第175話 閑話 封印された回廊




――そこは制空藍の魂の回廊。


 入り組んだ道を【叡智の瞳】を使い迷うことなく進んで行くのは、藍の妻である黒椿だった。


 それは枝分かれした道の先にある五つの扉。それは上下に分かれた長い階段。それは左右に分かれた運命の分かれ道。

 唐紅色の長い髪を揺らし、人ひとりが通れる程の広さの暗く細い道を休むことなく進んでいく。


 もうかれこれ十日は歩き続けているが、黒椿は目的の場所には辿り着けていなかった。


「ふぅ…………」


 目的地へ続く正しき道を進むため、長い時間【叡智の瞳】を酷使していた黒椿の額には大量の汗が流れている。その汗が瞳に触れてたまらず目を瞑ると、それがきっかけだったかの様に【叡智の瞳】はその能力の発動を停止した。どうやら稼働限界を超えてしまったらしい。


「ッ……落ち着け、落ち着くんだ……」


 【叡智の瞳】を使う事が出来ない黒椿は、疲れた体を休めるようにその場に座り込む。進んでいた方法を正面として右側の壁に背中を預けていた黒椿は、視線を右へと向けて暗闇が続くその先を見続けていた。





 黒椿がそれに気づいたのは、今から十日前……いつもの様にファンカレアが神としての業務を行っている白色の世界へと赴いた時だった。

 休憩を取るファンカレアの正面に座り紅茶を飲んでいた時、黒椿の【叡智の瞳】がに発動した。

 しかし、黒椿がそれ自体に驚くことは無かった。

 【叡智の瞳】には事前に知りたいと願った事柄について自動で過去・現在・そして未来とあらゆる情報を視覚的・知識的感覚に見ることができる。これは【叡智の瞳】を使いこなせる事が条件である為、現在の藍には不可能だ。

 黒椿はこの能力を使って、ずっと藍を見守って居た。ただし、藍に関する全ての事柄を見ていた訳ではない。藍の生命に危険が及ぶ様な事柄、藍が助けを求めた時に直ぐに対応できるように、その二点に着眼点を置いて【叡智の瞳】を使っていたのだ。



 黒椿は見た。


 石造りの窓もない部屋。

 その部屋の最奥には他の床よりも一段程高く作られた台座の様な物がある。その台座に向かって、部屋の壁から幾つもの漆黒の鎖が伸びていた。

 そして……漆黒の鎖が台座の上に浮かぶ愛娘――プレデターに巻き付いている姿を。


 その光景を見た後の黒椿の行動は早かった。

 ファンカレアには適当な理由を付けてその場を後にし、【叡智の瞳】をフル稼働させた状態で藍の魂に創り出した精神世界へと移動する。

 精神世界にてプレデターの消息を追い、藍の魂の回廊の何処かに居ることを掴んだ。


 そうして魂の回廊へと潜りこみ、プレデターの捜索を始めたのが今から十日前の出来事である。

 十日間もの時間を膨大な魔力と精神力を必要とする【叡智の瞳】を使いながら黒椿は迷宮の様な終わりの見えない回廊を進み続けていた。途中、本当に辿り着けるのか……、本当に進んできた道は正しかったのか……そんな疑問に苛まれる事もあったが【叡智の瞳】で見える未来を信じ、黒椿は進み続けた。


「……全く、説明くらいしてくれても良かったんじゃないかな」


 伸ばした両足を軽くばたつかせて呆れた様に乾いた笑みを溢す黒椿。

 独り言の様に呟いたその言葉は、ここには居ない愛娘に対する小言であった。ただ”少しだけ眠る”と口にして精神世界を後にした愛娘。

 特に心配する事もなく【叡智の瞳】を発動させても居なかった黒椿は、まさか愛娘が鎖に縛られているとは思ってもみなかったのだ。


「全く……全くッ!!」


 上を向いて乾いた笑みを見せていた表情を険しい物へと変えていく。おもむろに握りしめた拳を背中を預けていた側の壁へと叩きつけた。打ち付けられた壁は崩れる事はなかったが、その周囲は数秒間だけ大きく揺れ続けて、打ち付けられた拳の強さを物語っている。


 黒椿は怒りを覚えていた。

 それはプレデターや藍に向けられたものではない。

 藍の事ばかりに気を取られて、愛する娘のピンチに手遅れともいえる状態になるまで気づけなかった事に対する怒りだった。


「ッ……こんなんじゃ、藍に会わせる顔がないよ……」


 独りぼっちの回廊で、黒椿は震える体を抱きしめる。

 黒椿は後悔すると同時に恐怖していた。

 今日までの十日間、藍に何も告げることなくここまで来てしまった事。

 後になって、プレデターの状況を知った時……そして、その原因が自分にあると知られた時……最愛の相手は、どんな反応を示すのだろうか。

 黒椿は怖かった。

 嫌われるのが、失望されるのが、藍が目の前から居なくなってしまうのが……とても怖かったのだ。


 だからこそ、全ての責任を背負い黒椿は回廊を進んだ。

 全てを片付けて、プレデターを連れて帰ろうとした。

 そうすれば、いつもの日常へ戻れる。

 ちゃんと胸を張って、藍の傍に居ることが出来る。


「――行こう、進むんだッ」


 もたれかかっていた壁に手をつき、黒椿は立ち上がる。

 そうして、その瞳を黄金色へと変えて歩き始めるのだった。


(藍……しばらく会えないけど、僕たちの娘はちゃんと連れて帰るから……)


 最愛の夫に心の中で誓いを立てて、黒椿は前を見る。

 視界の先には何度も見た左右に伸びる分かれ道があった。

 その分かれ道を、黒椿は【叡智の瞳】を使い迷うことなく右へと曲がる。


 回廊を歩き続けて十日目。


 独りぼっちの暗闇で、一輪の花は咲き誇る。


 まだ見えぬ――未来を探し求めて。



























「……そっか、気づいちゃったんだね」


 ジャラ……ジャラ……ッ。


 小さな体が微かに動く度に、小さな体に巻き付く漆黒の鎖は大きな音を立ててその存在を知らしめる。


 お前は決して逃れられないのだと、幼子に告げるように。


 両手は横に広げられ、鎖によって伸ばされている。

 宙にぶら下がるその体は鎖によって支えられていた。


 黒い一枚の衣を身に纏い、幼子は悲し気に微笑み正面を見ていた。

 そこには漆黒の魔力が纏わりついた大きな鎖が扉を塞ぐように幾重にも絡みついている。


「――お願い、このまま帰って……」


 顔から笑みを消し去り、その瞳に涙を溜めて、幼子はか細い声でそう呟いた。


 その声は、誰にも届かない。

 鎖が支配する不気味な部屋で、幼子は母を想い願い続ける。



(お願い――来ないで……封印を解かないで……)



 そう願う幼子の右頬に……赤黒い模様が染み込む様に浮かび始める。まるでそれ自体が生きているかのように、少しずつ……少しずつ……という様にその模様は幼子の体へと広がり始めていた。



「お願い――私に……パパを殺させないで……ッ」



 大粒の涙を溢し、幼子は迫りくる救いを拒絶する。


 制空藍と黒椿の愛娘――プレデターは、回廊の最奥で自ら望んで封印されていた。


 愛する家族を守る為、自らの体にその”狂気”を封じ込めて。









@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@


 今回は閑話という事で短めです。

 次回からは普通に藍くん視点のお話に戻ります。


  【作者からのお願い】


 ここまでお読みくださりありがとうございます!


 作品のフォロー・★★★での評価など、まだの方は是非よろしくお願いします!!


 ご感想もお待ちしております!!


@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る