第225話 閑話 魂の回廊――その深淵にて





――魂の回廊の深淵。


 存在を知らなければ見つけることが困難であると思える程に巧妙に隠されているその場所で、その二人は見つめ合っていた。


「ねぇ、もうやめた方が良いよ……ママ」


 漆黒の鎖で自らを吊るし縛り上げる幼子――プレデターは、目の前で苦悶の表情を浮かべる少女に対してそう呟いた。

 しかし、吊られたプレデターを見つめる少女――黒椿はその頭を左右に振りプレデターの言葉を拒んだ。


「絶対に……嫌だッ!!」


 真っ直ぐにプレデターを見つめてそう叫ぶ黒椿の瞳は黄金に輝いている。

 だが、その瞳の輝きに反して黒椿の額には大量の汗が流れており、明らかに疲弊しきっていた。


「絶対に見つけて見せる――”僕がプレデターを救える方法”を……絶対に見つけるんだ!!」

「だからって、もう何日も【叡智の瞳】を使い続けてるでしょ? それ以上使い続けたら……」


 プレデターの言葉は事実である。いや、正確に言うのであれば黒椿は数日ではなく、この回廊の深淵へ辿り着く為に【叡智の瞳】を十日以上も使い続けていた。

 既に疲労は限界を超えている黒椿であったが、それでも【叡智の瞳】の使用を止めようとはしない。

 そんな黒椿の事を心配してプレデターが止めようと声を掛けるやり取りは、もう何度も続いていたのだ。


「ママ、もうやめて……」

「絶対に、諦めたくないんだ……ッ、僕が、守――」

「ママッ」


 必至になる黒椿だったが、そんな想いとは裏腹に【叡智の瞳】を酷使し続けていた黒椿の体はその力を失いその場に倒れ込んでしまう。倒れ込んだのと同時に、その瞳も黄金の輝きを失いレモンイエローの瞳へと色を変えた。


 その場に倒れ込んだ黒椿は震える両腕にめいいっぱいの力を込めてゆっくりと起きあがろうとするが、その足には力が入らず上体を上げるので精一杯だった。


「――ま、だ……まだ、諦めてたまるかあぁぁぁぁ!!」

「もういい、もういいから……私なんかの為に、ママが無理をする必要はないんだから……私は、本当なら生まれる筈の無かった存在で――「関係ない!!」――ッ」


 プレデターの言葉を遮り、黒椿はその声を張り上げる。

 そうして、その両腕に更に力を込めると震える体をゆっくりと起き上がらせ始めた。


「君がどういう経緯で生まれたかなんて、関係ないよ……僕は君の母親で……君は僕の娘なんだッ」

「……ッ」

「理由なんてどうでもいいんだ……僕はただ、君という娘と共に生きていたいから……苦しくったって、辛くたって、一人ぼっちになってでも――君を救いに、ここまで来たんじゃないか!!」

「ま、ま……ママァ……ッ!!」


 プレデターの体に巻き付いた漆黒の鎖がジャラジャラと音を立てる。強くあろうと振る舞っていたプレデターは、黒椿の心からの叫びを聞いて遂にその瞳に涙を溢れさせた。

 そんなプレデターの様子を見ていた黒椿は、気を抜けば倒れそうになる体を必死に奮い立たせて無理に笑みを作りだす。

 そして、その瞳を再び黄金色へと変化させるのだった。


「待っててね、私が……守る、から……」

「だめぇぇぇ!!」


 【叡智の瞳】を使おうとする黒椿に、プレデターが悲痛な叫び声を上げる。

 その刹那――黒椿の頭上から体に向かって何かが覆い尽くす様に現れた。


「なッ!? これ、って……」


 一瞬、ほんの一瞬ではあったが、黒椿の体を覆い尽くしたモノの正体、それは……漆黒の魔力だった。

 しかし、直ぐに魔力は霧散していきその場から完全に消え去ってしまう。

 だが、漆黒の魔力が黒椿の体を覆い尽くした影響は確かに存在していて、その証拠に黒椿はその場に膝を着いていた。


『――三秒か。やっぱりオレはそっちには行かない方がいいみたいだな。まあ、それでも目的は果たせたようだし、なによりだ』

「ッ!?」


 膝を着き立ち上がれない程の倦怠感に襲われた黒椿は、この場に響くその声に目を見開く。その声が、黒椿が最も愛する人物にそっくりだったからだ。

 ただ、黒椿が何かを言うよりも先にその光景を眺めていたプレデターが声を上げた。


「ありがとう……【漆黒の略奪者】……!!」

「【漆黒の略奪者】……そうか、君がプレデターちゃんが言っていた……」


 プレデターの言葉を聞いて、黒椿はこの場所でプレデターから聞いた話を思い出していた。

 藍と瓜二つの見た目、瓜二つの声を持つ存在……それが本当の【漆黒の略奪者】の自我である事、プレデターが今も尚生きられているのは、【漆黒の略奪者】のお陰であると言う事。

 その全てを思い出した黒椿は【漆黒の略奪者】に会えた事に対する喜びと、それが藍から発せられた声ではなかったことに対する落胆の二つの感情を抱いていた。


「プレデターちゃんから話は聞いているよ。プレデターちゃんを守っていてくれて、ありがとうね……」

『……いや、オレは――「だけどッ」――……?』


 膝を着いた状態で黒椿は優しい声音で【漆黒の略奪者】へ感謝の言葉を述べる。しかし、その言葉に【漆黒の略奪者】が何かを返そうとした直後、黒椿は先程とは打って変わって怒りを込めた声を上げた。


「どうして僕の魔力を奪った!? その返答によっては、ただじゃおかないぞ!!」

「ママ、【漆黒の略奪者】は私のお願いを聞いてくれていただけなの! だから――」


 黒椿の【漆黒の略奪者】を叱責する様な言動にプレデターがそう反論するが、黒椿はそれに構うことなく漆黒の魔力が降り注いで来た天井を睨みつけていた。

 そうして、プレデターが不安そうに黒椿を見つめている中、少しの間を置いて【漆黒の略奪者】はその声を出す。


『そのガキの頼みだと言うのもあるが、もう一つ……お前が無理をする必要が無くなったって言うのもある』

「……どういう事?」


 それは黒椿の声であったが、その話を聞いていたプレデターにとっても気になる言葉だった。

 そうして、二人がその先の言葉を知りたがっていると、【漆黒の略奪者】は勿体ぶることなくあっさりと答える。


『黒椿、お前がこれ以上無茶する必要はない。そして、お前は今すぐ外へと戻るべきだ』

「嫌だね、僕にはやるべきことが――ッ」

『お前だって分かってる筈だ、女神であるお前の力はここでは制限せざるを得ない事を。そんなお前がこの場に残ってたって、何の意味もありはしない。お前には、他にやるべき事が……傍に居るべき相手が居るはずだ』

「一体、何を言って……」


 黒椿は【漆黒の略奪者】の言葉の真意が読み取れず困惑してしまう。しかし、遠回しに聞こえるその言葉に一人……プレデターだけはその内心である人物の顔を思い浮かべていた。


「嘘だ……何で……どうして!!」

「プレデターちゃん!?」

『…………』


 その叫びと共に、体をよじった事で漆黒の鎖が大きく揺れ動く。プレデターの急な変化に驚いた黒椿がその名を呼ぶが、プレデターはその声を無視して天井へと叫ぶ続けた。


「約束したじゃない!! 言わないって、隠し通すって、約束したじゃない!!」

『悪い、オレはお前を失いたくなかったんだ……そして、それはあいつも同じだった。あいつはいま――お前を守る為に動いている』

「ッ……」


 【漆黒の略奪者】の言葉に、プレデターはその顔を歪めて涙を浮かべてた。


 そして、二人のやり取りを黙って聞いていた黒椿はそこでようやく一人の青年の姿をその頭の中で思い浮かべるに至った。


「【漆黒の略奪者】!! もしかして、藍が……藍がプレデターちゃんの為に動いてるの?」

『……そうだ。あいつはいま、危ない橋を渡ろうとしている。そのガキだけじゃない、全てを守る為に――自らを犠牲にする覚悟を決めてな』

「「ッ!?!?」」

『だから、黒椿。お前は魔力がある程度戻り次第、早く外へ戻るべきだ。いま会わなければ、別れを言う時間もないかもしれねぇからな』


 それだけ口にすると、【漆黒の略奪者】はその場から姿を消した。


「ッ……ママ!! お願い、パパを止めに行って!!」

「プレデターちゃん……でも……」


 黒椿としても、【漆黒の略奪者】の話を聞いて真っ先に藍の元へと向かいたかった。しかし、だからと言ってプレデターの事を置き去りにするのは憚られる。

 そんな葛藤をしていたからこそ、黒椿はプレデターの言葉に迷いを見せていたのだ。


「私ならまだ耐えられる!! 直ぐに消滅するわけじゃないから!! それよりも早く、パパを止めて……パパが居なくなっちゃうなんて……私は嫌だよ……」

「……~~わかったよッ!! でも直ぐに戻って来るから!! 絶対に!! だから、待っててね!?」


 迷い続けていた黒椿の背中を押す様に投げ掛けられたプレデターの言葉。

 その言葉を受けて、黒椿は感情を爆発させる様に頭を掻きむしった後、プレデターの言葉を尊重し、早速回廊の外へと転移を始めた。

 そうして黒椿が居なくなった後、プレデターは上げていたその頭を力なく下ろす。


「――私なんかの為に……命を懸ける必要なんてないよ……」


 そう呟くプレデターの瞳からは涙が溢れて零れ落ちる。


 そして、本人すら気づいていない事ではあるが、その口元には嬉しさから零れる笑みが浮かんでいた。


 生きる理由を求めていたプレデター。

 自分はパパの身代わりになる為に生まれて来たんだと、自分に言い聞かせ続けていた彼女だったが、心の奥底に在る本心では、異なる想いを抱いていたのかもしれない……。



 そんな彼女が救われる日は、もうすぐそばまで来ている。


 魂の回廊の深淵、そこに藍が訪れるまで――あと一日。









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             【作者からのお願い】


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