第7話 女神の常闇




 選定の舞台。

 その中央で私は立ち尽くす。

 たった一瞬の油断が生み出した悲劇でした。

 封印を解き放ち、儀式の間より現れた邪神。

 邪神は、藍くんの存在を確認すると影の手を藍くんへ伸ばし、そのまま儀式の間へと連れ去ってしまった。


 大好きな人。

 傍に居たい人。

 たった一人の私の初恋。



『大好きだ』



 嬉しかった。

 世界の外から眺めているだけの存在だった私に向けられた大好きな人からの告白。

 嬉しくて、嬉しくて、その言葉が頭の中で繰り返されて、私も……伝えたかった。


「……いゃ」


 ここに、藍くんはいない。

 封印から抜け出した邪神は、私の魔力を利用し自分のモノにしてしまった。


 私はなんてことを……。


「……」


 立ち上がり向かうのは閉ざされた両開きの扉。

 そこに触れようと手を伸ばす。


「いいのかしら。貴女がそれに触れれば、あの子は試練を乗り越えられなかったと判断されて――世界から消えてしまうわよ」


 後ろから聞こえた声に伸ばした手を止める。


「……ミラスティア・イル・アルヴィス」


 聞き慣れた声に振り向くと、そこには常闇の姿がありました。

 漆黒のドレスを身に纏い、長い黒髪をふわりと揺らし現れた彼女に私は何も言えない。


「……ごめんなさい」


 ふり絞って出たのは、祖母である彼女への謝罪の言葉でした。


「私は……私は……」


 いつもそうだ。

 私の我が儘が誰かを傷つける。

 私の戸惑いが誰かを傷つける。


「……ふぅ。ちょっと様子を見に来たのだけれど——どうやら正解だったみたいね」


 常闇は平然とした様子で扉を見つめていました。


 どうして……?


 私の所為で、藍くんが……。


「まぁ、とりあえず座りなさい」


 常闇は指を鳴らし殺風景な洞窟内には似合わないティーセットを乗せたテーブルを要しました。

 椅子は二つあり、一つに常闇が座るともう一つの椅子へ私を促す。

 ……私は震える体を起こしそこに腰を下ろしました。


「本当ならこんなジメジメした洞窟も嫌だけれど、仕方がないわね」

「……怒らないんですね」


 私の所為で藍くんが死んでしまうかもしれないのに。

 どうして怒らないんでしょうか……それが、とても不思議でした。


「怒らないわ。怒る理由がないもの」

「それは!! ……それは嘘です」

「あら、どうしてそう思うのかしら?」


 常闇から投げ掛けられた問いに息が詰まる。

 どうして、分かっているはずなのに……。


「私が願わなければ……ずっと一人でいることを望んでいれば、藍くんはこんな事に巻き込まれずに済んだんです。地球で、変わることのない平穏な毎日を過ごせたんです……」

「それは違うわ。元々そういう約束だっただけ……地球の管理者との約束で決まっていたことよ」


 あの日、常闇が召喚者である制空蓮太郎せいくうれんたろうと共に、フィエリティーゼから地球へ向かう前日。

 地球の管理者と決めた約束がありました。


 ・地球へ蓮太郎を送り返す際に常闇を共に送り出すこと。

 ・フィエリティーゼに転生させる魂の数を増やすこと

 ・フィエリティーゼ側からの強制召喚を禁止すること

 ・将来的に蓮太郎の血縁者をフィエリティーゼに転生させること。


 最初の約束はこちらから提示したモノでした。

 制空蓮太郎に恋をしてお互いに愛し合っている二人を引き離すことは何としても阻止したかった。友である、常闇の為にも。


 それに対して地球の管理者が提示してきたモノが次の三つでした。

 地球は現在進行中で数万年に一度の厄災に見舞われている時期であった為、まだ死ぬはずではなかった人間が多く亡くなり、地球で再び生まれ変わる為の準備が間に合わずに余分な魂として彷徨い――消滅してしまう現象が続いていました。

 日々増え続ける不遇の魂に頭を抱えた管理者はこれ幸いと余裕のある私の世界へ魂を送り出す提案をしてきたのです。


 私は管理者に対して、必ずしも全ての魂が完全な状態で別の世界へ転生できるわけではないこと、転生させることが出来たとしてもフィエリティーゼでどう生きるのかは本人次第ということを説明し、それでもいいなら対応できることを伝えました。

 管理者は全てを了承し、これで消滅する魂を減らすことが出来ると心からの感謝を言われたのを覚えています。


 最後の約束。

 これに関しては私は反対しました。

 何も関係のない未来の人間の人生をここで決めるべきではないと。

 しかし、管理者の説明では先百年までは魂を受け入れる余裕がなく、蓮太郎を地球へ連れて行くには現在の蓮太郎に釣り合う地球人の魂数百人を犠牲にするか、将来……蓮太郎と常闇の血を受け継ぐ蓮太郎と同等の力を持つ子孫の魂を送り出すか、この二択しかないとのこと。しかも、後者を選択した場合――その子孫は地球において長生きすることは出来ないことを告げられます。


 私は常闇を説得しました。

 フィエリティーゼで暮らしてはどうか? と。

 しかし、常闇と蓮太郎の意思は固く……フィエリティーゼでは二人で静かに暮らしていくことは不可能だと言い、最終的には自分たちの子孫の魂をフィエリティーゼに送り出すことにしたのです。


『それに、私と蓮太郎の子孫なら……あなたとも仲良くしてくれるかもしれないじゃない? だって私の血を引いているのよ? 女神様だとか、世界の壁とか、そんなもの関係なしに――あなたと対等に向き合ってくれるかもしれないじゃない。それって、とっても素敵なことだわ』


 この時、少しだけ望んでしまいました。

 いつかの世界を――私と対等に話してくれる未来の子孫を。


 管理者に子孫の魂を送り出すことを伝える際、常闇はある条件を付けました。

 性別は男である事。

 その子孫の死期が確定した際には常闇に知らせる事。

 そして、常闇の持つスキルを子孫に授けること。

 

 管理者はそれを承諾しました。

 ただし、スキルを授けた後にその記憶を私の神域に辿り着くまで封印することを条件にしてですが。

 地球の管理者として、子孫がスキルを使って地球に影響を与えないための策らしい。


 ……こうして、常闇と蓮太郎の子孫――制空藍の未来は決まってしまったのです。


「あなたが謝罪する必要はないのよ……それは私と蓮太郎の罪なんだから」

「それは」

「そうなのよ」


 パキリと音をたてて常闇が手に持つカップにヒビが入る。


「……私は望んだの。蓮太郎と一緒にで静かに暮らしたいと。そうして私は未来の子孫であるあの子に呪いをかけた。私は知っていたのだから、五年前に初めてあの子とあった日に――あの子の余命が五年だということを……とっくに知っていたのよ」


 常闇は悲痛な顔をしてヒビの入ったカップを見つめている。


「どれほど男の子が産まれないことを願ったかわからないわ。男が誕生しなければ別の手段……私が再びフィエリティーゼに行くとかね? 私はもう地球で何十年もの時間を過ごしたわけだし、地球人としてフィエリティーゼに赴くことで帳消しにしてもらおうって、そう思っていたわ」


 知らなかった。

 常闇は……私の友人はこんなにも自分の選択に苦しんでいたんですね。


 瞼を閉じ、常闇は手に持ったカップを異空間へと消した。

 そうして新しいカップを取り出し紅茶を注ぎ直す。


「上手くいかなものよね……私からは大丈夫だったのに、私の娘から産まれて来た孫が男の子だったんだから。何より心に来たのは……あの子が所よ」


 瞼を開いた常闇の瞳が濡れている。

 その瞳は、今何を映しているのでしょうか。

 私ではなく、その先の扉の奥に居る自分の孫を思い出しているのでしょうか。


「初めて会って、話して分かってしまったの。ああ――この子は私達の血を強く受け継いだんだわって」

「それは……わかります、とても」


 藍くんは、優しい子なんです。

 それは地球でも、ここでも変わりません。

 こちらの都合で一方的に連れて来られたこともわかっているはずなのに……。


「……どうだった? あの子と話してみて」

「暖かいんです。藍くんを見ていると、話していると、触れていると……心がいっぱい暖かくなるんです……」



『ファンカレア』



 その時、藍くんの笑顔が頭に浮かびました。

 優しい笑顔、でも……藍くんはもう、二度と……。



「嫌だ」



 あの笑顔を、あの優しさを、絶対に失いたくない……。


「お願い……助けて、ミラ……!!」


 私の友達。

 フィエリティーゼ最強の魔法使い、ミラスティア・イル・アルヴィス。

 彼女なら、助けてくれるかもしれない。

 藁にもすがる思いで椅子から転げ落ち、その黒いドレスの裾を掴みます。


「お願い……私、女神なのに……何も、何も出来ないの……ッ。お願いします……嫌だよ……藍くんが……いなくなっちゃう……」

「……そう、あの子が好きなのね」

「好き……大好き……!! でも、言えなかったんです……ちゃんと言葉で、”大好きです”って。わたし……藍くんが大好きです……ッ」


 ありったけの想いを込めて、居ないはずの彼に届くように叫びました。

 あの時言えなかった言葉……。


――伝えたい。

 私の気持ちを、全てをあげます。

 だから、どうか……もう一度……。


「大丈夫よ」


 泣きじゃくる私を柔らかい感触が包みます。

 顔を上げるとミラが私を抱きしめてくれていました。

 暖かい。

 少しだけ、藍くんに似ている気がします。


「五年前、私はあの子に二つのスキルを授けたわ」

「二つ……ですか?」


 落ち着く声。

 私を宥める様に優しく頭を撫でてくれる手。

 いつも相談に乗ってくれたミラ。

 変わらないその優しさは、やっぱり藍くんに似ていました。


「一つは【闇魔力】。フィエリティーゼでは、もう私しか使える者が存在しない六属性の一色を司るスキル」


 それは、もうミラしか所持していないスキルでした。

 昔に存在していた【闇魔力】スキルを所持していた者たちは、自分たちが誰よりも強者だという驕りを覚え争いの絶えない日々を繰り返していました。

 それに落胆し、他の六属性スキルを持つ者にまで被害を出したことが引き金となり――【闇魔力】スキルを持つ者は”常闇のミラ”によって数百年かけて滅ぼされた。

 【使徒】になったミラに頼まれてフィエリティーゼに存在するすべての生き物は、魔物を含めて今後【闇魔力】スキルを持つ者が生まれないように理を変えました。


「いいんですか……藍くんに渡してしまって……」

「ええ、私はもうとっくの昔に【闇魔力】を使う事はなくなったから。それに、あの子なら悪いようにはしないと思ったの」


 ただの勘だけれどね。

 そう言ってミラはくすりと笑いました。


「もう一つは……私をフィエリティーゼ最強の魔法使いにさせたスキル。私の原点であり、私にとってはもう必要のないスキル――」


 囁くように告げたミラを思わず凝視しました。


「まさか……【吸収アブソーブ】を渡したんですか?!」

「だから、心配しなくても大丈夫よ。使い方もちゃんと説明してあるから、後はあの子が【吸収】と唱えるだけで終わりよ」


 ひらりと立ち上がった拍子にミラのドレスが揺れる。

 紫黒の魔力を放出して、背中を向けていたミラはくるりと周りこちらを見下ろした。


「それでも、もしあの子がピンチに陥ったなら――説教をしに行ってあげるわ」


 そう言って、フィエリティーゼ最強の魔法使い――ミラスティア・イル・アルヴィスは妖艶に微笑みました。

 その笑顔を見ていると、何故だか不安が消えていくのが分かります。


「さあ、私の女神様。それでも心配なら……信じて、そして祈りなさい。私の可愛い孫が邪悪なる神を打ち滅ぼすことをね」


 私に手を伸ばしミラはそう言いました。


 ……そうですね。

 何もできない私に出来る事は限られています。

 だからこそ、私が信じてあげないとダメですよね。

 女神として、一人の女として、大好きと言ってくれた彼の為に……!!


「ありがとうございました、ミラ。私は信じて……ここで待ちます。藍くんの勝利を祈って」

「ふふ、あの子は幸せ者ね。こんなに可愛いに愛されているんだから」


 微笑むミラの反対に座り私は祈ります。

 藍くんの勝利を。

 あの笑顔に、また会えることを。


「信じています……だから、次はちゃんと言わせてくださいね?」




――私も、あなたの事が大好きです。

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