第158話 二年目:名も無き精霊のラプソディ
――――珍しいこともあるもんだな。
見上げれば曇天の空から白い雪が降り続けている。
昨日からやけに寒かったと思ったら、まさか雨じゃなくて雪が降るとは思わなかった。
「……あいつ、大丈夫かな」
いつも無邪気な笑顔を見せてくれる友達。
そんな彼女の顔を思い浮かべて自然と笑みが溢れた。
「……早く行こう」
そうして、はやる気持ちを抑えることが出来ず俺は雪の降り積もる道を走り始めた。
足を滑らせて二回くらい転んだ。
進み慣れた道をもう転ばない様に小走りで駆けて行く。
しばらく進んで行くと人気のない鳥居のたった一本道が正面に見えて来て、俺は迷うことなく鳥居をくぐり道を進んだ。
所々にヒビの入った石造りの道を歩いて行くと次第に同じ石造りの階段が見えて来て、上を見上げればそこには古ぼけた神社が見えた。
ここには何度も来ているが、神主さんが居るところを一度も見た事が無い。もしかしたら、もう神社としては使われてないのかもしれないな。
そうして、階段の直ぐ側まで近づいて俺は足を止めた。
「おーい、遊びに来たぞー」
いつもなら階段で待っている筈の彼女が居ない事に首を傾げつつ声を上げる。
すると、階段の上から誰かが降りて来る足音が聞こえた。
そこには俺と同い年くらいの巫女装束に身に纏った女の子の姿があり、女の子は俺の顔を見るとパァっと笑みを溢し駆け寄って来る。
「藍ー! 久しぶりー!」
笑顔でこちらへ手を振る女の子を見て、自然と笑みがこぼれる。
俺の右横へと降り立った女の子はその肩までありそうな唐紅色の髪を揺らし黒い椿の髪飾りに付けられた鈴の音を鳴らしてみせた。
「久しぶり……お前、寒くないのか?」
「んー?」
目の前の女の子は巫女装束一枚のみで、上に何かを羽織っている訳ではない。この寒空の中で、少しだけ素肌の見える巫女装束姿の女の子を見て心配になった。
「特に問題ないけどなー」
俺の心配をよそに目の前でくるくると回り出す女の子。その様子に若干の呆れを覚えたが、俺はすぐに首に巻いていたマフラーを解き、動きを止めた女の子へと巻きつける。
「とりあえず、これを巻いておけ。それでも寒い様ならコートも貸すけど」
「だからー問題ないって! それより、藍こそ大丈夫なの? 僕にマフラー貸しちゃって。藍って暑いのも寒いのも苦手だったよね?」
「よく覚えてたな……でも大丈夫。マフラーを渡したくらいで大きく変わる訳じゃないから」
嘘です。
本当はすごく首周りが寒いです。
でも、しょうがない。
好きな相手に弱いところを見せたくないという気持ちの方が勝るのだ。
巻かれたマフラーに触れ「うーん」と唸り出した女の子は、その後すぐに「そうだ!」と口にして俺の手を引き階段の一段目に腰掛ける様に促した。
俺が階段に腰掛けると、女の子は左横へと腰掛け俺が巻きつけたマフラーを解き始めた。
その行動を見てマフラーを返されるのではないかと思い、左手で女の子の手を止めようとしたのだが、女の子は解き終わったマフラーの片端を俺の首へと一度回すと、後ろを通って前方に下りてきたマフラーの片端を掴み自分の方へとたぐり寄せ始めた。
首にかけられたマフラーをたぐり寄せられた為に俺の体が女の子の方へと傾きぴったりと密着してしまう。離れようとしたのだが、女の子は目にも留まらぬ速さでマフラーを巻き終えると俺の左腕を掴み俺が離れるのを阻止した。
「もー! 二人で使えばいいでしょ!」
「いや、誰かに見られたら恥ずかしいだろ……」
「藍、ここに私達以外の人が来たことってあったかな?」
「……ないな」
その後も何度か照れくささから抵抗してみたのだが、押し切られてしまい結局二人でくっついてマフラーを使う事になった。
まあ、女の子が嬉しそうにしているなら、俺の恥ずかしさくらい我慢しよう。
それからは他愛もない会話が続いた。
冬休みが終わり学校に行くのが億劫だったとか、正月に家族と行った神社は人でごった返していて落ち着かなかったとか、時より女の子からの質問に答えつついつもの楽しい時間を満喫していた。
だけど、時間というのはあっという間に過ぎて行くもので……いつの間にか空はオレンジ色に変わり始めて、そろそろ帰らないといけない時間になっていた。
「……そろそろ帰らないとな」
「……そっか」
この瞬間は本当に辛い。
寂しいとか、まだ一緒に居たいとか、もちろんそういった事が理由でもあるんだけど……何より、隣に座る女の子の悲しそうな顔を見るのがどうしても辛かった。
俺はいつもの様に女の子の頭に優しく手を置き、ゆっくりと撫でる。
「また、来るから」
「……」
「……どうしたの?」
いつもならここで笑顔を見せてくれる女の子だったが、今日は俺の言葉を聞いて更にその表情を暗くしてしまった。
初めての反応に困惑していると、女の子はゆっくりとその場に立ち上がり始める。
その時、女の子の首にも巻かれていた筈のマフラーがすり抜けるように地面に落ちた。
「――ごめん、藍とはもう会えないかもしれない」
「え……」
それは目の前で起こった現象にだろうか、それとも女の子から告げられた悲しい言葉にだろうか、はたまたその両方だろうか……俺の口から小さな驚きの声が漏れ出る。
「そんな……どうして?」
「……僕ね、藍のおかげでこれまで元気に過ごせてたんだ。藍が運んできてくれたものを少しずつもらって、自分の存在を強めて元気に過ごせていたの。でも、もうそれにも限界が近づいて来てる……延命しつづけた魂が消えかかってるんだ」
「……」
女の子が何を言っているのか、良く分からない。
でも、もう女の子が俺の前から居なくなってしまうということだけは分かった。
「どうにか……ならないのか?」
「僕も、もっと一緒に居たい……でも、これまで通りに藍から分けて貰ったとしても……もう、僕の肉体は維持できないんだ。藍と、こうして触れ合う事も……」
「ッ……」
俺の頬に伸ばされた手が俺に触れようとした直後、女の子の手は俺に触れることなく通過してしまった。
その不可思議な出来事に驚きを隠せずに居ると、目の前の女の子は小さな嗚咽を上げて泣き始めてしまう。
「何か……俺に出来る事はないのか!? お前を救う為に、俺に出来る事があるのならなんだってやる!!」
どうしても、このまま放って置くことは出来なかった。
何か、何か女の子の為に俺に出来る事があるのなら、俺は迷わずなんだってやってみせる。
泣き続けている女の子に俺が叫ぶと、女の子は小さな声で話し始めた。
「……それじゃあ、一つだけ、お願いしてもいい?」
「ああ、俺に出来る事なら」
「――名前……僕に、名前を付けて欲しいな……」
「……名前?」
何を言ってるんだ?
名前何て、誰にでもあるもの――いや、そう言えば女の子は何度も言っていたっけ。
『僕には名前がないから……』
『僕も藍みたいに素敵な名前が欲しいなー』
てっきり、女の子の冗談かと思っていた。
今までの人生で、名前の無い人なんかに会った事がなかったから。
でも、思い返してみれば目の前の女の子が自分の名前を言った事は一度もない。だからこそ、俺も女の子を呼ぶときは”お前”と言っていたのだ。
でも、名前を付ける事にどんな意味があるんだろう?
「……名前を付けたら、どうにかなるのか?」
「わからない……でも、もしかしたら……どうにかなるかもしれない……」
「……」
女の子の言葉は何処か自信がなさげであり、不安げにも見える。
確証がある訳ではなく、本当に可能性としての話なんだろう……。
でも、それでも……女の子を救えるのなら。
「……わかった、俺がお前に名前を付ける」
「ッ……ありがとう……」
俺がそう言うと、女の子は泣きながらも笑顔を見せてくれた。
そうして俺は考え始める。
名前なんて、動物にも付けた事が無い。
何か名前を決める為のきっかけの様なものがないかと思い女の子をジーッと見つめた。
「……うぅ」
女の子は俺が見つめ続けていることで恥ずかしそうにしてしまうが許して欲しい。
女の子の特徴と言えば何だろうか。
唐紅色の綺麗な髪、レモンイエローの瞳、鈴の音が綺麗な黒い花の髪飾り……。
「……き」
「え?」
「黒椿なんてどうだ?」
髪色と瞳の色で思い浮かべるのは、神社の端に一つだけ植えてあった椿の木だった。他には木々が植えてある様子はないのに、そこにだけ植えてある椿の木が不思議だったのを覚えている。
椿の様な綺麗な色の髪と瞳、そして鈴の音が心地よい黒い髪飾りの印象も強かったため、二つの要素をまとめた結果……”黒椿”という名前を思いついた。
「……黒椿……黒椿」
俺の説明を聞きながら、女の子は何度も”黒椿”と言う言葉を口ずさむ。
そんな女の子の様子に不安になった俺は「嫌なら、別のを考える」と言うと、女の子は伏せていた顔をこちらへと向けると満面の笑みを浮かべて俺と目を合わせた。
「ううん、素敵な名前だと思う……それじゃあ、藍は僕の教える通りに一言一句間違えずこの言葉を口にして? えっとね――」
女の子はそう言うと、何か堅苦しい文言をゆっくりとした口調で話し始める。
話を聞けば、女の子の一族における名づけの儀式で使われる言葉らしい。教えて貰った文言を間違えることなく名づけ側が口にすることで、名を与えられる側は初めて名前を授かる事ができるのだとか。
うーん、もっとこう簡単なものだと思っていたけど、なんか面倒くさい事になってしまった。
でも、これで女の子とまた笑いあえるなら……。
女の子から一通りの手順を教わり、俺は覚悟を決めて女の子の顔を見る。女の子は何処か不安そうで、それでも「お願いします」と笑顔で言ってくれた。
女の子の言葉に頷き、俺は教えて貰った文言を声に出す。
「”我、制空藍の名の下に――汝に名を授けよう。汝、その魂が冥府に還るその時まで、名を授かる事をここに誓うか?”」
「――誓います」
「”ならば、この契約を以て汝に名を授けよう。汝の名は――黒椿、汝の名は黒椿”」
これで、名づけの儀式は終わりらしい。
文言を口にしている間は不思議な感じだった。
こう……自分の声とは思えないような力強さを感じたというか、儀式と呼ばれる所以が分かったような気がする。
儀式の間、立っている俺に跪くような体勢をとっていた女の子――もとい”黒椿”は、一歩も動くことなくその場に跪いていた。
そんな彼女の事が心配になり、一歩前を踏み出してみるが……。
「あ、れ……?」
立っていたその場所から一歩踏み出すと、踏み込んだ右足に力が入らずその場に倒れてしまう。
地面に横になって動ない俺に、跪いていた黒椿はゆっくりと顔を上げ不安そうな面持ちで俺を支えようとしてくれていた。
「藍……!? 大丈夫?」
「ごめん、なんか……力が入らなくて……」
俺を膝枕するような体勢を取る黒椿は、うっすらとその体の輪郭が輝いている様にも見えた。頭がくらくらするし、幻覚でも見えているのだろうか……。
「ぎ、儀式は……?」
「成功したよ。藍のおかげで、無事に成功した」
「そっか……これで、もう大丈夫なのか?」
「うん、もう僕という存在が消える事は無くなったと思う――でも、しばらくは会えなくなるかも」
儀式が成功したことにほっとしたのもつかの間、黒椿からそんな事を言われてしまった。
「どこかに行くのか?」
「うーん……ちょっとね」
「そうなのか……いつ会える? 連絡は取れるのか?」
「わからない……」
返事をする黒椿の顔はさっきまで喜んでいたのに一気に悲しそうな顔に変わり、今にも泣き出しそうな雰囲気すら感じた。
そんな黒椿に泣いてほしくないと思った俺は、あまり力の入らない右手を一生懸命に伸ばし、黒椿の頬へと触れさせる。
どうやら、彼女の体が通り抜けるなんてことは無くしっかりと触れられる様だ。いや、さっきまでの俺の体を通り抜ける様な出来事事態が、もしかしたら勘違いだったという可能性もあるが……とにかく、彼女に触れる事が出来て、心底安心した。
「それじゃあ、いつまでも待ってるよ……黒椿と、こうしてまた過ごせる日が来ることを」
「ッ……うん! 僕も、ちゃんと戻れる様に頑張るから……だから……」
その後も、黒椿が何かを話している姿が見える。その瞳には涙が溢れていて、今にも零れそうだ……。
あの時、黒椿はなんて言ったんだろう?
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遅くなってごめんなさい!!
という訳で、黒椿編スタートです!
【作者からのお願い】
ここまでお読みくださりありがとうございます!
作品のフォロー・★★★での評価など、まだの方は是非よろしくお願いします!!
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