第103話 一年目:フィエリティーゼへ帰る




 ミラとファンカレアによる長いお説教から解放された黒椿は、涙ながらにカミールへと謝罪をした後、俺にしがみついてずっと泣き続けていた。

 顔を擦りつけられている左胸辺りの服が湿っていて、なんとも着心地が悪い……。


 あ、もちろん黒椿が抱き着いて来る前にカミールはミラに預けたよ?


「うぐっ……うぅ……」


 合流したミラとファンカレアは五つある席の内の空いている二席へ腰掛けると、カミールと楽しそうに話をしていた。

 ミラは亜空間から新しいクッキーとケーキ類を出してカミールへと食べさせている。

 しかし、二人の視線は時々こちらへと向けられていた。正確には俺にしがみついてる黒椿に対してだが……。


「……ミラ、ファンカレア。分かっているとは思うが、流石にやりすぎだ」

「「……」」


 二人は俺の言葉に視線を逸らす。まあさっきから心配そうにこちらを眺めていたし、自覚はあるんだろうな。

 二人には合流して直ぐにカミールとグラファルトの二人と話していた内容を伝えていた。

 話し終えて直ぐは信用できないと言いたげな雰囲気だった二人だが、当人であるカミールが大丈夫だと訴えると渋々と言った感じに納得してくれた様で、もう黒椿がお説教をされることは無さそうだ。

 だが、既に長時間のお説教を受けていた黒椿のダメージは相当な物で……俺の所へ戻って来てからはずっと抱き着いたまま俺の胸元へと顔をうずくめている。


「確かに……少し言い過ぎてしまったかもしれません……」

「カミールの様な小さい子に全てを丸投げしていると思っていたから……ついねぇ……」


 まあ、二人の気持ちも分からなくはないけど。

 どうやら二人ともやりすぎたと言う思いはあった様で、それぞれが黒椿へと謝罪の言葉を口にしていた。

 謝罪を聞いていた黒椿が二人の方を向くことは無かったが、二人の言葉にうんうんと頷いていたので、謝罪を受け入れてはくれている様だ。


「黒椿、いい加減機嫌を直したらどうだ? 今回の件は回りくどい方法を選択したお前にも原因はあるんだから」

「……」

「ほら、いつまでもそうやってたら、お前の分のケーキも俺が貰うぞ?」


 そうして、俺は目の前に置かれていた二つのケーキの内、黒椿用にとってあったショートケーキが乗った皿を手に取った。黒椿は俺が右手に持ったケーキをチラリと見ると、再び顔を俺の胸元へとうずくめてしまう。


 うーん……流石にケーキで釣るなんて、子供じゃないんだし無理か……。


 そう思いケーキをテーブルへと戻そうとすると、くいくいっと服を引っ張られる。何事かと思い引っ張られている所へ視線を移すと上目遣いでこちらを見上げる黒椿の姿があった。


「どうした?」

「……食べさせて」

「……は?」

「……食べさせてくれたら、機嫌直るかも」

「お前な……」


 まだご機嫌斜めなのか少しだけ頬を膨らませている黒椿は俺にケーキを食べさせて欲しいとおねだりして来る。

 冗談かと思っていたのだが、どうやら本気らしい。相変わらずじーっと見つめて来るレモンイエローの瞳から、俺は目を離せないでいた。


「じ、自分で食べればいいだろ? ほら、膝の上に乗ったままでいいから前を向いて皿を持て」

「嫌!! 藍が食べさせて!!」

「なんかお前、幼児退行してないか……?」

「藍が食べさせてくれるまで、絶対にここから離れないから!!」


 子供の様に駄々をこね始めた黒椿はぎゅっと俺の体に抱き着くと、再び顔をうずくめてしまった。

 多分、ストレスが限界を迎えて幼児退行を起こしてしまったのだろう。その後も何度か声を掛けるが、首を左右に振るだけで全く話を聞く気が無い様子……。


「はぁ……わかったよ」


 仕方がない。

 俺は黒椿の頭を軽く叩いて声を掛ける。


「食べさせてやるから、顔を上げてくれ」

「……嘘ついてない?」

「嘘なんか吐いたって意味ないだろう? ほら、お前のケーキ」


 まだ疑心暗鬼の状態なのかジト目でこちらを見てくる黒椿に、右手でショートケーキとフォークが乗っている皿を見せる。


「まずはイチゴからか? それともケーキから?」

「……イチゴ」

「はいはい」


 こいつ、メインを先に食べるタイプか……。

 黒椿のご要望に応える為に一度ケーキの乗った皿をテーブルに置いて、フォークを持つ。そしてイチゴをフォークで突き刺して、黒椿の前へと運んだ。


「ほら」

「……”あ~ん”は?」

「注文が多いな……」

「”あ~ん”が無いなら食べない!!」


 またまた不機嫌と言わんばかり頬を膨らませる黒椿。そして再び俺の胸元へと顔をうずくめてしまった。


 まあ、これで機嫌が直るなら良いか……。


 そう思い、俺は黒椿の名前を呼びながら再びイチゴを刺したフォークを黒椿の側へと運ぶ。


「ほら、黒椿……あーん」

「ッ!! あ~んッ!!」


 俺がご要望通りに声を掛けると、黒椿はバッと顔を上げて差し出されたイチゴを口へと入れた。イチゴがしっかりと口の中へと入ったのを確認してフォークを離す。もぐもぐと咀嚼している黒椿は、頬を赤らめて美味しそうに食べていた。


「美味いか?」

「うん!! 藍が食べさせてくれたからすっごく美味しい!!」


 くっ……これは結構グッと来るものがある。

 満面の笑みを浮かべ恥ずかしげもなく言う黒椿に思わず顔が熱くなる。

 可愛い恋人にそんなことを言われて、嬉しくない奴が居るだろうか? 否、居ないと思う。

 思わず抱きしめてしまいそうになる衝動を何とか抑えて、俺は続けてフォークでケーキを切り取り黒椿へと食べさせ続けた。


「ほら、これで機嫌直してくれよ?」

「うん!! 早く次の食べさせて……?」

「はいはい……」


 そうして、黒椿が満足するまでケーキを運ぶ作業を続け……黒椿が満足する頃にはもう皿の上にケーキは乗っていなかった。結局最後まで食べさせることになってしまった訳だが……黒椿の機嫌は直ったし、良しとしておこう。


 尚、俺と黒椿の様子を温かい目で見ていたグラファルト達に気づくのはもう少し後になってからだった。












 その後は特に重要な話はしていない。

 他愛もない日常会話を楽しみ、途中で地球へと戻るミラと管理層へと戻るカミールの二人を見送り、その後で俺とグラファルトはフィエリティーゼへと戻る事となった。

 余談ではあるが、カミールは定期的に白色の世界へと遊びに行くことになったらしい。

 本人が強く希望した訳ではないが、ファンカレアとミラはいくら黒椿の分体が裏で仕事を手伝っているからとはいえ、分体は基本的に姿を現すことはない。カミールが地球の管理層で孤独であることに変わりない状態である事が二人は心配なようだ。


 その為、ファンカレアはカミールが白色の世界へいつでも”転移”出来る様に許可を出し、いつでも遊びに来るようにと約束させた。

 その際にカミールの魔力を読み取り”念話”も使えるようにしていつでも連絡が取れるようにしておくのも忘れていない。


 ちなみに念話に関しては俺とも連絡が取れるようにしてもらった。折角知り合った訳だしね。


 こうして色々とハプニングが起こりながらも、楽しく過ごせた俺とグラファルトはファンカレアにまた来る事を約束してフィエリティーゼへと送ってもらう。

 そう言えば、送ってもらう際にファンカレアが色々と早口で説明してくれていたな。

 何でも、俺とグラファルトが白色の世界へと転移する際に消費する魔力は全てファンカレアが負担してくれるらしい。それに加えて念話で消費する魔力もファンカレアが受け持ってくれる事となった。流石にそれは申し訳ないと思い断ろうとしたのだが、それをファンカレアだけではなく、黒椿にも止められる。

 何でも、フィエリティーゼと白色の世界の間には途方もない距離があり、その距離を転移したり念話したりするには膨大な魔力を必要とするのだとか。


 女神であるファンカレアは”創世”という神々の頂点に君臨する神格を保有しているので、無尽蔵に魔力を生み出すことが出来るらしい。フィエリティーゼで訓練や冒険など、魔力を使い事が多いであろう俺の為でもあるとファンカレアと黒椿が説明してくれた。

 そこまで言われてしまったら、断るのも悪い気がする……。そう思った俺は、申し訳ないとは思いつつもその厚意に甘えることにした。


「それじゃあ、また直ぐに遊びに来るよ」

「はい! いつでもお待ちしております!!」


 ファンカレアに笑顔でそう言われた後、俺とグラファルトは転送陣が展開されている場所へと足を進めた。

 そうして、ファンカレアと黒椿に見守られながら、俺とグラファルトは白色の世界を後にするのだった。





 数秒の暗闇の後、目を開けるとそこは俺とグラファルトが寝泊まりしている小屋の中。窓から外の様子を眺めると、もうすぐ日暮れを迎えると言う時間帯だった。


「結構時間が経過していたんだな……全く分からなかった」

「あそこは景色が変わる事のない白色の世界だからな、仕方がない」


 窓を眺めていた視線を左へと移すと、そこではグラファルトが大きく伸びをしていた。ずっと座りっぱなしだったけど、思っていたよりも疲れているのかもしれないな。


「多分、フィオラ達もそろそろ帰ってくると思う。先にロゼとリィシアの様子でも見に行くか?」

「そうだな。爆炎の事だからもう枠組みくらいは終えているだろう」


 ……普通、枠組みだけでも一日では終わらないと思うんだ。

 建設予定の物件は豪邸なわけだし……でも、小屋を次々と建てていたロゼを思い出すと、グラファルトの言葉が嘘ではない気がしてならない。


 俺は何とも言えない気持ちになりながらも、ロゼとリィシアに会いに行くために外へと続く扉に手を掛けた。


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