第23話 ただいま
黒椿と少しの別れを告げて、俺は【改変】さんへと声を掛ける。
(【改変】さん、お待たせ。そろそろ戻るよ)
(わかりました。それでは、我が主様の魂をこちらへと引き寄せます)
(ありがとう。あと、出来れば俺の事は名前で呼んでくれないかな? その、主様ってやつ……なんか落ち着かなくて)
言われる度にくすぐったさを覚える呼び方を変えてもらう為に【改変】さんにそう提案してみる。【改変】さんは少しの沈黙の後、意外な返答を返してきた。
(……構いませんが、お願いがあります)
(お願い? 俺に出来る事なら大丈夫だけど……)
(――私の事は”ウルギア”とお呼びください。敬称も不要です)
(ウルギア……? それが【改変】さんの本当の名前?)
(……そう捉えていただいて構いません。【改変】というスキル名とは別に、我が主様にはそう呼んでもらいたいのです……ダメですか?)
そんな話、黒椿からも聞いたことないけど……少しは心を開いてもらっているという事でいいのかな?
予想外のお願いではあったが、そんな風にお願いされて断れるはずもなく、尤も断るつもりなんて全くないわけだけど。
(わかった。これからは【改変】さんの事を”ウルギア”って呼ぶことにするよ)
(それでは、私は主様の事を”藍様”と呼ばせていただきます)
【改変】さん、もといウルギアは柔らかい口調でそう言った。
うん、相変わらず様を付けてはいるけど、最初にファンカレアと会った時もそうだったしこれなら平気だな。慣れって大事だね。
お互いに呼び名を変える事になった後、ウルギアが俺に語り掛ける。
(それでは、こちらに藍様の魂を呼び込みます。よろしいですか?)
(ああ、大丈夫だよ)
(では始めます。それと、肉体へお戻りになる際に私が一時的に支配していた周囲の魔力や、身に纏った魔力はその制御下を離れますので予めご了承ください)
その声を聞きながら自分の意識が朦朧として眩暈に似た感覚に陥る。
(私はいつでも控えておりますので、いつでもお呼びください藍様)
(わか……った……)
こうして、俺の世界は暗転する。
次に目が覚めた時、そこでは久方ぶりに思える相手との再会が待っていた。
―――――――――――――――――――――
儀式の間には動かなくなった邪神と漆黒の魔力装甲を纏った藍が立ち尽くしていた。そんな二人を選定の舞台から見つめるミラスティアとファンカレア。
ミラスティアは椅子に腰掛け、警戒を怠ることなく紅茶を片手にティータイムをしている。
ファンカレアは落ち着きのない様子で儀式の間へと続く入口で右往左往する。
「いいかげんにしなさい。そんなに動いたってどうしようもないでしょう」
「で、ですが……」
「大丈夫よ、もし異常があればすぐに動けるようにしているから。それに……ほら、どうやら動きがあったみたいよ」
頬杖をついてミラスティアはティーカップを持った手で儀式の間を指す。ファンカレアが指された先に目をやると、そこには藍の姿があった。
藍が纏っていた漆黒の魔力装甲に白い亀裂が入り始めた。
その光景にミラスティアは小さく微笑み、ファンカレアは期待と不安を抱えて両手を胸の前へと持ってくる。
そして、亀裂の入った魔力装甲は大きな音を立てて砕けた。
粒子となって消え去る魔力装甲の残骸の中から黒髪の青年が顔を出す。
青年は邪神を見つめた後、振り返りファンカレアとミラスティアの方へと顔を向ける。
ファンカレアは静かに見守っているが、暗い儀式の間に居る青年の顔は良く確認できなかった。
青年はファンカレアを見て、ゆっくりと歩き出す。
「ほら、行ってきなさい」
「え、ミラ?」
突如、後ろから押されたファンカレア。
押したのはミラスティアであり、ファンカレアは儀式の間へと足を踏み入れる。
「大丈夫よ、転生者に課せられた試練はもう終わったのだから。それよりも、待ち望んでいた相手がお待ちかねよ」
クスリと笑いミラスティアは前へと顎を動かす。
ファンカレアはミラスティアに促されるように視線を儀式の間へと戻した。
ファンカレアが儀式の間へと視線を向けた後、ミラスティアは無詠唱で”祝福の光”という回復魔法の一種を発動させる。儀式の間の入り口付近は、”祝福の光”の効果によって光の粒子が幻想的に降り注いでいた。
ファンカレアはそんな光景を目の前に一人の青年の足元を見る。
数歩先には歩くのを止めた青年の足があり、ファンカレアは不安から顔を上げる事が出来ずにいた。両手を胸の前で組み祈るように目を閉じる。
(お願いします……どうか……どうか藍くんでありますように……)
そうして祈り続けるファンカレアの前に立つ青年がゆっくりと口を開く。
「――ファンカレア」
その声は、ずっと聞きたかった優しい声音であった。
邪神に攫われて、目の前で連れて行かれてしまったあの優しい青年の声。
ファンカレアは震える体を無理やり動かし顔を上げる。
そこには大好きな……ファンカレアにとっての大切な存在が、優しく笑っていた。
「……お、おか……おかえり……なさい……ッ」
「――ただいま」
ファンカレアはなにかに弾かれたようにその体を青年の方へと投げる。
青年は抵抗することもなく、優しく受け止めその体を抱きしめるのだった。
―――――――――――――――――――――
目を開けると、鎧に覆われて狭くなった視界の先に邪神が見える。
次第に大きな音を立てて俺の体を纏っていた魔力で出来た鎧が砕け散った。
「……」
小さく掌を握っては解き、自分の体の感触を確かめる。
大丈夫……ちゃんと戻って来たんだ。
レベルが上がった影響なのか、それとも【気配察知】のスキルを手に入れたからなのか、周囲の気配を敏感に感じ取ることができる。
俺は体を後ろへと振り向かせて、その先にいる二人の人影へと歩みを進めた。
――なんて、声を掛けるのがいいんだろう。
歩きながら、そんなことを考えていた。
”ごめんなさい”か、それとも”戻って来たよ”の方がいいのか。
そうして考えているうちに選定の舞台へ続く出口が近くにある事に気が付く。
そこには、俺の祖母であるミラスティアさんがファンカレアの背中を押して前へと押しやる姿が見えた。
「……」
「……」
ファンカレアは俺の顔を見るでもなく、足元を見て両手を胸の前で組んでいた。
どうしたんだろう? 俺の足元に何かあるのか?
そう思い下を見るが、特に変わった様子はない。
顔を上げファンカレアを見ようとした時、俺とファンカレアの周囲に光の粒子が降り注いでいることに気が付いた。
何だろうこれ……でも、不思議と体がポカポカと暖かくなるような、そんな感じがする。ファンカレアの奥に居るミラスティアさんを見ると小さく微笑み、可愛らしくウインクをしていた。
なるほど、ミラスティアさんが何かしてくれたってことかな?
俺はミラスティアさんに軽く頭を下げ、光の影響で良く見えるようになったファンカレアの姿を目に映す。
そこには、微かに体を震わせて不安そうな表情を浮かべるファンカレアの姿があった。
「……」
そうか、こんなにも……俺は彼女を不安にさせていたのか。
思わず手を伸ばそうとするが、俺はそれを寸でのところで止めた。
考えれば俺はさっきまでウルギアに体を預けていたんだ。そんな俺が急に彼女に触れてしまったら驚かれてしまうかもしれない。
そう思ったら、自然と手は止まっていた。
いま一番に彼女を安心させることが出来る行動を考える。
その答えは、不思議と直ぐに思いついた。
「――ファンカレア」
俺はなるべく優しい声音で彼女の名前を呼んだ。
ファンカレアの事を名前で呼ぶと、彼女の体は大きく震えだす。
そして、彼女が顔を上げた時――その顔を見て、俺は胸が熱くなるのを感じた。
涙が溢れた虹色の瞳を細めて、震える口を伸ばし笑顔を作るファンカレア。
彼女が目を閉じると、溢れた涙が頬を伝い始める。
「……お、おか……おかえり……なさい……ッ」
ふり絞った声。
震えるのを抑えるように、鳴き声を堪えるようにゆっくりと告げられたおかえりの言葉。
「ただいま」
俺がそう答えると、ファンカレアは俺の元へと飛び込んできた。
彼女の体を落とさないように、優しく受け止めて抱きしめる。
優しい光が降り注ぐ儀式の間で、俺はようやく帰って来れたんだとその温もりを感じながら噛みしめるのだった。
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