第167話 とある弟子の苦悩




――光の月35日の夜。


 家族との夕食を終えたディルクは、王宮の離れにある研究棟へと向かっていた。

 研究棟へと続く渡り廊下を歩くディルクの隣にはディルクの妻である王妃――マァレル・レヴィ・ラ・エルヴィスも居る。マァレルを連れているのには理由があり、これから会いに行く相手が女性だからという事と、会いに行く理由が二人の娘……シーラネルに関する話だからという理由からだ。


 同日昼頃、執務室で仕事をしていたディルクの元に訪れたシーラネル。仕事で疲れていたディルクにとって、娘の来訪は癒しになる筈だったのだが、そこで娘から告げられた誕生日プレゼントの内容に肉体だけではなく精神的にも疲労してしまう。

 結局、一人で決める事は不可能だという結論に至ったディルクは、シーラネルに明確な回答をする事なく「後日、改めて話をしよう」と告げ仕事に戻る事にしたのだ。


 そしていま、ディルクがマァレルを連れて向かっている研究棟には、シーラネルのお願いを何とかしてくれるかもしれない相手が居る。研究棟を居住区として個人所有している主――レヴィラ・ノーゼラート。

 ディルクは自分では解決できない問題をどうにかすべく、レヴィラの居る研究棟へと赴いたのだ。


「ノーゼラート様、ディルク・レヴィ・ラ・エルヴィスが参りました」

「同じく、マァレル・レヴィ・ラ・エルヴィスが参りました」


 閉ざされた扉の前でディルク達がそう告げると、カチャリと鍵が開く様な音が鳴り重々しい音と共に扉が開かれる。

 扉の向こうには広々とした玄関ホールが広がっており、玄関の正面奥には二階へと続く舞台階段が設置されていた。ディルク達が中央付近まで歩き進めると、後方の玄関扉が閉まりカチャリと鍵が掛けられる。しかし、それは過去の訪問時にも起こった現象であった為、ディルク達が驚くことは無かった。


「――全く、こんな時間に何の用?」


 階段の頭上から聞こえた声に、ディルク達は視線を向ける。

 そこにはエルヴィスを象徴とする純白のローブを纏ったエメラルドグリーンの髪を持つ少女の姿があった。少女の姿を見たディルク達はその顔に苦笑を浮かべ深く頭を下げる。


「お手を煩わせて申し訳ありません、ノーゼラート様」

「夫のディルクと共にここに謝罪いたしますわ、

「――頭を上げなさい。ディルク、それにマァレルも」


 溜息を溢しながらも、レヴィラと呼ばれた少女はディルク達の頭を上げさせる。

 そして、二人を二階へと促し左奥にある客間へと招くのだった。



 ディルク達は招かれるままに客間へと入る。

 客間は食器や茶葉などが綺麗に並べられた棚が壁に複数並べられていて、中央には高価そうな絨毯の上にガラス製のテーブルが置かれ、長い面には長ソファ、短い面には一人掛けソファが置かれていた。

 ディルクとレヴィラは向かい合う様にそれぞれが長ソファへと腰掛けて、何度も遊びに来ていたマァレルは慣れた動作で棚の方へと赴き紅茶の準備をし始める。マァレルが紅茶を淹れ終わった所で、レヴィラが紅茶を片手に話し始めた。


「それにしても、マァレルはすっかり元気になったわね。安心したわ」

「あら、ったら会うたびに同じことを仰りますのね」


 レヴィラが口元に笑みを作りそう言うと、マァレルも楽し気に微笑み言葉を返す。


 マァレルはディルクの元へと嫁いでから子供が生まれるまでの間、当時は宰相のノーガスとして【偽装】していたレヴィラに魔法について師事していた。

 ノーガスの正体がレヴィラだと知った時は畏まってしまっていたマァレルだったが、レヴィラ本人からこれまで通りに接するようにと言われた事で”先生”と呼び続けている。その後はレヴィラが女性であった事が功を奏してか、その仲は更に良くなり夫であるディルクが”不敬なのでは……”と心配になる程に友人の様に接していた。

 心配していたディルクもレヴィラ本人から『お互いに了承しているし、時と場合は弁えてるみたいだから別に気にしてないわ』と言われ、それ以降は特に気にしない様にしている。


 マァレルの言葉に「そうだったかしら?」と口にしたレヴィラは紅茶を一口飲んだ後、続けて話し出す。


「まあ、それだけ師である私に心配を掛けていたって事よ。シーラネルが無事に戻って来てからもずっと床に伏していたんだから。体調はもう良いの?」

「ええ、食事もちゃんと食べていますし、運動もしていますから。ご心配をお掛けしました」

「良いのよ、教え子の心配をするのも私の役目だから」


 女性同士が楽し気に会話をする中、ディルクはその表情を曇らせている。というのも、今日マァレルを連れて訪問する理由として”お願いがある”とは伝えておいたが、その内容を伝えてはいなかった。

 楽し気に話しているこの空気をぶち壊してしまうかもしれない爆弾を抱えて、ディルクはいつ話そうかと気が気ではない。それこそ、先程から口にしている紅茶の味も分からない程に緊張していた。


 そうして、二人の声が止み沈黙が場を支配した直後……レヴィラのマァレルへと向いていた視線がディルクへと向けられる。


「それで、私にどんな話があるの?」

「ッ……」

「ディルク、黙ってちゃ分からないわ」


 子供に言い聞かせるようにレヴィラはディルクへと問い詰める。

 ノーガスとして振る舞っていた時は公の場ではない時であっても”ディルク王”と呼んでいたレヴィラだったが、レヴィラ・ノーゼラートの生存を世界に向けて発信してからは呼び方を変え”ディルク”と呼ぶようにしていた。


 ディルクは直ぐに本題に入ろうとするが「あの……実は……」とその先の言葉が出てこない。そんなディルクの様子にレヴィラは”これで国王としてやっていけるのか”と呆れてしまっていた。


「あのねぇ――「先生、私から説明しますわ」」


 そんなディルクの様子を見て説教をしようと口を開いたレヴィラだったが、その言葉はディルクの隣に居たマァレルの声によって遮られる。


「実は、お話というのは私達の娘――シーラネルについてなのです」

「あら、あの子がどうしたの? 私の授業も真面目に聞いてるし、成績も優秀。体も健康そのものだったし、特に問題はないと思っていたんだけど?」


 レヴィラはシーラネルの授業態度を思い出して首を傾げる。レヴィラの出した課題に一生懸命に取り組み、魔法の実技授業に関しても楽しそうにしていた。そんなシーラネルにどんな問題があるのか、レヴィラには見当もつかなかったのだ。

 レヴィラの言葉にマァレルは困り顔を浮かべて右頬に手を添える。


「それが、あの子が夫に誕生日プレゼントをお願いしたらしいのですが、その内容が問題で……」

「内容が問題……? ディルク、なんて言われたの?」


 レヴィラからの問いに、ディルクはその視線を逸らす。しかし、レヴィラからの視線から逃れられないと理解したディルクは観念したようにその内容について話しだした。


「その――ラン・セイクウに会いたいと……申しまして……」

「えぇ……無理よ」


 ディルクから告げられた内容に、レヴィラはその顔をしかめて無理だと言い切る。レヴィラの返答を聞いたディルクはがっくりと肩を落とすのだった。


「あの、私は一度もお会いしたこともないので、よく分からないのですが……そんなに会うのが難しい方なのですか?」

「色々と込み入った事情があってね、今は”死の森”って呼ばれるあの森でお師匠様達と暮らしてるのよ。だから、まず会いに行くことすら出来ないわ」


 ”死の森”という言葉を聞いてマァレルは息の飲む。

 娘が会いたがっている人物がまさかそんな危険な場所で生活をしているとは思ってもみなかったのだ。

 会いに行くことは出来ないと理解したマァレルだったが、それでも諦めきれず縋る様にレヴィラへとお願いをし始める。


「会いに行けない事は理解しましたが……何とか、我が王宮へ招く事は出来ませんか? これまで我が儘を言わなかった娘が会いたいとお願いして来たのです。それに、私としても娘の恩人だと言うその方に直接お礼を言いたいですし……先生、お願いします!」

「私からも、お願いします!! なんとか……なんとか、娘の願いを……!!」

「ちょ、ちょっと……私にも逆らえない相手って言うのがいて……」


 上半身を倒し頭を下げる二人にレヴィラは困ってしまう。

 レヴィラとしても、可愛い教え子であるシーラネルの願いは叶えてあげたいと思っていたが、シーラネルの願いはレヴィラに叶えられるかと言えば到底不可能に近い内容だった。

 しかし、一方的に無理だと言うのはしのびない……それに、シーラネルを悲しませたくないと思ったレヴィラは大きく溜息を吐いて覚悟を決める事にした。


「……しょうがない。駄目元でお願いしてみるわ」

「「ッ!?」」

「でも、これだけは理解しておいて。ラン・セイクウは現在”六色の魔女”であるお師匠様達によって厳重に守られているの。だから、いくら弟子である私がお願いしたところで、聞き入れてもらえる事は無いと思うわ」


 レヴィラの言葉に、期待の眼差しを向けていたディルクとマァレルだったが、話を聞いていく内にその肩を下げてその表情を暗くしていく。そんな二人の様子を見て苦笑を浮かべたレヴィラは「だけど」と言い話を続けるのだった。


「だけど――方法が無い訳じゃないわ」

「「ほ、本当ですか!?」」

「直接会うのは不可能だけれど、私の提案が受け入れられれば間接的には会えると思う」

「間接的に……ですの?」

「とりあえず、お師匠様に会わない事には始まらないから私が会いに行って聞いてみるわ。だから、二人は結果が分かるまでシーラネルに期待させるような言葉を掛けるのは止めなさい? あの子には”私に頼んでいて、いまは回答を待っている所だ”とでも言っておけばいいわ」


 レヴィラの言葉をいまいち理解しきれなかった二人だったが、自信ありげに語るレヴィラを信じ、娘の願いを託すことに決める。

 そうして話が纏まった後は、ディルク達がお土産として持ってきていた年代物のワインと軽食をテーブルに広げ、ほろ酔いになった三人は他愛もない雑談をしながら夜更けまで楽しんだのだった。



















「あの……その、違うんです」

「「……」」

「ご、ごめんなさぃ……」


 翌日、昨夜のうちにフィオラへと念話を送りアポイントを取り、森の結界内へとやって来たレヴィラは――ミラスティアとフィオラの前で正座をしていた。


 しかし、これはレヴィラが原因でもある。


 何故ならレヴィラは、酔っぱらった状態で念話を送り呂律の回っていない口調で『ラン・セイクウを王宮へ呼びたいのですが、良いですよね? 明日行きます』と発言してしまっていたからだ。

 当然、酔っぱらっていたレヴィラは覚えておらず、結界内へやって来て早々フィオラからその事について問い詰められ、その時に思い出したが……思い出した時にはレヴィラが最も恐れているミラスティアにまで連絡がいっていて、もう手遅れの状態になっていたのだった。



 ちなみにその頃、藍はというと……グラファルトと一緒に緑の月から始めたライナとの武術の稽古に励んでいた。





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 頼りになるかと思ったらやっぱりポンコツでしたレヴィラちゃん。

 果たして、彼女は無事に生きて帰れるのか……!?


  【作者からのお願い】


 ここまでお読みくださりありがとうございます!


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