第67話 帰還





 唐紅色の髪が風で揺れる。

 ウルギアが居なくなった精神世界で、黒椿は草原に寝転び先程まで覗いていた光景を思い出して唸っていた。


「うぅ……怒られる……絶対僕が怒られる……」


 そうしてゴロゴロと体を転がし唸り続けていると、黒椿の頭の先にある空間にヒビが入り、漆黒の亜空間が生まれる。


「ママ〜!! ただいま!!」

「……あれ、さっき藍に対して”ママによろしくね〜”見たいなこと言ってなかったっけ?」

「あ〜それね! もうすぐ寝ちゃうけど、一応ママにも報告といた方がいいかなーって思って、寝る前に遊びに来たの!!」


 漆黒の亜空間から幼く元気な声が発せられる。

 その声の主は漆黒の亜空間から姿を現すと、その小さな体をてくてくと進めて行き寝っ転がる黒椿の前でしゃがみ込んだ。


「何してるの? イモムシごっこ?」

「……あのさ、【漆黒の略奪者】……僕との約束は覚えてる?」

「私は”プレデター”だよ!!」


 質問には答えず、呼び方が違うと抗議するプレデターに黒椿は溜息を溢して頭を抱える。




 先程から黒椿を唸らせていた原因、それは魂の回廊で自らを黒椿の娘だと豪語した特殊スキル……【漆黒の略奪者】だ。


 黒椿は全てを知っていた。

 いや、正確には”制空藍に起こりうる全ての可能性”を知っていたのだ。


 黒椿は自身が持つ権能である【叡智の瞳】と【未来視】を使い藍の魂に邪神の瘴気が残っている事を知った。

 それからの行動は迅速であり、グラファルトが肉体を取り戻した際にウルギアに頼みグラファルト専用の特殊スキルである【白銀の暴食者】を作らせ、暴走した藍を止める事が出来る力をグラファルトに授ける事にした。


 そして、二つの権能を使う事で黒椿はプレデターの存在を知る事となる。

 それは黒椿にとっても予想外の事であり、藍にどう説明すればいいのか悩むことになる要因でもあった。

 結局、悩んでも埒があかないと思った黒椿は魂の回廊に隠れたプレデターに接触を試みる事にした。


 見つけるのに時間が掛かるかもしれないと思っていたプレデターは、思いの外簡単に見つかった。

 しかし、黒椿はプレデターが口にした第一声に思わずその身をたじろぐ事になる。

 黒椿の姿を見つけたプレデターは元気な声で”あー!! ママだー!!”と叫び、黒椿に向かって走り出しその足元に抱きついたのだ。

 そしてプレデターが自身の事を母親、藍の事を父親だと認識している事を知り……黒椿はプレデターに三つの頼みごとをする。


 一つは、邪神の瘴気によって魂の回廊への浸食が始まったら藍の情報を保管している場所へと赴きその場所を守護すること。

 二つ目は、内側から邪神を消し去る為に藍に協力をすること。

 そして最後に、自身の正体を隠し”制空藍の分身”としてその姿を偽ること。当然藍が父親であり黒椿が母親であるという事も含めてだ。


 プレデターはそれに頷き、黒椿の作戦は順調に進んでいた……のだが。

 最後の最後でプレデターによって放たれた二つの暴露により事態は黒椿にとって最悪な方向へと急展開を迎える。


 正確には暴露の一つである”自身が創世の女神である”という事実が知られた事については別にどうでも良かった。

 それが藍に知られたからといって何かが変わるわけではなく、特に神々の事に詳しくはない藍にとってはさほど気にする事もない内容だからだ。


 しかし、二つ目の暴露は違う。

 それが暴露された事によって黒椿は今もなおどうすればいいのか悩み続けているのだ。



 精神世界へとやって来て、自身の隣で草を抜いている唐紅色のセミショートの髪を垂らした幼子を黒椿は疲れた顔をして眺めていた。

 そんな黒椿の様子を見るでもなしに、プレデターは尚も楽しげに草を引っこ抜き続けている。


「ふんふんーふふーん♪」

「随分と楽しそうだね……こっちは君が藍に正体をバラしたせいで怒られるかもしれないって言うのに……」

「だいじょーぶだよ〜! パパは優しいから!」


 黒椿がプレデターに文句をいい口を尖らせていると、草を引っこ抜いていたプレデターは黒椿の方へと振り向き、土の付着した手でピースサインを作り黒椿に向けて伸ばす。

 黒椿はプレデターの言葉を聞いた後に立ち上がると、巫女装束に纏われた腕を組み深い溜息を吐くのだった。


「はぁ……まあ、悩んでいても仕方がないか……」

「勝手に喋っちゃってごめんなさい……ちゃんとパパのことは助けたから許してよ〜」

「うっ……娘を持つ母親ってこんな気分なのかな……」


 上目遣いで足元に抱きついてくる自分と同じ髪色をしたプレデターを見て、黒椿はその頬を朱色に染めて自然と伸ばした右手でプレデターの頭を撫でた。


「えへへっ……ママの手あったかいねぇ」

「う”っ……駄目だ……うちの子が可愛い……」


 撫でられた事に対して嬉しそうに頬を染めるプレデターを見て、黒椿はとうとう我慢する事ができずにしゃがみ込んでその小さな体を抱きしめた。


「大丈夫!! お父さんにはちゃんとお母さんから説明しておくから!! プレデターちゃんはゆっくり休んでね!!」

「うん! ありがとうママっ」


 こうして、黒椿は愛娘の可愛さに籠絡され、秘密を暴露された事を許す事にしたのだった。


 抱きしめられていたプレデターが、黒椿に見えないところでニヤリと笑みを浮かべているのを知らずに……。


















 穴の中に入ってからどれくらいの時間が経ったのだろうか。

 俺は未だに現実へと戻る事が出来ず、暗闇の中で漂っていた。


「それにしても……娘?」


 俺の脳裏にはあの唐紅色の髪を持つ女の子の顔が消える事なく残り続けていた。


 正直、黒椿が創世の女神であったという事よりも後半の発言の方が衝撃的過ぎてやる事のない今ひたすらに状況を整理しようと頭を働かせている。


「確かにあの子は黒椿に似ていた……それにあの目は……」


 唐紅色の前髪の隙間から覗く漆黒の光が灯る黒い瞳。

 その黒い瞳は鏡の前で何度も見てきた俺と同じ色だった。

 【漆黒の略奪者】は俺の中にある【略奪者】と【漆黒の魔力】を黒椿が自身の魔力を俺へと流し込み統合させた事で生まれた。


「……それで俺と黒椿がプレデターの両親って事に? そもそも、プレデターという存在はどうやって生まれたんだ?」


 確か意思を持つスキルは珍しいって修行をしている時にミラやファンカレアに聞いた覚えがある。

 そういったスキルの大半は呪いの様に保有者を操るのだとか……。


「でも、そんな感じはしないんだよな……。助けてもらったし、何というか……プレデターの無邪気な笑顔は――幼少期に見た黒椿の笑顔にそっくりだったんだ……」


 まあ、考えたって仕方がないか。

 どうせ黒椿とはすぐ会えるんだ。色々と知っているだろうし詳しくはあいつに、じっくりと、俺が納得するまで聞かせてもらおう。


 そうして俺は転生者たちの事が無事に終わったら、黒椿を問い詰める事を心に決めて……目が覚めるその時を待ち続けた。

















 死祀が建国した国の中央。

 そこには処刑台が設置されており、その周囲には転生者たちが地面に横になっていた。

 その場にいる半数近くの転生者は命を落とし、残りの生きている転生者たちはつい先程まで行われていた激しい戦いの余波を受け気を失っている。


 戦いが起きていたその中心には、一人の青年に跨る白銀の少女の姿があった。


「……」


 少女は絶望に呑まれ虚ろな瞳で青年の顔を見る。

 そして、何も反応を示さない青年を見て涙を浮かべる。


(死んではいないのかもしれない……だが、動かなければそれは死んだも同然だ……)


 その涙を堪える事が出来ず、少女はその顔を青年の胸にうずくめた。


「お前と話したい……声を聞きたい……」


 そうして思い浮かべるのは、優しく微笑む青年が自分の頭を撫でる光景。


「愛してる……ずっと愛しているぞ……またお前に頭を撫でてもらいたい……」


 少女はその声が青年に聞こえているとは思っていない。

 自分の胸の中にこみ上げる感情を押し出す様に……声に出しただけだった。


 だが、それでもその声は口に出されたのだ。


「ッ――」


 その場にいる者なら誰もが聞く事が出来る声。

 その声に応える様に――優しい温もりが白銀の少女の頭を撫でた。


「――馬鹿者め……沢山……たくさん、しんぱいしたんだぞ……」


 その温もりを感じて、顔を上げた少女は涙を流してそう語る。


「……ごめん。沢山心配かけた……ただいま、グラファルト」

「おかえり……藍……ッ」


 優しく微笑む藍に白銀の少女――グラファルトは震える顔で笑みを作る。


 そして、撫でられていた藍の手を取り愛おしそうに自身の頬へと擦り付けるのだった。



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