第20話 願いなんだ
自らが創り出した精神世界。
黒椿は右目を閉じて、ここには居ない憤怒に燃える【改変】の暴走を、自身の保有する【千里眼】を使い視ていた。
(――全く、やりすぎだよ……)
目の前で天を仰ぎ嘆いている想い人――制空藍を眺めながら、黒椿は【改変】の行動に呆れて溜息を吐く。
藍が見ているステータス画面。
そこには竜種のみが覚える固有スキルや魔竜王のみが所有していた特殊スキルなど様々なスキルが表示され、しかも止めどなく新しいスキルが追加されていく。
——原因はもちろん【改変】だ。
【千里眼】で眺める儀式の間には、銀色の結晶で出来た竜を殴りつける漆黒の鎧に包まれた藍の姿がある。その体を操っているのは藍の保有する特殊スキル【改変】であり、藍のみが保有する世界で唯一のスキルだ。
【改変】は特殊スキルの中でも異質と言っていい部類に入るだろう。何故ならばスキルそのものに意思があり、自分の思うままに行動することが出来る自立型のスキルだからだ。しかし、【改変】は思うがままにスキルの保有者にして主人である藍を操る事は一度もない。理由は至極単純で、スキルである【改変】が純粋に制空藍という存在に執着し、言うならば絶対的な忠誠を誓っているからだ。
黒椿が初めて【改変】と邂逅したのは藍が15歳の頃、地球で自分の祖母であるミラスティアと話していたまさにその時だった。
『貴様は我が主に害を為す者か?』
存在のない声だけが響く中、精神世界で藍を見守っていた黒椿は憤怒の主に害を与えるつもりは全くないと告げた。そうして『……了承』とだけ答えてそれ以降声が聞こえる事はない。だからこそ黒椿にもなぜ【改変】が藍という存在に執着するかは判らず仕舞いであった。
(藍の事を大事にしているつもりなんだろうけどね……これじゃあ好かれるどころか怖がられちゃうんじゃないかな……兎に角、このままじゃまずいよね……)
黒椿は今なお続く【改変】の暴走を見て心の中で思考する。
このまま行けば【改変】によって邪神は間違いなく消されるだろう。
【闇魔力】を改変し【漆黒の魔力】へと作り変えた【改変】は、途中であった【吸収】の改変を再開させて【略奪者】というスキルに作り変えていた。
【漆黒の魔力】はスキルをコピーする力と魔力を吸収する力を持っているが、命を奪うことは出来ない為、【吸収】の劣化版といった能力だ。
しかし、【略奪者】は違う。
【略奪者】は直接触れた相手のレベルも、特殊や固有を含めたスキルも、魔力も、称号も、その命すらも奪う事が出来る。その名に偽りのない能力だ。
レベルを奪われれば、それまで身につけていた肉体的経験は消え去り剣すらもまともに触れられなくなる。
スキルを奪われれば、もう二度と相手はスキルを使う事はできない。
魔力を奪われれば培ってきた魔力を保有出来る絶対数までもが減ってしまう。
称号も、記憶も、感情も、あらゆる全てを奪う事が出来るスキル。
(またとんでもないスキルを生み出して……)
黒椿は【千里眼】を使うのをやめて右目を開く。
(うーん……寂しいけど、もう時間だね。そろそろ本題に移らないと)
視線の先にはステータス画面を見つめて唸る青年の姿がある。
(……はぁ。決めてた事とはいえ嫌だなぁ。教えたくないな……)
それは、黒椿が自らの力を使って知った真実。
闇に飲まれた愚かなる竜が忘れてしまった本当の記憶。
(でも……後で知る事になったとしたら——優しい君は、きっと後悔して心に深い傷を作る事になる)
ずっと見てきた想い人。
だからこそ理解できる事がある。
邪神となる前の記憶、彼女がグラファルト・ヴァヴィラ・ドラグニルとして生きていた頃の記憶を見た藍だからこそ、地球で家族を思い死を遂げた藍だからこそ、知らずに邪神となった彼女を自らの手で殺した時……万が一誰かの手によって真実が語られる日が来たとしたら――彼はきっと、深い闇へと飲み込まれてしまう。
(さて、今生の別れってわけでもないし! 【改変】が邪神を倒しちゃう前に説明しますか!)
そうして、黒椿は藍の元へと歩み寄る。
「あー……藍? ちょっと言いにくい事があるんだけどね……?」
—————————————————————
黒椿が創り出した精神世界で、俺は恐ろしいスピードで変わりゆく自分のステータスを眺め続けていた。
「なにこれ……もうやめて……あ、【(改変中)】が【略奪者】になった……はは、レベルなんて、もう表示すらされてないんだけど……」
「あー……藍? ちょっと言いにくい事があるんだけどね……?」
変わりゆくステータスを眺めていると、左から黒椿が声をかけてくる。
その目は哀れむような……可哀想な人を見るような……そんな目をしていた。
「こ、これ以上の言いにくい話って……」
「……そろそろ肉体に戻らないと……ちょっとまずい事になるかなって」
黒椿は歯切れの悪い口調でそう言った。
そうか……もう、お別れなのか。
「それは、肉体を離れすぎるとまずいとかって事か? 俺が肉体に戻った時に何かしらの支障がでるとか……」
「ううん。そんなことは絶対にないから大丈夫だよ」
「そ、そうなのか……」
黒椿の言葉を聞いて俺は心底安心した。
あれ、でもそれなら急いで戻る必要はないんじゃ……。
「それじゃあ、まずい事っていうのは?」
「……【改変】がね、邪神を消してしまいそうなの」
「……え?」
嘘だろ……。
邪神って神様だよね?
ファンカレアが封印したっていう、邪悪なる神に堕ちた竜種の事だよね?
いや、ほんと何してくれてるの【改変】さん!?
「なあ、スキルっていうのは全部【改変】さんみたいな感じなのか? そうだったら俺……こんなにスキル持ってるのはちょっと……」
「だ、大丈夫なんじゃないかな……? 【改変】は特殊スキルの中でも異質な存在だと思うし……もし心配なら向こうで女神様とか常闇の魔女に聞いてみたらいいと思うよ?」
「そ、そうだな……それにしても、そうか……邪神は消えるのか」
同胞を転生者に殺されて、世界の全てを恨み闇に飲まれたグラファルト。彼女は世界を滅ぼしファンカレアに絶望を与える事こそが望みだと告げた。
ファンカレアから世界を奪い新たな世界の唯一神となることを願った竜。
……本当に、彼女は。
――どうか、どうか、お願いします。
それは、欠片が砕ける最後に響いた声。
あれは――。
「ねぇ、藍はグラファルトについてどう思う?」
その声で我に返る。
目の前には唐紅色の髪を揺らし、微笑み見つめる黒椿の姿があった。
でも、その笑顔を見ていると……何故、こんなにも悲しい気持ちになるんだろう。
「邪神のこ「違うよ」と……」
俺がグラファルトについて語ろうと口を開くと、黒椿は間髪入れずにそれを否定する。
「違う。邪神じゃないよ、藍」
「でも、グラファルトは邪神に……」
「僕はね、邪悪なる”神格”の話をしているんじゃないんだ。グラファルト・ヴァヴィラ・ドラグニルという……愚かなる竜について聞いているんだよ」
「ッ!?」
刹那の出来事だった。
穏やかな空気が盤上をひっくり返されたかのように一変する。
黒椿からは表情が消え、レモンイエローの瞳がその深みを増し黄金色へと変化する。
その瞳はまるで……創世の女神であるファンカレアを彷彿とさせるようなただならぬ気配を纏っていた。
「制空藍――僕の質問に答えるんだ。君は邪悪なる神に成り下がった、あの愚かなる蜥蜴についてどう思っている?」
「……」
黒椿の口調は先程とは異なり何処か刺々しい。なんだろう……グラファルトに恨みでもあるような、そんな口ぶりだ。黒椿であるはずの彼女からはファンカレアさんと似ている神と思わせる雰囲気がある。思わず跪いてしまいたくなるような……絶対的な存在。そんな彼女が俺に問うのは、闇に飲まれた優しき竜の事だった。
邪神……いや、グラファルトについてか。
最初は変な奴だと思った。
殺すとか世界を滅ぼすとか、物騒なことを口にする割には話しやすくてお節介な一面もあったり、面倒見がいいっていうのかな。
もしかしたら、それも俺を取り込むための作戦みたいなものだったのかもしれないけど……俺は、あれがグラファルト本来の性格なんじゃないかと思う。
それが、同胞の死……それも理不尽な死に方で迎えた別れによって邪悪なる神に堕ちてしまったんだとしたら……。
「……俺は、グラファルトを決して愚か者だとは思わない」
「――それは何故?」
神秘的な雰囲気を纏い、無表情の精霊は首を傾げる。
彼女を中心に荒々しい風が周囲を揺らしていた。
俺は先程から止まらない震えを抑えるように深い深呼吸をする。
「俺は、地球で一度命を落とした。幸運にも、最愛の家族を守って死ぬことが出来たんだ。だけど……もし、俺がグラファルトの様に神にも近しい力を有していたとして、そんな状態の俺が目の前で家族を殺されたとしたら――きっと俺は、命を懸けてでもその全てを以て復讐を果たすかもしれない……そう思うんだ」
「……」
「だからと言って、関係のない人々まで巻き込むことは当然許されることだとは思わない。世界を滅ぼすなんて尚更だ。だから――もしグラファルトが本当に世界を滅ぼすというのなら……俺はそれを全力で止めるよ」
例えそれが、邪神となったグラファルトを殺すことになろうとも。
俺は毅然とした態度でそう言った。
「……いいの? それはつまり、自分と似た境遇の彼女を殺すという事だよ? 彼女の場合、君とは逆の残された立場だ……それも最悪の形で別れる事になったね……それを記憶として体感して、理解して、同情して……それでも、君は邪神を殺せるの?」
神にも近しい精霊は悲痛な面持ちでそう告げる。
そこには、いつもの優しい黒椿が居た。
「……だからこそ止めないといけないんだ。理不尽な死を目の当たりにしたのなら、自らがそれを良しとする行いをしてはいけない。世界を滅ぼすなんてことは、絶対にさせられない!」
――過去を見て、その竜の”大切なもの”を知った。
――過去を見て、その竜が体験した別れに同情した。
――過去を見て、その竜が映した仲間の最後の姿に自分を重ねていた。
死別とは、寂しくて、辛くて、耐え難いものだ。
雫との最後で、それは痛いほどわかっている……。
でも、死に行く者が、愛する家族であり……生き残り続ける者へ送る言葉は……
「きっと……」
『魔竜王様……ど――し――』
きっと……。
『魔竜王様……どう――しあ―せ――あふ――日を』
きっと……!!
『魔竜王様、どうか……どうか、幸せに満ち溢れた毎日を……』
「それがきっと、同胞たちが伝えたかった……生き残った彼女へ送る最後の願いだ!!」
「ッ……その目……そっか……無意識に僕の力を使ったんだね……藍」
黒椿が涙を流して優しく笑う。
頭の中で曖昧であったグラファルトの最後の記憶が鮮明になっていく。
「はぁ……はぁ……俺は……どうして……」
どうして……急に同胞たちの最後の言葉が鮮明に……。
理解できない現象に混乱する。
先程までの気持ちの高ぶりは治まり、自分が息切れを起こしていることに気が付いた。
「……藍は守護精霊である僕の力を加護として使うことが出来るんだ。そしていま、君は無意識に僕の力である【叡智の瞳】を使った」
「……【叡智の瞳】?」
「【叡智の瞳】は全てと繋がり、知りたいと望む真実を写し出す。藍が知りたいと願ったから……グラファルトの見失った真実に辿り着いた」
ふわりと花の匂いが強く香ってくる。
黒椿が俺を抱きしめて優しく告げる。
「おめでとう。君はグラファルトを闇から解放出来る、真実の鍵を手に入れたんだ」
「……真実の鍵」
それは、闇に堕ちたグラファルトが忘れてしまった記憶。
ヴィドラス、アグマァルが告げた最愛の家族への別れの言葉。
「そう、真実の鍵。それをグラファルトの記憶を塗りつぶしている鍵穴にさすことが出来れば……あとは藍の覚悟次第だよ」
「……覚悟か」
黒椿の頭に手を置き、俺は目を閉じる。
グラファルトの同胞であるヴィドラス、アグマァルの思いを知った。
それを、俺はグラファルトに届けることが出来るだろうか……。
「黒椿は……俺に出来ると思うか?」
「出来るよ」
一瞬の迷いもなく、黒椿はそう答えた。
「【改変】の攻撃で弱っているのもあるけど……大丈夫、僕の愛した人はきっと彼女を救うことが出来るって信じてるっ!」
顔を上げて、真っ直ぐに告げる黒椿。
その言葉に俺は胸が熱くなった。
「……わかった。俺、グラファルトを救ってみるよ」
落ち着きを取り戻した草原の広がる精神世界で、俺は黒椿を前に覚悟を決めた。
――憎悪に飲まれた竜、グラファルト・ヴァヴィラ・ドラグニルを救い出す。
「……やっぱり、君はその道を進むんだね」
――黒椿が呟いたその声は、制空藍に届くことなく静かに消えてゆく。
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