第166話 とある国王の苦悩




――光の月35日目。


 エルヴィス大国の王宮にある執務室。

 広々とした空間の奥には大きな長机が置かれ、長机の上には大量の書類が乗せられている。大量に置かれた書類をテキパキした動きで処理し続けているのは、エルヴィス大国の国王――ディルク・レヴィ・ラ・エルヴィスだ。


 年末が近いという事もあり、今年中に終わらせなければならない政務を纏めて処理し続けているディルクは、毎日夜遅くまで働き続けている。処理しても減る事のない書類の山に、ディルクは辟易していた。


 溜息を溢しながらも終わる事のない書類仕事をし続けるディルク。そんなディルクが居る執務室の扉が数回ノックされた。


「陛下、よろしいでしょうか?」


 聞き慣れた声にディルクは動かしていた手を止めて「入れ」促すと扉の先へと視線を向ける。

 開かれた扉の先には書類の束を右腕に抱えた清潔感のある白いローブを纏う男が立っていた。男は扉を開いた後に一礼し、部屋へと入室する。扉を閉めてディルクの方へと足を進めた。


「…………」


 男が近づいて来る度に、ディルクの表情は険しいものへと変わっていく。

 そんなディルクの様子を見て、男は苦笑を浮かべるしかなかった。


「陛下、こちらで最後です」

「……うむ、ご苦労だったローレン」


 苦々しい顔を隠すことなく、ディルクは白髪混じりの前髪を上げている高年の男――ローレン・ファルト・エレンティアを労った。労いの言葉を告げられたローレンだったが、その声音は低く恨みに近い感情が込められている事を承知している為、溜息を溢す。


「陛下、私を恨まないでいただきたい。ノーガス……いえ、ノーゼラート様に頼まれたからとは言え、私だって宰相となってからまともに休んでいないのですから」

「分かってはいる。公爵であった貴公が宰相の職務について五か月、真面目に取り組んでおることは理解しておるのだ。だがな……ただでさえ嫌気がさす程の量がある書類仕事がまた増えるのかと思うと、どうしてもな」


 「すまぬな」と苦笑を浮かべるディルクにローレンは軽く頭を下げて「お気になさらず」と口にした。


 ローレンが宰相として仕事をするようになったのは今年の青の月からだ。

 創世の月5日に行われた最後の”五大国連盟会議”以降、宰相として王家に仕えていたノーガス・ヴァン・ライムバルドの正体が、行方不明となっていた二代目国王――レヴィラ・ノーゼラートであると世界に公表された。

 当時公爵であったローレンは、ノーガスに【偽装】していたレヴィラに妻の病気を治してもらった事があり、その事から大きな恩義を感じていて、レヴィラから自分の代わりに宰相として働いてほしいと頼まれた際も快くその役目を受けた。それからは宰相として真面目に取り組み、王宮に仕える者達からの評判も良く、レヴィラの後任としてその地位を確実なものとしている。


 ローレンは手に持っていた書類の束を未処理の書類が置かれている長机上の束の上に重ねると、ディルクに対してある提案をした。


「陛下、やはりもう少し人員を増やすべきではありませんか? 雑務処理は他のものに任せておいでの様ですが、重要書類は未だに私と陛下のみで処理しています。このままでは幾ら時間があっても足りないと思うのですが……」

「ローレンの言うことは尤もであるが……」

「……ああ、あの汚職事件が原因ですか」


 ディルクの思いつめた顔に、ローレンはディルクが何を考えているのかを理解する。


 タルマ伯爵の反逆行為が発覚してからというもの、ディルクは従者であるヴァゼルとまだ宰相であったレヴィラの三人で王宮内、及び国内で蔓延する汚職について調べることにした。その結果は散々なもので、王宮に仕える四割の人物が伯爵や子爵といった貴族の傀儡として国費の着服や、犯罪行為の隠蔽などを行っている始末。国内においても同じ伯爵や子爵が治めるそれぞれの領地で非人道的な行いが確認された。


 その結果にディルクとレヴィラは怒りを露わにして直ぐさま法的裁きを下す決意をし、悪徳貴族やその傀儡となっていた者たちの全てを断罪する事に成功したのだった。


 しかし、その結果として当然ながら人手不足となり、ローレンの様な信用のおける貴族に頼み領主の代理を要請したり、伝を使い宮仕え出来そうな人物に声がけをしたりなどして、何とか凌ぐ日々が続いている。そのしわ寄せは国王であるディルクにもきており、その仕事量は今までの三倍にまで膨れ上がっていた。


 本来であれば、直ぐにでも宰相以外にも側近を増やし、現在ディルクが行っている仕事のいくつかを側近に任せるべきなのだが、未だに汚職事件を引きずっているディルクはこれ以上新しく人員を増やす事に消極的になっていた。だからこそローレンが言っている事が正しいと理解を示しているにも関わらず、未だにその首を縦に振ろうとしないのである。


 その事情を理解しているローレンはあまり強くは進言しない様にしているが、ディルクの身体を心配して当たり障りない程度に口にしている。そんなローレンの努力の積み重ねもあり、最初こそ全否定の態勢を崩さなかったディルクも最近では自身に舞い込んでくる仕事量と、疲れの取れない身体に嫌気がさし一方的に否定するのではなく、前向きに検討する様になっていた。


「流石に今年いっぱいは無理だと思いますが、来年からは二、三人くらい私の補佐として仕事を任せてみませんか?」

「……うむ、そうだな。宮仕えをしている者の中から精査して考えてみるか」

「ッ……では、ある程度こちらで精査しておきましょう」


 初めてディルクの口から明確な回答がもらえた事に、ローレンは安堵の表情を浮かべその頭を下げる。

 そうして、まだ抱えている仕事を片付けるべく、ローレンは早足で執務室を後にするのだった。


「ふっ……どうやら、私の思っていた以上に心配を掛けてしまっていた様だな」


 誰も居なくなった事で、ディルクは威厳のある口調から普段使いの口調へと変えて小さく息を漏らす。

 そうして、真面目で信頼のおける部下を持てた事に対して、ディルクは小さく笑みをこぼすのだった。











「――お父様、今よろしいですか?」


 昼過ぎとなった執務室にそんな声が響く。

 その愛らしい声にディルクは「入っていいぞ」と柔らかい口調で答え書類仕事をしていた手を止めた。

 扉が開かれ入ってきたのは、年若い少女。その肩よりも長い桜色の髪を揺らし、綺麗な所作で足を進める。白を基調とした控えめなドレスを身に纏い、父親譲りの青い瞳は優しげにディルクを見つめていた。

 ディルクの前までやってくると、少女は綺麗なカーテシーを行う。


「お父様、ご機嫌麗しゅうございます」

「うむ、シーラネルも元気そうで何よりだ」


 娘である第三王女――シーラネル・レヴィ・ラ・エルヴィスにディルクはその瞳を細め笑みをこぼした。ディルクの顔を見て、シーラネルも笑みをこぼすが直ぐさま不安げな顔へと表情を変えてその視線を長机の上へと向ける。


「お父様……少し働きすぎではありませんか?」

「ははは、今年までに終わらせなければならない物が多くてな。これが終われば久しぶりにゆっくり休めるのだ。それを思えば特に苦ではない」


 娘の前だという事で、ディルクは強がりを見せるが……。


「もう、そんな事言って無茶をしているのは知っているんですよ? お母様も嘆いていました!」

「うっ……す、すまぬ」


 シーラネルには全てお見通しであり、最愛の妻であるマァレル・レヴィ・ラ・エルヴィスの名前を出されたディルクはその顔を歪め謝罪の言葉を口にするのだった。


「いつまでもこの状態が続くようでしたら、私からエレンティア様に人を増やすよううに進言させていただきます」

「そ、それなら大丈夫だ。ローレンとはもう話をつけてあって、来年にはローレンの補佐として数名増やす予定だから、安心しなさい」


 ディルクの言葉に訝しげな視線を送るシーラネルだが、渋々納得をして小さく頷いた。


「そ、それよりも、私に何か用があったのではないか?」


 何とか話題を変えるべく、ディルクはシーラネルがここに来た目的について訪ねる事にした。ディルクの言葉を聞いて、シーラネルは「そうでした」と口にして執務室を訪れた理由について話し始める。


「お父様から言われていた、今年の誕生日プレゼントについてなのですが……」

「おお! そうであったそうであった。それで、何か欲しい物は見つかったか?」


 ディルクは十日程前にシーラネルを呼び、誕生日プレゼントを決めておく様にと言っていた事を思い出す。


 シーラネルの誕生日は闇の月15日。

 今年で14歳になるシーラネルがどんな物を欲しがるのか、ディルクは喜々としてその言葉を待っていた。


「あの、プレゼントについてなのですが……」

「うむ」

「あ、あの、その……」


 そうして、言い淀むシーラネルの言葉を待っていたディルクは、次に発せられたシーラネルの言葉に……その表情を曇らせてしまう。

 なぜならそれは、ディルクにとって不可能に近い要望だったからだ。




「――その、わ、私……ラン様に、あ、会いたいです……」




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 果たしてディルクに叶えられるのか……多分無理です!! そして、悩んだディルクが行きそうな所、相談しそうな相手と言えば……あの人だろうな……。


 馬鹿弟子「な、なんか悪寒がするんだけど……」



  【作者からのお願い】


 ここまでお読みくださりありがとうございます!


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