第112話 優しさと言う名の楔




 ミラスティアが書き記していた日記は、数冊に及ぶ大作だ。

 地球へと訪れた日から、藍が家族と海外旅行に行く日までの出来事や思い出した事などを書き記し続けてきた大切な本。


 ミラスティアは日記をなぞりながら雪野に全てを話していった。

 自分が異世界の人間である事、地球から異世界へと召喚された蓮太郎と恋をして共に地球へとやって来た事、地球で暮らす代わりに提示された条件、そして……藍の今の状況について。


「……」


 雪野は唯々ミラスティアの話を聞き続けた。

 淹れなおされた紅茶にも手を付けることなく、日記とミラスティアへと何度も視線を動かしながら、ミラスティアの言葉を聞き逃さない様に耳を傾ける。


 そうして数時間の時が流れた。

 長い長い話を終えて、二人の間に静寂が訪れる。

 ミラスティアから話を聞いた雪野は俯き、ミラスティアは娘の言葉を待ち続けた。


「……」

「……沢山、聞きたい事があります」

「……ええ、何でも答えるわ」


 しばらくの沈黙の後、雪野はゆっくりと顔を上げミラスティアを見つめる。

 雪野の視線を受けて、ミラスティアは姿勢を正し次の言葉を待った。


「この日記とお母様の話が事実だと仮定して、それを証明する事は出来ますか?」

「……魔法を見せる事は出来るわ、後は確認を取らないといけないけれど後任である地球の管理者を呼ぶ事も出来ると思う」

「……魔法だけで構いません。それを見せて頂けますか?」


 雪野の言葉に頷き、ミラスティアは右の掌を見せ五本の指に赤、青、黄、緑、白の魔力を顕現させ、掌の中心に紫黒の魔力を顕現させた。


「私が生まれたフィエリティーゼでは魔力の基本色が6色存在するわ。フィエリティーゼで生きる生命は基本的にその中から一種類だけを得ることが出来る。私を含めた六色の魔女は別だけどね」

「……」


 ミラスティアの右手を見つめ、雪野は驚きながらも興味深そうに魔力を見つめる。

 そんな娘の様子を見てミラスティアは微笑み、更に魔法を行使する。


「魔力色によって出来る事は変わってくるわ。例えば……赤は炎を、青は氷を、黄は雷を、緑は風を……目に見えるのはこんな感じね」


 掌の上で次々と魔法を発動させるミラスティア。

 その様子を眺めていた雪野は驚きつつも楽し気に微笑み、説明を聞いていた。


「……凄いですね」

「信じて貰えたかしら?」

「はい……ありがとうございました」


 雪野はミラスティアにお礼を言うと、再び黙り込んでしまった。

 ミラスティアも掌に顕現させていた魔力を霧散させて、黙ってしまう。

 しかし、今度はそこまで時間を空けることなく雪野が再び口を開いた。


「……お母様」

「ええ、何かしら?」

「……息子は、藍は、元気にやっているのですか?」


 そう口にした雪野の表情は少しだけ不安げだ。

 ミラスティアからフィエリティーゼについても細かく聞いていた雪野は、息子である藍がちゃんと元気に生活できているのか、危ない真似をしていないか、それが気がかりであり、心配だったのだ。


「……ええ、元気に暮らしているわ。さっきも話したと思うけれど、様々な困難を乗り越えて今は楽しそうにしているわよ」

「そうですか……あの子は、幸せに暮らせているのですね」

「……これを見て」

「ッ……藍……」


 息子が元気に過ごしていると聞いて、安堵の表情を浮かべた雪野。しかし、その表情は少しだけ寂し気であった。

 そんな娘の様子を見たミラスティアは、少しだけ考える素ぶりを見せた後、リビングの上空へ魔法で記憶の一部を映し出す。

 そこには森で楽し気に笑う青年の姿が映っていた。

 食べ物を美味しそうに食べていたり、白銀の髪を持つ少女にお説教をされていたり、正面を見て微笑んだり……ミラの視点で作られた映像を見た雪野はその光景に涙を流す。


 涙を流す雪野を見て、ミラスティアは胸が締め付けられる感覚を覚えた。

 雪野の子供を死なせ、もう二度と会えない様にしてしまった自分の決断に、ミラスティアは何十年も前から苦しみ続けていたのだ。

 藍が生まれる前から、雪野が結婚する事を想像していた時からずっと考えていた事。いつか、雪野が子供を産んだその時を考えて何度も見て来た悪夢。

 自分の決断の所為で、家族が不幸になる結末。


 その悪夢は、ミラスティアの心を蝕み続けて来た。


「……ごめんなさい、雪野」

「いいえ、お母様が謝る事ではありません」

「でも、これは私の責任…私が願った所為で、あなた達家族を苦しめる結果を作ってしまった。あなたには、私を恨む権利があるわ」


 謝罪は不要だと告げる雪野にミラスティアは真剣な表情でそう告げた。

 あなたを苦しめる原因を作った、私を恨んでいいと。


 しかし、雪野はその言葉に笑みを溢す。

 その笑みの理由が分からず、ミラスティアは首を傾げた。


「何故……笑っているの?」

「私は、お母様に嫌われていると思っていました。お父様が亡くなり、直ぐに私は屋敷を出された。そこから段々とお母様は私を避け始めて……そして、夫を紹介してからは更に私を避け続けました」

「……」

「息子の顔を見せに行った時に泣いているのを見て、私は大きな勘違いをしてしまいました。”ああ、私を避け続けていたのは、私がお母様にとって邪魔な存在だったからなんだ”と……」


 雪野の言葉に、ミラスティアは悲痛な面持ちで顔を伏せる。

 そんなミラスティアを見つめ、そして雪野はミラスティアの右手を両手で握った。


「でも、それは違ったのですね……お母様は、ずっと見守ってくれていたのですね……お母様、私の事を愛していますか?」


 優しい声音で雪野は母であるミラスティアへと問いかける。

 ミラスティアは変わらず顔を伏せてたままだ。

 しかし、ミラスティアの手を握っていた雪野の手には……ポタポタと雫が零れ続けていた。


「……当り前じゃない。あなたは、私のたった一人の娘だもの……ッ、例えどんなに嫌われようとも、私は、あなたを愛し続けるわ……」


 涙で上手く話せない状態でも、それでも必死に話しかけるミラスティアは、雪野を家族として愛し続けると告げた。

 そんな優しい母親の言葉に、雪野もつられるように涙を流す。


「私も同じでした……例え嫌われていたとしても、それでもお母様を愛し続けました……ッ、その気持ちは今でも変わりません。私はあなたを恨みません、私はあなたを憎みません、話してくれてありがとうございました。私はお母様を愛しています」

「……ッ」


 雪野の言葉に涙を流し続けるミラスティアは、複雑な思いを胸に抱いていた。

 自身を許し愛していると言ってくれた雪野に対して安心しながらも、自身を責めることなく全てを許している雪野に対して何故責めないのかとも思っている。


 長年抱えて来た罪の意識は、彼女から”優しさによる救済”を奪い去っていたのだ。


 自らの秘密を打ち明けたミラスティアは決して救われはしなかった。





 ミラスティアの抱えている罪の意識に、優しさと言う名の楔が打ち込まれる。


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