第232話 この温もりを、忘れない様に。






――闇の月2日目の朝。


 今日の事を考えれば眠れなくなる可能性もあるんじゃないかと思っていたのだが、疲れていたお陰かぐっすりと眠れた。

 亜空間から懐中時計を取り出して時刻を確認すると、まだ朝の6時。俺にしては遅い起床ではあったが、まだまだ朝の早い時間帯だった。


「あれ? グラファルトが居ないな」


 既に寝室にはグラファルトの姿はなく、俺より早起きなんて珍しいなと思いながらも、身支度をする為に寝室の扉を開いた。


「――ッ!? くっ――!!」

「……ん?」


 居間に入って直ぐに、何かが焼ける様な匂いがする事に気づいた。その匂いの発生原を探していると、少し扉が開いた状態になっている自室のキッチンルームからだと分かり、開いた扉の向こうからは何かと戦っている様な声が漏れ聞こえている。


 一体朝っぱらから何と戦っているのだろうか……?

 そんな疑問を抱きつつもキッチンルームに繋がる扉を全開にすると、そこにはフライパンに厚切りのステーキ肉(暴れ牛の)を乗せて焼いているグラファルトの姿があった。


「おのれッ牛の分際で無駄な抵抗を!! 早く焼けないと、藍が起きてしまうではないか!!」

「……」

「今すぐに貴様を我が息吹で燃やし尽くしてやっても良いのだぞ? われが本気を出せば貴様など――」

「やめんか!!」

「うぇっ!?!?」


 不穏な事を口にしながらフライパンに向けて【竜の息吹】を放とうとするグラファルトの脳天に、俺は背後からチョップを喰らわせた。

 背後からの奇襲に驚いた様な声を上げたグラファルトは、フライパンをコンロへと置いたまま放置して俺の方へと振り向く。


「ら、藍!? いつからそこに!?」

「ついさっきだよ。たく、珍しくグラファルトが早起きをしていると思ったら……ああ、ほら。もっと火を弱めろ」


 両手で頭を抑えているグラファルトは、俺の存在に気づくと顔を赤らめて慌てふためき始めた。そんなグラファルトを視界に入れつつも、俺は火力が最大となっているコンロの火を弱める。

 家のコンロは最大火力まで出力すると直径30cmはあるフライパンを包み込むくらいに燃え上がるから、この家で料理を始めて以来キッチンルームのコンロで最大火力を使った事はない。


 俺は暴れ牛が乗せられたフライパンを強火程度の火力で熱して、グラファルトの代わりに暴れ牛のステーキを焼き始めた。

 うん、やっぱり表面は焼けてるけど中は全然だな。レアでも食べれるとは思うけど未だに異世界の生肉は不安なんだよな……せめてローストビーフの中身――ロゼくらいまでは熱を入れないと。

 ある程度表面をひっくり返したりしながら焼き終えた後は火を弱めて中まで火を通す事にした。


 あれ、これって今すぐに火を止めてローストビーフにした方が良いのでは?


 そもそもグラファルトがまだ切り分け作業のしていないステーキ用の暴れ牛をブロック状で焼き始めたから中まで火が通らないなんて事態になる訳で……。


「なあ、これはローストビーフにして、新しくステーキを焼いても良いか?」

「う、うむ……もう我の目的は失敗に終わってしまった。だから、後の事は藍に任せる……」


 一応、この肉を持ってきた張本人であるグラファルトに確認を取ると、グラファルトは少しだけしょんぼりした様子でそう答えた。


 よし、それじゃあこのブロック肉は今のうちにアルミホイルでくるんで中まで熱を通しておくか。


 それにしても、目的か……。

 そうしてアルミホイルでくるんだブロック肉を置く為にキッチンルーム置かれたテーブルへと視線をやると、そこには二人分の取り皿やナイフ、フォークが向かい合う様に置かれていた。

 そしてテーブルの中央には、真ん中で千切られたフランスパンが一本分いつもパン置き場に使っている木製の深皿に置かれていて、その隣には銀のボウルが置かれ中には不揃いな形で千切られたレタスやキュウリ、ぐしゃっと中身が潰れたトマトなんかが入っていた。


 これって、もしかして……。


「~~ッ」


 テーブルの上を見た俺がグラファルトへと視線を送ると、グラファルトは顔を真っ赤にして俺から視線を逸らしてしまった。

 うん、間違いない……グラファルトは、朝食を作ってくれようとしていたんだな。


「珍しい……というか初めてだよな? グラファルトが朝食を作ろうとしてくれたのは」

「ふ、普段はお前が早起きだからわれが起きる前に作ってしまうではないか! われだって、作ろうと思えば朝食ぐらい――」

「ふーん?」


 強気な態度で俺に抗議するグラファルトだったが、サラダとして置かれていた銀のボウルを手に取り、ボウルの中から原型が半分も残っている状態のキュウリを取り出してグラファルトに見せると、グラファルトは直ぐに口を噤んだ。

 ちょっと意地悪し過ぎたかな?


「いや、別に怒っているとか、からかっているとかじゃないんだ。純粋に嬉しかったよ、俺の為に朝食を準備してくれたのは」

「そ、そうか……」

「でも、どうして急に朝食作りを?」


 俺が嬉しかったと口にすると、グラファルトは小さくはにかんだ。そんなグラファルトの頭を撫でつつも、そもそもどうして俺よりも早起きをして朝食を作ろうと思ったのかを聞いてみる。


 すると、グラファルトは言いにくそうにしながらも、観念した様に話し始めた。


「……ただ、支えたかったのだ」

「支えたかった?」

「そうだ。お前がこれから危険な目に遭うと分かっていながらも、われにはどうする事も出来ない……われでは、役に立てない」

「ッ……」


 キッチンルームに置いてあった俺のエプロンを付けていたグラファルトは、自身の両手でエプロンの裾を握りしめて悔しそうに呟いた。


 知らなかった。

 グラファルトが、そんな風に思っていたなんて……。


「だから、何か藍の為に出来る事がないかと考えて……朝食ならわれでも作れるのではないかと思い、いざ始めて見ればこの様だ。結局、われは藍に迷惑を――ッ!!」


 落ち込んだ様子のグラファルトを放って置くことが出来ず、俺はその場に両膝をついてグラファルトを抱きしめた。


「迷惑だなんて思う筈がないだろう? さっきも言ったけど、グラファルトの気持ちは本当に嬉しかった。だから役立たずとか、そんな風に自分を卑下するのはやめろ」

「……うむ。わかった」


 俺の背中に小さな温もりが伝わって来る。その温もりをしっかりと噛みしめながら、俺は何度もグラファルトに感謝をするのだった。


「さて、それじゃあグラファルトが作ろうとしていたステーキでも焼くかな」

「おお! われも手伝うぞ!!」

「言っとくが、この後でみんなとも朝食を食べるから少なめに作るぞ?」

「わ、わかっておる!」


 そうして、俺はグラファルトにステーキの下ごしらえから焼き方までを丁寧に教えていった。元々理解力はあるグラファルトは俺の教えをしっかりと聞いて、ぎこちない手つきながらもちゃんとステーキを焼けている。何より、楽しそうにステーキを焼いているグラファルトを見て俺も自然と笑みが零れた。


「なぁ、藍……」

「どうした?」


 グラファルトの背後に立って、フライパンを握るグラファルトの手に重ねる様に手を乗せていた俺に、グラファルトが声を掛けて来た。

 そんなグラファルトの声に返事をすると、少しだけ後ろへと振り向きにっこりと笑ったグラファルトが俺を見上げて声を上げる。


われはいま――心から幸せだぞッ!! 今日の件が片付いたら、また共に料理を作ろうな!!」

「……ああ、そうだなッ」


 にっこりと笑みを見せるグラファルトに、俺はちゃんと笑顔で返せただろうか?


 またグラファルトと料理を作れる日は、何年後の話だろうか?


 そんな事を考えれば考える程に胸が苦しくなっていく。


 ごめんな、グラファルト。



 俺は――最低な嘘吐きだ。



























――闇の月2日目、午前9時ごろ。


 ファンカレアが神界に創り出した自然豊かな土地。そこに建てられた家から、藍を含めた九人が出て来る。

 そうして外へ出た九人は、ファンカレアの”転移魔法”によってラフィルナの咲き誇る花畑へと辿り着いた。


「ウルギアと黒椿は先に魂の回廊の中に居る。後は、俺が【神装武具】を使えばいいだけだ」


 黒椿は昨晩……ウルギアとファンカレアによって神格の修復が行われて直ぐに、藍の魂の回廊へと戻っていた。その理由は言うまでもなく、プレデターの事を案じていたからだ。

 ウルギアはしっかりと朝食を摂り、藍に「先に待機しております」と一礼してから魂の回廊へと向かった。ウルギアの目的はあくまで藍の傍でサポートをする事であり、黒椿程プレデターに興味を抱いている訳ではないので作戦決行のギリギリまで外で過ごしていたのだ。


 ラフィルナの花畑に着いて早々藍が全員を見渡してそう口にすると、全員が不安そうな顔をして藍を見つめる。

 その視線に気づいた藍は苦笑を浮かべながらも「大丈夫だ」と口にした。


「ちゃんと戻って来るし、プレデターの事も守って見せるから」

「……でも、心配」

「そうですよ。私達の目の届かない場所で行われるのです。心配くらいはさせてください」

「ロゼもー、藍の事が心配だなー」

「ありがとう、三人とも」


 心配しない様にと口にする藍だったが、そんな藍に対してリィシア、フィオラ、ロゼの三人が藍の傍へと近寄り言葉を掛ける。

 そんな三人の頭を撫でて行きながら、藍は感謝の言葉を口にしていくのだった。そうして話を終えた三人が後方へ下がると、次はライナ、アーシエル、ミラスティアの三人が藍の傍へと歩み始める。


「僕にも何か出来たら良かったんだけどね……残念ながら、手助けする事は出来ないみたいだ。でも、ここでちゃんと見守って居るから。無事に帰って来るんだよ?」

「ああ、ありがとう。ライナ」


 苦笑を浮かべながらも藍を激励するライナ。

 そんなライナが差し出した右手を、藍は左手で握りかえして感謝の言葉を口にした。

 そうしてライナがフィオラ達の方へと戻っていくと、それを待っていたかの様にアーシエルとミラスティアが藍に抱き着いた。


「おい、二人ともっ」

「ご、ごめんねぇ……これでしばらく会えないと思ったら……我慢できなかったぁ……」

「いやね……別れなんて慣れているつもりだったけれど、あなたと会えなくなるのは寂しいわ……」


 アーシエルとミラスティアは藍以外の誰にも聞こえない様に、藍の耳元でそう囁いた。二人の言葉を聞いた藍は、優しく抱き着く二人の頭を撫でて声を掛ける。


「ごめんな、辛い役目をさせて……なるべく早く帰れる様に努力はするから。待っていてくれ」

「うん……待ってるッ」

「たとえ何年掛かろうとも……あなたの帰りを待ち続けるわ」


 別れを惜しむ様にして、二人は藍の体を強く抱きしめる。そんな二人に対して藍もまた、撫でていた手を二人の背中へと回して強く抱き寄せるのだった。


 二人が落ち着きを取り戻した所で、藍は抱きしめていた手を離す。すると、アーシエルとミラスティアはその意図を汲み取り藍から離れてフィオラ達の所へと戻って行った。


 そうして、アーシエルとミラスティアが元の位置へと戻った後……藍の前には一人の少女が立っている。

 白銀の髪を風に揺らす少女――グラファルトは、藍の目の前までやって来ると、そのまま藍に飛びついた。

 自身に向かって飛びついて来たグラファルトを、藍はまるで予想していたかの様に慣れた動作で膝を着き抱きとめる。


「……不思議な気分だ。永遠の別れではないのにな」

「…………」


 耳元で呟くグラファルトに、藍は何も答えない。

 グラファルトは、それを特に気にする事もなく話し続けた。


われはここで待つことしか出来ぬが、それでもわれらは繋がっておる。いつまでも、われはお前の傍に居るのだ」

「ッ……」

「ほれ、お前からも何か言葉はないのか? こんなにもわれが激励の言葉を述べていると言うのに」


 いつまで経っても無言のままの藍に対して、グラファルトは最後にそんな軽口を言って見せる。しかし、それでも藍から言葉が返って来ることは無かった。


「……? おい、藍。一体どうし――ッ!!」


 いくら何でもおかしいと思い始めたグラファルトが藍の顔を見る為に少しだけ離れようとすると、両手を小さな背中へと回した藍がグラファルトを強く抱きしめた。


「おい! 一体どうしたのだ!?」

「頼む……もう少しだけ、もう少しだけこうさせてくれ……」


 その顔を赤面させて離れようと慌てふためくグラファルトだったが、そんなグラファルトを無視して藍は小さくそう呟くと、グラファルトを抱きしめていた腕に更に力を込め始めた。


「ごめんな……本当に、ごめん……」

「な、何を謝っているのだ……?」

「大丈夫、グラファルトもプレデターも……全てを守って見せるから」

「おい、何を言って――」


 突然の謝罪の言葉に混乱するグラファルトだったが、そんなグラファルトを気にする事もなく、藍は独り言の様に呟き続けていた。


 そうして最後に”守って見せる”と言った後、藍はグラファルトを抱きしめていた腕を下ろし、グラファルトと目を合わせる。


(どうして……どうしてお前は……そんなにも悲し気に笑っておるのだ……?)


 視線を合わせた藍の顔を見て――グラファルトは胸騒ぎを覚えた。

 しかし、そんなグラファルトの事を置いていく様に藍は立ち上がり背中を向ける。


「おい、待て!!」


 そのまま歩みを進める藍を止めようとグラファルトが声を掛けるが、藍はその歩みを止める事無く、後方に控えていたファンカレアと共にグラファルトに背を向けて歩き続けていた。


 その後をすかさず追おうとするグラファルトだったが、そんなグラファルトの両腕を掴む二本の手が後方から伸びる。

 その手の正体は――アーシエルとミラスティアだった。


「常闇、アーシェ、離してくれ!!」

「ごめんね……」

「……」


 必至の形相で懇願するグラファルトだったが、そんなグラファルトの願いをアーシエルとミラスティアは拒絶した。


 そうしてグラファルトがアーシエルとミラスティアの二人に拘束されている最中、ファンカレアが創り出した結界によって、ファンカレアと藍は結界の内部に隔離される。

 そのタイミングでようやく拘束を解かれたグラファルトは、結界の傍まで駆け寄り手を伸ばすが、結界に触れると同時に弾かれてしまい内部に入る事は出来なかった。


「ッ……ファンカレア!! われを入れてくれ!!」

「……それは出来ません」

「何故だ!! 何故、こんな……ッ」


 どれだけ叩こうとも、結界はグラファルトの侵入を許さない。

 そうしている間にも、グラファルトの胸のざわつきは強い物へと変わっていた。


(焦る必要はない。藍だって、直ぐに戻ってくると言っていたではないか……それなのに、どうして……どうしてわれは藍を見るだけでこんなにも不安になってしまうのだ?)


 強い不安感に、グラファルトは両手で胸を抑える。

 その苦しみが大きくなっていく要因は――紛れもなく先程見た藍の悲し気な笑顔だった。


 そうしてグラファルトはもう一度だけ藍の顔を見ようと真っ直ぐに藍の方を見つめる。


 結界の前でしゃがみ込むグラファルト。そんなグラファルトの方へ振り返った藍は、相も変わらず悲し気に微笑みを浮かべていた。


「グラファルト」

「ッ……嗚呼……そんな、違う……」


 藍の顔を見たグラファルトは、過去の出来事を思い出してうわごとの様にそう呟いた。

 それは、悔やんでも悔やみきれない過去の出来事。

 自身を慕い、傍に居てくれた同胞との惨たらしい別れの記憶。


 悲しき過去に映る同胞の最期の顔が――グラファルトには藍と重なる様に見えていた。


「俺が居なくても、ちゃんとご飯は食べるんだぞ?」

「嫌だ……藍……やめてくれ……」

「それから、あまりみんなにも迷惑はかけるな。ちゃんとみんなと一緒に待っていてくれ」

「やめろ!! そんな言葉を聞きたくはない!!」


 優しく語り掛ける藍に、グラファルトは拒絶するように声を上げた。

 そして、弾かれる結界を何度も叩き、涙ながらに叫び続ける。


「嫌だ……そんな顔をしないでくれ……われは、その顔を知っている……われは、もう……大切なモノを失いたくないんだ!!」

「――大丈夫、ちゃんと帰ってくるから……ちょっと数年くらい遅れるかもしれないけど、待っていてくれ」


 そうして、藍はグラファルトに背を向けて――【神装武具】を発動した。


 藍が漆黒の双剣を握る背中を、グラファルトは何度も止めるように叫びながら見続けていた。

 しかし、そんなグラファルトの願いが叶う事はなく、藍は倒れるようにしてその場に横になってしまう。




 そして――それから数分と待つことなく、グラファルトと藍の<共命>は断たれるのだった。






















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             【作者からのお願い】


 ここまでお読みくださりありがとうございます!


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