第85話 その氷は、静かに溶け始めた④





 グラファルトの発言を受けて、アーシエルは再び上体を反らしのけ反った。

 そうして、勢いを付けて元の体勢に戻ると、グラファルトの両肩を掴み説明を求め始める。


「ど、どういうこと!? いつ結婚したの? ふ、夫婦ってことはつまり……もう体の関けいむがっ」

「ええい、落ち着かんか!! というか近いわ!!」


 物凄い剣幕で、しかも顔を真っ赤にして危ない発言を始めたアーシエルの口を塞ぎ、グラファルトは肩を掴むアーシエルを引き剥がした。

 そうして、未だ動揺を隠せないでいるアーシエルに対して、自身と制空藍の関係とそこに至るまでの経緯を簡潔に説明するのだった。


「はぁ……先に、我と藍は夫婦だと言ったが……あれは正確には違う。我と藍は互いを愛し、そして”婚姻の儀”を行う事を約束した。つまりはまだ夫婦としての契りを交わしたわけではないのだ。まあ、少々事情があってまだ結婚はしていないが、互いに愛し合っていると言う点と約束をしている点を踏まえて”夫婦である”と断言したのだ」

「その、少々事情があってっていうのは? 転生者達のこと? それともランくんがやっちゃった暴走の事かな?」

「どちらも関係があると言えばあるが……違うな。原因は藍の交際関係にある」

「え、ちょっと待って……まさかとは思うけど、ランくんって他の人ともお付き合いしてるの!?」


 ここで新たに告げられた事実である”制空藍には他にも交際している相手が居る”と言う話を聞いたアーシエルは、再びグラファルトに詰め寄ろうとするがそれを察知したグラファルトの鋭い視線を受けてその身を硬直させる。

 アーシエルを睨みつけ近付けさせないようにしたグラファルトは驚くアーシエルに対して説明を始めるのだった。


「まあ、いずれは知る事だし大丈夫だろう。藍には現在、我を含めて三人の恋人がいる」

「さ、三人……それって全員こっちの世界の人?」

「いいや……この世界の住人は我だけだな」

「そう、なんだ……」


 グラファルトの回答にアーシエルは何とも言えない複雑そうな顔をする。

 そんなアーシエルの顔を見て、勘違いをさせてしまっている事に気づいたグラファルトは慌てて言葉を付け加えるのだった。


「アーシェ、多分お前が考えている事は違うぞ?」

「え、そうなの?」

「お前は恐らく、藍が地球に二人の恋人を残してきた……そう考えているのだろう?」


 グラファルトの言葉にアーシエルはその顔を俯かせ静かに頷いた。


「うん……」

「あー……これは我の言い方が悪かったな。藍には地球で出来た”人間”の恋人はいないから安心して良いぞ?」

「え、でも……それじゃあグラちゃんの言ってる事と矛盾しない? この世界の人じゃないなら、地球の人ってことだよね? でも、地球の人でもなくて……あれ?」


 順を追ってグラファルトの言葉を並べて行き、その矛盾とも思える発言に混乱しているアーシエル。

 そんな彼女を眺めて、グラファルトは苦笑を浮かべるのだった。


「……その、うん。これはもうはっきり言ってしまった方が早いな」

「……?」

「残りの二人はな……人間ではないのだ」

「ええ……今までの会話とその言い回し……嫌な予感しかしないんだけど……」


 言いずらそうにするグラファルトの様子を見て、アーシエルはその顔に冷や汗を垂らす。


「まあ、お前ももうわかっていると思うが……我以外の藍の恋人、その正体はフィエリティーゼの創造神である女神ファンカレアと藍に宿る守護精霊の黒椿という者だ」

「……うん、正直守護精霊さんの方はわからなかったけど、女神様の方は分かってた……凄いよランくん……神様と恋人同士って……」


 苦笑交じりに発せられた二人の恋人の正体。

 その正体を知り、アーシエルは両手両膝を地面へと付け項垂れる。


「ちなみに、黒椿に関しては精霊と名乗っているだけであって、その正体は不明だ。しかし、力だけで見れば神に等しい存在であろう」

「……衝撃の事実に、もうお腹いっぱいだよ……あんまり食べなくて良かった……」

「……」


 人間の少女でありながら制空藍よりも多い量を食べていたアーシエルの言葉を聞いて、グラファルトは何とも言えない顔になる。


 こうして、グラファルトとアーシエルは他愛もない雑談を繰り返し、制空藍の現状を聞いたグラファルトは『流石にそろそろ助けに入るか……』と下ろしていた腰を上げ、制空藍の元へと転移するのだった。





















 グラファルトが転移した後、最北端の森。

 アーシエルは足を折り胡坐を組んでいた。そうして空を見上げてまだ少しだけ熱を持つ顔を冷ます様に風に当てる。


「……何だか凄い話を聞いちゃったなー」


 そうして思い出すのは先程までグラファルトと話していた内容だった。

 自分の気持ちについて再度思考を巡らせる彼女の表情には、もう困惑や戸惑いと言った感情は消え去り、柔らかな笑みを浮かべている。


「……うん、もう大丈夫。今ならランくんに対するこの気持ちが何なのか……はっきりとわかるよ」


 そうして、アーシエルは目を閉じ想い人である青年の顔を思い浮かべる。青年の事を考える度に高鳴る鼓動にアーシエルは少しだけ息苦しさを覚えた。だが、それすらも今は心地良いとアーシエルは口角を上げる。


「――ランくん、大好き……~~ッ」


 制空藍の名を呼び、空に向かってそう告げたアーシエルは”大好き”と口にしてから数秒と経たずに赤面してしまう。


「自覚した後だと、こんなにも言うのが恥ずかしんだね……ミラ姉達に言うのとはやっぱり違うなぁ……」


 その堪える事の出来ない恥ずかしさに顔を覆いながら、アーシエルは姉妹である魔女達に対しる好意と制空藍に対する好意の違いについて改めて痛感する事となった。

 そうして、しばらくの間小さな唸り声を上げてアーシエルは悶絶する。

 しかし、次第に顔を覆っていた手を退けて、覚悟に似た思いを胸に立ち上がるのだった。


「でも、頑張らないと……グラちゃんも色々と協力してくれるらしいし……!」


 そう口にしたアーシエルは両手で拳を作り一度だけ上下させ自信を鼓舞する。


『別に焦る必要はないと思が……我としては、お前が藍の恋人となる事に反対する理由はない。むしろ、我は応援しているぞ?』


 それは、グラファルトが立ち去る前……アーシエルがこれからどうすればいいのかを聞いた際に返って来た言葉である。

 続けて、グラファルトはこうも口にした。


『藍の奴にはそれとなく伝えておいてやる、他の恋人たちに関しても……まず、ファンカレアは大丈夫だろう、黒椿の奴も同じだな。二人は根本的に”平等に愛してさえくれれば問題ない”という思想を持っているからな。とはいえ、顔合わせなどは必要だと思うが……他ならぬ友の相談だ、そっちも我がそれとなく伝えておこう』


 アーシエルはそんなグラファルトの言葉を思い出し、そして右手の拳を高らかに上げるのだった。


「~~決めたっ!! わたしは、ランくんに告白する!!」


 木々の隙間から除く空に向かって伸ばした拳を見つめ、アーシエルは誰もいない森でそう宣言するのだった。


 自らの氷に心を封じていた一人の魔法使い。

 長きに渡り凍り続けた永久凍土――その心の氷はいま、静かに溶け始める。















「……で、でもやっぱり時間を掛けて……そう、ゆっくりと……うん、それが良いよね……」


 しかし、その氷が溶けきるのには……もう少しだけ時間が掛かりそうだ。









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 以上がアーシエルの初恋の物語です。

 当然ですが、この恋の行方はしっかりと本編で書きますのでご安心ください!

 次話からは藍くん視点のお話に戻る予定ですのでお楽しみに。


                              炬燵猫

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