第10話 孤高の竜は、世界を愛す。
『なんだお前、怪我をしているのか?』
暇つぶしに訪れた東の森。
茂みの隅にそやつは倒れていた。
鳥獣であることは間違いないが、名前までは憶えていない。
全長は4~5mといったところか。
そやつの翼は片方が折れており、腹部には大きな切り傷があった。
『ガアアアア』
か弱いくせに、この世界で唯一の竜種であるこの我を前にそやつは威嚇し続ける。
『ふん、羽虫が鳴くような声だな。言葉も話せぬ脆弱な鳥風情が笑わせてくれる』
そのまま踏みつぶしてしまおうと思い右腕を振り下ろすが――ふとある事を思いつき動きを止める。
ほんの暇つぶし程度の考えだった。
こいつに我の血を分け与えたらどうなるのか……。
そんな興味からの行動だったのを憶えている。
『我が暇を持て余していたことに感謝するんだな』
右腕を僅かに傷つけ、流れ出る血を鳥獣へと数滴垂らし様子を見る。
『グッ?! ガァ……』
鳥獣は一瞬体を大きく跳ね上がらせたが、それ以降動くことはなく起き上がる様子もない。
――失敗か。
そう思った我はその場を離れて、北の空へと飛び立った。
『面白い考えだと思ったんだがな』
もし、我の血を介する魔物が生まれたら……我と同じ竜と成るだろうか……。
そんなもしもの話を空想し、住処である北の森林へと急いだ。
――――――――――――――――――――
茂みで倒れていた鳥獣に血を分け与えてから十年が経過した頃。
時より東の森から我と似た気配を感じるようになっていた。
『そういえば……あの森にはしばらく行っていなかったな』
久しぶりに東の空気を吸いに行くことにした。
ついでに様子を見に行こうと考える。
翼を羽ばたかせしばらくすると、東の森が見えてくる。
しかし、見慣れたはずの東の森に違和感を覚えた。
『ふむ……あんな渓谷、前からあったか?』
森の山岳地帯に出来ていた一か所の大きい渓谷は見覚えがない。
その形状は、山と山の間を何か大きな衝撃で抉ったような形跡が見られる。
『何者かの手によって作られた渓谷か……面白い!』
いい暇つぶしを見つけたと思った我は、迷うことなく渓谷へと急いだ。
渓谷へと近づくにつれて時より感じていた気配が強くなる。
そして気づいた事があった。
『二つ……?』
我と近しい気配。
最初は一つだと思っていたその気配は二つ存在していたのだ。
益々興味がある。
少しばかりの興奮を覚えつつ、さらに翼を羽ばたかせ加速する。
渓谷上空に辿り着き、おそらく入口だと思える場所へ降り立つ。
『我が名はグラファルト・ヴァヴィラ・ドラグニル!! 世界で唯一の竜種である!! 渓谷に住む者よ!! 我に姿を見せるのだ!!』
咆哮は渓谷を超えて東の森一帯へと響き渡る。
木々に止まっていた鳥達が一斉に飛び立つ音が聞こえた。
しばしの静寂の後、地響きのような四つ足音が渓谷の方から鳴り始めた。
その音は徐々に大きくなり――我は、そやつらと邂逅する。
『ほう……』
20mは越えるであろう体格、陽に照らされ光る鱗に傷一つない双翼……我と同種であろう二頭は声を出すことなく唯々こちらを見ていた。
二頭の表情は対極であった。
宝石のような深紅の鱗をもつ一頭は、今にも襲い掛かろうかという勢いでこちらを睨みつけている。
大海の様に深い蒼の鱗をもつ一頭は、目に涙を浮かべこちらを見ていた。
『我よりは小さいか……それでも間違いない。お前たちは我と同じ竜だな?』
我がそう問いかけると深紅の鱗をもつ竜はその口から炎をふかせ一歩前へ歩き出す。
あれは【竜の息吹】だな。
竜種固有のスキルも使えるのか……本当に面白い。
『貴様ぁ!! いきなり表れて何の用だ!! 返答次第では私とこいつで――』
『やめろ!!』
【竜の息吹】を吐きだそうとする深紅の竜を蒼き竜が制止する。
あわよくば、どれ程の威力があるか食らってやろうかと思ったのだが……そう上手くはいかないようだ。
蒼き竜は深紅の竜を後ろへ下がらせると、我の方へ振り向き頭を下げて来た。
『お久しぶりです――魔竜王様。その節は私をお救い頂いたこと、心より感謝しております。あの時の感謝を伝える事の出来るこの日をどれ程待ちわびた事か……』
やはりな。
蒼き竜の言葉で確信する。
こやつは、あの時の鳥獣だ。
我が失敗作と決めつけ捨て去った……。
『勘違いするな。我は暇つぶしにお前の体を使い実験したまで……恨まれこそすれば感謝されるようなことはしてない』
『承知しております。私を置いて去ったその理由も、十分に理解しております。しかし、たとえそれが偶然であったとしても、あのまま死ぬ定めであった私を魔竜王様は救ってくださったのです。感謝こそすれど、恨む気持ちなどございません!』
何故、こやつは感謝などするのか。
奇跡的に竜に成れはしたが、想像を絶する苦痛があったはずだ。
わからない。
ずっと独りで生きて来た。
感謝されることなど今まであっただろうか?
こういうとき、どう返すのが正しいのか……。
『……魔竜王様?』
『うっ、なんでもない!! それよりもそいつだ!! そいつは一体どうしたんだ!!』
話を変えるべく右腕で深紅の竜を指さす。
深紅の竜は今もなおこちらを睨みつけていた。
『ああ、彼女ですか? 実は私が竜へと進化した後、人間たちが戦いを挑んでくることが多くなりまして……傷つくことはなかったのですが毎日休みなく挑みに来るものですから困り果ててしまいまして。そこで私はこの山岳地帯へ逃げて来たんです。ここは標高が高いですからね、人間たちもそう簡単には――』
何だこいつは……。
ちょっと前までは言葉も話せぬ鳥獣だった癖に滅茶苦茶喋るではないか!
視線を深紅の竜へ向けると呆れた様子で頭を左右に振っている。
なるほど、いつもこの様に永遠と話しておるのだな……。
『あー……すまぬが、お前に説明を頼みたい』
蒼き竜の話を遮り、深紅の竜へ言う。
『……まあ、そうなるか』
深紅の竜は溜息を吐き首を縦に振った。
その横で話したりないのか、蒼き竜が少しだけ落ち込んでいるが無視することにする。
『私は元々は
『ふむ……まあその先は推測できる』
そう言って蒼き竜を見ると慌てたように話し出す。
『も、申し訳ありません!! 魔竜王様の秘儀だということは重々理解しておりましたが……目の前で私と同じ境遇の者がいると知り見過ごすことが出来ませんでした。そして、私の血がもし使えるのならと……』
蒼き竜は謝罪の言葉を繰り返した。
しかし、そうか……我の血ではなく、竜種の血であることが重要であったか。
それとも、我の血が流れるこやつが特別なのか……実に興味深い結果だ。
『気にすることはない。だが、むやみにその方法で増やすのは止めておけ』
念の為に蒼き竜に忠告しておいた。
『それで、お前たちはこれからどうするつもりだ?』
本来の種族とは違う進化を遂げてしまった二頭にこれからの事を聞くことにした。
『……私達はここで暮らして行こうと思っています』
『その為にこの渓谷を作ったんだ』
この渓谷は二頭で【竜の息吹】を交代で打ち合って作り出したらしい。
『そうだ!! 魔竜王様も一緒に暮らしませんか!?』
『『なに?!』』
我の声に深紅の竜の声が重なった。
『……一応聞くが、お前は雄で間違いないか?』
『は、はい。確かに私は雄ですが?』
我の問いに蒼き竜は問いの意味を理解できていない様子で答える。
『そして、そっちの元火炎鳥の竜は雌だな?』
『……そ、そうだ』
深紅の竜は少しの気恥ずかしさを見せる。
全く、蒼き竜は何を考えておるのかわからんな。
『あー……お前たちは番であろう?』
『なっ!?』
『はい。私たちは番です、現にそういう行為もしっか『この馬鹿が!!』ガァッ!?』
我の問いに清々しい程に詳細まで語ろうとした蒼き竜を深紅の竜が殴りつけた。
……うむ、これは蒼き竜が悪いな。
『はぁ……お前たち番の住処に我が住むなど邪魔者以外の何物でもないではないか』
『いえ、そんなことはありません!! これから仲間が増えないと決まった訳でもありませんから』
『――我はむやみに増やすなと言ったはずだが?』
言葉に少しばかりの威圧を含める。
しかし、蒼き竜は威圧を受けながらも怯むことなく我を見ていた。
『確かに、魔竜王様は”むやみに増やすな”と仰いました。ですが、きっと私は私と同じ境遇の者を見つけた時――迷うことなく、この血を分け与えると思います』
私が、魔竜王様にお救い頂いたあの時の様に。
蒼き竜は毅然とした態度でそう言った。
『……ふん』
『それでは……私がむやみに竜を増やさないように見張るのを目的に、ここに住んでいただけませんか?』
『あのなぁ……』
そういう問題ではないと言う事を、何故こやつは理解できないのだ!!
『仮に我が賛同してもそやつが良い顔せぬだろう……』
『え、何故ですか?!』
……本気で言っていおるのか?
『何故だと? 既に心に決めた雌が居るのに、そこに新たな雌が住処にやって来たらいい顔せぬのは当然であろう!!』
我の発言に深紅の竜は深く頷いている。
それとは真逆に蒼き竜は首を傾げるのみであった。
『えっと……』
『こやつ……まだわからないのか……』
『おい、いい加減私も怒るぞ!!』
我が呆れるのと同時に深紅の竜が蒼き竜に詰め寄る。
まあ、番から言われれば流石にこやつも――。
『いや、新たな雌って――魔竜王様は雄ですよね?』
は?
こいつ、いま我を雄と言ったか?
『……あれ、もしかして』
蒼き竜が体を震わせ後ろへ下がる。
深紅の竜へ目配せをすると深々と頭を下ろした。
『貴様は大罪を犯した』
『いや、魔竜王様……その』
『貴様は大罪を犯した』
『ひぃっ!! も、申し訳』
『滅びよ』
情けをかけることなく、愚かな発言をした蒼き竜を【竜の息吹】で吹き飛ばした。
―――――――――――――――――――――
――あれからどれ程の年月が過ぎたであろうか?
結局、我はあの渓谷へ住処を移した。
ボロボロになった蒼き竜を回収し治してやった後、深紅の竜が許したのだ。
折れたというよりは、番である蒼き竜の鈍さに呆れたというべきだろう。
しかし、問題もあった。
前の住処から財宝や荷物を亜空間へ収納し、いざ渓谷へ進もうと思ったのだが……。
我の40mを超える巨体では入口に挟まってしまい入れなかったのだ。
話を聞くと中も高さは30m程しかないとのことだった。
蒼き竜はまた交代で【竜の息吹】を放とうと言ってきたが、流石に作り終えた渓谷を再び壊して広げるのは大変だろうと窘めた。
そうして出した結論は、我が人化の魔法を使うことだった。
魔物の固有魔法であり、使えるものこそ少ないが一定の魔力と魔力に対する適性があれば獣人とさほど変わらぬ姿で行動できる便利な魔法だ。
まあ、一つ文句があるとすれば――この魔法が一度使った時の容姿から変える事が出来ないという所だな。
我はこの世界に生まれてすぐに人化の魔法を使った。
当時の自分に対してもう少し自重しておけと言いたい。
まだ幼かった我は人間の暮らしに興味を持ち、獣人たちを捕まえて人化の魔法を教わった。
その結果、幼かった我に合わせるように容姿も幼くなるわけで……。
『魔竜王様……で合ってますよね?』
蒼の竜は足元に佇む我に向かってそう言った。
身長は140cmもない小娘の様な姿。
我の鱗と同じ白銀の髪に小さくなった黒い角が頭部にある。
しかし――小さい。
何がとは言わないが、我のサイズは全体的に小さかった。
見つめていてもどうしようもない、亜空間から適当な服を身につけ我は渓谷へと足を踏み入れた。
それからの日々は退屈だった毎日とは裏腹に、目まぐるしく過ぎて行った。
いつまでも”お前”と呼ぶもの何だったのでそれぞれに名前を付けることにした。
蒼の竜は”ヴィドラス”、深紅の竜を”アグマァル”だ。
二頭の竜はそれを大層喜んでくれたのを覚えている。
二頭の竜は突然変異という形で進化を遂げた。
本来は使える事のなかった魔法やスキルが身に着いたが、それを使いこなすことが出来ず宝の持ち腐れ状態だったことを知る。
そこで我が魔法とスキルの使い方を教え、竜としての成長を促すことにした。
中でもアグマァルは魔力の扱いに長けており、教えるこちらとしても嬉しい限りであった。
――孤独と退屈に苦しみ、つまらぬと感じていた日々は消え去った。
――我は、幸せを感じていのだ。
――もう唯一の孤高の存在ではない。
――竜種という同じ種族の家族がいるのだ。
そうして、東の森で暮らすようになり幾年が過ぎた頃。
狩りに出ていたヴィドラスの魔力が忽ち消えていくを感じた我は、ヴィドラスの元へと駆け付け――。
「あら、もしかしてこの子の親かしら?」
”常闇のミラ”と呼ばれる、不気味な魔法使いと出会った。
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