第13話 変わらない君に、救われたんだ




「お、目を覚ましたかな?」


 重い瞼を上げて、体を起こす。

 顔を上げるとそこには黒椿が正座を崩して座っていた。


「俺また寝てた?」

「うん、精神的に相当疲れてたんだろうね。僕の胸の上でぐっすりだったよ」


 えっへんと巫女装束の上からでも分かる、適度な膨らみを持つ胸を張り黒椿は鼻高々にそう言った。


 辺りを見渡せば、先程と変わる事のない草原が広がる世界だ。

 生き物も、草以外の植物もない。

 風が心地良い静かな世界で、俺は黒椿と共に居る。


 しかし、目の前に居る女性は本当に黒椿なのだろうか? 別人なのではと考えてしまう程に成長を遂げていた黒椿。

 10年も経てば女性は変わるものなのかもしれないが、唐紅色の髪を伸ばし女性的な成長もちゃんとしている黒椿を見て顔が熱くなる。


「……ん? どうしたの」


 草原の上。風で揺れる髪を抑えて微笑む黒椿。

 レモンイエローの瞳がこっちを優しく見ている。


「……いや、綺麗になったなって思っただけ」

「っ!? そ、そうなんだ……ふぅ~ん」


 黒椿は頬を赤く染めて口を尖らせる。

 その姿を見て、自然と笑みが零れる。

 どれだけ見た目が大人っぽくなったとしても。

 どれだけの長い年月を離れていようとも。


 俺の初恋の人は、変わることのない心を以てここに咲き誇るのだと。


「……十年振りになるんだよな」

「そうだねー……十年かぁ。長かったなぁ」


 俺の隣に座り直し、黒椿はそう言った。


「俺としては色々と聞きたい事があるんだけど、答えてくれるのか?」

「ん~? 僕的には全然構わないよ。でも、時間はあまりないかもしれない」

「どういうことだ?」


 黒椿は俺の頬に手を伸ばし顔を近づけて来る。


「見てもらった方が早いと思う。僕の目をちゃんと見てね?」


 黒椿の言葉に頷き、俺はレモンイエローの瞳と自分の瞳を合わせる。


 重なる視線。

 だが、レモンイエローだったはずの瞳が徐々に黒く染まり出す。


「黒椿!?」

「大丈夫だから、ちゃんと見て?」


 慌てて下がろうとすると黒椿に両頬を押さえられて瞳を見るように促される。

 黒く染まる瞳。その奥で……何かがゆらゆらと動いている。


「これは……俺か?」


 石造りの部屋。

 ぼやけていてはっきりは見えないが、おそらく儀式の間だろう。

 選定の舞台と繋がる扉は壊されていて、見覚えのある人たちが立っていた。

 あれ、ミラスティアさんが何で居るんだ? 何かファンカレアさんを抑えてるけど……。


「そうだよ。いま君が見ているその映像は、リアルタイムで起きてる出来事でもあるね」

「は?」


 えっ、どういうこと?

 

「ごめん、分かりやすく説明を……」

「思い出して、藍。僕と出会う前――君は一体何を見ていた?」

「……黒椿と、出会う――マエ」



――魔竜王様。



「うっ……」


 突然襲う頭痛に頭を下げる。

 そうだ……あの時、俺は……オレは……。


――魔竜王様。助けて……。


「やめろ……」


――私達をお見捨てになるのですか。


「違う……俺は……」


――自分だけ生き残って、幸せになるのですか?


「違う!! 俺は、いや我は……お前たちの敵を」


――なら、早く世界を壊しに行きましょう?


「世界を……壊す……」


――そうです。転生者を世界へ放ったあの女神を絶望へ誘う為に!!


「そう、だな……お前たちの為に我は――」

「大丈夫だよ、藍」


 誰だ? 我はいま、同胞たちと……。


「僕を見て。僕の声を聞いて。僕の手の温もりを感じて」

「……くろ、つばき?」

「そうだよ、僕の名前は黒椿。、大切な名前だよ」


 握られた手の感触が体に伝わっていく。

 ゆっくりと顔を上げると、そこには唐紅色の髪が似合う女性が微笑んでいた。

 そうだ……目の前に居るのは、黒椿だ。

 優しい声音。

 その声を聞いていると激しかった動悸が収まっていく。


「僕との出会いは憶えてる?」

「……十三年前、家のすぐ側にある古い神社の石段で一人ぼっちのお前を見つけたんだ」


 3月に入ったばかりのまだ肌寒い季節だった。

 友達の居なかった俺は一人で家の近所を歩いていて、偶々見つけた神社で黒椿に出会った。


「それじゃあ、僕との別れは……憶えてるかな……」

「……十年前。雪が降っていた冬の事、初めて俺が”黒椿”って呼んだ時だった」


 いつものように他愛のない話を繰り返していたあの日、レモンイエローの瞳を潤ませて彼女は言った。『僕はもう、消えてしまうんだ』と。

 子供だった俺は、勝手に何処かに引越しをするんだと思っていた。だから手紙も書くし会いに行くと約束をしたんだ。

 そして、”名前が無い”と常に呟いていた彼女の為に、彼女がいつも付けていた黒い花飾り。それにちなんで”黒椿”と言う呼び名を付けた。


 そして――彼女は忽然と姿を消してしまった。

 連絡先も、何処に行くのかも告げることなく消えてしまったんだ。


「あの時、”名前を付けてくれて、ありがとう”って涙を流して笑っていたお前の顔が忘れられなかったんだ。黒椿、お前はこの十年間一体何処に居たんだ? そして、お前は一体何者なんだ?」


「――僕はね、藍。名も無い精霊だったんだよ」


 その言葉に思わず黒椿を凝視する。黒椿はバツが悪そうに苦笑していた。

 でも、そうか……それなら今まで子供の頃の記憶だったからと無理やり納得させていた違和感が全て解ける。


「いつも一人で神社の石段に座ってたのも、ずっと名前が無いって言っていたのも……」

「うん。僕はあの神社から動けなかったんだ。神社から一歩でも外に出ると魔力が足りないみたいでね? だからあの神社の石段で、終わりが来るその時まで行き交う人々を眺めようと思ってたんだ。名前が無いのは……ごめん、僕もよくわからない。気づいたらあの神社に居て、名前も何もかもわからなくて。ひとりぼっちで座っていたら——君に出会えた」


 指を絡めて握られた俺の手を、黒椿は愛おしそうに自分の頬へ擦り寄せた。


「僕が見える人なんて居なかったから、君が特別なんだって直ぐにわかった。君の周囲にはいつも沢山の魔力が集まっていたからね。そのお陰で名前の無い僕でも存在を長く保つ事が出来たんだ。――君と話せる時間は楽しくて、君と触れ合える時間は……とても愛おしかった」


 黒椿の白い頬が朱色に染まる。


「でもね、そんな生活も長くは続かなかった。僕には名前が無かったからね。名前の無い精霊は幾ら魔力を補充できる術があろうと、その存在を確たるモノにする名前が無い限り、長く存在する事は出来無いんだ。だから僕は名前が欲しかった。僕の心に響く、存在を確たるものへとする名前が」

「……そしてあの時、俺が名前を付けた」


 黒椿は小さく頷く。


「藍が付けてくれるならどんな名前でも受け入れるつもりだったんだ。最悪相性が悪かったとしても、自由に動けるくらいには成れるからね」


 自由に動けるのなら、その後も俺と一緒に居られる。

 だから、それでも良かったと黒椿は語る。


「でも、あの日……お前は消えてしまった」


 何も告げずに、俺の前から消えてしまったんだ。


「それなのに、どうしてまた再会する事が出来たんだ?」

「それはね……僕が、守護精霊だからだよ」


 黒椿は満面の笑みでそう答えた。


「あの日、君が僕に付けてくれた名前は僕との相性がとても良かったんだ。椿の花はね、きっと僕の存在の核なんだと思う」

「存在の核?」

「僕は多分、花妖精なんだ。あの神社には椿の花が咲いていたからね、花が咲いてそこに偶然魔力の塊が降り注いだ……そうして僕は生まれたんだと思う。でも、降り注がれた魔力はきっと少なかったんだと思うよ? 僕の体を維持することは出来たけど、数日もすれば消えてしまう程に」


 でも、そうはならなかった。

 その理由は……。


「――あの日、俺と出会ったから」

「僕はね、君に救われたんだ」


 黒椿と俺の額が重なる。

 その温もりが暖かくて、ざわついていた心が静まり癒されていく。


「僕を見つけてくれありがとう。僕を救ってくれてありがとう。僕に素敵な名前をくれてありがとう――大好きだよ、藍」




 ピシッ――。



 何か固いモノにヒビが入る音。

 先程まで感じていた黒い感情が徐々に消え去っていく。



 ピシッ――ピシッ――。



 そうだ。

 俺は、制空藍だ。



 ――魔竜王様……魔竜王様!!



 違う、俺は魔竜王じゃない。

 俺はお前たちの主じゃないんだ。



 ――魔竜王様……。



 ごめんな。

 俺は、魔竜王じゃなくて制空藍としてこれからも生きて行く。

 だから、お前たちとはここでお別れだ。



 ――――どうか、どうか、お願いします。




 その声を最後に、心の中で何かが砕ける。






「ありがとう、黒椿」

「どういたしましてっ」


 唐紅色の髪が風に吹かれて揺れている。

 その持ち主はレモンイエローの瞳を細めて優しい笑みを浮かべていた。



 こうして、心地よい風が流れる草原で黒椿と出会い――邪神の闇を打ち破った。

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