第27話 「幸せだと、心からそう思う」
――目を開くと、そこには何もなかった。
白だけが広がる世界で、我はただ茫然と前を見る。
「ここはどこだ……これはッ!?」
自分の手を見て驚愕する。
それはまさしく、【人化】した状態の我の手であったからだ。
発せられた声は幼く高い、威厳など微塵も感じさせぬ声音だった。
「どうなっている……いや、そうか」
冷静に考えてみればわかることだ。
そうか……我は――。
「我は、死んだのか……ふっ、良き生涯……とは言えぬな」
『——いやはや何を仰いますか、あなた様にはまだその言葉は早いのではないですか?』
後方から聞こえる声に、思わず体が跳ね上がる。
嗚呼……死後の世界は、存在するのだな。
『どうされました? 久方ぶりの再会なのです、私としましてはこちらを振り返って欲しいのですがね――魔竜王様』
その声は、かつて我が生み出した竜。
その声は、我がいま……一番会えない、会ってはならない存在。
どうして……お前はそんなに優しく語り掛けるのだ――ヴィドラス。
「ふ、振り向けるわけが、なかろう……? 我は、お前たちの期待を、う、裏切ってしまった……どんな顔をして、お前たちと、会えば……」
『ははは、相も変わらず、あなた様はお優しいのですね。私たちの為にそんなに涙を流して、変わらぬあなた様とこうしてお話しする機会をくださったあの方には感謝ですなあ。私としましては、もう二度と会えないと思っておりましたので本当に嬉しく思います。まさか、私たちの魂の欠片が魔竜王様の魔力に溶け込んでいたなど想像もできませんでしたからなあ。まあ欠片である私たちはそう長くは魔竜王様とお話しする事が出来ませんが……やはりこうして魔竜王様と——あいたっ!? 何をする、我が妻アグマァルよ!?』
『何をするじゃないだろう!! お前だけベラベラと喋りおって……そう長くは持たないと自分で言っておったではないか! 少しは自重をしろ、自重を! 大体お前はいつもそうやって魔竜王様を困らせて——』
相変わらずの長い早口が始まったと思ったら、ヴィドラスの早口が途中で途切れた。それは、奴の番であるアグマァルの一撃によるものらしい。
嗚呼、本当に久しい。
どうして、我は間違えてしまったんだ……。
こんなにも温かい同胞たちの願いを、叶えてやる事もできずに死んでしまうとは。
自然と涙が溢れてとめどなく流れていく。
膝が震えて立つ事も出来ぬ……力が抜けて我は白い地面に座り込んだ。
そんな我の肩に優しく触れる手の感触。
その感触は……温もりは……何度も触れてきた懐かしい感触だ。
「魔竜王様!? 大丈夫ですか!?」
「ほら見たことか! お前の話が長すぎたせいで魔竜王様がお疲れになってしまったぞ!! 申し訳ありません魔竜王様、この馬鹿は黙らせておきますので」
右からは人の姿をしたヴィドラスが心配そうに我を見ている。
左からはヴィドラスを叱責して我に優しく微笑む人の姿をしたアグマァルがいる。
「違う……違うのだ……我は、我は嬉しくて……申し訳なくて……すまぬ……本当にすまぬ……われは、おぬしらのぎもぢをぉ……ねがいを……すべてをむだにじだんだぁッ!!」
泣きながらも謝罪をしなければと話すが、上手く声を出すことが出来ない。
上手く伝わったかもわからないが、それでも謝りたくて唯々下を向き謝罪の言葉を繰り返した。
全ては我が弱かったせいだ。
常闇に忠告を受けていたにもかかわらず、結局は悪意にこの身を委ね神格の力に溺れてしまった。そして、お前たちの最後の願いすらも忘れてしまった……。
我は――同胞たちを裏切ったのだ。
「――良いのですよ、優しき我らが王よ」
「アグマァル……?」
アグマァルが我の体を抱きしめている。
鱗と同じ、深紅の髪が視界の先で揺れていた。
柔らかい感触が我の体に伝わり、包まれた温かさにまた涙が溢れて来る。
「優しき我らが王よ、あなたは何を悲しむのですか? 我らの願いを叶えられなかった事ですか? それなら大丈夫です、あなた様の翼はまだ折れてはいませんよ」
「……いいや我は、もう死んでしまったのだ。お前たちの願いを、全てを台無しにして、死んで――」
「いいえ、我らが王よ。それは違いますよ」
我の声に今度はヴィドラスが返答する。
ヴィドラスは我の右手を握り微笑んでいた。鱗と同じ蒼い髪を後ろで一括りにした若い男、いつも見ていた懐かしい姿だ。
「ここは死後の世界ではありません。ここは私たちの恩人である制空藍の体の中です。あの青年は、私たちの願いを叶えてくれた……あなたを救ってほしいと言う、最後の願いを」
「優しき我らが王よ、あの青年に感謝の言葉をお伝えください。最後にこうして……あなた様を抱きしめる事が出来た……その事に心からの感謝を」
「待ってくれ……どうして、そんな別れの言葉を……」
それではまるで……もう二度とお前たちと……。
「どうやら、本当にお別れの様ですな」
「ッ!?」
顔を上げると、ヴィドラスとアグマァルの体が光り輝き粒子へと変わっていく。
「私たちは亡者です。それも魂の欠片から生まれた小さな亡者……ですが、あなた様は違う。あなた様は救われたのです、あなた様に良く似た――あの優しき青年に」
「……我に生きる資格など――」
「――生きる資格は、あなた様が決めることではありません」
最後の力を振り絞るようにアグマァルが我を強く抱きしめて来る。
「私が――あなた様に生きて欲しいと、そう願っているのです」
「……ッ」
「ほら、顔を上げてください。優しき我らが王よ」
アグマァルの両手が我の顔を上げさせる。
涙で上手く見えない視界の先にはアグマァルの優しい笑顔が見えた。
「私は、あなた様を愛しております。あなた様と生きたあの世界を愛しております。どうか……どうか生きて、あの世界をお守りください。それが……亡者である私の願いです」
「アグマァル……」
「笑ってください、我らが王よ」
右に顔を向けると、そこには片膝を立てて座るヴィドラスの姿があった。
「我らが王よ、あなた様に涙は似合いませんよ。どうか、笑って私たちを見送ってはくれませんか? 最後の願いだと思って……どうか我が儘を言う事をお許しください」
ずるい奴だ……。
そんなことを言われては、応えてやらねばいけなくなる……我は、我はお前たちの王なのだから。
「全く……ヴィドラス……お前と言う奴は……しょうがないやつだなぁ……ッ」
震える顔で無理やり笑顔を作る。
涙は未だ枯れることなく流れ続け、鼻水も出ていてなんとも酷い顔であろう。
それでも、二人はそんな我を見て満足そうに頷いていた。
「「さようなら、魔竜王様。私たちはいま……幸せです」」
「ああ……さらばだ、我が愛おしき家族よ。我も、お前たちとこうしてまた会えて……しあわせだっだぞぉ……」
そうして、二人は笑顔で消えていく。
最後の最後まで、我はその温もりを離さんと抱きしめ続けた。
「――お目覚めかな? 魔竜王、グラファルト・ヴァヴィラ・ドラグニル」
気づいた時には、そこは草原の広がる空間だった。
そして、声の方に目をやると……そこには強者が立っていた。
抗う事を許さぬ力の根源。
ひれ伏したくなるほどの重圧が我を襲う。
なんだ……!? 目の前のこいつは一体……。
「ああ、ごめんね。ちょっといま機嫌があまり良くなくてね、勝手に威圧していたみたいだ」
「ッ……はぁ……はぁ……」
「これで大丈夫かな?」
先程まで感じていた重圧が弱くなる。
我はゆっくりと呼吸を整えて、目の前の女の声に頷いた。
「それじゃあ自己紹介と説明を……僕の名前は黒椿、君を救った制空藍を守護する精霊だよ。そして、ここは僕が藍の内側に創り出した精神世界――ここまではいいかな?」
「……あ、あぁ」
「本当にごめんね? あ、君に対して怒っているわけではないから安心してね? 君を【漆黒の略奪者】っていうスキルを使って吸収した時に、邪悪なる神格がまた藍にちょっかいを出してきてね……まぁ、ちゃんと消滅させたからもう大丈夫だけど」
目の前の女は楽し気にそう語り出した。
我ですら扱い切れぬあの神格を消滅させた……?
「……一つ、聞いてもいいだろうか?」
「うん? どうしたの?」
「お前は――《本当に精霊なのか》》?」
その瞬間、我の首に冷やりとした感覚が伝わってくる。
整えた呼吸が乱れ始め、体が異常なほどに震えだす。
――殺される。
目の前にいる女は、一歩もこちらへは動いていないと言うのに我はそう思ってしまった。
黄金色の瞳が静かに我を見据えている。
それはまさしく……そうか――。
そうして、我は気づいたのだ……”触れてはいけない禁忌に触れたのだ”と。
「それは知らなくてもいいことだよね? 君には関係ないんだからさ。とりあえず僕は藍の味方であり、藍の為に力の全てを使うと決めているんだ……だから、そんなに怯えなくていいよ? ああ、でも……もうその質問はしないでね?」
笑顔で答える絶対的な強者に我は強く頷く。
この力……創世の女神など、まるで子供ではないか。
制空藍、お前はなんて存在をその身に宿しているのだ……。
「うん、素直で助かるなー……それじゃあ早速だけど、君のこれからについて話そうか! 僕はちょっと行かなきゃいけない所があって、時間もない事だしね」
そうして女は我の前に手を伸ばす。その手に恐る恐る触れると体を引っ張られ起こされた。
一度だけ我と目を合わせて微笑むと、女は前へと歩き始める。
その後に続こうと歩き始めたが――。
「あ、そうだ」
「……ん?」
突然に止まり、女は我の方へと振り返った。
そうして、優し気に微笑み。
「――グラファルト。いま、あなたは幸せ?」
そう、我に聞いてきたのだ。
それは、全てを見透かした上で言っているのだろう。
女――いや、黒椿だったか。
黒椿への警戒を少しだけ緩めて、我も笑顔で答える。
愛おしき、家族の顔を思い出しながら。
「……ああ、我は――」
ヴィドラス、アグマァル。
我は、いま……
「幸せだと、心からそう思う」
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