第100話 来訪者
「酷い目に遭った……」
そこは全てが白で覆われた白色の世界。
グラファルトのお説教から解放された漆黒の髪を持つ青年……制空藍は、置かれたままのテーブル席へと向かい椅子に腰掛けテーブルに上半身を預けた。
テーブルの上には時間経過に関係なく湯気をたてて適温を保ち続けているティーセットと、お茶請け用に用意さている様々な種類のクッキーが置いてあり、そのクッキーの一つを唐紅色の髪を持つ少女……黒椿がつまんで食べている。クッキーを口に入れて至福の表情を浮かべると、一つ、また一つとクッキーを口へ頬張り続ける黒椿。
そんな少女の食べっぷりを、藍は唯々鋭い視線で見つめていた。
「んぐっ……!? お、おかえり、藍! 心配してたんだよ!?」
藍の視線に気づいた黒椿は口いっぱいに頬張ったクッキーを慌てて紅茶で流し込むと、わざとらしく声を大にして藍へと声を掛ける。そんな少女の顔を見て、藍はより一層その視線を鋭くするのだった。
「そっかそっかー……クッキーを食べながら心配してくれてありがとう!! お前なんて大嫌いだ裏切者!!」
「違うんだ!! 僕が悪い訳じゃないんだ!! 僕だってファンカレアとミラに挟まれて大変だったんだから!!」
「それでも、あの二人が管理者の元へ向かった後なら俺の所へ来れたよな?」
黒椿は藍の言葉に思わず視線を逸らした。
藍がグラファルトによって説教をされている時、黒椿は地球の管理者の元へ行くファンカレアとミラスティアの為に黒い鉱石を渡していた。それはたった数分の出来事であり、黒椿は二人に対して特に説明をする事もなく”もし、何かあったら役に立つ”とだけ告げて二人を送り出したのだ。その為、黒椿は藍が説教を受けていた一時間の内、その大半の時間をティーセットとお茶請けが用意されていたテーブル席で過ごしていた事になる。
藍は黒椿が早々に二人から解放されていたのを知っていたのだ。
「た、確かに僕は自由の身だった……直ぐに藍を助けに行こうとした!! でも……それは出来なかったッ!! 僕の足が、藍の所へ行くのを拒み続けたんだ!!」
「……何言ってんだお前」
「何度だって藍の元へと行こうとしたけど……それでも、僕の足は君の元へ行くことなく……そのままテーブルが置いてあるこの場所へと僕を誘導して、その結果がこの様だよ……フッ……何が創世の女神だ、君を救う事も出来ずにこんな小さなクッキーに負けむぐっ!? ちょっ……まっ……!?」
突然に始まった黒椿の釈明劇。
椅子から立ち上がり、表情をコロコロと変えて行く黒椿の言葉を聞いていた藍は、まるでゴミでも見る様な視線を送り声を掛ける。しかし、それに反応を返す事もなく依然として釈明と言う名の寸劇を続ける黒椿を見て、遂に藍の堪忍袋の緒が切れた。
掌で掴めるだけクッキーを握りしめた藍は静かに黒椿の傍へと近づいて行きその口に握っていたクッキーを全て放り込む。
「――そんなに食べたいのなら俺が食わせてやろう……」
「むぐっ……んん~~!?」
「そうかそうか、そんなに美味しいか。安心しろ、まだまだ沢山あるからな?」
「~~~ッ!?!?」
額に青筋を浮かべながらも笑顔を作る藍は、黒椿が少しづつクッキーを飲み込んでいるのを確認しつつ、少しでも隙間が出来るとすかさずクッキーを黒椿の口へと放り込んだ。黒椿は藍が右手に持っていたクッキーが無くなるのを見て一瞬安堵の表情を浮かべるが、そんな彼女に対して藍は冷酷にもまだまだ大量にあるクッキーが乗せられた皿を近くへと引き寄せ黒椿へと見せる。
その大量のクッキーが自分の口へと運ばれる様を想像して、黒椿は顔を青くして震えるのだった。
そうして、終わる事のない至福の拷問が始まろうかとしていたその時、藍の後方から一人の少女の声が響く。
「全く、お前らは目を離すと直ぐそうやって……」
「んぐっ!?んんーー!!!!」
「はぁ……だが、どうやら先のやり取りとは真逆の様だな。ほれ、いい加減止めんか! 折角の菓子が勿体無いであろう!」
藍に少しだけ遅れてやって来たグラファルトは、言葉を話すことが出来ず唯々叫んでいる黒椿を見て溜息を溢すと、今にも右手でつまんでいる二枚のクッキーをねじ込もうしている藍の首根っこを掴み、後方へと放り投げた。いきなり投げられた藍は受け身をとる事も出来ず、間抜けな声を出して真っ白な地面に後頭部を打ち付ける。
「~~グラファルトッ!! いくら何でも投げる事はないだろう!?」
「何を言う、我が背後で話していても気づかなかった癖に……藍、この際だから言っておくが、物事に集中すると周りが見えなくなるのはお前の悪い癖だぞ?」
「うっ……」
「なんなら、また我が説教してやってもいいが……」
そうして、地面に座り込んだ藍に対して、グラファルトは椅子に腰掛けた状態で藍を見下ろし睨みつけた。グラファルトの目を見た藍は素早く首を左右に振って「嫌だ」と拒絶をする。それを確認したグラファルトは「冗談だ」と鼻で笑うと藍から取り上げたクッキーを食べ始めるのだった。
「だが、その癖は直さねばフィエリティーゼでは命取りになるかもしれない。今後行う訓練の中に気配察知や危機管理能力の向上を目指す内容を考えておくことにしよう」
「えぇ……」
「――何か、文句でもあるのか?」
「あ、ありません……(すまない、未来の俺……死ぬんじゃないぞ……)」
席へ着こうと空いている椅子の背もたれに手を掛けた藍は、思わず体をビクリと震わせる。新しい訓練メニューが追加されることに対して憂鬱そうに声を上げた直後、グラファルトが右手を強く握りしめ不敵な笑みを溢したからだ。
ここでもしグラファルトに反発などしようものならきっと二度目の説教が始まってしまうだろうと思った藍は……全てを諦め、未来の自分に対して心の中で謝罪をするのだった。
そうして藍が席に着いた直後、ようやく口の中のクッキーを全て飲み込んだ黒椿は、勢いよくカップの紅茶を飲み干してポットに淹れてある紅茶を空のカップに注いでいた。
「うへぇ……口の水分を全て持って行かれた気がするよ……酷い目にあった……」
「それは俺のセリフだけどな……」
ワザとか、それとも偶然か、少し前に藍が言っていた言葉を口にして黒椿は紅茶を飲み続ける。
「ふぅ……ようやく落ち着い――あれ? もう帰って来た」
休むことなく飲み続け、数杯の紅茶を飲み干した黒椿は背後に感じた気配に首を傾げながら振り向いた。
黒椿が見つめる空間に紫黒の魔力が溢れだす。忽ち魔力は空間にヒビを作りだし、広がり続けるヒビの向こうには紫黒の亜空間が生まれていた。
そこから、二人の人影が黒椿の目線先へと姿を見せる。
二人の姿を見た黒椿は柔らかな笑みを浮かべて迎えようと顔を上げるが、何やら不穏な雰囲気を纏う二人の様子に戸惑いを見せる。
紫黒の亜空間から現れた二人は静かに黒椿の前へと進むと、そのまま何も言わずに唯々黒椿を見下ろしていた。
「お、おかえり……?」
「「黒椿~~!!」」
二人から声を掛けられない事を不審に思いつつも、友人として挨拶をする黒椿。
しかし、二人から返って来た返事は黒椿の期待していたものとは異なり、恨めしそうに黒椿の名前を叫んだ二人は、黒椿の肩を掴むと椅子から下ろしてその場に正座させた。
「え? え? なに!? どういうこと!?」
「……カミールから全部聞きましたよ?」
「……へ?」
「まだ生まれたばかりのあの子に全てを押し付けて……あなた、脅してまで仕事をさせていたらしいじゃない?」
「……ッ!?」
そこまで聞いて、黒椿はようやく理解する。
二人が額に青筋を浮かべている原因と、これから自分がどうなってしまうのか。
突如として訪れた危機的状況を打破するために黒椿が顔を向けたのは、恋人でもある長い付き合いの藍だった。
「ら、藍!! 藍は僕の味方だよね!? ね!?」
藁にも縋る思いで黒椿は藍へ助けを求める。
カップを手に持ち、三人の様子を見守って居た藍は黒椿の方を見て優しく微笑むのだった。
藍の笑顔を見た黒椿は安堵の表情を浮かべ。自分を睨み付ける二人の方へと視線を戻すと、今か今かと藍の擁護を待ち続ける。
しかし、いつまで経っても藍からの擁護は来ることなく、冷や汗を流した黒椿がゆっくりと視線を藍の方へと向けると……。
「ほら、グラファルト。このチョコ乗ってるやつ美味いぞ?」
「うっ……自分から頼んでおいてなんだが、食べさせてもらう行為がこんなにも恥ずかしいものだとは思わなかった……」
そこでは、右手でチョコレートの乗っているクッキーをつまみ、グラファルトの口へと運ぶ藍の姿があった。
食べさせてもらっているグラファルトの顔は赤面しており、後悔している様な口ぶりで話しているが……口角を上げ、そこはかとなく幸せだと告げている。
その光景を見て、黒椿は藍の見せた笑みの意味を勘違いしていた事に気が付いた。
助けを求めた黒椿に笑みを溢した藍。
その笑みの心は”任せろ、直ぐに助けてやる”と言った、黒椿にとって救いとなる意味合いではなく、”自業自得だ、頑張れ”と言った黒椿を見限る意味合いを含む者だったのだ。
「そ、そんな……僕に助けは……救いは……」
「「そんなものはないわ(ありません)」」
「あ、あの……謝ったら、許してくれるよね……?」
「安心して? ちゃんと謝罪を言える時間は作ってあげるから♪」
「その前に、私達の言いたい事を”遠慮なく”言わせて貰いますけどね♪」
その言葉に黒椿は思わず後ろへと下がり出す。
しかし、そんな黒椿の肩を二人は掴みずるずると引きずり始めるのだった。
「ここだとちょ~っと狭いから、場所をあっちに移しましょう?」
「え、狭いって……? お説教だけなんだよね?」
「……」
「無視っ!? 僕に一体何をするつもりなの?」
「ふふふ……」
無言で引きずるミラスティアに、小さく微笑みながら引きずるファンカレア。その二人に引きずられる黒椿は、これから待ち受ける悲劇を回避する為に必死弁明を続け……藍とグラファルトの前から姿を消すのだった。
「――ここは、どこですか?」
「「……え?」」
騒がしかった声が止み、紫黒の亜空間が閉じた直後、相変わらず楽し気にティータイムを楽しんでいたグラファルトと藍はその声に視線を向けて同時に声を漏らす。
二人の視線の先に居たのは――1mあるかどうかという程に小さな女の子。
黄色のおかっぱ頭を傾げ、二人を見つめる白い花を宿した目。
地球の管理者、カミール。
生まれてからずっと、宇宙だけを見続けた彼女は今日……ミラスティアとファンカレアによって、初めて外の世界へと降り立った。
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とうとう本作も100話目に到達しました!!
ここまでお読みくださった皆様、本当にありがとうございます!
これからも、本作をどうぞよろしくお願いいたします。
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