第24話 真実の鍵



 しばらくの抱擁を終えて、ファンカレアと見つめ合う。お互いに感極まってハグまでしてしまったが、元々そんなに積極的にスキンシップを取る性格ではないはず、そうなれば言わずもがなの羞恥に襲われる訳で……。


「……」

「……」


 ファンカレアは俺の顔を見てはにかむが、その頬は赤く染まっている。

 泣き止んでもらえて良かったけど、その顔はちょっとずるい……また抱きしめたくなる。


「……本当に、藍くんなんですよね……」

「……沢山心配をかけてごめん」

「い、いいんです……藍くんがこうやって戻ってきてくれただけで……それだけで私は……」


 ようやく止んだと思っていた涙が再びファンカレアの瞳から溢れてくる。そんな彼女の涙を俺は右手で優しく拭う。


「あ……ごめんなさい……藍くんが、こうして無事でいてくれたことが嬉しくて……」

「――それだけ心配をかけていたってことだよね。本当にごめん、ファンカレア」


 拭っても拭っても、彼女の瞳からはポロポロと涙が零れて来る。

 それは、俺が沢山心配をかけた証拠であり、彼女の不安がどれだけ大きなものだったのかを物語っていた。

 結局、一人にしないなんて誓っておいてこの様だ。自分が心底情けない。

 ファンカレアに気づかれないように、左手を強く握りしめた。


「いいんですよ……藍くんが帰ってきてくれたなら、それだけで私は幸せです……藍くん、おかえりなさいっ」

「……うん。ただいま、ファンカレア」


 その一言で、俺の心は温かくなる。

 瞳を細めて微笑むファンカレアは、まさしく女神のように綺麗で……とても愛らしく思えた。

 そんな彼女を見て我慢出来るはずもなく、俺は再びファンカレアの体を引き寄せて抱きしめる。抵抗することなく抱きしめられたファンカレアは、俺の背中に手を回して力強く抱きしめ返す。


 こうして、俺達はお互いの温もりを感じていた――のだが……


「――盛り上がっているところ悪いのだけれど……私が居るのを忘れないで欲しいわね」


 ファンカレアの後ろから紫黒の魔力を纏いミラスティアさんが笑顔を浮かべてこっちを見ていた。

 表情は笑っているのに笑っていないって感じるのはなんでだろう。やっぱり背後に見える紫黒の魔力の所為かな……。


「ミ、ミラ!? 違うんです!! 決してあなたの事を忘れていた訳では……!!」

「どうでしょうねぇ……あなたはどう思う?」


 後ろから急に声を掛けられたことで慌てふためくファンカレア。そんなファンカレアをチラリと見た後、まるで悪戯する相手を見つけたかのように俺にウィンクして聞いてくるミラスティアさん。

 いや、なんで俺にそんなことを聞いて来るかな?


「えぇ……ファンカレアはただ、俺と再会できたことに喜んで周りが見えていなかっただけじゃないかな、と」

「ふぅん……」


 俺の返事を聞いてミラスティアさんは顎に手を置きこちらを見つめる。

 うっ……近い……ファンカレアの横に並び顔を近づけて来るミラスティアさんに思わずドキりとしてしまう。

 ファンカレアもそうだったけど、ミラスティアさんもかなりの美人さんだ。紫を帯びた紫黒色の長い髪がミラスティアさんが動く度に艶やかに揺れる。

 ミラスティアさんはそのまま顔が触れそうになる距離まで近づくとふふっと微笑み俺の右頬に手を添えた。


「どうやら本当に帰って来れたみたいね。安心したわ……」

「もしかして、ワザと俺にあんな質問を?」

「ふふ、五年前に初めて会ったあの時を思い出したわ。それに……こうして近づいた時の反応も五年前と一緒ね」


 ミラスティアさんはちゃんと俺が戻って来れたのかを試す為に、あえて近づいて来て反応を見ていたらしい。

 そうだとしても流石に近づきすぎやしませんかね!? 耳に……耳に吐息があたってるんですけど……。


「あ、あの……ミラスティアさん?」

「私のことは”ミラ”と呼びなさい? そのままだと長いでしょう?」

「それじゃあミラさんで……」

「ミラ」

「い、いや……流石に呼び捨てには「ミラ」……はいッ!!」


 ミラスティアさん……ではなくミラは、俺の耳元でそう呟いた。

 さん付けで妥協しようと思ったら、この人耳たぶ噛んできたよ……。何だろう、今まで関わってきた人とはそんな事なかったけど、さん付けってそんなにダメなのかな……?


 「よろしい」と微笑みミラはファンカレアの隣まで下がる。

 ミラとの会話に集中して気づかなかったけど、なんでファンカレアは両手で顔を覆ているのかな?


「ファ、ファンカレア……?」

「ひゃい!? み、見てないです!! ミラが藍くんの耳たぶを噛んでいる所なんて見てないですよ!?」


 ……それ見てた人の言葉だよね?

 手の隙間から見える真っ赤に染まった顔がそれを物語っている。


「あらあら、この子ったらそういった経験が全くなかったから耐性が無いのね」

「あぅ……すみません……」


 ミラは慌てふためくファンカレアの頭を撫でて楽しそうに微笑んでいる。

 抱き締めたりするのは平気だったのに……いや、そういえば顔が真っ赤になっていた気がする。俺も決して経験豊富って訳ではないが、ゲームとか漫画とかで割と見る機会はあったからな……。


「別に謝らなくていいのよ? これからは私の孫が居るのだからゆっくりと慣れて行けばいいわ」

「……そ、そうですよね!! 私もいつか、藍くんの耳たぶを……」

「いや、耳たぶを噛むことを目標にするのはやめようよ……」


 ファンカレアのちょっとズレた目標にツッコミを入れる。ミラはそんな俺達の様子を見て更に笑うのであった。








―――――――――――――――――――――







 ファンカレアが落ち着きを取り戻したところで、俺達の視線は正面の奥に倒れている魔力の結晶で出来た銀色の竜へと移る。

 そこに居るのは邪神へと身を捧げた優しき竜、グラファルト・ヴァヴィラ・ドラグニルだ。

 彼女は全く動こうとはせず、その魔力の気配も弱弱しくなっている。原因は間違いなくウルギアであり、過剰ともいえる魔力の吸収に加えて、スキル、称号などもかなりの数奪っている。


「グラファルト……」

「……」


 その声はミラから発せられた。正面に倒れたその竜を見て、ミラは悲しげにそう呟く。グラファルトの過去の記憶を見た俺には、ミラのその悲痛な表情の理由がわかった。


「ミラ……」

「――大丈夫よ。もう、仕方がないことだから」


 ミラの肩に手を置いて、ファンカレアは心配そうにミラへと声を掛ける。一呼吸置いた後、ミラは覚悟を決めたように肩に置かれたファンカレアの手を優しく外してその足を進めようと足を動かす。


「待ってくれ」


 前へと進むミラの手を掴み、俺はその歩みを止めた。

 ゆっくりとその歩みを止めて、ミラは静かに振り返る。

 その表情は――今にも泣きだしてしまいそうな……悲しみに溢れたものだった。


「……お願い、最後は私にやらせてほしいの。知り合いとして、友人として、最後は私の手で――」


 掴んだミラの手が震えている。

 そうだよな……今からミラは旧友である存在を殺そうとしているんだ。覚悟を決めたとはいえ、そう簡単に割り切れるものではない。


「ミラ、グラファルトのことは俺に任せてくれないか?」


 俺は震えるミラの手を強く握り、悲しみに溢れたその瞳を見つめて声を掛ける。


「邪神の欠片を植え付けられた時、俺はあいつの過去を知った。だから、ミラがどれだけグラファルトの事を大事に思っていたかは……なんとなくわかるんだ。そして、グラファルトがどれだけミラに心を許していたかも」

「ッ……」

「だからさ、最後は自分の手で殺すなんて……そんな覚悟を決めないでくれ。そんな悲しい決断をしないでくれ。大丈夫、ミラの友達は俺がちゃんと救って見せるから」


 話している途中で、ポタポタと握っていた手に落ちて来るものがあった。ミラの目を見ていた俺には、それがミラの流した涙だとすぐにわかった。


「……あの子は、とても、とても優しい子だったの」

「うん」

「……だから、もしあの子が神格の力に心を奪われたのなら――その時は、私がこの手で始末をつけようと、そう決めていたの」

「……うん」

「でも、そんなの嫌だった……私は、あの子を殺すなんて……そんなこと出来ない!!」


 ずっと張り詰めていた糸が切れた様にミラは自分の気持ちは語りだす。もしかしたら、ここに来てからずっと気にしていたのかもしれない。

 最後は自分で、友である邪神を殺そうと。何度も心に言い聞かせて苦しんでいたのかもしれない。

 俺はミラを引き寄せて、その小さくて細い体を優しく抱きしめた。


「もう、そんな悲しい覚悟を決めなくたっていい。苦しまなくていい。俺が、グラファルトを救ってくるから」

「……お願い……私の友達を助けて……」

「ああ、任せてくれ」


 涙を流して懇願するミラを傍で見守っていたファンカレアに預けて、俺は前へと足を進める。


「――おい、聞こえているかグラファルト」


 儀式の間の奥。

 そこに横たわる魔力の結晶で出来た竜を見据えて声を掛けた。


『……』


 相手から返事は返って来ない。

 だが、そんなことはお構いなしに俺は話を続けた。


「お前の記憶を見て、過去に何があったのかを知った」

『……』

「ヴィドラスとの出会いを知った、アグマァルとの出会いを知った、お前が愛した同胞との毎日を知った」

『……』

「――だからこそ、俺はお前の事を止めてみせる。世界を滅ぼすなんて絶対にさせない!!」


 そう言い放った直後、その結晶で出来た体が揺れ始める。

 パラパラと砕けた結晶の欠片が落ち続ける中、その巨体は動き出し立ち上がる。

 そして、銀色の竜は俺を睨みつけて叫び出す。


『何故だ……何故なんだ!!!!』


 怒りの籠ったその声音は、邪神とは違う……。記憶の中で何度も耳にしたグラファルトの声だった。


『我の記憶を見たのであろう!? 全てを理解したのであろう!? 同胞が次々と殺される光景も、最も愛した家族であるヴィドラスとアグマァルの最後の光景も……全てを見たのであろう!?』

「ああ、全部見たよ……」

『だったら何故……我の前に立ちはだかるのだ……我は……我はただ、同胞たちの願いを……この世界を滅ぼすことを……』

「違う」


 グラファルトの言葉を俺は首を振って否定する。


「お前は間違っている」

『間違ってなどいない!! 我は同胞たちの願いを叶える……世界を滅ぼし、転生者を送り込んだ女神を絶望へと誘うのだ!!』

「……そうか、お前は本当に忘れてしまったんだな」


 怒り狂うグラファルトを前に俺は悲しくて、悔しくて、静かに拳を作り強く握りしめる。


『忘れるものか!! 我はしっかりと覚えている!! 愛する同胞の事を忘れることなど――』

「いいや、お前は忘れてしまったんだよグラファルト……忘れてしまったんだ。大事なことを……同胞たちの最後の言葉を……!!」

『何を言っている……我が、忘れることなど……』

「思い出せよ!! お前が最後に見た光景を!! その言葉を!! 一言一句、違えることなく思い出せ!!」


 困惑するグラファルトに俺は叫び続ける。

 忘れてしまった記憶を取り戻させるために、大切な言葉を思い出させる為に、真実の鍵を胸に――。

 俺はグラファルトに語り掛けるのだった。


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