第45話 それぞれの想い






 あれからずっと恋人繋ぎのままだった手を解き、俺がファンカレアの話を聞きながらクッキーを食べようと手に持っていると、ふいに後ろから声を掛けられた。


「――甘い匂いがすると思ったら、美味そうな物を食べてるな」


 背中に掛かる僅かな重みに顔を右へ向けると、そこには見覚えのある少女の顔があった。


「おお、グラファルトも食べるか?」

「むっ……もう少し驚くと思っていたのだが……」


 俺の反応が悪かったからか、グラファルトは口を尖らせ小言を口にする。

 しかし、手に持っていたクッキーが気になっているのか俺が手を動かすと、それを目で追っていた。そして俺がグラファルトの口元までクッキーを持って行くと一瞬こっちを見た後、嬉しそうに笑みを浮かべてそれを食べ始める。


「うむ! これは美味だな!! うまいぞ、藍!!」

「お気に召したようで何よりだよ、まあそれを出したのは俺じゃないけどな」


 そう言って俺はファンカレアの方へ掌を向けて、グラファルトの視線を右隣りへと誘導する。後ろから抱き着いている状態のグラファルトは視線の先で座っているファンカレアを捉えると、俺から離れてファンカレアの方を向いて声を掛ける。


「初めまして、と言った方がいいのか? 知ってはいると思うが、グラファルト・ヴァヴィラ・ドラグニルだ。すまぬが、我はずっとこの様な話し方でな……。望みとあれば改める努力はするが……」

「こうして話すのは初めてですね、グラファルト・ヴァヴィラ・ドラグニル。口調に関してはそのままで構いません。元々神格を有していた時点で、貴女は世界の理から外れた存在……私を敬う必要もありませんよ」


 うーん……物凄く重たい雰囲気だ。それによくわからない話も出て来たな。

 神格を持つと世界の理から外れる……? 意味はわからないけど、おそらくグラファルトはフィエリティーゼにおいて特別な存在であったということなんだろう。


 ファンカレアの言葉にグラファルトは頷き、縦長の瞳孔が特徴的な朱色の瞳でファンカレアを真っ直ぐに見つめる。そして、その白銀の頭をゆっくりと下げたのであった。


「創世の女神ファンカレアよ、我が未熟だった故、長い間迷惑をかけてしまったな……本当にすまなかった」

「……いいえ、謝らなければならないのは私の方です。私が地球からの転生者を送り込んだことで、世界に混乱を招いただけではなく貴女に家族を失わせてしまった。本当に申し訳ありません……」


 謝罪の言葉を述べるグラファルトを否定して、ファンカレアは立ち上がり悲痛な面持ちでグラファルトへと頭を下げる。

 そうして頭を下げているファンカレアは、少しだけ震えている様に見えた。


 多分、彼女は後悔しているのかもしれない。

 転生者にも、フィエリティーゼに住まう人々にも、そしてグラファルトにも。

 全てが自分の判断で起こってしまった事であり、それは間違いのない事実である。そんな事実に、ファンカレアは深い後悔を抱き今日まで過ごしてきたんだと思う。


 グラファルトは深々と頭を下げるファンカレアの肩に手を置き、諭すように声を掛け始めた。


「これ、創世の女神がそう易々と頭を下げるな」

「し、しかし……私の所為で貴女は……」

「……その辺りの話も常闇からちゃんと説明を受けている。そもそも、お前は世界の創造神なのだ。例えフィエリティーゼに何をしようとも、極論ではあるがそれは創造神であるお前の自由であり、その行いに対して謝罪する必要は一つとしてありはしない」


 そこで話を区切り、グラファルトはファンカレアを椅子へと座らせる。そうしてグラファルトはファンカレアの頭に手を置き、優しく撫で始めるのであった。


「それにな……孤独を知る我には、お前の気持ちが痛いほどにわかるのだ……」

「……ッ」

「孤独とは退屈でつまらないモノだ。ヴィドラス達と出会う前の我は……まさしくそうであった。一体しか存在しない竜種、そして他者を寄せ付けぬ強さを持つ我に近づく者は誰ひとりとして居ない。我は……生きがいを失う寸前であった」


 それは感情は、脳裏に残っているグラファルトの記憶から理解できる。

 グラファルトにとって、ヴィドラス達と出会う前の世界は例えるのならばモノクロの色褪せた世界であった。誰からも恐れられ、掛けられる言葉は恐怖、罵声、挑発などばかり……最初から敵としてやってくる者たちに、グラファルトは心底飽き飽きしていた。


 しかし、そんなグラファルトを変える存在が現れる。

 それは言うまでもなく、突然変異で竜種となったヴィドラス達の事だ。


「我を変えてくれたのはヴィドラス達であった……あやつらと出会えたことで、我は世界を愛することが出来た、孤独と決別することが出来たのだ」

「――そんな存在を、私は奪ってしまったのですね……」

「否、悪いのはお前ではない。さっきも言ったであろう? 常闇から説明をされたと。お前は純粋に求めただけだ、己の支えとなる……隣に立てる存在を。その結果自らが創造した世界で何が起ころうと、それは世界にとっては運命であり、致し方のない不運であるだけだ」


 割り切ったと言わんばかりにそう語るグラファルト。

 しかし、その顔はどこか寂しそうに見える。きっと、家族であった彼らの事を思い出しているのかもしれない。


「我はもう良いのだ。藍のおかげで、あやつらにちゃんと別れを告げる事が出来た。それだけではない、あやつらに託された願いを思い出す事も出来たのだ。我はいま、幸せだと心からそう言えるくらいに満足している」

「……」

「創世の女神よ、お前とてそうなのであろう? 今までの行いが無駄であったと……必要のない事であったと、本当に思うのか?」


 ファンカレアはグラファルトの言葉に俯き、黙り込んでいる。

 そうして、しばらくして顔を上げるとその首を大きく振りはっきりと否定した。


「いいえ、決して無駄な事ではありませんでした……何故ならば、そのお陰で私は――大切な人に、出会うことが出来ましたから」


 ファンカレアは優し気に微笑み俺を見てそう答えた。

 そんな彼女の言葉にグラファルトは深く頷き、ニッと笑みを浮かべると明るく声を上げる。


「無駄だったなどと口にしようものなら、恨み言の一つや二つ言ってやろうと思っていたが……それならば良い!! 互いに今が幸せなら、これ以上の結末があるわけなかろう?」

「そう、ですね……」

「まあ、だからと言ってフィエリティーゼをこのままにしておくつもりはない。我はヴィドラス達に世界を守ると約束したのだ。その為にも――」


 そうして、グラファルトは俺の方へと顔を向け右手を差し出してくる。


「お前の力が必要だ、藍。お前には理由はないかもしれないが……我に力を貸して欲しい」

「私からもお願いします。私の尻拭いをさせてしまい申し訳ないのですが、どうか……どうか、世界を――「大丈夫」――ッ」

「大丈夫だよ、ファンカレア。俺はもう決めてるんだ」


 ファンカレアに微笑み、グラファルトへと視線を移す。

 そして、差し出されたグラファルトの右手を握った。


「言っただろ、グラファルト。お前の罪も、憎悪も、復讐も、願いも、その想いも全て、俺が引き受けるって……それにさ、ヴィドラス達の記憶は俺にとっても忘れる事の出来ない大切なモノなんだ。だからさ……俺は、頼まれなかったとしても――フィエリティーゼを守り抜くよ」

「藍……お前は……」


 俺の言葉に、グラファルトはその表情を暗くする。


……あれ、何か変な事を言ってしまったのだろうか?

 そう思い、グラファルトに聞こうと口を開いた時、後方から二人分の声が聞こえて来た。


「もう! 早すぎるよグラファルト!!」

「これも、共命とやらの影響かしらねぇ……フィエリティーゼに居た頃よりも明らかに早くなっているわ」


 振り返ると、そこには頬を膨らませた黒椿とグラファルトの変化に興味を示しているミラの姿があった。


 そうして、二人が合流したことで会話は途切れ、俺はミラと共に魔力とスキルの訓練をすることになる。


――結局、グラファルトがあの時何を思っていたのか……俺は聞くことが出来なかった。































 藍とミラスティアが訓練用の結界空間へと入るのを見て、グラファルトは残った二人に声を掛ける。


「黒椿、そして創世の女神よ」

「どうしたの?」

「なんでしょうか? それと、私の事はファンカレアで構いませんよ?」


 ファンカレアの言葉にグラファルトは頷き、続きを話し始める。


「では改めて言うが……黒椿、そしてファンカレアよ、藍から絶対に目を離すな。最悪の場合――」


「ッ!?」

「……」


 その言葉にファンカレアは驚愕し、黒椿は何か思い当たる節があるのか神妙な面持ちでグラファルトを見ていた。


 そうして語られたグラファルトの話に……二人は最悪の結末を思い浮かべる。




 ――自らの意思で世界を崩壊させる、漆黒の略奪者の姿を。


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