第252話 『精神世界』 この魂、穢れようとも。





 あれから


 いや、もしかしたら一年が過ぎているのかもしれない……みんなと別れてから、どれくらいの時間が経過したんだろうか。


 分からない。

 でも、長い長い月日が流れている事は間違いない筈だ。



 だって、みんなと別れたあの頃の記憶が……こんなにも薄れているのだから。



「……みんなは、ちゃんと無事なんだろうか?」


 考えるのは、いつも傍に居てくれたみんなの事だった。

 

 俺の名前を呼んでくれて、いつも賑やかで、毎日が幸せだった……あの日々の事。


 それは、紛うことなき現実で…………。



――それは、本当に現実か?



「ッ……!?」



 何だ……。

 いまのは……俺か……?



――それは、本当に現実か?



「ッ……現実だ!! この思い出は現実のものだ!!」



――それじゃあ、思い出してみて?



 そんなの、簡単に決まっている。

 この世界にやって来てから、俺は沢山の出会いをして、来たんだ……。



――楽しかった?



 色んな人達と出会って、目まぐるしく変わり行く毎日は、本当に楽しかった。



――でも、それは本当に貴方の記憶なのでしょうか?



 俺の記憶だ。

 自分自身で歩いてきた日々の記憶。

 忘れることのない、記憶……。



――じゃあ、どうしてお兄さんは、そんなに怯えているの?



「ッ……」



――怖いんだろう? もしかしたら、全てが虚像だったのではと……お前はそう思っているんだ。



「違う!! 俺には頼りになる仲間が居る!! 大切な家族が居る!! 愛する恋人達が居る!!」



――本当にそうか? そう思い込んでいただけではないか?



「適当な事を言うな!! お前達は呪いなんだ……今すぐに改変してやる……ッ!!」



 ずっと聞こえ続ける老若男女の声。

 どこか安心してしまいそうになる感情を抑えて、俺は【改変】で呪われた魂をまた一つ消し去った。



――酷いなぁ……俺達はお前と同じく地球からやって来た転生者なのに。



「だが、お前達は道を誤った。世界を混乱の渦へと陥れたんだ……罪は償わないと……」



――私たちは、本当に悪なのかな?



「お前達は悪だ」



――本当にそう言いきれるのか? 俺達の事を何も知らない癖に。



「ッ……それは……」



――それじゃあ、教えてあげるよ……わたしたちのぉ……全てをぉ!!



 それは、今までとは違う不気味な声。

 まとわりつく様なその声が止んですぐに、身体中が激痛に襲われた。


 それは、ムチで身体中を叩かれるような痛み。痛みが電流のように身体中に走る度に呼吸が止まりそうになり、精神をへし折られる様な感覚に陥る。


 それは、指を一本ずつへし折られる様な痛み。指が折られた瞬間に、言葉にならない叫び声上げて涙を流した。


 それは、身体中を焼かれるような痛み。火傷なんて比にならないその熱さと痛みに悶絶し焼けた肉の匂いがしたような気がした。






 それは、それは、それは、それは、それは…………。






 痛み、痛み、痛み、痛み、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いッ!!







 終わることの無い苦痛に、精神が狂いそうになる……。

 気のせいか分からないが、痛みが襲いかかる度に、俺とは違う誰かの叫びが聞こえた気がした。



 あぁ……そうか……これは、記憶だ。



 呪われた魂の……同胞である転生者たちの記憶。


 ある者は、悪趣味な貴族の手に掛かり拷問された。

 ある者は、盗賊に襲われ身ぐるみを剥がされ辱められた。

 ある者は、魔道具の実験と称して非人道的な人体実験を繰り返された。


 そうして、この世界の不条理に晒された転生者達は皆、その胸に憎悪を抱き――死祀の王の下で女神への復讐を誓ったのだ。



――本当に、私たちが悪いの?



「……」



――俺達だけが、悪なのか?



「……」



――この魂に刻まれた痛みは、例え体の治療を終えても癒えはしない。そんな我ら死祀には……女神への復讐しか救いの道は残されていなかったのだ。



 聞き覚えのある声、それは……あの日、処刑台で殺した死祀の王の声だ。



――貴様はそんな同胞たちを殺した。



「……仕方がなかったッ」



――その身に深い傷を負った同胞たちを、意図も容易く殺したのだ。



「俺は、ただ……世界を守る為に――」



――人殺し。



「ぅあ……ッ」



――人殺し――人殺しめ――人殺しだ――殺人者め――殺人犯だ――同胞殺し――人殺し……。



 やめろ……頼むから……やめてくれ……俺は……俺は……世界を……。



――貴様は世界を救う為などと大義名分を掲げて、同じ転生者を殺したのだ。



「ああああああああぁぁぁ……!?!?!」



 まるで行き場のない憎悪を俺へぶつける様に、その声は何度も俺を責め続け同時に拷問の様な激しい痛みに襲われた。

 



























 それは、まだ制空藍が一人になってから魂の回廊の深淵にて。

 その左手に漆黒の長剣を握りながら、藍は呪いによってその精神を蝕まれていた。


 呪われた魂に関して、藍だけではなく全員が勘違いしている事がある。

 それは、呪われた魂の浸食速度についてだ。


 プレデターが長い年月を耐え続けていた事を知った藍は、自分でも数年は耐える事が出来ると勘違いをしていた。

 だからこそ、自らが犠牲になり長い年月を掛けて呪われた魂を【改変】していくと言う選択肢を選ぶことが出来たのだ。


 それは藍以外の全員も同じであり、藍から話を聞いていたファンカレア達はもちろんの事、実際にその場に居た黒椿やウルギア……そして当事者であるプレデターですらもが勘違いをしていた。


 呪いの力は確かに強力ではあるが、【精神汚染耐性S】がある藍なら大丈夫だと……勘違いをしていたのだ。


 しかし、何度も言うがそれは藍達の勘違いである。

 本来の対象ではないプレデターであったからこそ呪いによる浸食速度はゆっくりとしたものであったが、恨みの対象である藍は違う。


 数年の時を経て待ちに待った恨みの相手を見つけた魂たちは、藍の魂へ容赦なく攻撃を仕掛けた。

 藍が時間の感覚を失ったのも、記憶の混濁を起こしているのも、全ては呪いが藍の魂を浸食している影響である。


 この数時間の内に藍は抱えきれない程の苦痛を味わい、現実との区別が全くつかない状況にまで陥っていた。


 痛みは精神にまで作用して、藍の魂を着実に壊し続けている。


 そして、魂の回廊の深淵で結界を張り続けている藍は――


「…………あは」


 その魂の制御を呪いによって奪われつつあった。


「くひひ……あはははは!!!! 全く以て馬鹿だ。愚かだ。アホだな!! 自分一人でなんでも出来ると勘違いしている愚か者が、ここに居る……くくく……実に愉快だなぁ」


 その右腕で顔を覆い、藍は狂った様に笑いだす。

 いや、その器は確かに藍ではあるが、その口を開き声を上げているのは藍ではない。

 精神の狭間で終わる事のない苦痛を味わい続けている藍に代わり、改変しきれていない数百もの呪いが藍の器を求めて操り始めたのだ。


「あ~でも、これで作戦の第一段階は完了だな――そうね。もう少しで完全にこの魂を奪える筈よ――そうすれば、我らの宿願……女神への復讐は完了するッ!!」


 まるで多重人格者の様にその口調と声音をコロコロと変えて話し続ける藍は、歪んだ笑みを浮かべた直後、忌々しそうに左腕を睨み付けた。


「チッ……やっぱり動かねぇなぁ――ん? あぁ、その忌々しい左腕の事か――原因はやっぱり握っている剣かしら?――だろうな。どれだけこの男の精神を痛めつけても、その剣を握る左腕だけは全く制御が効かない――それだけじゃねぇだろ? 器を動かすことは出来たが、この男が使っているスキル・魔力に関しては全く動かせねぇ――……私たちが受けた拷問を延々と味わわせているのに……化物」


 何人もの人格が代わる代わる藍の魂を操りその口を開く。

 その誰もに共通しているのが、忌々しそうに藍の左腕を睨み付けている事だった。

 忙しなく動く右腕とは違い、漆黒の長剣が握られている左腕は力無く地面を向いて下げられている。


 決して動く事のない左腕に全ての人格が苛立ち恨みの込められた視線を送る中、唐突に藍の口元がにんまりと笑みを浮かべてその人格が変わった。


「ねぇ……でも、右腕は動くんでしょう? そして、私たちは早い所この子の心を粉々に砕きたいと……――ああ、そうだ。何か策があるのか?――簡単よぉ……この子の希望を全て砕けばいいじゃない。そうね、手始めに指輪なんてどう?」


 そうして、不気味な笑みを浮かべた藍は視線を左手の薬指へと向けた。そこには薄暗いこの場でもその煌めきを失う事のない結婚指輪がはめられており、それは藍にとっての希望でもあった。


「この子にとって、その指輪は大切な者なんでしょう? 痛みや苦痛を受けている今でも、この瞳に映る映像を見ることは出来る――なるほどな、動かせる右腕を使い、この男が見ている所で指輪を壊すと言う事か。随分と悪趣味な――だってぇ~むかつくじゃない? わたしたちは異世界でこんなに苦しんでいるのに、どうしてこの子はこんなにも幸せそうなの? 私なんて、地球でも不倫されて捨てられたのに……本当にむかつく――まあ、それには同感だな。それじゃあ、早速……」


 そうして、呪われた魂たちは藍の心を壊す為に行動へ移す。


 二タニタとした笑みを浮かべ、欲望のままにその右腕を動かし、藍が左手にはめている指輪へと手を伸ばした。


 そうして、藍の希望を――愛する者達との思い出が詰まった指輪を破壊しようとするが――その思惑は左手へ触れる直前で動かなくなった右腕によって阻まれる。


「なっ――ど、どういうことだ!?――ちょっと! ちゃんと体の制御を奪っているんでしょね!?――ありえない!! 俺達全員が味わって来た苦痛を受けているんだぞ!?――まさか……まだ、砕けぬと言うのかッ!!」


 混乱する様に休む事無く開かれる藍の口。


 騒がしく響くそんな声とは裏腹に、それまで全く動く事の無かった左腕が動き始める。


「おい……待て――そんな、嘘でしょ!?――本当に壊れちまったのか!?」


 動き出した左腕は、静かな動作で握られた長剣の刃を右肩へと合わせる。

 そのまさかの行動に、忙しなく動く口から発せられる声は、微かに震えていた。



 そうして、何度も「やめろ」と叫ぶ声を無視して左腕は動き出し――漆黒の剣は、藍の右腕を斬り落とした。















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             【作者からのお願い】


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