第83話 その氷は、静かに溶け始めた②
死の森の最北端に位置する場所で、アーシエルはグラファルトから告げられた言葉を頭の中で木霊させる。
――お前は藍に――”恋”をしたのだ……。
――藍に――”恋”をしたのだ……。
――恋を……。
「……おい、アーシェ……大丈夫か?」
「……こ、恋って……男の子と女の子が手を繋いだり……だ、抱きしめ合ったり……キ、キキキキスしたりするあれですか!?!?」
「お、おお……見るからに動揺しておるな……ちょいと走り過ぎではあるが……まあ、あながち間違ってはいないだろう」
グラファルトの心配する声を無視して、アーシエルはその顔を赤面させながらグラファルにグイっと詰め寄り声を震わせる。
アーシエルのその様子に若干引きつつも、それが正解ではないが間違ってもいないことを告げた。
「そ、それはつまりあれだよね……レンくんとミラ姉みたいな……あんな風に……~~ッ」
「レン君……? ああ、常闇の伴侶の事か。確か蓮太郎だったか? というかアーシェ、蓮太郎は友ではないのか?」
「へ? レンくんは友達じゃないよ? ミラ姉から話を聞いたり、ミラ姉が地球に向かう際に挨拶として会ったりはしたけど、わたしはほとんど会話もしたことないかな~」
赤くなる顔を抑えながらアーシエルはグラファルトにそう答えた。
そんなアーシエルの返事を聞いて、グラファルトは深々と溜息を溢す。
「はぁ~……アーシェ、お前のその”他人嫌い”はいつになったら治るんだ……どうせ他の連中は蓮太郎と仲良くしていて、お前だけが一方的に避けていたのだろう?」
「うっ……」
グラファルトの言葉にアーシエルはその肩をビクッと震わせ、気まずそうにグラファルトから視線を逸らした。
”氷結の魔女”アーシエル・レ・プリズデータ。
氷・水系統魔法を得意とする『青魔力』を宿した六色の魔女の一人。
そんな彼女に対する印象は二つに分かれている。
一つは、身内……つまりは姉妹関係である他の五人の魔女達と、友人であるグラファルトにとってのアーシエルの印象。
もう一つは、世界……つまりはフィエリティーゼに住まうプリズデータ大国の国民や”六色の魔女”としてのアーシエルのみを知る者達にとっての印象だ。
二つの印象は大きくかけ離れていて、それは別人ではないのかと疑いたくなる程に違うものであった。
身内にとってのアーシエルは、常に元気いっぱいで人懐っこい女の子である。
他者を思いやり、自身が大切だと認識している者の為に行動する事が出来る優しい女の子、活発で日々を楽しみ話すのが大好きな女の子。
それが姉妹や友人からの印象であり、友であるグラファルトも六色の魔女達の中でアーシエルのことだけは愛称である”アーシェ”と呼んでいる。
しかし、それはあくまで数少ない家族と友だけが知るアーシエルの顔である。
フィエリティーゼに住まう多くの者達にとって、アーシエルとは――決して溶ける事のない”冷酷なる氷”なのだ。
フィエリティーゼに住まう多くの者達は、そもそもアーシエルの笑顔を知らない。
彼女は他の魔女達と共に人が多い場所へ向かう時、必ず高度な”認識阻害魔法”を自身に掛けるのだ。
その為、例えアーシエルが他の魔女達と楽し気に笑みを浮かべて会話をしていたとしても、それを周囲で見ていた者達は気づくことは無い。
周囲の者達に映るのは無表情に近い少女の姿。
一切の隙も無く、不用意に近づけば殺される……そう思わせる程に冷酷な気配を纏い、アーシエルは外の世界へ欺き続ける。
……では、彼女は最初からそうであったか……否、そうではない。
アーシエルと言う少女の過去を知る者は皆口を揃えてこういうだろう。
”彼女はいつも周囲に笑顔を振りまいて、まるで雪の中に咲き誇る一輪の花の様であった”と。
とはいえ、それは遥か昔……まだ国というものが存在しなかった時の話である。
少女は変わってしまったのだ。
自らの優しさが原因で、全てを台無しにしたと感じたある事件をきっかけに。
自国であるプリズデータ大国を作り始めて間もない頃、アーシエルは常に周囲へと顔を出し、その持ち前の笑顔を以て国民を励まし続けた。
そんな国王である少女の笑顔を見ていた国民達は、彼女の笑顔を守り続ける為に国の発展へと力を注ぎ、プリズデータ大国の基盤を築き続ける。
そうして、長きに渡りプリズデータ大国は発展への道を進め……たかに思えた。
しかし、それはあくまで理想であり……現実とはあまりにも残酷で冷酷なものである。
国の発展へと力を注ぎ続けて数十年。
世界に【闇魔力】の力に溺れた暴徒たちが現れ、最初の標的にされたのがプリズデータ大国であった。
アーシエルは必死に戦い続けた。
王として、使徒として、六色の魔女として、守るべき国民の為に戦い続けた。
どれ程の戦いだったであろうか。
数日か、数週間か、”常闇の魔女”であるミラスティアが駆け付けるその時まで、アーシエルは休むことなくその力を使い【闇魔力】に溺れた暴徒たちを殺し続けたのだ。
そして、ミラスティアの登場で戦いに終わりが見えて来た頃。
自国であるプリズデータ大国へ戻り国民へと顔を見せた彼女は、その光景に心を砕かれる。
それは怒り、それは恐怖、それは絶望……国民がアーシエルを見つめる瞳にはかつての笑顔はなく、様々な負の感情で塗りつぶされていた。
国民を守る為に使った力は、命を容易く刈り取ることが出来る。
それを見た国民は彼女の力とその存在に恐怖し、彼女と【闇魔力】に溺れた暴徒たちの戦いによって壊される自国を見て、これまで築き上げてきた物を壊された絶望と行き場のない怒りを抱いていたのだ。
国民は自らの胸に込み上げる行き場のない感情を、あろうことか、自らを守ってくれていた少女へぶつけ始めた。
それは明らかに理不尽としか言えない行為であり、許されるものではない。
しかし、長年かけて来た物を突然に壊され混乱に陥った国民はそんな当たり前のことも考えられない程に理性をなく無くしていた。
こうして、治まる事のない罵詈雑言の数々を受けて、少女の心は粉々に砕かれてしまう。
少女はそこから長きに渡りプリズデータ大国の女王として君臨し続けたが、それは形だけの王であり、彼女が直接国を動かすことは無かったと言う。
早い段階で自らの弟子に仕事を教え、裏で手を引き国の平和を守り続けた。
この時、他人を信じない”冷酷なる氷”は生まれ、雪の中に咲き誇る一輪の花は――溶ける事のない永久凍土に包まれたのだ。
「――そうして時が流れ、常闇の話では少しは良くなったと聞いていたが……」
「で、でもでも! ミラ姉達の前ではもう取り繕う事もなくなったし、グラちゃんともこうしてお友達になれてるから!! わたしも成長してると思うんだ!!」
ミラスティアとアーシエル本人から過去の話を聞いていたグラファルトは、成長していると言うアーシエルに対して呆れ顔を見せる。
「ならば、蓮太郎と顔合わせをした時……”認識阻害”は使っていないのだな?」
「……」
「おい……目を逸らすな」
グラファルトからの質問に対して、アーシエルは視線を逸らし明らかに瞬きをする回数を増やしていた。
「全く……ん? ちょっと待て、アーシェ。お前、他人嫌いが治っていない筈なのに、”何故、藍に恋をした”のだ?」
「……え?」
「そもそも、お前は何故、藍に対して”認識阻害”を使わなかった? 蓮太郎の時の様に」
アーシエルの様子を見ていたグラファルトは、ふと感じだ疑問を口に出す。
ミラスティアの伴侶である制空蓮太郎に対しても”認識阻害”を行使してその本心を隠していたアーシエル。
そんな彼女が、どうして制空藍に対して恋心を抱いたのか……そもそも藍に対して”認識阻害”を行使せず、ありのままの自分をさらけ出したのか、グラファルトはその理由に興味を抱きアーシエルへと質問する。
「そ、それは、ほら……ランくんはミラ姉の血族な訳だし? ランくんとグラちゃんがフィエリティーゼに来る前にミラ姉の記録からランくんの事は知ってたから……」
「……おい、何を隠している?」
「な、何も隠してないよ!? わたしとグラちゃんの仲で隠し事なんてある訳――」
「ええい!! ならばこっちを見て話さんか!! お前が隠し事や嘘を吐く時、必ず目を逸らすことくらいわかっておるわ!!」
「い、いひゃいお、グラひゃん……!!」
視線をそらし説明を続けていたアーシエルに少しの苛立ちを覚えたグラファルトは、逸らしたアーシエルの顔を無理やり前方へと向き直させ、その両頬を力強く抓り始めた。
そうしてしばらくの間、抓っていた頬を横や縦に動かすとグラファルトは満足げにアーシエルの頬から手を離し両手を叩く。
「全く、今更何を隠す事があるのだ?」
「うぅ……千切れるかと思った……」
「いいから、さっさと何を隠しているのか白状しろ!」
威嚇する様にアーシエルを睨みつけるグラファルトは両頬を抑えるアーシエルに対して両手を出し空中で抓る動作を行う。
そんなグラファルトに若干怯えつつも、アーシエルは隠していた自らの気持ちについて話そうとするのだった。
「べ、別ね? 大した事ではないんだよ? ただ、その……あの……」
「……は や く は な さ ん か」
「――ひゃい」
話すと決めたアーシエルであったが、実際に口に出そうとすると恥ずかしいのか口ごもってしまう。
もじもじと体を動かすアーシエルの様子を見て我慢の限界を迎えそうなグラファルトは、青筋を浮かべながらも手を出すのを我慢してニッコリと口だけで笑みを作る。
そうして、恥ずかしさよりも自らの命を優先したアーシエルは涙目になりながらグラファルトへと語り始めるだった。
姉妹にも話す事はなかった想い。
自らの凍った心を溶かす……青年が語った言葉について。
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