第33話 六色の魔女①
フィエリティーゼの東に属する山岳地帯。
8000mを超えるであろう大きな山を中心に3~4000mの山々が所狭しと聳える地域の下層には、静かなる森が広がっていた。
森の奥にある二座の山を利用した渓谷……その入口近くの空間に紫黒の魔力がヒビを入れて広がり始める。
やがてヒビは大きな虚空へと変わり、そこから一人の女性が現れた。
「全く……これでも世界最強と言われる魔法使いなのだけれど……」
納得のいかない様子で不満を漏らしながら、世界最強の魔法使いである常闇の魔女——ミラスティア・イル・アルヴィスはフィエリティーゼへと帰郷する。
彼女がフィエリティーゼに帰郷する事になった原因、それは唐紅色の髪をした精霊からの無茶なお願いによるものだった――。
「――ちょっとフィエリティーゼに行って、持ってきて欲しいモノがあるんだよね」
白色の世界で、黒椿はミラスティアに上目遣いでそう言った。
黒椿の話を聞いたミラスティアは、遠慮のないお願いに頭を振る。
「あなたねぇ……さっきフィエリティーゼの現状について散々話していたばかりじゃない……私にそんな危険地帯へ行って来いっていうの?」
「だってこの中でフィエリティーゼに行けるのってミラしかいないから……」
その言葉を聞いて、ミラスティアは大きく溜息を吐くのだった。
創世の女神であるファンカレアは身に宿す魔力が大きすぎる影響で、フィエリティーゼへ移動する際に降り立った場所を中心に魔力の衝撃波の様なものが生まれてしまう。それはもう災害と呼ばれるくらいの現象であり、それを知っているミラスティアは心の内で黒椿の言葉に納得した。
「……ちなみにだけど、あなたは行けないの?」
「うーん……行けないことはないけど……僕って一応藍の守護精霊だからなるべく藍の傍に居たいんだよね……。それにこう見えて僕、神属性の魔力を多く貯め込んでいるから藍の中に隠れていれば大丈夫だけど……」
そこまで言って黒椿はファンカレアの方を見る。
つられる様にミラスティアもファンカレアの方へと視線を動かして、視線の先に映るファンカレアの困った様な顔を見て、ガクッと肩を落とすのだった。
ファンカレアはそんなミラスティアに同情しながらも、フィエリティーゼの創造神としての判断をミラスティアに伝える。
「そうですね……藍くんは試練を乗り越えたので問題なく転生する事が出来ますが、黒椿はそもそも転生者ではない精霊なので試練を受けることすら出来ません。そんな存在が無理やりフィエリティーゼへ渡ってしまうと……世界に歪みが出来てしまうかもしれませんね……」
「そうですかそうですか……私に味方はいないって訳ね、了解よ……」
ミラスティアは悪態をつきながら、片方の頬を膨らまして頬杖をつく。
そんなミラスティアの子供じみた態度を見て他の二人は申し訳なさそうに苦笑するのだった。
「ご、ごめんね、ミラ? どうしても必要になるモノだから……」
「はぁ……それで、私は何を持って来ればいいの? 何処かの偉い人が持っているお宝とかは勘弁してほしいのだけれど……」
ジト目で黒椿を見つめてミラスティアはそう言った。
黒椿は少しバツが悪そうに、フィエリティーゼから持ってきて欲しいモノの名前をぼそりと口にする。
「あの……グラファルトの……」
「え? なに?」
「――グラファルトの……からだ……」
その言葉を聞いた途端、ミラスティアは座っていた椅子から勢い良く立ち上がる。
勢いが強すぎて倒れてしまった椅子を無視してミラスティアは歩き始め、そのまま黒椿の前へと移動したミラスティアは力を込めて黒椿の両頬を抑えた。
それくらいミラスティアにとっては重大であり、衝撃的な事実であったのだ。
「ちょっと待って……グラファルトの体って……まさか、まだフィエリティーゼに残ってるの?!」
「う、うん……ひうおふぇいふぉふひ(竜の渓谷に)……」
黒椿は強く挟まれた頬で一生懸命に説明をする。
ミラスティアは直ぐさまファンカレアの方へと顔を向けてそれが事実かどうか目配せをして確認を取る。しかし、ファンカレアからの返答は否定であった。
その返答を見た後、ミラスティアは再び黒椿へと視線を移し真っ直ぐとその目を見る。そして、手の力を緩めて優しく両頬を抑えた。
「ファンカレアも知らないと言っているわ……なのに、どうしてあなたには分かるの?」
「……こればっかりは僕を信じてとしか言えないけど、ファンカレアが気づけなかった理由は説明できるよ」
ミラスティアに応える様に、黒椿もそのレモンイエローの瞳でミラスティアを見つめ返した。
しばらくの硬直を終えて、ミラスティアは頬に触れていた手を離して倒れた椅子へと足を進める。
椅子を直し、そこに腰掛けると一呼吸をして身嗜みを整えた。
「ごめんなさい……つい、取り乱したわ」
「ううん、大丈夫だよ」
「ありがとう……。それじゃあ、説明してもらってもいいかしら?」
手元にある冷めた紅茶を生活魔法で温め直して一口飲むと、ミラスティアは黒椿にそう言った。
黒椿はミラスティアに頷いて説明を始める。
「実はね、邪悪なる神格はファンカレアに敗れた時のことを考えて精神体へと変化する時に捨てた体を高度な隠蔽魔法で封印していたんだ。仮に外から支配することに失敗したならば次は内側から……って感じでね」
「……その隠蔽魔法は私でも見破れないものなんですね」
「ファンカレアがグラファルトの体を本気で探していたら見つけることができたかもね、竜の渓谷をチラッと見た程度じゃ見つけられないと思う。まあ、堕ちても神様だからね邪神は」
ファンカレアから投げ掛けられた質問に黒椿が答えると、納得したようにファンカレアは静かに頷いた。
「だから、今回ミラにはグラファルトの体を回収してきて欲しいんだ。隠してあるから大丈夫だとは思うけど……転生者の事もあるからちょっと不安で……。グラファルトの魂が藍の魂と繋がっちゃって、急いで肉体を取り戻す必要はなくなっちゃったけど早めに回収しておいて損することはないからね」
「まあ、あるとすれば私の労力くらいかしら……」
「そ、そうだねぇ」と黒椿は後頭部を掻いて苦笑する。
黒椿の話を聞いたミラスティアは、カップの紅茶を飲み干して席を立った。
「ふぅ……それじゃあ、久しぶりに帰省してくるとしようかしら」
「行ってくれるの!?」
「この中でフィエリティーゼへ行けるのは本当に私だけみたいだしね……ついでに今のフィエリティーゼの現状も友達に聞いて来るわ。あの可愛い白銀さんに恩を売っておくのも面白いしねぇ」
キラキラと瞳を輝かせる黒椿に呆れながらもミラスティアはそう言った。
しかし、ミラスティアにはフィエリティーゼへ向かうに際して懸念している事があった。それは、自らが孫に託したスキルについてである。
「でも、戦闘面ではあまり期待しないで欲しいわね。【不死】の転生者を相手にするなんて……いまの私は御免よ?」
「あ、それについてはちゃんと考えてるから大丈夫!!」
「……考えてる?」
自信満々にそう語る黒椿に若干の不安を抱きながらも、ミラスティアは諦め半分でその考えを聞くことにする。
――こうして、グラファルトの体を回収しに世界最強の魔法使いは、故郷であるフィエリティーゼへとお使いに出掛けたのであった。
懐かしい世界の空気を吸い込んで、ミラスティアは今回フィエリティーゼへと降り立つ理由となった場所へと歩み始める。
「数百年前、ここは美しく……静かな場所だったのにね……」
ミラスティアの前には、所々崩れている山に挟まれた大きな穴が顔を見せている。
それは竜の渓谷の入り口だ。
ミラスティアにとって、そこは懐かしい場所であり同時に後悔を募らせる場所でもあった。
「……」
紫黒の魔力を体に纏わせ、ミラスティアは入口へと足を進める。
暗い道を慣れた足取りで進むと、やがて奥から光が漏れ見えて来た。光が漏れる場所へと進み……ミラスティアはその光景に悲痛な表情を浮かべる。
「そう……ここで、ここであなたの心は壊れてしまったのね……グラファルト……」
竜の渓谷の内部。
数百年前は、15頭ほどの竜を束ねるグラファルトが笑顔で迎えてくれた温かい場所だった。
しかし、そこはミラスティアが訪れていた頃とは全てが違っていた。
綺麗に平たく整えられていたはずの地面は、上から落ちて来たであろう大きな岩々で埋め尽くされている。
山々を利用している壁には所々に何かがぶつかったと思われる大きな凹みが出来ていた。
ミラスティアはその光景をまじまじと見つめ、体に纏わせた紫黒の魔力を激しく乱れさせる。そして、流すように左から右へと魔力を込めた右腕を振り切って、放出した紫黒の魔力を荒れ果てた渓谷の内部へと浸透させていった。
地面に転がる岩々は魔力を通して亜空間へと飲み込まれ、多少デコボコしてはいるが歩けるくらいには平たい大地へと姿を変えた。次にミラスティアは、大地や壁に出来た凹みを土系統の魔法を使い埋めていく。
そうして、荒れ果てていた渓谷の内部は5分も掛からない内にミラスティアによって掃除されたのだった。
「……あそこね」
ミラスティアは魔力を渓谷の全体へ這わせていた時、小さな違和感を感じた場所へ足を運ぶ。
そうして辿り着いた場所には……特にこれと言って変わった様子はなく、ミラスティアはその違和感を視覚的に感じ取ることは出来なかった。
「これが隠蔽魔法ってことかしら? それなら――この空間を支配すれば何か分かるかしらね」
ミラスティアは瞳に紫黒の光を宿す。
それを合図に、紫黒の魔力がミラスティアを中心に渓谷内部へと広がりを見せる。
ミラスティアが一瞬……その瞳に力を込めると、渓谷の大地が、空間が、恐怖に怯える様に震えだした。
そして――
ガシャンッ――!!
ミラスティアの目の前の空間が大きな音を立てて砕け始める。
そうして姿を現したのは……。
――おお!! 待っていたぞ、常闇!!
――おのれぇ……常闇、次こそは我が勝つからな……!!
――また来るのだぞ? 常闇……。
――我はな、お前の事を気に入っておるのだ……常闇ッ!
ミラスティアは、聞こえるはずもない声がその大きな巨体から聞こえてきたように感じた。
そうして、震えた手でその白銀の巨体へと優しく触れ――
「――久しぶりね、ただいま……グラファルト」
ミラスティアは、抜け殻であるグラファルトの巨体にそう呟いた。
呟くミラスティアの頬には、零れた涙が流れている。
数百年の歳月を経て、常闇の魔女は白銀の竜との再会を果たしたのだった。
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