第136話 二年目:白銀が探し求めていた者③





 グラファルトが俺を避け続けていた原因は、どうやら竜種である彼女の本能的部分にある様だ。


「――それにしても、竜種にもあるんだな……発情期」


 竜種って言われても、俺の中ではどういう部類になるのかいまいち理解できていない。哺乳類と言っていいのか、それとも爬虫類と言っていいのか……いや、そもそもそういった地球の観点で捉える事柄じゃないのかもしれないな。だからこそ、今の状況を予想することが出来なかったというのもある。フィエリティーゼの人たちにとって、グラファルトは竜種で人間とは違うのかもしれないけれど、俺にとっては大切な恋人で、婚約者で、姿も人に限りなく近い彼女は人間と同じ様に接してきた、


……だから、何度も言うけど今の状況は本当に予想外で、正直どうしたらいいのかわからない。


「んっ……あむっ……」

「ふふ、ふふふ……」

「……」


 何この状況……!?


 一人は頬を上気させて人の首筋に甘噛みし続けてるし、一人は何本もボトルを開けてひたすら微笑んでるし……というかもうミラは帰ってくれないかな……? 説明して欲しかったのに特にすることもなくお酒飲み始めるし、正直原因もわかったから後は自室でゆっくり晩酌を楽しんでほしい……。


 でもまあ、今はとりあえずグラファルトだな。

 多分、発情状態のグラファルトが俺に会わないようにしていた理由は、今みたいに甘噛みしたりするのを抑えられなくなるからだと思う。去年から距離を置き始めてたから、もしかしたらずっと衝動を抑え続けていたのかもしれないな……。


「グラファルト、流石にこの態勢だと話もしずらいから俺の隣か右前の椅子に座らないか?」

「んん……?」


 相変わらず甘噛みを続けるグラファルトをなんとか剥がして、俺はグラファルトに前へ来る様に促してみる。俺の話を聞いていたグラファルトの顔は赤く上気したままで、ここに来たばかりの時よりも発情状態が悪化してるのか目もとろんとしている。


 大丈夫かな…………あ、大丈夫じゃなかった。


 ふらふらとベッドの上で立ち上がったグラファルトは、そのまま危な気のある足取りで俺の右横へと移動し、おもむろに俺の太もも辺りへと腰を落とし向き合う形で座り始めた。そうして、正面から俺にしがみつくと先ほどとは逆の左側の首筋に甘噛みを始める。


「グ、グラファルト、ここじゃなくてあっちの椅子に……」

「んっ……あむっ……んぁっ……」

「……」


 俺が呼びかけても聞こえてないのかそれとも無視しているのか……グラファルトは一生懸命にしがみつき甘噛みを続けていた。


 まずい……非常にまずい……。

 さっきまでは背後だったからあまり意識しないで済んでいたけど、正面に回られた事でグラファルトの体をよりダイレクトに感じてしまう。

 熱を帯びたグラファルトの小さく柔らかい女の子らしい体、甘噛みをしながらも一生懸命に俺に抱きつき匂いをつける様に擦り付けてくる。


 そして何より胸が……巨乳と言う訳ではないが、それでもしっかりと膨らみを持つ胸が、グラファルトが体を擦り付けるように動かす度に俺に押し付けられている。

 というか、その、こんなに押し付けられると服の上からでもわかってしまうのだが……グラファルト、下着を着けてないのか!? それともフィエリティーゼの女性は着けないのが当たり前の世界なのだろうか? そこらへんの事は男の俺には分からない話だし、聞ける人もいないから正直真相は分からずじまいになりそうだな……。

 うっ……さっきから胸を押し付けられる度に胸の先にある突起が……意識しない様にしていても妖艶で艶かしい声を漏らすグラファルトと押し付けられる胸の感触が俺の心臓の鼓動を早くさせる。


「これは、前に移動させたのは失敗だったかな……」


 俺がグラファルトの頭を撫でながらそう言うと、テーブルを挟んで奥に座るミラが声を掛けてくる。


「あら、でも別に嫌ってわけじゃないんでしょ?」


 その声に顔を向けると、そこには顔を赤くはしているが意識はしっかりとしている様子のミラが映る。どうやら酔い潰れたりはしていないみたいだな。本当にお酒強かったんだ……嘘だと思ってた。


「いま、何か失礼な事を考えなかった?」

「気のせいです」


 ミラはジト目でこちらを見てくるが俺は目を伏せその攻撃をかわす。

 何で分かったんだ……!?

 とりあえず、話を逸らすためにもミラの質問に答えるか。


「それより、さっきの質問の答えだけど、別に嫌って訳じゃないよ。グラファルトが傍に居てくれるとやっぱり安心する。最初の頃は色々と気を使って疲れたりしてたけど、なんだかんだ言ってグラファルトと一緒に過ごす時間は、俺にとって大切な時間になってたんだって今回の件で気づかされたよ」


 グラファルトと一緒の部屋で暮らす様になって、その温もりや楽しさを知ることが出来た。正直言うとグラファルトと離れ離れに暮らす様になった途端、部屋が静かなのが落ち着かなかったり部屋が寒く感じたり、当たり前だったものが無くなる寂しさをひしひしと感じていた。

 このフィエリティーゼに降り立って、生きて行くと決めた日から一番多く触れ合って来たのは、間違いなくグラファルトだ。だから、今となってはこの小さな温もりは俺にとっては当たり前でありかけがえのないものになりつつある。

 だからまぁ、グラファルトと触れ合える事は嫌な事ではなく、俺にとっては嬉しい事なんだ。

 流石に、今の状況は少しだけ恥ずかしいけど……。


「というか、この状態はいつまで続くんだ? 発情期って言う事はある程度時間が経てば元に戻るんだろう?」


 俺の話を聞いていたミラがニヤニヤとした笑みを浮かべているのに気づいて、恥ずかしくなった俺は慌てて話題を変えた。実際に気になっている事でもあったし、息も荒く涙目になっているグラファルトがどうも辛そうでならない。


「うーん……それが、ちょっと困ったことになっているのよ」

「困ったこと?」

「それにはまず、竜種……グラファルトやその眷属だった子達の”通常”の発情期について説明しないといけないわね」


 そうしてミラは、竜種の発情期について教えてくれた。


 竜種の発情期は通常年に1~2回のペースで訪れるものらしい。基本的には番が居る者は伽をする事で治まるので特に困ったことにはならない。番が居ない者についても相手を見つけるいい機会になったりするので数日間は同じ竜種でフリーの異性に対してアプローチしたりもするのだとか。ただ、それでも相手が見つからずアプローチが失敗したりフリーの異性が居なかった場合、魔物を狩ったり暴れ回る事で治めようとする者もいるのらしい。


 ミラの話では、昔竜の渓谷へ遊びに行っていた時に一度だけグラファルトが発情期になっている事があり、その時は暇つぶしにミラが相手をした様だ。グラファルトは生まれてから一度も番を作っていないらしい。それを聞いた時、失礼かもしれないが嬉しいと思ってしまった自分がいた。

 グラファルトの発情期の際の対処法は、戦いだったそうだ。

 血戦獣の様な凶悪な魔物を狩り続けたり、挑みに来る冒険者を【人化】を使い殺さない程度にボコボコにしたりして治めていたらしい。薄々感じてはいたけどグラファルトって根っからの戦闘狂バトルジャンキーだよな。

 普通なら、発情期はそれで治まるらしいのだが……。


「――今回の発情期は、ちょっとだけ特別なものみたいなのよ……」

「もしかしなくても、原因は俺か?」


 ミラは俺の言葉に静かに頷く。


「今まではグラファルトに番、愛する異性が居なかったから発情期自体も軽度なもので済んでいたのだと思うわ。でも、グラファルトはあなたと出会った。それも一時だけの関係で終わる事のない、将来を約束したかけがえのない相手にね」


 普段ならからかうなとか、冷やかすなとか言いたいところだけど、今回ばかりはそういう訳にもいかない。ミラの表情は真剣そのものだし、俺にとってもグラファルトはかえがえのない存在だからだ。


「これは生前にアグマァルに聞いた話なんだけど……最愛の番がいる竜種にとって、目の前に相手が居るのに手が出せないと言う状態は本当に苦しいものらしいわ。アグマァルにはヴィドラスが居たけれど、大きな喧嘩をして発情期に入っているにも関わらずヴィドラスと体を重ねる事のなかった時が一度だけあった。その時は我慢できるくらいで済んだのだけれど……」

「次の発情期で、耐えられなくなった?」

「ええ、結局アグマァルは本能に抗えなくなりヴィドラスの元へ向かったと言っていたわ。まあ、ヴィドラスもまた同じ竜種でアグマァルと同じ状況だったからお互いに大変だったみたいね」


 テーブルの上を片付けてティーゼットを広げていたミラは懐かしむ様にそう話してくれた。

 そうして淹れた紅茶を口に含んだ後、ミラは真っ直ぐに俺を見て口を開く。


「藍、これは真面目な話だからちゃんと答えて欲しいのだけれど……あなたにとって、グラファルトは大切な存在よね?」


 ミラの言葉に頷き、俺はグラファルトの体を抱きしめる。

 グラファルトはいつの間にか甘噛みを止めていて、それでも苦しそうにして俺の左胸辺りに顔をうずくめていた。


「大切な存在だ。もう傍に居ない事が考えられないくらいに」

「そう……なら、これは私からのお願い。今日、グラファルトと寝なさい」

「それは、いつも通りに戻れって意味じゃないよな……」


 俺の言葉に頷くミラを思わず少しだけ睨んでしまう。

 ミラの言う”寝る”とは、多分そういうことなんだろう。一線を越えろという事だ。アグマァルとヴィドラスの話をしたのもそれが理由だろう。でも、正直それはしていい事なのか分からなかった。

 グラファルトの今の状態は普通ではない。

 常識的な判断が出来ないくらいに、グラファルトの意識は朦朧としている。そんな状態の彼女と一線を越える事は……本当に正しい事なのだろうか。もしかしたら、元通りになった時に、後悔させてしまうのではないだろうか。一線を越えるつもりはなかったと言われてしまうのではないか。そんな思いが俺の中で駆け巡っていた。


 女性経験が無いからこそ慎重になるし、臆病にもなってしまう。

 そういった行為についての経験も当然ない訳で……俺はグラファルトにとって体を重ねる事が最善の行いとなるのか、全く分からなかった。


「……あなたが何を考えているのか、何となくだけれどわかるわ。でもね、良く考えて欲しいの」


 俺の顔を見て優しい笑みを浮かべているミラはその視線をグラファルトの方へと移す。


「グラファルトは、あなたの事を愛しているわ。そして、あなたもまたグラファルトを愛している。グラファルトはね、ここに来る前私にこう言ったのよ『我は、藍に嫌われたくない』って」

「ッ……」

「あなたに発情している姿を見られたくなかったのね……もしかしたら、発情する姿を見られて嫌われてしまうかもしれないって、そう思っていたみたいなの。藍、あなたは今のグラファルトを見て、グラファルトの事を嫌いになる?」


 そんなの……嫌いになるわけがない。

 例えどんな姿を見ようとも、グラファルトを嫌いになるなんて考えられない。

 俺にしがみついているグラファルトを更に抱きしめ、俺はミラに対して首を振った。


「嫌いになんてならない。俺はグラファルトを愛しているから」

「ぅぁっ……」


 俺の声に反応を示したのはミラではなくグラファルトだった。視線を下に移せば顔を上げ、こちらを上目遣いで見つめている白銀の少女の姿が映り、その瞳からは涙をポロポロと溢している。

 そんなグラファルトの頭を優しく撫でて「大丈夫」「嫌いになんてならないよ」と言い続けた。


「――それじゃあ、私はここでお暇するわね。他のみんなには私から言っておくわ。ファンカレアとかにも今日ばかりは覗かない様に伝えておくわね。ついでに音が外に漏れないようにしておくから」


 「頑張ってね♪」そう言いウィンクをすると、テーブルの上を片付けてミラはそそくさと部屋を後にしてしまう。


 そうして静まり返る部屋の中。

 聞こえてくるのは俺が動く度に僅かに軋むベッドの音と、乱れたグラファルトの苦しそうな呼吸音だけ。


 二人だけとなったこの部屋で、俺はこれからどうすればいいのか……経験ゼロの弊害がここに来てあらわれるのだった。




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 すごく悩みました……。主に発情期の説明とかを……。

 質問などありましたら遠慮なく言ってください!


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