第56話 シーラネル・レヴィ・ラ・エルヴィス〜四日目の夜〜




「もう、どれ程の時間が経過したのでしょうか……」


 そう思い、私は石造りの壁に刻んだ斜め線を確認する。

 壁には既に三本の斜め線が刻まれていた。


「……今日の分を刻まないと」


 私は重い体を起こして壁へと近づき、手枷を上手く使って斜め線をもう一つ加えしました。

 そうして四本になった斜め線を見て、乾いた笑みを溢して思うのです。


――ああ、結局……私に救いなど来ないのだと。


「ふふっ……ふふふ……あはははは……ッ……ああああああああああ!!」


 どうして!! どうしてどうしてどうして!!


 どうして私がこんな目に合わないといけないの!?

 私はただ国の為に、家族の為に、自分を捨ててまで一生懸命に王族としての責務を果たしてきたのに……。


「どうしてなの……」

『ぎゃははは!!』

「ッ!?」


 狭い部屋の高い位置に設置された小さな格子付きの窓。

 そこから焚火と思える赤々しい光と、騒がしい男女の混じった笑い声が聞こえてきました。


「そう言えば、食事を運んできた人が今日は宴だと言ってましたね……」


 その為か、いつものパンとお水だけの食事ではなく、焼いたお肉や森の果実などといった豪勢な食事が食器に盛られて石の床に置かれています。


「……」


 ここに来た当初は空腹を覚えていたお腹も、今は全く空いておらず……戻し過ぎた所為か胃の辺りが常に痛んでいました。


 しかし、今日だけは口にしましょう。


 そう思い、私は床に置かれた食事が盛り付けられている木製の食器に手を伸ばしました。

 食器を抱えて壁際まで歩き石を背に腰を落とします。

 そうして盛り付けられた赤い果実を一つ取り、口に運びました。


「……美味しい」


 少しだけ酸味が強いですが、その後から甘さが口の中に広がり私はここに来て初めて食事が美味しいと感じました。


「……」


 そうして、私は休むことなく手を動かし食事を口に運びます。

 大きなものは小さく千切り、少しづつ口に運びました。


――美味しいと思えるのも、これで最後なんですね。


「これが、最後の食事……ッ……うぅ……」


 手に持っていた果実を落として、膝に置いていた食器を右手で払い捨てる。


「やだ……やだやだやだ!! 私はまだ……死にたくない!!!!」


 床に頭を着けて、私はただただ泣き叫ぶのでした。


「家族に会いたい……ルネに会いたい……まだ、生きていたい……ッ」


 転生者たちは気づくことはない。

 私の声は、転生者達の笑い声に掻き消されていく。


「誰か……助けてよ……」


 身も心も疲れ果てた私の意識は、ここで一度途切れるのでした。
















――ネル――い。


 頭の中に、誰かの声が木霊する。

 どこかで聞いたことのあるような……でも、上手く聞き取れません。


「……だ、れ?」


 ……。


 閉じていた目を開き、声の主を探しますが……私の声に返事は返ってきませんでした。

 周囲を見ていて気づきましたが、狭いこの部屋は気を失う前よりも暗くなっていました。

 どうやら、外で行われていた宴も終わったみたいです。

 小さな窓から漏れる月明かりだけが、この暗い部屋を照らしていました。


「幻聴まで聞こえてしまうとは……私ももう限界という事ですね……」


 せめて、体だけでも休ませようと再び目を閉じて眠ろうとした時――その声ははっきりと頭の中に響きました。



「シーラネル、まだ諦めないでください……!!」

「――女神、様?」



 【神託】の際に何度も聞いた優しい声。

 でも、以前よりも感情が籠っている様な……そんな心強い声に目を開けると、そこには――黄金の瞳でこちらを見つめる敬愛する女神様の姿がありました。


「気づくのが遅くなってしまい、申し訳ありません。貴女の手枷に掛けられた魔力を封じる術式を掻い潜るのに時間を要してしまいました」

「嘘……本当に、女神様なんですか……?」

「はい。お久しぶりですね、シーラネル……【神託】を授かりし尊き世界の子よ。前回の【神託】が行われてから随分と間が空いていましたから……またこうして出会えた事、心より嬉しく思います」


 女神様はとても美しく、そして……その声を聞いて思わず涙が溢れてきます。


「私は……もう、見捨てられたのかと……」

「安心してください、貴女を見捨てることは絶対にありません。創世の女神――ファンカレアの名において誓いましょう」

「……ありがとう、ございます」


 最後に、こんな夢を見せてくれて……。


「夢ではありませんよ?」

「ッ!?」

「……【神託】を使い、貴女の魂をこちらに呼びました。ここは白色の世界、わかりやすく言うのならば神界……と言ったところでしょうか?」


 その言葉を聞いてから周囲を見渡すと、そこには真っ白な空間が広がっていました。

 ここが神界……私の魂を神界に呼び出す……そんな事が出来るんですね……。


「……出来ればこの方法で呼び出す事が二度とない事を願います。この方法は”貴女が命の危機に陥った場合”に発動する【神託】に隠された特殊能力ですから」

「ッ……あの、女神様……」

「ファンカレアで構いませんよ、シーラネル」

「……ファンカレア様。わ、私は本当に――『大丈夫です』」


 私の言葉を遮り、女神様……ファンカレア様は優しい笑みを浮かべて私にそう言いました。


「もう大丈夫ですよ、シーラネル。貴女を救う為に現在、神の使徒である六色の魔女達も動いています。そして私も……貴女を救う為に一人の青年を世界に送りました」

「……一人の青年……それは、転生者と言う事ですか?」


 私が不安を胸にそう口にすると、ファンカレア様は少しだけその表情を暗くしてしまいました。

 どうやら、私の予想通りその青年は転生者らしいです。


「……申し訳ありません。創造神であるファンカレア様を疑うなど、あってはならない事だとは十分に理解しています……。ですが、私は不安を隠せずにはいられないのです……。もし、次に訪れる転生者がまた死祀に属する者たちの様な存在だったとしたら……私は……」

「……貴女が不安に思う気持ちは当然だと思います。私自身、例え貴女に恨まれたとしても、それは仕方のない事だと思っていますから……。私の選択がこの様な惨劇を生み出してしまった事……心から謝罪します。本当に申し訳ありませんでした」


 ファンカレア様はそう言うと、私の為に頭を下げてくれました。

 本来であれば、創造神であるファンカレア様が謝罪する理由などありはしないはずなのに……それなのに、世界の神である存在は……世界に住まうだけの存在である私に深々とその頭を下げたのです。


「お顔をお上げください……」

「……」

「確かに私は、先程まで”何故自分がこんな目に合わなければいけないのか”と考えていました……私には、救いなどないのだと……ずっと貴女様に祈りを捧げながらも内心では、もう既に諦めていました」

「ッ……」

「ですが! それでも私はファンカレア様に祈ることはあれど――貴女様を恨む事など絶対にありえません! 例え貴女様がどんな選択をなされたとしても、貴女様が私たちにとっての唯一の神である事に変わりはないのですから……」

「シーラネル……」


 私の心からの叫びに、ファンカレア様は涙を流して下さいました。



 正直に言うと、私は今日までファンカレア様の事を誤解していました。

 絶対的な力を持つ創造神。

 世界に響く声は全ての者を跪かせ、その心と魂を魅了する。


 それが創世の女神ファンカレア様であり、私がいつも【神託】を行う際も、無感情な声で投げかけられた問いにお答えするだけでした。

 神とは、感情など持ち合わせてなどおらず、常に自らの創り出した世界をただ見守っているだけなのだと、そう思っていました。


 ですが、それは私の勘違いだったのですね。

 ファンカレア様にもちゃんと感情があって、心がある。


 目の前で涙を拭う女神様を見て、私はそう確信しました。














「……そもそも、今回の件には我が国の貴族も一枚嚙んでいる可能性があります。転生者達の所業を許すことは出来ませんが、全ての原因が転生者にあるとは言い切れません」


 ファンカレア様との会話で精神が落ち着きを取り戻したのか、初日に考えていた可能性について思い出しました。

 そうして私は、ファンカレア様にその事実を詳細に伝えます。


「なるほど……」


 話を聞いたファンカレア様は少し考える仕草をした後、ある言葉を口にします。

 その言葉は、その方の名前は……私にとって衝撃的な言葉でした。


「そういえば、”常闇のミラ”がエルヴィス大国の謁見の間で、タルマ伯爵と言う名の貴族の嘘を暴いて拘束させたと言っていましたね……」

「……えっ」

「わかりました。私の方で再度連絡を取り、確認を――「あの!!」――はい?」

「あ、あの!! いま、”常闇のミラ”と……そう仰いましたか?」

「え、ええ……確かに私は”常闇のミラ”と口にしましたが……どうかしましたか?」


 この時、ファンカレア様はとても困惑されていました。

 首を傾げて私に問いかけるファンカレア様に、私は慌てて謝罪をします。


「も、申し訳ありません!! じ、実は私……ミラスティア様の事が大好きなんです……」

「そ、そうなのですか!? でも、貴女が生まれた時には既にミラは姿を消した後だったのでは……?」

「その……国の書庫にある本で六色の魔女様達の文献を読んだり、王宮にいるノーガスと言う私の魔法の先生がミラスティア様の話を沢山してくださって……誕生日にはミラスティア様の肖像画を下さったのです! そのお姿が大変美しくて――」


 私は如何にミラスティア様が魅力的な方であるかをファンカレア様に語り続けました。

 そして、しばらくの間止まる事なく話していた私は我に返り、困り顔でこちらを見ていたファンカレア様に気づくのでした……。


「〜〜ッ!? た、大変申し訳御座いません!! ミラスティア様の話が出てつい……」

「い、いいんですよ。私としても交友のあるミラスティアが好かれているのは嬉しいですから」


 とんでもない粗相をしてしまった私に、ファンカレア様は笑顔でそう仰りました。


「でも、それならば好都合でしたね」

「こ、好都合……ですか?」

「はい。何故なら、先ほど伝えた世界に送り出した一人の青年……実は、ミラスティアの孫に当たる人物なんですよ」

「ッ!? ミ、ミラスティア様のお孫様ですか!?」


 ファンカレア様の言葉に私は再び驚いてしまいました。

 私の言葉に頷いた後、ファンカレア様は丁寧に説明をしてくださいました。


 ミラスティア様のお孫様がどういう人物なのか、その容姿、名前、性格、言葉遣いなど。どうやって調べたのかを聞くのが恐ろしくなる程に細かく説明して下さいます。その様子はとても楽しそうで……一瞬、このお方が女神様である事を忘れてしまいそうになる程に、ファンカレア様は満面の笑みで語り続けました。


「――それでですね? 私が”藍くん”って呼んでもいいですかって聞いた時、藍くんはどうしたと思います? 私の手を優しく握りながら『俺は大歓迎だよ』って言ってくれたんですよ!! その時の笑顔がもう本当に格好良くて……ッ!?」

「……」

「ご、ごめんなさい……私、つい……」


 ファンカレア様は顔を赤くして私に謝罪の言葉を口にします。

 きっと、先ほどの私と同じく恥ずかしくなったのだと、私はそう思いました。


「お気になさらないで下さい。ファンカレア様のお陰で、その青年……ラン様でしたね? ラン様が信用できるお方なんだと分かりましたから」

「……そう言っていただけると、私としても助かります」

「では、私はラン様が助けに来て下さるのを……あの場所でお待ちしております」


 そうして、私はファンカレア様に一度頭を下げました。


「本当にありがとうございました。ファンカレア様のお陰で、私はこうして心を強く保つ事が出来ました。私はもう、決して生きる事を諦めたりはしません!」

「……貴女の力に少しでもなれたのなら良かったです。シーラネル、私はいつでも見守っていますよ」


 黄金の瞳を細めて、創世の女神様は私にそう語りかけます。


 こうして、ファンカレア様の姿を見つめていた私の視界は、眩い光に包まれていくのでした。


















「んっ……ここは……」


 目を開けると、そこは薄暗い見慣れた石造りの部屋でした。

 痛む体を起こし、上を見るとそこには小さな窓があります。小さな窓から見える外の世界は、もう青白くなり始めていました。


「……夜は明けてしまったのですね」


 そうして、私は一度目を閉じて先程までの記憶を思い出します。


「大丈夫、あれは夢なんかじゃない……」


 ファンカレア様と話した内容も一言一句しっかりと覚えている。

 そうして記憶を遡っている最中、一生懸命に話すファンカレア様の顔を思い浮かべて、思わず笑みが溢れてしまいます。


「ふふっ……ファンカレア様があんなにも楽しそうに話すお方……私を助けにいらっしゃるラン様とは、一体どの様なお方なのでしょうか?」


 まだ見た事もない殿方を思い、私は窓の向こうの空を見続けます。


「お待ちしております、ラン様。どうか、私をお助けください……」


 届く事のない言葉を呟きながら、私は両手を合わせて祈りを捧げるのでした。




 死祀の国に囚われて五日目の朝。

――今日、私は処刑されます。

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