第231話 望み望まぬ明日が来る⑥






――――パンッ!!




 そんな乾いた音がラフィルナの広がる夜の花畑に響いた。

 音と同時に俺の右頬にはじんじんと痛みが込み上げてくる。


 そして目の前には、怒った様子で俺を睨み付けるミラが左手を右側へ振り切った状態で立っていた。

 花畑に響いた乾いた音の正体は、全ての話を聞き終えたミラが俺の頬を叩いた音だったのだ。


「どうして……どうしてそんな大事な事を黙っていたのッ!!」

「……ごめん」

「ミ、ミラ姉、落ち着いて……」


 頬を叩いた後に怒鳴り声を上げるミラをアーシェが泣きそうな顔で抑えている。そんなミラに、俺は謝る事しか出来なかった。


 ふと視線を右へ移すと、そこには今にもミラへ攻撃を仕掛けようとするウルギアの姿があり、それを必死に止めているファンカレアが見えた。

 俺がウルギアに念話で”大丈夫だから、黒椿の事を頼む”と伝えると、渋々と言った様子でウルギアは右手に込めていた魔力を霧散させていた。


 そうしてウルギアを制止させる事に成功した俺は、視線を目の前へと戻す。

 するとそこには、幾分か落ち着いた様子のミラの姿があった。


「ごめんなさい。少し感情的になってしまったわ」

「いや、怒られる様な事をしている自覚はあるから」


 申し訳なさそうにそう口にしたミラに、俺は気にしない様にと声を掛ける。

 そんなミラの隣では、アーシェがその瞳を潤ませて俺を見つめていた。


「ランくん……その作戦って、今からでも変えることは出来ないの?」

「それは出来ない。代わりの案が見つからないし、何よりもう時間が無いんだ」

「そっか……」


 そうして、アーシェは顔を伏せてしまう。下を向いた顔からは不規則に落ちる雫が見えた。その雫の正体が涙だと分かり、俺はアーシェに対する罪悪感で胸が苦しくなった。

 俺に出来る事と言えば、二人の怒りも、憎しみも、悲しみも、嘆きも、全てを受け入れる事しかない。


(お取込み中に失礼いたします。黒椿の神格を修復し終えたのでご報告させていただきました)


 気まずい沈黙が流れる中、ウルギアからの念話が俺の脳内に響く。

 ミラ達へ明日についての話をしていたとはいえ、体感ではまだ一時間も経っていないと思う。どうやら、思っていたよりも早く済んだ様だ。

 俺は念話でウルギアへお礼を言った後、ファンカレアにも念話を使いお礼を言っておいた。


 さて、気まずいのは確かだけど……そろそろ準備を進めないとな。


「ミラ、アーシェ。二人には……いや、みんなには申し訳ないと思うけど、俺は――アーシェッ!?」

「……ッ」


 二人に俺の意思を伝えようとしたその時、俯いていたアーシェがおもむろに動き出し、俺に抱き着いて来た。

 そんなアーシェの行動に驚きを隠せないでいると、顔を上げたアーシェはその頬を赤く染めて一呼吸おいてから口を開いた。


「わたし――ランくんが好き、です……」

「ッ……」

「だから、お願い。もしランくんが、わたしの告白を受け入れてくれるなら……何処にも、行かないで……!!」


 そう言い終えると、アーシェは俺の胸に顔をうずくめて背中に回していた腕に力を込めた。


 突然の告白ではあったが、アーシェから向けられる好意に俺は薄々気づいてはいた。そして、アーシェが俺を好きでいてくれる様に……俺もアーシェの事が異性として好きだった。


 だから、アーシェからの告白は嬉しかった。本当であれば直ぐにでも抱き締め返して、両思いであることを喜び恋人へ……そして遠くない未来で夫婦になる。そんな結末もあったのかもしれないな。


「……俺も、アーシェの事が異性として好きだよ。いつも元気で、一生懸命なアーシェのことが大好きだ」

「ッ!! それじゃあ――」

「……ごめん」


 うずくめていた顔を上げて、縋るような笑顔を見せるアーシェに、俺は謝罪の言葉を口にした。


「アーシェの事は大好きだ。でも、今ここでプレデターを見捨ててしまったら……俺はきっと後悔する。アーシェと恋人になる為に、自分の娘を犠牲にしたんだってずっと悔やみ続けると思うんだ」

「……」

「だから、ごめん。アーシェの気持ちに今は応えられない」


 泣きそうになる自分自身を落ち着かせるように、俺は言葉を繋ぎ続ける。

 そうして俺が告白に対する答えを言い終えたタイミングで、アーシェはゆっくりと背中に回していた両腕を下ろし、一歩……また一歩と後方へ下がって行った。


 下がり続けたアーシェは、ミラの隣に並ぶと、顔をしっかりと上げて前髪で見えなくなっていた瞳を細めて微笑んだ。


「そっか……わたしじゃ、止められないか〜……」

「ッ……ごめん……」


 あははと力ない声で笑うアーシェに俺は申し訳なくて謝る。

 だが、謝る俺に対してアーシェは首を左右に振り「謝らなくていいんだよ」と言った。


「本当はね、わたしも分かってたんだ……わたし達に隠していた事を話すランくんの顔を見て、"あぁ、ランくんはもう覚悟を決めてるんだな"って。それでもね、やっぱり大好きな人に危険な場所へ行って欲しくなかったから……ちょっと意地悪しちゃった」


 「ごめんね?」と言うアーシェに、俺は首を左右に振り「謝るのは俺の方だ」と返した。


「本当にごめん……アーシェ達が心配してくれているのは分かってる。俺を大事に思ってくれている事も、ちゃんと分かってる。でも、俺はプレデターを救いたい。だから――」

「うん、分かってる。ランくんは優しくて、カッコよくて、そんな君だから……わたしは好きになったんだ」


 優しく微笑み呟いたアーシェの言葉は、しっかりと俺の耳に届いた。

 そうしてアーシェはうんうんと何度も頷いた後、「よしっ」と口にしてニッコリと笑みを見せる。


「アーシェちゃんは吹っ切れました!! わたしは、ランくんを応援するよ!」

「アーシェ……ありがとう」

「うん! ちゃんと、外の世界で待ってるから。ランくんの言いつけ通りグラちゃんの事も守る! だから、ランくんもちゃんと帰ってきてね? そして、無事に帰って来たら――」


 その後の言葉に、俺はアーシェと同じく笑を零しながらも強く頷いた。

 アーシェなりの激励に、自然と心が温かい気持ちになる。


「――あぁ。帰って来たら、二人でデートをしよう! そして今度は……俺から告白させて欲しい」

「えへへ……それじゃあその日を楽しみにしてるね? わたしとランくんの約束だから!」


 そうして、俺はアーシェと指きりをして約束を誓う。


 アーシェとの指きりを終えると、隣に立っていたミラがため息を零しながら近づいてきた。


「全く、アーシエルに抜け駆けされたわ。ここで私が藍を引き止めたら、私が悪者になっちゃうじゃない」

「ご、ごめんね? ミラ姉……」

「……まぁ、いいわ」


 申し訳なさそうにして謝るアーシェを見て、ミラはしょうがないと言った風に苦笑を浮かべる。

 そうして視線をアーシェから俺へと移すと、ミラはゆっくりと話し出した。


「正直に言って、まだまだ言いたい事は沢山あるのだけれど……それを言った所で、あなたの意思は変わらないだろうし、時間も無いんでしょう?」

「……本当にごめん」

「いいわ。あなたへの説教は帰って来てからたっぷりとするから」


 にっこりと笑みを浮かべるミラに、俺は苦笑で返す事しか出来なかった。

 どうしよう、ちょっとだけ戻って来るのが怖くなって来た……。


「お手柔らかに頼むよ……」

「それは帰って来た時の気分次第ね。遅くなればなるほど機嫌が悪くなるから、そのつもりで」

「これは、なるべく早く片付けないとな」


 そうして俺が少しだけ肩を落としていると、クスリと笑ったミラがゆっくりと俺に近づき、そのまま抱き着いて来た。


「そうよ、私から怒られるのが嫌なら……早く帰って来なさい」


 いつもよりも弱々しい声でそう言うミラを、俺は抱きしめ返した。

 顔は良く見えなかったけど、多分泣いていたんだと思う。


「絶対にとは言えない。俺自身も、どれくらいの時間が掛かるのか分からないんだ。だけど、なるべく早く帰って来れる様に努力はする。ミラを悲しませ続ける訳にはいかないからな」

「……ッ」


 そうして俺とミラはしばらくの間抱きしめ合い、俺はミラの温もりを忘れない様にと何度もその頭を撫で続けた。



 こうして、ミラとアーシェへの説明を終えて当初の目的であった明日に向けての準備を始める。

 ウルギアと【改変】によって複製するスキルについて決めて置き、ファンカレアとミラ、アーシェの三人には、外の世界で起こりうる懸念事項について事前に説明をしておいた。


 特に細かく話して置いたのはグラファルトについて。

 【白銀の暴食者】は【漆黒の略奪者】の話によれば暴走する事はないらしいが、それはあくまで【白銀の暴食者】単体での話だ。

 もしもグラファルトが自らの意思で【白銀の暴食者】を使い、作戦を中断させようとしたら……その結果で何が起こるのか分からない。

 そんな懸念があったからこそ、俺はファンカレアに強力な結界は張るようにお願いしていたのだ。


 そうして、明日に向けての話し合いは無事終わりを迎え、俺達は家の手前まで転移して帰って来た。


 各部屋に戻り始めるみんなを見送ってから、俺はグラファルトが眠る自室の寝室へと入り横になる。

 右へと体を向けると、そこにはスヤスヤと眠り続けるグラファルトの姿があった。


「……お前も、プレデターも、絶対に守るからな」


 グラファルトが起きない程度の小さな声でそう呟いた後、俺はグラファルトの額に口付けを交わしてから眠りに着く。


 作戦決行日である明日は、もうすぐそこまで来ていた。















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             【作者からのお願い】


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