一人で戦わなくて良いんだよ? ミラ姉も、グラちゃんも、わたしもみんなも、ランくんが一人で戦う事なんて望んでないよ……」

「……俺は、みんなを」

「わかってる。ランくんがわたし達を守ろうとしてくれている事は良くわかってる。でもね、ミラ姉も言ってたけどそれはわたし達も同じなんだよ?」


 左手を包み込むアーシェの両手の力が強くなる。

 俺の事を見つめるアーシェは悲し気に微笑みながら俺に語り続けた。


「ランくんが傷つくと、わたし達も痛いの……ランくんが苦しむと、わたし達も苦しいの……ランくんが悲しいと、わたし達も悲しいんだよ……? だって、わたし達にとってランくんは――大切な家族なんだから」

「ッ……」

「だから、これからは一緒に戦わせてね? 家族のわたし達に嘘は吐かないでね? ランくんは一人じゃない……ランくんに守りたい家族が居る様に、わたし達にもランくんって言う守りたい家族が居るんだから」


 ああ、それはずるい。

 そんな泣きそうな顔で、そんな事を言われたら……。


「――わかった」


 そう返すしか、ないじゃないか。


「心配掛けてごめん。もし次に何か戦う様な事があったとしたら、その時はちゃんとみんなに相談する。約束するよ」

「ッ……うん!! 約束だよ?」


 その瞳に涙を溜めながらも俺の言葉に笑顔を浮かべたアーシェは左手の小指だけを立てて俺の方へと突き出して来た。

 俺は突き出されたアーシェの左手を見て笑みを溢した後、同じく左手の小指だけを立てて、アーシェの左手の小指と自分の左手の小指を絡める。


「約束するよ。これからは、何か重大な決断をする時は家族に相談してからにする。もう、勝手に行動する事は…………なるべく控える」

「ええ!? そこは確約して欲しいなぁ……」

「…………善処する」

「ランくん~!!」


 いや、勝手に行動する事はあるかもしれないから、それは許して欲しい……。

 アーシェの声が訓練場に響き渡り、その声にミラとグラファルトが笑みを溢す。


 暗かった雰囲気はがらりと変わり、頬を膨らませているアーシェも目尻を下げて楽し気だ。

 こんな風に楽しい時間を失わない為にも、約束はしっかり守ろうと思う。
















「――療養の為の旅行?」


 あの後、しばらくは戦闘訓練は禁止と言い渡されて、それに納得した俺は訓練場でミラ達三人と共にテーブルを囲み紅茶を飲んでいた。


 今後の話をするという前置きの後にミラから言われたのが、俺の療養を兼ねた旅行の提案だった。


「ええ、藍の体に起こっている異常が精神的なものなのか、それとも別の何かが要因なのかは分からないけれど、あなたが無茶をしたことに変わりはないわ。その肉体と精神を休める為にも、療養は大切よ」

「外に出れるのは嬉しいけど……今の俺が外に出て大丈夫なのか?」

「大丈夫よ。一応念の為に私たち全員で行くし、いざとなったら神界へ転移するから。ファンカレアも了承してるわ」


 紅茶を飲みながらも問題ないと告げるミラに、俺は小さく唸る。

 そんな俺を見て、ミラは怪訝そうにしながら口を開いた。


「なに? 気になることでもあるの?」

「いや、なんか今までは駄目駄目と言われ続けてたから、こうも簡単に外に出る許可を貰えると……裏があるんじゃないかって疑っちゃって」


 苦笑混じりにそう答えると、ミラは「そういう事ね」と溜息をついてから、紅茶をテーブルへと戻して話し始めた。


「何度も言ったけど、今まで駄目だったのはあなたの魔力に反応してこの世界の人々が恐怖する可能性があったからよ。その検証はアルス村の時に済んでいるし、今回は暴走して世界中に高密度の魔力をばらまいた訳では無いのだから問題ないわ」

「な、なるほど……」


 「おわかり?」とジト目で睨んでくるミラに、苦笑を浮かべながら左手を軽くあげる。


「それと、今回の旅行はシーラネルの誕生日会の予行練習も兼ねているのよ。シーラネルの誕生日会では、会議室を貸し切るとは言え王宮へと向かうことになるから、エルヴィスの王宮へ行く前に他の国で肩慣らしってところね。ちなみに明後日から23日までの予定よ」

「あれ、という事は今回の旅行の行先はエルヴィスじゃないのか?」


 てっきりエルヴィス大国なのかと思ってた。


「あぁ、そう言えば場所を伝え忘れてたわね。場所に関しては――ふふ、一番詳しい人に任せましょうか」

「一番詳しい人?」


 含みのある笑みを浮かべるミラの視線は俺から見て左側へと向けられている。その視線を追うように左へ顔を向けると……そこには、少しだけ頬を赤らめて俯くアーシェの姿があった。


 ん? という事は、今回の旅行の目的地って……。


「もしかして、アーシェの国――プリズデータ大国なのか?」

「ッ……う、うん! わたしがみんなにお願いして、プリズデータに決まったの……」

「アーシェがお願いして?」


 いつもはみんなの意見を聞いて、自分よりも他の人の気持ちを尊重していたアーシェにしては珍しい……。

 そう思って首を傾げていると、アーシェの顔が更に赤くなる。


「うぅ……」

「えっと……?」

「クククッ……藍、お前はアーシェとある約束をしたそうではないか」

「グ、グラちゃん!!」


 顔を赤くして俯くアーシェを見ていると、アーシェとは反対の席に座るグラファルトが楽し気に笑いながら話し掛けて来た。しかし、グラファルトに返事を返す前に顔を上げたアーシェがその頬を赤く染めたままグラファルトの名前を叫ぶ。

 そんなアーシェを様子を見ながらも、グラファルトはニヤニヤとした笑みを隠すこと無く見せながら話し続けた。


「確か……”無事に帰って来たら、二人でデートをしよう”だったか?」

「~~ッ!!」

「まあ、そう言う事だ。アーシェはお前とのデートを楽しみにしていたのだ。そして、その場所として自らの故郷――プリズデータを選んだという訳だ」


 顔を真っ赤にしてその瞳に涙を浮かべたアーシェは、あわあわと両手を忙しなく動かして視線を左右へと彷徨わせる。

 アーシェがオロオロとしている間も、グラファルトの声が止むことは無かった。


 そう言えば、アーシェとはデートの約束をしたままだったな……。


 そんな事を考えながらアーシェを見ると、視線を彷徨わせていたアーシェと視線が合った。


「ッ……うぅ……」

「えっと、グラファルトの言っている事は本当?」

「…………うん」


 念の為にと思ってアーシェに聞いてみると、ハーフパンツを両手で握りながらもアーシェは小さく頷いて答えてくれた。


「もちろん、ランくんの治療が最優先だけど……その……ランくんが、良かったら、わ、わたしと……」


 瞳を閉じて、一生懸命に話すアーシェは微かに震えていた。

 アーシェは基本的に明るくて活発な性格だけど、こと恋愛においては恥ずかしがり屋で臆病らしい。

 多分、いま俺に対してデートのお誘いをするのにも凄く勇気を振り絞ってくれているんだと思った。


 だから、一生懸命に頑張ってくれたアーシェに対する答えは、自然と決まってしまう。

 震えるアーシェの瑠璃色の頭に左手を置き、俺は笑みを浮かべて口を開いた。


「うん。俺も、アーシェとデートがしたいな」

「ッ!?!?」


 俺がそう言うと、アーシェはその目を見開き驚きを露わにする。その口元には笑みが浮かび、涙を浮かべた空色の瞳はキラキラと光っている様に見えた。


「ほ、本当に!? わたしと、デートしてくれるの!?」

「もちろん。約束って言うのもあるけど、それが無かったとしてもこんなに一生懸命で可愛い女の子の誘いを断るようなことはしないよ」

「そ、そっか……そっかそっか!! えへへっ」


 優しくアーシェの頭を撫でると、嬉しそうな声がアーシェから漏れる。

 デートする事が決まったのがよっぽど嬉しいのか、アーシェは座ったまま両足をバタつかせて忙しなく動かしていた。


 そんな俺達の様子を見ていたミラが咳払いを一つする。

 俺がミラへと視線を向けると、やれやれと言った風に苦笑を浮かべたミラが俺とアーシェを見ていた。


「はいはい、それじゃあ話は纏まったって事で良いわね?」

「あ、ああ……俺は特に問題ない」

「アーシェも、予定通りって事で良いわね? 私達も全員行くことになるから大所帯になってしまうけれど……」

「う、うん!! 大丈夫だよ!! もう向こう連絡してあるから!」


 ミラの問いに俺とアーシェが返事をすると、納得したように頷いてミラは再び口を開いた。


「それじゃあ、明日の内に旅行の準備は済ませて明後日にはみんなでプリズデータへと向かいましょう」

「安心しろアーシェ、ちゃんと一日か二日くらいはお前と藍だけの時間を作る予定だ。その間にしっかりと藍との仲を――」

「グ、グラちゃん!! 余計なこと言わないでぇ~」


 ニヤニヤと笑みを浮かべたグラファルトに、アーシェが顔を赤らめながら席を立って抗議する。

 そんなアーシェから逃げる様にグラファルトも席を立ち、訓練場にて鬼ごっこが始まった。


 さて、いきなり決まったプリズデータ大国への旅行。

 知らない土地へ向かう事に多少の懸念はあるものの、アーシェの故郷という事もあってそこまで心配はしていない。


 目的としては心身共に休める事だけど……楽しみだなぁ。












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【作者からの一言】


 という訳で、プリズデータ大国へ!!

 そして、アーシェとの関係性も進展しそうですね……。

 次回はプリズデータ大国という事で、欠かせないあの人物が登場します!


 【作者からのお願い】


 ここまでお読みくださりありがとうございます!

 作品のフォロー・★★★での評価など、まだの方は是非よろしくお願いします!

 ご感想もお待ちしております!!


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