第89話 王女、怒る
私――シーラネルが目を覚ましてからもう三日が経過しました。
早い事で処刑の日から四日が経過し、数日間を過酷な環境で過ごしていた私はいま、私室のベッドの上で療養中の身となっています。
私としてはもう動いても平気だと思っているのですが、それをお父様であるディルク王とお母様であるマァレル王妃が許してくれませんでした。
『駄目だ駄目だ!! シーラネルよ、もう少しだけ休んでいてくれ!』
『シーラ……お願いだから、もう少しだけ休んでいましょう?』
そんな風に、お父様もお母様も必死になって部屋を出ようとする私を止めたのです。どうやら、想像していたよりも心配を掛けてしまっていたようですね……。
部屋の外で待機していた使用人を呼び出し、話を聞いたところによると、私の家族は私が攫われたと言う事実を知ってからというもの、食事も碌に喉を通らず気を失うまで眠れない日々が続いていたそうです。その中でもお母様は早い段階で床に臥せてしまったのだとか……もちろん、それを知って直ぐに家族に対して心配を掛けてしまった事を謝罪しました。
それが、私が目を覚ました一日目の行動です。
私が目を覚まして二日目。
この日は、私が会いたいと思っていた人物にお会いする事が出来ました。
「――一応、初めましてになるのかしら? シーラネル第三王女殿下」
「――どうやら体調は良いみたいですね。安心しましたよ、シーラネル第三王女殿下」
「お、王女殿下など不要です!! どうか、シーラネルとお呼びください……常闇の魔女様、フィオラ様」
「そう? ならこれからは”シーラネル”と呼ぶことにするわ。ああそれと、私のことはフィオラと同じ様に”ミラスティア”で良いわよ? エルヴィス王にはそう呼ぶことを許しているから」
「ありがとうございます……では改めて、ミラスティア様、そしてフィオラ様、どうかこちらへ。いま、使用人がお茶を運んで来ますので」
「お邪魔するわね?」
「失礼します」
扉の少し前で私の名を呼ぶのは、以前から会いたかった憧れの人物……常闇の魔女、ミラスティア・イル・アルヴィス様でした。
どうやら、我が国の建国者であり、栄光の魔女であるフィオラ様が便宜を図ってくれた様です。
フィオラ様には何度かお会いしたことがありますが……当然ながら、私はフィオラ様の事もミラスティア様と同じくらいに大好きです。
ミラスティア様、フィオラ様との時間は本当に夢の様でした!!
ミラスティア様はお父様から許可を頂き読み漁った資料や、宰相であり私の魔法の師であるノーガス先生から聞いていた通りのお方で、上品さの中に時より男性のみではなく女性をも虜にしてしまう様な色気を感じさせる雰囲気……!!
それだけではなく、その場に居るだけで圧倒されるような存在感!! 私は今日……この為に生きているのだと思える程に充実しておりました!!
そしてフィオラ様……!!
普段は凛とした雰囲気を醸し出していたフィオラ様ですが、ミラスティア様と居るときのフィオラ様はまるで別人でした!!
フィオラ様がミラスティア様にからかわれて顔を赤らめている時なんて……正直、頭に血が上ってきそうで思わず鼻を抑えてしまいました……。
そんな二人の空間に、私が入ることが出来るなんて……もう、幸せ以外の言葉が見つかりません!!
しかし、どうやら私は興奮しすぎてしまったようです……いつの間にか早口で話し続けていた様で、ミラスティア様のお隣でお茶を飲んでいたフィオラ様に窘められてしまいました……。
「話には聞いていましたが、貴女は本当にミラスティアの事が好きなのですね」
「はい!! ですが、ミラスティア様だけではなく、フィオラ様の事も大好きです!! 同じくらい大好きです!!」
「……そ、そうですか」
「あらあら、中々に面白い子みたいね?」
二人とも笑みを浮かべて私を見ています!! それが嬉しくて、話の内容を聞き逃してしまったのが、この時の私の失態ですね。
勿論、ただ楽しい会話をしただけではありませんよ?
あの日、私の処刑が行われる予定であった日に何が起こったのか、その顛末をお二人から聞きました。
私が気を失ってしまった後、死祀に属していた転生者の方々は私をお救い下さった新たなる転生者の藍様の手によって抹殺されたと言う事です。
「あの子は本当に良くやってくれたわ。自らの制御出来ていない力を使って、自分には関係のないはずの戦いを受け入れた」
「ランくんには、魔女達一同感謝してもしきれません……」
「それは、私も同じです……藍様には、感謝してもしきれません……」
あの時、死の淵に居た私をお救い下さった方……。
ファンカレア様の願いにより1000を超える転生者達を相手に戦いを挑んだお方……。
出来れば、私はあのお方に今すぐ会いたい……しかし、どうやらその願いは叶わぬようです。
「魔力の暴走……ですか?」
「ええ、この話はエルヴィス大国の王族と一部の者しか知らない真実です。シーラネル、貴女にもこの話の秘匿を命じます」
そうして語られたのは今現在……世界規模で起こっている騒動についてでした。
死祀に属していた転生者達が藍様によって抹殺された後、どうやら世界は漆黒の魔力の渦に飲み込まれてしまったようです。
その原因は、表向きには未だ公表されていません。
しかし、死祀の国の近くに居た冒険者によって噂としてではあるのですが、”漆黒の略奪者”……そう呼ばれる存在が原因ではないかとエルヴィス大国では言われているそうです。
「奇しくも、あの子の持っているスキルと同じ名前なのよね……」
「ランくんにはこの事を知らせて、なるべくスキルを使わない方向で話を進めないといけませんね……」
そうして、ミラスティア様とフィオラ様は苦笑を浮かべていました。
どうやら、藍様はいま王宮には居ないようなのです。
本当であれば我が王宮で来賓として御もてなしする予定だったとお父様から聞いていました。しかし、魔力の暴走により世界規模の騒動を引き起こしてしまった藍様は、騒動が落ち着くまでの間、誰も近づこうとは思わない死の森と呼ばれる場所で隠れ住むのだそうです。
「……危険ではないのですか?」
「シーラネルの心配は最もですが、住処とする範囲には強力な結界魔法を張っていますし、我々も一緒に居ます。特に心配するようなことはありませんよ」
「そうね……どちらかと言えばあそこ程安全な場所は無いと思うわ」
私としては早くにお礼をしたかったのですが……それは当分先の話になりそうですね……。
そうして、ミラスティア様とフィオラ様とお茶をしながら二日目は過ぎて行くのでした。
時間は戻り、今日で私が目を覚まして三日目です。
「……」
私は、この三日間で何度も扉を見ています。
ただ無意味に見ている訳ではありません、ずっと待っているのです。
一番に無事を伝えたかった……私の従者を。
「ルネ……どうして、来てくれないのですか……?」
――コルネ・ルタット……私のたった一人の従者。
幼少の頃からずっと共に生きて来たかけがえのない存在。
目覚めてからずっと、ずっと待っていました。しかし、ルネが私の前に現れることは無く、お父様たちに聞いてもはぐらかされてばかりで何も分かりません。
無事だと聞いて安心しましたが……会えないのは、寂しいです。
「私の従者である事が、嫌になってしまったのでしょうか……」
それならば、仕方がないですが……。
「せめて、最後に挨拶を――は、はいッ!?」
最後に挨拶をしたかった……そう呟こうとした時、扉を叩く音が響きました。少々驚きながらもその音に返事をすると、扉の向こうから声が返ってきます。
「――シーラネル様、ヴァゼルで御座います」
「ッ!? は、入って下さい!!」
「失礼します」
お父様の従者のヴァゼル。
ルネの父親でもあるかれの登場に、私は思わず胸が高鳴ります。
(もしかしたら、ルネも一緒に……)
そうして、開いた扉の先を見て……先程までの胸の高鳴りは綺麗に消え去りました。
扉の先から姿を表したのは、その手に花束を持ったヴァゼルただ一人。
私が待ち望んでいた相手は……ルネは、そこには居ませんでした。
「……? どうかなさいまいたか?」
「い、いえ、なんでもありません……」
おそらく顔に出てしまっていたのでしょうか? 私の顔を見て、ヴァゼルは心配そうに声を掛けてきます。
ヴァゼルが悪い訳でもないのに……こんな事ではいけませんね。
私は気を取り戻し、ヴァゼルに対して笑みを作りました。
「それで……私に何か?」
「ああ、そうでした。実は……今日はシーラネル様にお渡しするものがあるのです」
花束をベッドの側にある小さなテーブルに置き、ヴァゼルは懐に手を入れるとそこから一通の手紙を取り出しました。
「これは、コルネから預かったものです」
「ッ!? み、見せてください!!」
貴族からの贈り物かと思っていた私の予想は外れ、ヴァゼルが取り出したのはルネから預かったという手紙でした。
はしたないとは思いましたが、私は我慢する事が出来ず、こちらへ手を伸ばしている最中のヴァゼルから手紙だけを奪うように取り、中身を開けて数枚の紙を取り出しました。
「……ッ」
それは、謝罪の手紙でした。
転生者達に攫われた時、守れなかった事に対する謝罪……助けを呼ぶのが遅くなってしまった事への謝罪……転生者達と戦う事もせず、何もできなかった事への謝罪……。
手紙の所々に、皺が出来ているのを見るに、きっと泣いていたのでしょう。
”申し訳ありません。弱い私では、貴女様を守る事が出来ませんでした。
何より、私に貴女様に会う資格などありません。
貴女様にとっても、私よりもっと優秀な者がお傍に居る方が良いと思”
――グシャッ。
何ですかこれは……。
思わず、ルネからの手紙を握る潰している私がいました。
そんな私の奇行とも取れる行動に、ヴァゼルは目を見開き動揺しています。
「シ、シーラネル様!?」
しかし、今はそんな些細な事もどうでもいい……。
「……ヴァゼル」
「は、はい!!」
「お父様に、謁見の間の使用許可を取り付けてください。時間は夜で構いません。夜ならば、謁見の間を誰かが使用する事はないでしょう」
「い、一体何を……」
動揺し、私の発言の意図がわかっていない様子のヴァゼルに、私は構う事なく要求を告げます。
正直、私は怒っているのです。
「そして――コルネ・ルタットを王命で呼び出しなさい、シーラネル・レヴィ・ラ・ルヴィスの名において命じます」
「ッ!?」
王命。
それは、王族のみが与えられた命令権。
その優先順位は国内に置いて一番上……正確にはその上に魔女様からの命令権が入るのですが、余程の事がない限り命令が下される事はない為、王命が事実上の頂点となる命令権です。
お父様に叱られるかもしれませんね……勝手に王族の名において宣言してしまったのですから。
「夜の謁見の間で、私は一人で待っています。そこに、ルネを呼んできてください」
「……王命であれば、私が拒否する事は出来ません。しかし、差し支えなければ理由をお教え願いませんか?」
私情とはいえ、一度口にした王命は覆る事はありません。
それが例えヴァゼルだけが聞いていたとしても、王命を聞いていたヴァゼルは私の命令を聞くしかないのです。
それに逆らうという事は、王族に仇なす者。
反逆の罪に問われ、処罰される可能性もあるからです。
だからこそ、ヴァゼルは意を唱える事なく私にその命令の真意を問うたのでしょう。逆らえないのならば、せめてその命令にどのような意味があるのか……父親としても、娘に関わる命令ですから、それも当然ですね。
「安心してください。今回の件で、王族を守れなかったとして罪を問うわけではありません。ここに宣言しておきます、私……シーラネル・レヴィ・ラ・エルヴィスは、従者……コルネ・ルタットに罪を問わないと」
「そ、そうですか……」
私が王族としてルネを罰する訳ではないと分かると、その肩の力を抜いて安堵の表情を浮かべています。
やはり、何か罪を問われるのかと思っていたのかもしれませんね。
「で、では、今回の王命は一体……」
ヴァゼルは、罰するつもりはないのなら、何故王命を使ってまでルネを呼び出すのか……そこが気になっているようです。
私としても、王命を使うつもりはありませんでした。
しかし、王命を使わなければルネが私の前に現れない可能性があると思い、使う事にしたのです。
「……私は怒っているのです。ルネの一方的な手紙に……一方的な申し出に……」
そうして、私は握っていた手紙を更に強く握ります。
ヴァゼルはそんな私の様子を見て、それ以上は何も言わず準備を進める為に部屋を後にしました。
私は直ぐに使用人を呼ぶ為に用意された鈴を鳴らし、女性使用人を呼び付け着替えを手伝ってもらいます。
……本来なら、これもルネの仕事なのに。
「勝手に私の前から居なくなろうとするなんて……許せません」
「……」
そうして、使用人が私の様子を見て困り顔をしていたことに気づく事なく……私はお父様の居るであろう執務室へと足を運ぶのでした。
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